「二次元キャラが好きだというのに、なんでまた三次元になるようなフィギュアを買い求めるかね?」
とある「自称」一般人の男から質問を受けた。
どれくらい一般人かというと・・・
モビルスーツの型番でわかるのは初代までであってZ以降は知らないくらいだとか、
サンライズでもボトムズは全部見たけど勇者シリーズはさっぱり知らないくらいだとか、
「あ~、あんなのタダの飾りっすか」というと「エラい人にはそれがわからんのですよ!」と言い返すくらいでエヴァネタはわからんとか、
「どんなタイプの女の子が好き?」と聞くと「セイラさん」と答えるくらいで近頃のはやりには疎いとか、
まあとにかくそれくらい普通の一般人(笑)である。
その男はフィギュア派ではない。
だからかどうか知らんが、わざわざ二次元キャラが好きだというのに、三次元キャラ(いわゆる生身)は好みじゃないとか言うのに、三次元でできているフィギュアを買うというのは矛盾しているように見えるそうな。
さて、その場ではぱっとは説明できなかったので、ここでちょいと考えながら書いてみようかと思う。
そもそも二次元世界とは何か?
二次元世界とは、三次元に絶望した者のたどり着く、世界最後の桃源郷である。
絶望した者の絶望したに至る理由そのものは二次元世界には移植されない。
だから二次元世界は素晴らしい!
では、いったい三次元の何に絶望したのか?
これはなかなか難しい。
しかし、人類の何かに絶望したのは間違いなかろう。
つまり、まあ何だ。
人類の何かに絶望したのだから、人類という媒体を使って表現することそのものがイヤだという事になる。
人類という媒体を使って表現するというのは、たとえば実写の芸能人だったり、たとえば実写のドラマだったり、つまりそういう物を指す。
これの最も端的に表した例が、実写版ときめきメモリアルであろう。
当時、ときめきメモリアルは爆発的な人気を博した。
それに目をつけたヤツが実写のドラマ映画を作った。
結果どうなったか?
大コケした。
メモラーのだれ一人として見に行かなかったからだ。
メモラーだったわたしにしてみれば、ときメモの人物が実写になっている時点でそれはときメモではない。
というか、実写でときメモの良さが表現できるわけがない。
メモラーのだれ一人として見に行かなかったのは当然である。
その代わりといっては何だが、アニメ化したものはある。
ときめきメモリアル Only Loveと呼ばれる作品である。
これはWikipediaによると
> 同年12月25日放送分では視聴率8位タイの記録を残した
ほどの人気をたたき出した。
これに実写か実写でないかの違いが非常に強く影響したのは間違いあるまい。
さてさて、人類という媒体を使って表現することをやめたらどうなるか?
たとえば人物を絵に描いてみるという手法がある。
もちろんカンペキに写実的に描いてはならない。
どうせ写実的に描いてもいいなら、それこそ写真にかなうわけがない。
絵に描いてみるという手法のメリットを最大限に生かし、現実に起こりえない空想上の人物を描く。
わかりやすい例でいえば、例えばネコミミだとかエルフだとかがそれにあたる。
これは「絵に描く」というだけの範疇には収まらない。
現実にはあり得ない設定を付与することもカンタンにできる。
例えば姉萌え, 妹萌えなどがそれにあたるし、ちかごろでは男の娘という架空の生物まで生み出されている。
つまり、一番一般的な表現手法として絵が用いられているだけだ。
絵と文章を組み合わせれば小説になり、絵とセリフを組み合わせればマンガになり、絵をたくさん用いてコマ送りにすればアニメになる。
そしてそれらはすべて二次元で表現されているものだ。
しかし!
「人類という媒体を使って表現することをやめる」
という手法の解は絵に描くことだけではない。
たとえば彫刻でもそれは表せる。
彫刻、または彫刻同等品で表したそれはあるのだろうか?
ある。
それがフィギュアと呼ばれるものだ。
フィギュアで写実的に表現したものは壊滅的に少ない。
あたりまえだ。
三次元に絶望した者はそれを求めないからだ。
だからフィギュアは絵に描いたねえちゃんをコピーして作る。
つまるところ
「二次元キャラが好きだというのに、なんでまた三次元になるようなフィギュアを買い求めるかね?」
という質問に対しての答えはどうなるだろうか?
我々は必ずしも二次元にこだわるのではない。
必ずしも三次元がイヤなわけではない。
現物の表現手法が気に入らないのだ。
だから現物を写実的に表現したものでなければ、二次元の良いところをそのまま三次元化したものであれば受け入れる。
仮に、どっかのアイドルの体の寸法を三次元の座標測定器つかって完全な三次元データに変換し、それを綺麗に切削して1分の1アイドルフィギュアを作ったとしよう。
わたしはそれを買うだろうか?
買うわけがない。
タダでもいらんと明言する。
なぜなら、オリジナルが現物だからだ。
だったら、何だったら買うか?
たとえば綾波レイとか如月千早とかの1分の1フィギュアだったらまだ買っているかもしれん。
なぜなら、オリジナルが現物ではないからだ。
現物のイヤなところはそこには移植されていないからだ。
それが三次元になるようなフィギュアをわざわざ買い求める理由である。
とある「自称」一般人の男から質問を受けた。
どれくらい一般人かというと・・・
モビルスーツの型番でわかるのは初代までであってZ以降は知らないくらいだとか、
サンライズでもボトムズは全部見たけど勇者シリーズはさっぱり知らないくらいだとか、
「あ~、あんなのタダの飾りっすか」というと「エラい人にはそれがわからんのですよ!」と言い返すくらいでエヴァネタはわからんとか、
「どんなタイプの女の子が好き?」と聞くと「セイラさん」と答えるくらいで近頃のはやりには疎いとか、
まあとにかくそれくらい普通の一般人(笑)である。
その男はフィギュア派ではない。
だからかどうか知らんが、わざわざ二次元キャラが好きだというのに、三次元キャラ(いわゆる生身)は好みじゃないとか言うのに、三次元でできているフィギュアを買うというのは矛盾しているように見えるそうな。
さて、その場ではぱっとは説明できなかったので、ここでちょいと考えながら書いてみようかと思う。
そもそも二次元世界とは何か?
二次元世界とは、三次元に絶望した者のたどり着く、世界最後の桃源郷である。
絶望した者の絶望したに至る理由そのものは二次元世界には移植されない。
だから二次元世界は素晴らしい!
では、いったい三次元の何に絶望したのか?
これはなかなか難しい。
しかし、人類の何かに絶望したのは間違いなかろう。
つまり、まあ何だ。
人類の何かに絶望したのだから、人類という媒体を使って表現することそのものがイヤだという事になる。
人類という媒体を使って表現するというのは、たとえば実写の芸能人だったり、たとえば実写のドラマだったり、つまりそういう物を指す。
これの最も端的に表した例が、実写版ときめきメモリアルであろう。
当時、ときめきメモリアルは爆発的な人気を博した。
それに目をつけたヤツが実写のドラマ映画を作った。
結果どうなったか?
大コケした。
メモラーのだれ一人として見に行かなかったからだ。
メモラーだったわたしにしてみれば、ときメモの人物が実写になっている時点でそれはときメモではない。
というか、実写でときメモの良さが表現できるわけがない。
メモラーのだれ一人として見に行かなかったのは当然である。
その代わりといっては何だが、アニメ化したものはある。
ときめきメモリアル Only Loveと呼ばれる作品である。
これはWikipediaによると
> 同年12月25日放送分では視聴率8位タイの記録を残した
ほどの人気をたたき出した。
これに実写か実写でないかの違いが非常に強く影響したのは間違いあるまい。
さてさて、人類という媒体を使って表現することをやめたらどうなるか?
たとえば人物を絵に描いてみるという手法がある。
もちろんカンペキに写実的に描いてはならない。
どうせ写実的に描いてもいいなら、それこそ写真にかなうわけがない。
絵に描いてみるという手法のメリットを最大限に生かし、現実に起こりえない空想上の人物を描く。
わかりやすい例でいえば、例えばネコミミだとかエルフだとかがそれにあたる。
これは「絵に描く」というだけの範疇には収まらない。
現実にはあり得ない設定を付与することもカンタンにできる。
例えば姉萌え, 妹萌えなどがそれにあたるし、ちかごろでは男の娘という架空の生物まで生み出されている。
つまり、一番一般的な表現手法として絵が用いられているだけだ。
絵と文章を組み合わせれば小説になり、絵とセリフを組み合わせればマンガになり、絵をたくさん用いてコマ送りにすればアニメになる。
そしてそれらはすべて二次元で表現されているものだ。
しかし!
「人類という媒体を使って表現することをやめる」
という手法の解は絵に描くことだけではない。
たとえば彫刻でもそれは表せる。
彫刻、または彫刻同等品で表したそれはあるのだろうか?
ある。
それがフィギュアと呼ばれるものだ。
フィギュアで写実的に表現したものは壊滅的に少ない。
あたりまえだ。
三次元に絶望した者はそれを求めないからだ。
だからフィギュアは絵に描いたねえちゃんをコピーして作る。
つまるところ
「二次元キャラが好きだというのに、なんでまた三次元になるようなフィギュアを買い求めるかね?」
という質問に対しての答えはどうなるだろうか?
我々は必ずしも二次元にこだわるのではない。
必ずしも三次元がイヤなわけではない。
現物の表現手法が気に入らないのだ。
だから現物を写実的に表現したものでなければ、二次元の良いところをそのまま三次元化したものであれば受け入れる。
仮に、どっかのアイドルの体の寸法を三次元の座標測定器つかって完全な三次元データに変換し、それを綺麗に切削して1分の1アイドルフィギュアを作ったとしよう。
わたしはそれを買うだろうか?
買うわけがない。
タダでもいらんと明言する。
なぜなら、オリジナルが現物だからだ。
だったら、何だったら買うか?
たとえば綾波レイとか如月千早とかの1分の1フィギュアだったらまだ買っているかもしれん。
なぜなら、オリジナルが現物ではないからだ。
現物のイヤなところはそこには移植されていないからだ。
それが三次元になるようなフィギュアをわざわざ買い求める理由である。