脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

259.人間の価値観とは?  

2008-03-31 06:43:14 | Weblog
ミクシィのニュースに感動編がありました。

先天的に右腕のない障害があり、生後間もなく母親に病院に置き去りにされた青年がこの春、ある養護学校を卒業して高齢者施設の職員になる。
取り立てて話題にするようなニュースではないような気がするが、実は奥深く、意味ある事実がこの小さな報道には秘められていた。

青年は「僕は祖父母も知らないが、施設でたくさんの人に会いたい」と語る。
彼が生まれた時、両親は離婚協議中だったといい、母親は病院で出産した数日後に姿を消した。そして彼は幼年・少年時代は養護施設やカトリック教会で過ごしたという。
赤子の生後すぐに忽然と姿を消した母親は、十数年後に突然再会を申し出てきたという。
再婚相手と共に一方的に会いにきた母親は何が目的だったのだろうか。単なる母親のエゴ? 遠慮がちに近況を尋ねる母親は「ごめんね」を繰り返したという。
何に対する、誰に対する謝罪だろうか? 恐らく、全てに対してだろう! しかも自分に対しての「ごめんね」もあったのではないだろうか。
「家に行っていい?」と実の子供が聞くと、事前に連絡をするように言われ、一緒に暮らせないことを彼は悟ったという。
何故僕を捨てたの? 一番知りたかったことは聞けなかったという。
何しに来たの? とは聞かなかったのだろう。
赤子誕生の時、人間の心までも暗闇に置き去りにした母親は、多分、再会の時もその心を置き忘れてきたのだろう。
介護ヘルパー3級の資格を持つ青年は、この春からは老人ホームに勤務するという。
そして、今は母を恨む気持ちはないという。

何が彼をあたかも聖人の一人のように育んだのか?
聖人とは、高い学識や人徳、深い信仰を持つ理想的な人の事だが、彼は若くしてその条件を満たしていると思う。生まれつき無かった右腕の代わりに彼は生まれながらに他を慈しみ愛する徳を人徳のなせるわざと解して成長してきたのだろう。
「聖人に夢なし」と言えばすぐにがっかりしてしまいそうだが、聖人は悟りの境地にあり、雑念に煩わされないから、安眠することができて夢など見ない、というのが本当の意味である。
また、「聖人は物に凝滞せず」と言えば「時勢を知っているから自然に身を任せて物に拘らない」という事なのである。

「新しい出会いに挑戦したい」と目を輝かせて語る青年は人間の価値観を知る少数の現代若者の一人かも知れない。願わくば、多くの若者にこの青年の心意気を知って貰いたいと思うのは私だけだろうか。
価値観とは人生や社会において何が大切であるか、何をしてはならないか・・・
この青年は幸運にもこの事を早期の内に自らが蓄えたのだろう。こんな青年が日本にいるという事実が嬉しい!

258.左脳だ!右脳だ!と言っても脳の何かが残っていれば!

2008-03-29 17:50:27 | Weblog
今を時めく茂木健一郎氏を中心に「左脳だけでも生きる奇跡」の特別番組を昨夜、TVで見た。
私は左脳の視床の近くで出血して、右半身不随になった。
後遺症は典型的で運動野を考えると、右足右腕が全く動かず、この点ではかなりの重症だと思っている。
だが、人間特有の五感を考えると、そこには奇跡と思われる事実がある。

私が損傷した左脳とは大脳左半球で、言語・文字などの情報の処理を行なっていると考えられていて、右脳に比べると論理的で分析的処理に優れていると言われている。
私は自分を分析すると、論理的に分析処理をする能力は損傷していないような気がするのである。
美術館の仕事をしているとはいうものの、私が実際に元々芸術的な才能がある訳ではなく、寧ろ、分析的処理が好きで「好きこそものの上手なれ」宜しく・・・といったところで仕事をしてきたし、復帰劇があったのだと、自認している。

脳出血で倒れた時は、殆どの機能がダメだったような気がする。
体は天井を仰いだままで、動かす事は全く出来なかった。
やがて、一週間もすると、ベッドに座る事が出来るようになり、車椅子に乗り移る事が出来るようになった。
立ち上がって、更にトイレなどに移動するのも自分でと、いう動きはすぐに出来るようになった。
これは倒れた時の年齢が55歳だった、という事が大きく影響している。
自分は未だ55歳だ、何してるの!
女同士だからと言って、未だ20代の娘に世話になる訳にはいかない!
あまりにも子不孝だ!
自分が若かった頃、母親が娘にそんな気を遣わせたか?そんな事はなかった。私は全くの脳天気な女の子だった筈だ!
娘にもそんな呑気な青春時代を送って欲しい!
斯くして、私は着替え、立ち上がり、歩き出し、更に食事を左手で取り、トイレ・シャワーも自分で、と心に決めた。
亡き父が転倒して脊髄を損傷し、下半身不随になった時「娘に世話にはならない」と室内で車椅子に乗り回し、シャワー室やトイレに行っていたのを思い出していたのである。「お父さんに出来て私に出来ない筈がない!」と私は思った。
言語に関しても、話をする事を思い出すと、私の脳の中にはあの時も日本語と英語が存在していた。だが、口から吐き出されるのは英語だけだったのである。私は咄嗟に何語でもいいと思い、英語が解る人達(担当医師や私の家族)に喋りまくった。甲斐あって、更にその後見知らぬ日本人にもいっぱい会う機会を得て、私の日本語は徐々に、だが、スピード感をもって蘇っていったのである。現に、先日、ある人に講演を、とまで言われ、大いに喜んでいる。
講演を引き受ける気持は今の段階ではない。私は自らの大舞台での再出発はやはり、美術館で、と夢見ているから!
耐え難い痺痛を我慢出来るのはきっとこんな夢をいつも持ち続けているからだと思う。

左脳を損傷した私は自らの諸々の回復を決して奇跡だとは思っていないし、例外だとも思っていない。
私らしく「目の付けどころがよかったのかも知れない」と思っているのである。
更に、私がよく引用するハイパーグラフィア、即ち「書きたがる脳」は言語に対する自らの願望を加勢してくれていると思って感謝している。
右脳を摘出し、左脳だけで生きるあの若い女性も、もしかしたら本来なら右脳が司る「絵を描く」という熱望が、左脳に存在する何らかの機能が働いて才能として噴き出しているのかも知れない。

257.きいろちゃんとくうちゃんのいる平和圏

2008-03-28 08:27:06 | Weblog
国際宇宙ステーションから土井隆雄さんが撮影した写真は、地平線に沿ってオーロラが緑色に光る幻想的な光景で、それをキャッチした地球の日本人は歓喜に沸いた。

オーロラと言うと、米国カリフォルニアのハリウッドにあるアートスタジオの存在を思い浮かべる。このスタジオではコンピューターグラフィックスで物体の見え方を計算しながら画像を作成している。そして最終的には生態系と見なすような完全模擬実験に持っていくのである。実験とはそこまでで、実際には映画なんかにも採用されるのだが、これは人間のイマジネーションを刺激するのには最適だと思われているのが私なんかにとっては面白い。現に、幾つかの画像を目の前にすると、七色に輝くオーロラ以上に私の脳内には様々な想像でいっぱいになり、ある写真家の言葉が今更のように蘇る。そう言えば、あの写真家は「写真は言葉のないコミュニケーションである」と言っていた。
脳内を駆け回って、物事を心に刻むには様々な途がある。そして、更に五感には夫々特徴があるのだが、最も一般的なのは視覚に頼る事かも知れない。「目は口ほどに・・・」ではないが、自分の目で見る写真は本当に言葉にはないコミュニケーションが取れるのだろうか。

さて、今回はこんな事を綴る予定ではない。いやはやハイパーグラフィティとは時には厄介なものである。私はワンダフル仲間の「きいろちゃんとくうちゃん」を紹介するつもりだった。何を隠そう「きいろちゃん」という名前を思い浮かべたら、突然あのオーロラの神秘的な自然の色が私の視覚を捉えた一瞬を思い出したのである。

2005年2月生まれのゴル、きいろちゃんのミクシィ登場は厳寒の真冬に温風を吹き込んでくれたようだが、今年もそのマイブログ登場では、三寒四温も吹き飛ばして春の麗らかな季節に飛び込むような気さえした。きいろちゃんの初登場では、6歳年上のシェルティのくうちゃんに後押しされてのミクシィ・デビューは華やかなものだった。それもその筈で、きいろちゃんの親戚があっちこっちにいて「待ってました!」の歓迎はさながら歌舞伎の花道からの登場みたいだった。その時のフォトを「時の時」としてアップしたいが、ブログではあえてくうちゃんとの仲良しフォトを載せてみたいと思ったのである。

ところで、きいろちゃんという名の由来って気になりませんか?
ママが幼い頃に遊んでいたクマのぬいぐるみに「きいろ」という名がついていたんですって! そして、20世紀最後の1999年家族の一員になったシェルティはクマから一字を貰って「くうちゃん」かな? この名前は、あのチワワのク~ちゃんより先取りなんですからね~ そして、ゴルは「きいろちゃん」というわけかな? でもそれを言うなら、「まーちゃん」でもよかったよね! まっ、いいか! ああ、そうか、くうちゃんの「くう」は「空か?」 さぶ~っ! 

とにかく、幼い頃の心というか、気持は、年を重ねてヒョンな処で出てくるものである。 折も折、きいろちゃんにフォーカスをあてようと思った時、宇宙からの素敵なメッセージが地球に届いた。それがあのオーロラの素晴らしい色彩の画像だった。

光の三原色は赤・緑・青で黄色は入っていない。でも絵具や印刷のインキでは青緑・赤紫そして黄をいう。自然と人間の手法とは実に素晴しい事で、それがコラボすると更に画期的な結果を生むのである。

日本では太陽は赤で国旗の日の丸が赤いのに疑問を持つ人はいない。歌や詩にも「真っ赤な太陽・・・」とか「赤い夕日に・・・」と表現されている。そして、Red Sails In The Sunset!なんかは私が好きな西洋の歌だが・・・ 
虹が便宜上七色というだけで、人間の視覚が赤・緑・青の視覚細胞に対する刺激量で色を判断するだけで、錯覚で見えるのは三色プラス黄色位だという事である。確かに赤と緑が混ざると黄色になるが、これは決して黄色の波長の光が出来ている訳ではない。とにもかくにも、TVなどは三原色の軌点を持つという事である。
自分の目で見る太陽は決して赤ではないのに、日本の子供の多くは「青い空に赤い太陽」を描く。だが、プリズムにかけて見る太陽光は七色になって、それが集まって白熱光になるという訳だ。

子供の絵の世界では、赤い太陽・緑の大地・青い海という事になるのだろうか。そこに黄という色が出現すると、黄色が太陽の赤に替ってその代表的な色という事になり、赤は血の色で生命という事に・・・
地球上で、日本人のように太陽が赤だと捉えている民族は少なく、多くの民族は「太陽は黄色」だと思っている。そう、黄色が主役になる事は結構あるだろう。

ここまで「黄色」を語ってくると、次に続く話は当然ゴルのきいろちゃんの事になる。
きいろちゃんのフォトからは様々なメッセージを読み取る事が出来る。たった一人ぼっちでカメラ視線に収まるきいろちゃんはチョッと不安が隠せない。隣にくうちゃんが座ると確実に甘えん坊でチョッと得意げな顔になる。それだけくうちゃんの責任は重くなるのだが、くうちゃんのシ~ラッとした表情が「分かっています」とマジ顔で言っている。そしてパパの両膝に絡まる二匹は手放しで安心しきって大喜びをする。きいろちゃんは「エヘン!私のパパ!」くうちゃんは「あ~あ、パパがいると安心!」と言っている。
僅か数か月の交信でこれだけ色々な想いを巡らせるきいろちゃんは確かに主役になれる。それもこれもくうちゃんという素晴らしい脇役が脇を固めているからである。

256.サクセスフルエイジング

2008-03-26 06:26:20 | Weblog
ひょんな事でお目にかかった老年学の柴田教授とは、た~まに接触がある。未だ未だ盛年期真っ盛りの教授には教壇では学際的老年学者の名が相応しい。
教授が掲げる言葉にサクセスフルエイジングというのがある。中々魅せられる表現だと思う。私らしく勝手に解釈するとサクセスフルエイジングというのは個々に様々、成功の時の時が夫々違うような気がする。
教授はサクセスフルエイジングに3つの項目を掲げている。先ず、長寿、これには疾病予防期間を含む生命の量を問題にしている。生命の量? 奇抜な言葉だと思うが教授と歓談する機会を持つ事が出来る幸せ者の私としてみれば、何となく理解できる。
寿命、疾病、余命と連ねると、確かにそれまで元気印の名を欲しいままにしてきた私としては少々気になるが未だ未だ高齢者予備軍を名乗りたいので、あえてスゥーッと通過したい言葉である。
次に教授の言う言葉は、QQL言わば生活の質である。これは人間、誰にとっても大切な言葉だと思う。QQL向上に夢中になると必然的に命の量は増える。豪州の親友が昨年の私のバースデープレゼントに記してきた言葉が蘇る。曰く・・・
Birthdays are good for you. The more you have, the longer you live.
より長く生きる人間が目指すQQLに続く言葉は「社会貢献」という事になる。
教授は「QQLと社会貢献を促進するには・・・」と繋げ、私は社会貢献と世代間問題を取り上げたくなるという訳だ。
教授に習ってQQLと社会貢献を同時に考えると、食と栄養、生涯体育(いい言葉だなあ!)、知的活動(好き好き!)それに生活環境とくるらしい。
社会貢献を、かの慶大商学部の中島教授の言葉に重ねると、有償労働と無償労働というのが脳裏に浮かぶ。つい最近、ある事を私だから出来る事をやってあげた時、私より年上の障害者に「お金貰うの~?」と怪訝な顔をされて、その人とはプッツリ縁を切った。有償と無償を決定するのは自分であって、他人ではないというのが私の持論である。何もかもが「タダ」ではやる気をなくす。すべて国とか公の世話になって、年金(障害者年金を含む)を貰って自分の能力を無償で、と思うと何もかもが嫌になってくるのは当然なのではないだろうか。自らを社会から抹殺したくなってしまう。
社会貢献には高齢者へのサポートと若い世代へのサポートがあると老年学教授は言うのである。高齢者の端くれに引っかかっている私は先輩たちへのサポートなんておこがましくってと思ってしまうが、それは私は未だ未だ教えて貰いたい事がいっぱいあるからだと思う。若い世代へのサポートは公私ともに私が張り切ってやりたくなる分野である。世代間の問題で重要なのはエイジズムと共生という事になると、教授は言う。
エイジズムageizumは人種差別racismに倣って造られた語である。強制退職とか居住家屋追い出しとか職場や家庭から高齢者を差別して排除する、所謂、老人差別を意味する。
共生は、元はと言えば19世紀半ばに造られた科学用語で長年共棲という漢字で表現してきた。Symbiosisのsymは共にという意味でbiosisは生きるという事である。その後かの建築家故黒川紀章氏が故椎尾元増上寺官長から教えられた「ともいき仏教」を発展させて使った社会学用語というのが「共生」である。共棲ではなく共生がクローズアップされ始めたのは1990年の「国際花と緑の博覧会」で「自然と人間との共生」をテーマにしたのが発端だというから科学→仏教→一般という流れは実に面白い。お得意の余談になるが、故椎尾増上寺官長の奥さまには幾度となくお目にかかっていたのはもう40年近く前になるが「私、蝶が大好きで網持って世界中飛び回って行っちゃうの!」と言って笑いを取っていたのを懐かしく思い出す。自然との共生をあの頃も夢見る人間はいっぱいいたのだ。
自らも老いと粋に生きる老年学教授の素敵な言葉「サクセスフルエイジング」を噛み締めて老年街道をまっしぐらに進んでみたい。不便の感じる右手に「障害」を我が物顔の左手に「生涯」を携えてバランスよく歩きたいものである。

255.ジェロントロジーに群がるソントク

2008-03-23 09:06:46 | Weblog
ジェロントロジーというカタカナは未だ一般社会には浸透してきていないが、老年学とか老人学また加齢学といえば「ああ!」という人も多くいるだろう。生物学とか医学など自然科学と社会科学を統合して加齢に係わる様々な問題を研究するのである。誰もが何度も何度も自らの誕生日を迎え続けていけば、やがて自然に向き合うことになる問題である。
誰もが求められるその際の能力は、老人の介護やお世話という領域を超えて、熟年の生き方や価値観を磨いていくという事に注目するべきだと思う。老人を意識した心配りは病院の案内係、町のお巡りさん、交通関係の職員、売店の人、道を行き交う人、全ての人々がその仕事を通じて求められる能力でもある筈だ。
さて、介護保険が見切り発車して幾年か経った今、予想通りの問題があちこちで出始め、更にあちこちで改良されつつある。2020年になると、日本の国民の4人に1人の割合の65歳以上の高齢者は、熟年だとか、高齢、老齢という修飾語は最早不要になって単に「日本人」と称する事になるのではないだろうか。介護サービス事業の突然の進出には驚嘆するばかりだったが、この皮算用もやがて「タヌキの皮算用」という事になってきている。
介護されるほうも、ボランティアに『ありがとう』と善意の心で応えてきていたが、介護保険制度が普及するにつれ感謝の心は『ちょっと遅いんじゃない』とか『それ終わったら買い物、行ってきて』と、今では雇い人の風情がないとは言い切れない。善意の介護が、国が面倒を看る制度に変わって、人の心の荒廃が見られるようになってくるとは嘆かわしい。介護する側の企業がお金に群がっての要介護争奪戦となる。一方、世話をされる側は、『介護保険適用うけないと損だ』という考えが芽生えてくるのだろうか。顰蹙はエスカレートしていくという訳だ。人間の後ろにうごめく銭金意識に損得意識をどう捉えたらいいのだろう。
人間と生まれたからには、肉体の回復にだけお金を注ぎ込むのではなく、人生観や心の回復まで考えるべきだと思う。
バリアフリーやノーマライゼーションと並んで一般化したいカタカナはジェロントロジーである。ジェロントロジーという老年学を考えると老人病学ではなく、生理的老化現象のほか老人の社会的問題も考えるということである。
私は軽く古希の年齢を超える年齢の、元気印群にいっぱい会った。そこで夫々のとても為になる話を聞いた。そこにいた高齢者予備軍が私の他には戦前派というか第二次世界大戦直前派という先輩がひとりしかいなかった事がとても残念だった。いい話だった。語る姿勢も実に微笑ましかった。話の内容を詳しく綴ると横道が長くなるので、それは次の機会にしたい。
とにかく、その場にせめて50代、40代の人がいっぱい居たらなあ、と悔しく思ったのである。高齢者の話し手は、聴衆が同年齢の仲間ではなく、せめて私達ふたりのような後輩であるという事が、話し手から元気印の衣を剝ぎとる事はなかった、と感じ取れたのが嬉しかった。しかも益々元気印になっていくのが分かった。
私は五体満足元気印だった頃に習慣になって、今感謝している事がある。それは50歳を記念して運よく「外国人相談室」のリーダーになっていた事である。
「貴女は自ら意見や構想を多くの人の前で語る事が出来るようになった今、人の語りに耳を傾ける事にも集中出来るように努力したらいい」
30歳前に言われたこの言葉を私に徐々に植え付けてくれたのは、リーダーという立場だったのである。自己満足だが、確かに今、自分は語りも聴く耳も備えていると思えるようになってきている。相手の気持ちが僅かでも自分なりに理解できてそれが大当たりすると単純に嬉しくなる。
確かに老齢者の話は何度も何度も重複したが、まぁっ!そんな事は大目に見て・・・

254.神経障害性痛み!

2008-03-19 15:27:49 | Weblog
 昨日は、リラックスも兼ねて音楽セラピーの会に昨日参加した。元気印の障害者ばかりのグループである。障害は様々、もしかして見かけはどこも悪く見えない私だが、痺通は誰よりも最悪だったかも知れない。
 殆ど終始ある種快適に過ごしていたが、会の終盤は最悪だったのである。音楽セラピーは歌うだけでなく、簡単な楽器も使う。そして、私にとってはやっぱり予想通り、小さな鈴が曲者だった。参加者が一斉に鈴を鳴らした時、歓声と一緒に鈴の大合唱は暫くの間止まなかった。
 間近で叩くと一定の振動数の音を発生する音響器の音叉と違い、夫々の障害者の手による鈴の音の周波数はきっとバラバラなんだと思う。そして、突然3月13日に書き綴ったあの異常疼痛が私を襲ったのである。感覚を失った筈の部分から自発性の異常疼痛、即ち痺れ、電撃痛、灼熱痛、押圧痛、乱切痛等とも表現される激痛のすべてが同時発生したのだから堪らない。言葉がない。対処のしようもない。私はしばしチョッとうつむき加減に黙り込んで激痛が収まるのを待った。収拾は単なる収拾で、単に混乱を収めるに過ぎず、痺通は容赦なく私の半身に留まった。だが、有難い事にこういう場合の長逗留はない。鈴を伴う大音響が収まると、私の異常疼痛もやがて収まり始めた。
 神経障害性の痛みは神経細胞が変性したり、神経を電線に例えると混線状態になる為に起こると、麻酔学の著名な医師が言っている。混線状態で神経が勝手な信号を送っているという訳だし、神経細胞の変性が進むと痛みの信号を受け取る細胞や組織の神経が過敏になると言っている。更に痛みを齎す部分の周囲の筋肉が硬直して痛みが長引くという訳である。同医師は、本人が痛みを感じる場合は医療に携わる者は、痛みの治療にあたっては心理的、精神面からのアプローチが必要になると明言している。そして、痛みを訴える人間には「神経障害性の痛みは慢性化させない事が大切だ」と言っている。
 では、どうしたら慢性化を防げるのか? 果たして、答えは・・・
「根本的な治療薬はないと言ってよいでしょう。神経障害性の痛みはよく使われる麻酔系鎮痛剤があまり効きません」
 確かに、私の痺通も今となっては原因疾患がないにも拘わらず、痛みを感じるのである。原因が分からないから痛みは?と首を傾げるのではなく、本人が痛みを感じているという事実を真摯に受け止めて貰いたい。医療関係者は真剣に対処する努力が大切だと前出の医師は述べている。こういう医師がいるという事が私のような立場にある人間にはとても大切だと思うのである。
 

253.本日公開「犬と私の10の約束」

2008-03-15 14:39:47 | Weblog
犬の十戒の映画が今日、ロードショー初日を迎えた。
1956年の米映画「十戒」は強烈に私の記憶に残っている。
亡き父と一緒に見た映画だが、その後私はキリスト教の学校に進んでモーゼの十戒を習ったが、更にその後留学先でAustralian-American Clubで何とモーゼ役のチャールトン・ヘストン氏に出会っているからだ。何というミーハー!でも、ホント興奮したんだ~わ~!
「犬と私の約束」とは何と素晴らしいタイトルだろう!
日本人は、ホント、こんな展開のさせた方が実にうまい!

『犬の十戒 』(犬の飼い主のための十戒)
『The Ten Commandments of Dog Ownership』
1.My life is likely to last ten to fifteen years.
 Any separation from you will be painful for me.
 Remember that before you buy me.
2.Give me time to understand what you want of me.
3.Place your trust in me-it's crucial to my well-being.
4.Don't be angry at me for long and don't lock me up as punishment.
You have your work, your entertainment and your friends.
I have only you.
5.Talk to me sometimes.
Even if I don't understand your words, I understand your voice when its speaking to me.
6.Be aware that however you treat me, I'll never forget it.
7.Remember before you hit me that I have teeth that could easily crush the bones of your hand but that I choose not to bite you.
8.Before you scold me for being uncooperative, obstinate or lazy, ask yourself if something might be bothering me.
Perhaps I'm not getting the right food, or I've been out in the sun too long, or my heart is getting old and weak.
9.Take care of me when I get old; you, too, will grow old.
10.Go with me on difficult journeys.
Never say, "I can't bear to watch it, or, "Let it happen in my absence."
Everything is easier for me if you are there.
Remember, I love you.

次に「虹の橋」の原文は古いアメリカン・インディアンの伝承から作者不明のまま欧米に広がり、サイトを通じて日本にも・・・という事だろう。
詩の内容は愛する動物達と別れても天国の手前に有るという「虹の橋」で再会して、一緒に虹の橋を渡り共に天国に行く!という内容である。
私は、個人的な事だが、オーストラリアの母親が亡くなった夜と翌日の葬儀を思い出した。あの夜、燦然と輝く南十字星を仰ぎ見て、更に幻のブライトスターを見た時、そして翌日雲ひとつない真夏の青空に虹はかけらもなく、幻の一筋が飛行機雲のように・・・あの時、私の豪州の母親は私の心の中に・・・
「虹の橋」つまりThe Rainbowは実に共感が持てる詩である。
Rainbow Bridge
Just this side of Heaven is a place called Rainbow Bridge.
When an animal dies that has been especially close to someone here, that pet goes to Rainbow Bridge.
There are meadows and hills for all of our special friends so they can run and play together.
There is plenty of food, water and sunshine and our friends are warm and comfortable.
All the animals who had been ill and old are restored to health and vigor; those who were hurt or maimed are made whole and strong again, just as we remember them in our dreams of days and times gone by.
The animals are happy and content, except for one small thing: they each miss someone very special, someone who was left behind.
They all run and play together, but the day comes when one suddenly stops and looks into the distance.
His bright eyes are intent; his eager body begins to quiver.
Suddenly, he breaks from the group, flying over the green grass, faster and faster.
You have been spotted, and when you and your special friend finally meet, you cling together in joyous reunion, never to be parted again.
The happy kisses rain upon your face; your hands again caress the beloved head, and you look once more into those trusting eyes, so long gone from your life, but never absent from your heart.
Then you cross the Rainbow Bridge together...
あの時、哀しみにくれていた私に幸運の女神の光を与えてくれたのは豪州の亡き母親だったと私を含む一族は本当にそう思った。そして私はあの光が今現在ある私の姿を頑なに護ってくれていると確信している。何故なら、いい事ばかりではなく、嫌な事もあるのだから・・・ 幸運の女神と事前に虹の向こうで話し合っているのは、豪州の亡き母親だと私はいつも思っている。

私はAT THE RAINBOW BRIDGE(虹の橋のたもと)という詩には今一つ共感が持てない。恐らくそれが、愛された事の無い動物達がやはり愛を知らなかった人と共に「虹の橋」を一緒に渡る話だからだと思う。私は常に人を愛し、愛されている人間だから。犬も猫も私は愛する。だが、もし私が虫唾が走るような動物に会ったら・・・ 私は人間として未熟だから、この「もし」のは対応が出来ない! 実に正直な人間だと私は自らを思う。

252.痺れ:耐えがたい後遺症

2008-03-13 06:29:44 | Weblog
昨日、何故ふざけたようなブログを書いたのか。多分、私のハイパーグラフィアがそうさせたのだろう。言いかえれば、私はきっと痺通の辛さから逃れたかったからだと思う。だから、BWPでの馴染みのゴル達は夫々が、そしてそのゴル友が余る喜びにも勝る彼らの笑顔を見ているだけで、私の辛苦そのものの痺通を忘れさせてくれるからだと思う。この気持は味わったものでなければ心底語る事は出来ないと思う。感謝!感謝!本当にありがとう! ゴルちゃん、デンちゃん、ピレーちゃん・・・♡♡♡

感覚を失った筈の部分から自発性の異常疼痛、即ち痺れ、電撃痛、灼熱痛、押圧痛、乱切痛等とも表現される激痛が発生する。
求心路遮断痛なんて言葉を向けられると処置なしの感がしてしまうのは否めない。
最近の私の異常疼痛は灼熱痛と言えるのかも知れない。疼痛なんてあまり使わないが、漢字とは便利な物で「なるほど病だれに冬か!」と感心してしまう。だって英語ならsharp painで簡単に表現してしまうから。
ニューロパチーneuropathy即ち末梢神経の障害は表面の感覚は鈍いのだが,焼けるような痛みがあり、これを灼熱痛と言うが私は「ドライアイスの襲撃」という表現を使う。また、アロディニアallodynia即ち触ったり口を動かすと痛みが出たり、風があたっても痛いという訳で痛みの性状は持続性の焼けるような耐えがたい痛みなのである。神経ブロックという最終手段は何らかの鎮痛プラス補助という意味だが、痛みを軽減する事は出来ても、痛みを完全にとることは稀れという事である。
モルヒネを投与したり、神経ブロックは一寸私は躊躇して遠ざけたくなる。モルヒネを試みる事は重要かも知れないし、深く、うずくような性質の痛みには、モルヒネが部分的に効く場合があるかも知れないが、私は・・・モルヒネ中毒という言葉に怯える古い人間なのである。
脳卒中後痛 post stroke pain には、末梢性の痛みか中枢性の痛み、またその両方の痛みが生じる事がある。
末梢性の痛みは、運動障害に伴う手足の筋肉痛、骨や関節の痛みとして、拘縮に伴う痛み、肩手症候群、肩関節周囲炎などがある。
脳卒中などの発症後約1カ月経過してから、麻痺した側の手指の痛みがみられる。私の場合はこれにピッタリ当てはまる。痛みに加えて、むくみの為に急速に手指が曲がったまま伸びなくなり、リハビリの大きな阻害要因になる事がしばしばある。まっ、自然に何事もなかったように上辺だけは治るのだが、拘縮に伴う痛みは関節を動かそうとすると痛みが強くなるのが特徴で、麻痺がない側の手足が過剰に使用されて痛む事もあるという訳だ。
一般的にもよく視床痛という名を耳にするかも知れないが、それだけではなく視床ー頭頂葉間(被殻、放射線冠)、脳幹などの障害で起こる同種の痛みもまとめて脳卒中後中枢性疼痛 post stroke painと呼ぶ。私のは紛れもなく被殻だと言える。
中枢性疼痛の共通点は痛みの求心路の遮断であり、感覚鈍麻とアロディニアを伴う痺れと痛みが特徴だという事である。
末梢神経が侵されたときは皮節に一致して発生し、中枢性の病変によるときは皮節には一致しない。

疼痛という言葉が如何に適切な表現なのか、私は身をもって理解させられている。
月曜日に久しぶりに雨が降り、一昨日の東京は3月下旬を思わせるような気候だった。私自身の体はダウンを脱がせ、軽いコートを羽織らせたが、昨日は行き交う人は未だ「随分いい陽気になってきましたね!」なんて不似合いの声かけをついついしているようだが、トンデモナイ!チョッとした隙間から入る風が私の疼痛を招き入れていたのである。
風は冷たい。だから私の痺通はあくまでも疼痛だったのである。
手袋は不要かな、と思っても健手の4本の指先が蝋人形の手のようにローソク状態になる。無論、親指は別なので一緒に変化はしない。どれもこれも実に自然の法則は正直だと言える。
でも、でも、ワンちゃん達の自然の笑顔も正直で、そんな辛苦の私を奈落の底に突き落とす事なく、ワンダフル・ワールドにいつも導いてくれる♡♡♡

251.ミクシィ・ワンダフル仲間が・・・

2008-03-12 18:28:42 | Weblog
週末に関西方面でBWPがあったと聞いていたので週明けはとっても待ち遠しかった。
BWPって何? 我が家に大型犬がいた頃の10年近くの前半分は私が連日多忙!多忙で休息なし、後の半分は私が不便!不便の毎日・・・という事で、しかも子育てから卒業したばかりだったので、ワン子の子育てを本気になって考えてはいなかった。BWPってあの馬の・・・? だとするとBelgian Warmblood Product? 即ち、ベルギー産の頑健な足毛の温血馬の生産? アメリカなんかにある集団だね。うん、何となく分かるような気がする。ベルジャンは国際的に見ても乗馬に最適だと言われている。馬よりペット化しているワンちゃんに重ねて考えたのだろうか。
実は、ミクシィのワンダフル仲間がアップしてくれたフォトで「解答」が得られた!
確かにHPを検索するとあっちやこっちにデッカイワンちゃんが、向こうの方にはバカデカイワンちゃんが・・・
「あなた、ホントに犬? ウソォ馬でしょ!」
「きみ、マジで犬? ホントは羊でしょ!」
人間社会から見れば、ゴル仲間が大型犬の名に相応しい大きさですよね!超がつくとチョッと怖って感じがして、ビビっちゃうかもね。
ゴルがいい! 何故って、笑顔がいい! 
ところで解けた!解けた!何となくBWPが解けた! では私なりの経緯を・・・ 
BはBigか! 
Wは・・・? 
Pは? 
うーん、和製英語って難しい! 
解けたのはBだけなんて、哀し過ぎる! 
犬が何処にも出て来ない。
解った! Pはpuppyか? 否productか?
えっ! 違う?
Pはpartyか!
Big Party・・・なるほどね!
パーティーの規模もさることながら集まるワンちゃん達が皆ビッグなんだ・・・
あっ! 解った!
Wはワンちゃんのわんなんだ、きっと!
日本式吠え方はワンワンだものね、bow wowじゃないものね!
one oneでもなければwan wan(注:wanは病弱という意味だから、全く無関係!)でもない。
だから、日本式考え方でワンワンはWan Wan!
あったまいい!
BWP・・・Big WanParty誰が考えたの? 凄い! 解ったぞー、覚えたぞー!
2000年に入って産声をあげたBWP、高がペット犬に関する和製英語されど和製・・・、街に出るとあちこちで見かけるのが洋犬で、日本犬を見つけるのが難しい。外に出てやっと会えるのが柴犬、しかも都会では殆どがミニチュア柴、日本の犬社会っていつから洋犬社会になったの? まっ、人間社会も純粋な日本人に交じってハーフやクゥオーターが増えたものね・・・ それに混血って結構容姿だけでなく頭脳もいいんだよね!
ロングヘヤー、フラッフィーテイル、バイリンガルならぬバウリンガルを駆使する飼い主達! 
和と洋のコラボ、いいね!いいね!

そうそう、そこで、笑い話をひとつ!
そう、私は脱線が得意だから・・・
近頃では「お座り!」の代わりに「シット!」なんて命令している人がいるね。
気をつけないと「Oh, my goodness!」なんて顰蹙を買うかも!
だって、sitとshitでは大違いだもん!
ワンちゃんとの共生では常にbowlingual と正しい母語とbilingual ・・・
英語と日本語のバイリンガルなんて今や珍しくない。
21世紀の常識は人間の言語とワン語だよね!
どう、チョッと話題に出来る「笑える話」でしょ!

とにかく関西のBWPは快晴に恵まれて、素晴らしい催事で、最高に愉しかったみたい。
私にしてみれば、あっちにもこっちにも親戚のワン子がいるみたいで、喜んでフォトを見て、楽しんで日記を読んでいる、という訳である。そう、それがアニマル・セラピーの真髄! チョッとオーバーか? ならば奥旨か? あんまり変わらないか!
とにかく、私という中途障害者の心はとっても癒された、と結ぶ事にする。

250.250話目は久しぶりのワンちゃん:パウダーの登場!

2008-03-09 05:46:20 | Weblog
 今年8歳になるジェントルマンならぬジェントルケンの母なるレディ、パウダーちゃんをマイミクなって下さいとお願いしたのは昨年暮の事だった。
 お仲間勧誘の時に約束した「ブログ」は「来年度初登場はパウダーちゃんで~す」と決めていたが、クーの本職がチョッと忙しくて正月は旧正月までもが過ぎてしまい3月になってしまった。「待てば海路の日和あり」とばかり更に「急いては仕事を仕損じる」と勝手に思っている内に「果報は寝て待て」が転じて、今日のブログは250話目という事である。25という数字を考えてこじつければ、25はお肌の曲がり角なんて言う事だが、10倍の250はマイブログの転機、そこでパウダーちゃんにはブログのお肌にパウダーを叩いて貰おうか! わぁ~サブ~ッ!!
 時折、パウダーちゃんが気になったのは彼女のフォトを開くと、いるは!いるは!ワンダフル仲間の姿がいっぱい! バディ、キース、さぶろう、レン、とくればパウダーちゃんに懇願してでも五人衆いや五犬衆を編成したくなったクーだったのである。
 構想が頭の中で纏まると、クーらしく説得してパウダーちゃんをゲット! いつも多忙だというパウダーちゃんのご主人さまのプロフィールには「好きな休日の過ごし方:ひなたぼっこ、散歩、お酒飲んでゆったりZ Z Z 」いいね!いいね!中ほどはチョッと関係ないけど、パウダーちゃんのお気に入りも「ひなたぼっこ大好き!」「散歩大好き!」勿論「Z Z Zも大好き」という事で幸せいっぱいのワンちゃんである。
 エピソードが少ないって
 どうして、どうして
 確かに日記は月記になってしまうけど、中身はとっても濃いんだぞー
 それに親戚でも人気があって、遠く房総半島から見守っている僕のシルエットは四国、兵庫、福井と日本横断をすんなりやってのけて実は透明人間ならぬ透明白犬になって影武者のように登場しているんだぞー
 現に、クーは他の四犬の話題になると、ついパウダーちゃんを思い出してしまうという訳。
 パウダーちゃん、ご登場お疲れ様 早春の休日を温暖な房総でZ Z Zを楽しんで下さい