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1.企業経営の診療所がオープン
新聞などで報道されているので既に皆さん御存知のはずだが、「構造改革特区」の制度による「株式会社の診療所」が7月29日にオープンした。再生医療ベンチャー企業「バイオマスター」が経営する美容外科診療所、「セルポートクリニック横浜」(神奈川県横浜市)である。
構造改革特区というのは、「経済の活性化や地域の活性化のため、地域の特性に応じ、区域を限定して規制緩和をおこなう」もの(だそうである)。2001年に「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」が策定され、その翌年「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002」の中で構造改革特区の導入が決定された(参考資料として、末尾に基本方針の一部を掲載しておく)。
たとえば現在の法律では、「医業非営利の原則」により、営利目的で医療機関(病院や診療所)を開設することは禁じられている。民間企業が設立主体となるのは、「職員とその家族などのための福利厚生施設」の場合のみ認められているのだ。日立、マツダ、NTTなど幾つもの企業が病院を持っているが、それらはすべて「職員の福利厚生施設のひとつ」であり、地域への貢献などという名目で一般の患者も受け入れている形である。だが、プランを国に申請して認可されれば、企業が堂々と営利目的の医療機関を開設できるようになった(ただし保険を使わない自由診療のみ)。「セルポートクリニック横浜」は、その記念すべき第一号というわけだ。
2.ひと昔も前からの要求
「小泉改革」がスタートする以前から、経済界は医療への「市場原理」「競争原理」の導入を求めていた。たとえば日経連は1996年頃から民間企業の参入を認めるよう公に文書も提示して要求し続けており、その意味ではいま日本中に吹き荒れている「改革」は決して小泉純一郎という変人?が登場したためにハプニングのように出て来たものではなく、その前からひそかに望まれ、計画されていたものと言えよう(小泉首相でなければもう少し遅れたか、あるいはもう少し目立たぬ形で進められたかも知れないが)。
私の周囲には医療問題に関心の深い人が多いのだが、実は彼らの間でも今回の診療所開設はさほど大きな話題になっていない。それはおそらく、この診療所が美容外科だからではないか。「豊胸? 顔のシワ取り? そんなもの医療じゃない」「やりたきゃ勝手にやれ」という冷ややかな感覚があるように思う。だが、いずれは他の医療分野にも企業が参入してくるのは目に見えている。
3.ある医師の取材体験から
経済界のみならず、医療界にも「市場原理・競争原理の導入」を是とする人は少なくない。私は仕事で、そのひとり(あちこちで発言している、知る人ぞ知る医師)に話を聞きに行ったことがある。質問をはさみながら相手の言うことをじっくり聞いたのだが、途中であまりの噛み合わなさに音を上げたのを覚えている。喧嘩するのが趣旨ではないので懸命に抑えたけれども、取材を終えても不愉快きわまりない気分が続き、その夜は友人と飲んで悪酔いした(記事の中ではむろん発言はそのまま紹介したが、地の文は少々皮肉になった。おそらく彼の方も、二度と私の顔を見たくないだろう……)。
彼の意見は、およそ次のようなものであった(その時のメモが何処にあるか探さないと出てこないので、細かな言葉使いは再現できない。ただし内容は正確である)。
○法律を改正して、企業が病院を経営できるようにすべきだ。人間は「利益を上げたい」と思うからこそ頑張るのであり、「病院だから儲けてはいけない」というのはおかしい。
○診療報酬の規定も取り払うべきだ。報酬は病院、または医師の側が自由に設定すべきである。たとえば外科医が手術1件1000万円と提示したとする。それでも彼が
優秀な医者であれば、1000万円払っても手術して欲しいという患者はいくらでもいるはず。逆にヤブであれば、1回1万円でいいと言っても患者は来ないだろう。腕を磨けば「1回手術して1000万円」の収入を得られるとわかれば、医者はみんな必死で努力する。結果として、医療の向上に役立つ。「優秀だろうとヤブだろうと診療報酬は同じ」などという状況で、誰が本気で努力するだろうか。
4.「金」は人間の尺度なのか
この人は「すべてカネ」なんだな……と私はつくづく思った。そりゃまあ、私だってカネが欲しくないわけではない。あれば嬉しい。道で100円拾ったら、わくわくしたりする(セコイ!)。しかし人間の仕事は――何だか使い古された言い方で自分でも気が引けるのだが――カネだけじゃないだろう、とやはり私は思うのだ。私の仕事などなにほどのものでもないけれども、「これは」と思う仕事は足が出てもやる(おかげで食うためにセコセコとゴースト・ライターなどせねばならず、まったくもってナサケナイ)。そしてカネはそこそこ飢えないだけあれば充分で、使い道に困るほど欲しいとは思わない。
そりゃまあね、私は優秀な人間じゃないし、医者のような社会的エリートから「おまえと一緒にすんな!」と言われても仕方ないかも知れない。でもねえアンタ、人間、金を尺度にするようになっちゃあオシマイよ。寝言言ってんじゃねえッ!
いかん、ついつい感情がモロに出た(苦笑)。話を戻す……。
5.「多様な選択肢」の幻想
前述の医師は、「医療がすべて自由競争になれば、全体の質が上がるだけでなく、患者のほうも選択の幅が広がっていい」という意味のことも言った。「多様な選択肢」というのは、いまの社会でよく使われる言葉だ。ほとんど耳にタコが出来ている。だが、多様な中から好き放題に選べる人間がどれだけいると言うのか。私を含めた多くの庶民は、「選択肢はたしかに多様に示されているけれども、実は選べるものは限られている」のではないか。
以前、記事の中で書いたことがある。
「選んだつもりで、選ばされているのだ」
(自分の文章が、一番気軽に引用できるのである……)
6.人間が生きるベースの部分に競争原理を持ち込むな
酔って眠気がさしてきたので、話を急ぐ。百歩譲って「市場原理、競争原理」が正しいとしても、それをすべてのところに応用できるか。私は、最低限「命」に関わる部分には導入してはいけないと思う。いわゆるゼイタク品なら結構ですよ。競争して下さい(私はハナっから買う気はないし)。しかし医療や福祉、教育その他、人間の「文化的な最低限の生活」を保証する部分、生きていくベースになる部分にそれを持ち込んではいけない。金があれば最高の医療が受けられ、なければのたれ死ぬしかない社会を選ぶよりは――いささか極論ではあるけれども、私は「みんなでのたれ死にに直面する社会」を選びたい。
ガキじみた理想主義者と言われてもいい、私は「能力に応じて働き、必要に応じて取る」社会を夢見ている。子供の頃から夢見てきてこの年(笑)になったのだから、おそらく死ぬまで変わるまい。そのあたりのことは、あらためて書き留めておきたいと思う。
〈資料〉「構造改革特区の目的」
――構造改革特区推進のための基本方針(2002年9月20日・構造改革特区推進本部決定)より抜粋
経済の活性化のためには、規制改革を行うことによって、民間活力を最大限に引き出し、民業を拡大することが重要である。現下の我が国の厳しい経済情勢を踏まえると、一刻も早く規制改革を通じた構造改革を行うことが必要であるが、全国的な規制改革の実施は、さまざまな事情により進展が遅い分野があるのが現状である。こうしたことを踏まえ、地方公共団体や民間事業者等の自発的な立案により、地域の特性に応じた規制の特例を導入する特定の区域を設け、当該地域において地域が自発性を持って構造改革を進めるために、構造改革特区を導入する。構造改革特区の導入により、特定の地域における構造改革の成功事例を示すこととなり、十分な評価を通じ、全国的な構造改革へと波及して、我が国全体の経済の活性化が実現するとともに、地域の特性が顕在化し、その特性に応じた産業の集積や新規産業の創出等により、地域経済の活性化にもつながる。