教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

甘い評価 / 辛い評価

2009-08-26 00:00:27 | 経済/経済/社会
うちのblogを見ていても、甘い評価で褒めすぎギミなレビューもあれば、辛い評価でボロクソに批判しているレビューもある。

まず電気製品とか、わたしはボロクソに批判してしまいやすい。
たとえば熱設計がタコすぎる製品もあるし、部品を定格オーバーで使っている製品もあるし、なぜかかろうじて動作してはいるがおかしな動作条件で使っていていつ固まってもおかしくないような製品もある。
大手家電メーカーではまず無いが、そういったモノも市販されているのが現状だ。
実際そんなのを見るとカネ出して買ったのがアホらしくなってくる。
そういったときにはかなり評価が辛い。
(それから具体的に何とは言わないが、我々に悪意があり仲良くする気が毛頭ないヤツらに対してはそもそもにして初めから肯定的に評価するのを拒否している。この手の人びとは論外だが。)

逆にアニメやマンガはけっこう甘いと思う。
好みでなければ単に見ないだけでキホン的には非難はしない。
それに全てにおいて「そこそこ」な出来になっている作品より、何よりも飛びぬけて素晴らしい面がありながら至らぬところも多少あるような作品のほうが断然好きになれる。
そもそも、論理的または科学的にツジツマがあわないようなシーンが出たとしても、それが絶対正しいと仮定してツジツマが合うようなリクツを自分で勝手に考えるのでけっこう楽しんでもいる。



じゃあ、この違いはいったい何から出るのだろうか?

これはわたし自身の腕前の差にあるだろう。

いちおうわたしはプロの技術屋のはしくれではあるので、回路を見れば多少は中身がわかる。
だからわたし自身より大きく腕前が劣っていて市販レベルに達していないものは勢い批判的になる。

逆にアニメやマンガや小説やゲームになると、わたしは遊びでちょっとはやってみたことがある程度の腕前で、市販レベルはもちろんのこと同人レベルでも全く歯がたたない程度の実力しかない。
だからわたし自身でも作れないレベルの作品群をつかまえてボロクソ批判する気にもなれないわけである。



世の中には批判に対して
「だったらおまえが作ってみせろ!」
という反論もよくある。

わたしがボロクソ批判する製品に対してなら、オリジナルが既にあって手を加えておかしい箇所を修正するくらいのことなら片手間でやってのける自信はある。
たとえば部品の定格オーバーを修正するくらいなら、ちゃんとわかっていれば大して難しい話ではない。
だからこの反論には堂々と対峙することができる。

場合によっては、かなりイヤなヤツに見えそうでアレだが
「かつてわたしは○○を作ったこともありますが、それが何か?」
とでも言い返してもいいかもしれない。

だがアニメやマンガや小説やゲームになるとそうもいかない。
わたしが作ってみせるだけの実力がないからだ。

逆にいうと、某巨大掲示板なんかではマンガやアニメに関してはかなり辛い評価が多い気がする。
きっと彼らの多くはプロのアニメーターさんか何かなのだろう。
きっと彼らならさらに優れた作品を生み出してやれるという自信があってのことなのだろう。

既存の作品をボロクソに批判できるだけの彼らの腕前をいかんなく発揮した作品が、いつかこの世に現れるのを期待しようではないか!