脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

『高齢者になったら~~~』

2010-11-25 15:58:17 | Weblog
高齢者になったら~~~金銭的にも心身的にも「損得」を考えたら、人生愉しくない!
私には元来「呑気で結構安易な考え」で行動に移すところがある。
そんな私を見て「のうてんきだ」という人はかなりいる。
それは間違っている・・・声を大にして・・・る振りをして私はいいたい。

自分大好き人間の私は「自分の為に」のうてんきな人生を歩みたいと思うのである。
能天気が普及したのは古く、江戸時代の書物には既に使われている。
脳天気という表記は昭和時代後期から使われるようになったもので、小説家の平井和正という人が広めたと言われている。
「脳天気」には「脳の中がカラリと晴れ上がっている」みたいな、本当に脳天気な印象があって、「心の中が晴れている」のであれば良いのだが、プラス「脳が晴れている」ところがミソ・・・これって「脳みそ」の洒落じゃない!(笑い)
自分の心の中が晴天なら、脳の中も晴れて来る・・・そうすると私を悩ます痺疼痛も「かくれんぼ」してくれる。

今年の9月末に私は四捨五入すると、列記とした「高齢者の仲間入り」をした。

自分の為は簡単だが、人の為には難しいと考える人は大勢いる。
だが、最近になって私は「人の為は案外容易いが、自分の為はとても難しい」と思っている。
高齢者の仲間入りをした私が「人の為」と称して実は「自分の為」と思って生きているのは「狡猾な人間」なのだろうか。

風邪という流行だけは追いかけたくない!

2010-11-24 16:12:11 | Weblog
風邪が流行っているらしいが、私はくしゃみを一度でもしたら市販の薬を飲む事にしている。
大抵、翌朝には正常になっている。
次は、風邪をひくと味がわかりにくくなるものだから、自分の舌に任せる事にしている。
「味覚」というのは舌だけで感じているのではないという事も知っている。
舌にある「味蕾」という味を感じるセンサーから脳に送られた情報と、
鼻で感じ取るにおいの情報、この二つがセットになって脳の中でひとつの情報=「味」という情報になると教えられた事がある。
舌の情報だけでも「塩味、苦味、甘味、酸味」といった基本的情報は伝わるが、
複雑な味は、もともと脳の中で「におい」もセットで組み込まれているのである。

寒い朝早くに犬の散歩に出かける私には今のところ「風邪」の方が近寄って来ない。

『「触る」ことによる癒しの効果』

2010-11-21 21:49:08 | Weblog
『「触る」ことによる癒しの効果』
こんなのがミクシイの話題になっていました。

確かに「触る」ことは、心理学のなかでも注目されてきました。
例えば心理療法の一つに、箱庭を使った砂遊び「箱庭療法」というのがあるそうです。
この療法は、箱庭という限られた砂場に自由にミニチュアのおもちゃを置き、自分自身の内面を表現し、知る心理療法です。
子供が砂場で一心不乱にそんでいる様子をよく見かけたものです。
この箱庭療法が愛され続けるのは、肌に気持ちいい砂の感覚が心を癒してくれるからでもあるのです。細かな粒子の砂が指の間からこぼれていく感覚、べたつきもせず冷たくもないサラリとしたきれいな砂は、触れているだけで日常を忘れそうになります。

年配者にも「触る」という療法は効果があります。
童心に返ってミニチュアのおもちゃを置いて遊ぶのもなかなか楽しいものですが、先日、アニマル・セラピーを拝見した時、こんな場面を見ました。
この方は、犬が怖くて、犬の毛が嫌で、そこで膝にタオルを掛けて差し上げたら、このワンちゃんを放そうとしませんでした。

私は小学生の頃、とても緊張しやすい子供だったのですが、大人になってからは「パレットが付いたキ―ホールダー」が癒しの道具のひつになっています。
これに触れていると安心なのです。
「イライラ、緊張時のマイ・レスキュー・グッズのひとつ」としていつもバッグに忍ばせてます。
よいストレスケアになります。

私は夜寝る時私の方から愛犬を呼び寄せます。
彼は小さなフェイクファーの犬用抱き枕に頭を預けて暫く私の枕元で寝息をたてて寝てくれます。
彼の柔らかい耳に左手触れていると、どんなに右半身の痺疼痛が酷くても、関心が愛犬に向くので自然に眠ってしまいます。
勿論、ひょんな事で目覚めると愛犬は自分のベッドに戻り、私の痺疼痛は相変わらず逗留しています。
でも、その時の睡眠時間がどんなに短くても「熟睡感」は残るのです。
気持ちのよい触り心地に導かれると、より素直に自分の内面が表出できるのでしょうかね~

ストップ・ザ・エイジング:手っ取り早い「老化現象防止」

2010-11-19 17:12:35 | Weblog
人が「老化」を意識するのは先ず「目」=老眼鏡
次に人々は足腰の衰え、上げたつもりの足がうまく上がっていなくてつまづく
だから「歩け!歩け!」運動が盛んになる
でも ここに落とし穴が・・・
「目は口ほどにものをいう」とか「目と鼻の先」とか「眉をひそめる」とか、高齢・老齢者は「目に入れても痛くない孫」ともいう。
「赤面する」とか、顔の様々な個所を引き合いに出す表現はいっぱいある。
それなのに高齢化してもあまり顔面の事は比較的気にしていないように感じる。
無論、美容関係では「皺」が問題にされるが・・・

ペンフィールド博士の脳との法則をチョッと思い出して欲しい。
脳の運動野の隣に体性感覚野には、頭、腕、手、指、親指、眼、鼻、顔面、口唇、歯、舌の順序で並んでいる。
確かに 自分の痺痛覚から考えると、先ず舌が痺れて歯しかも奥歯が異常感覚を捉え、口唇半分、鼻の辺りまでの右顔面が激しく歪んでくるような気になって、滅多に上がらないけど眼にきた時は最悪状態になる、という訳である。
同時に親指を含む指、それから手、腕、という順番で耐えられない感じが襲ってくるのである。
数秒で頭に駆け上がるのだから堪ったものではない。
地から勢いよく上がってくる足・脚の話は次回にしよう。

「目は口ほどにものいう」から重要視されているのかもしてないが、「口は目にも勝る重要な機能を持っている」と言いたい。
一番、簡単な対処法は「い・う」を正確に何度もはっきり声に出して「言う」事である。
これは洒落でも何でもない。
人の表情は「い」と正確に発音すると口角が上に上がる。
「う」は当然、口が尖がる。
これをはっきり続けると口の中に「唾液」が溜る。
唾液は水、電解質、粘液、多くの種類の酵素からなるのは周知の事である。
正常では一日1~1.5l程度(安静時唾液で700~800ml程度)分泌されるのだが、
成分の99.5%が水分で、無機質と有機質が残りの約半分ずつを占める。
デンプンを麦芽糖へと分解するβ-アミラーゼを含む消化液として知られる他、
口腔粘膜の保護や洗浄、殺菌、抗菌、排泄などの作用を行い、
また緩衝液としてpHが急激に低下しないように働くことで、う蝕の予防も行っている。
緩衝液とは、外から酸や塩基を加えても、水素イオン濃度(pH )をほぼ一定に保つ溶液で、
生体の原形質や血漿などにも、生体内の水素イオン濃度を一定に保つ作用がある。
う蝕とは、口腔内の細菌が糖質から作った酸によって、歯質が脱灰されて起こる、歯の実質欠損のことである。
歯周病と並び、歯科の二大疾患の一つである。
因みに、う蝕された歯は一般的には虫歯と呼ぶ。

また、犬などの汗腺を持たない動物では、汗腺を持つ動物が汗で体温調節を行うのと同様に唾液で体温調節を行っている。

唾液はこのようにとても大切な分泌液であって「い」と「う」を始終口から吐き出す事によって、口内に溜るので、
それをゴクンと飲み込む事によって、高齢者は健康が保てると言っても過言ではない。

60代までの人間の死は癌とか高血圧が俄然多いのだが、70歳を超すと肺炎を起こして命を落とす事が多くなってくる。
唾液が肺に影響して肺炎をストップさせる事は医学的にも証明されている。

皆さん、率先して「い」と「う」を一日に何度も言うようにしましょうよ。
「い」は特に口角をあげるので顔の皺予防にもいい筈です。

親と子

2010-11-13 16:04:08 | Weblog
『今の私が生きにくいのは親のせいですか?』
こういうタイトルの記事に目に止まりました。

引用文:―
他人、そして自分自身を信じられますか?
近年、凶悪な殺人事件が目立って報道されるようになりました。
また、自殺者年間3万人台が続く日本では、自分自身に生きる価値を見いだせず、自ら命を断つ人が増えています。
こうした事件は、起こってはならない最悪のケースです。
しかし、私たちの身近でも、社会や自分を取り巻く人たちに不信感や敵意を持ち続け、
世の中も他人も信じられない、そして、自分自身の生きている意味も価値も実感できない……
こんな思いを抱えている人もいるのではないでしょうか。

「誰も信じられない」……こうした思いはどこから生まれてくるのでしょう。
精神分析学者のエリクソンは、人間は生まれてまもない乳児期(0~2歳頃)に「基本的信頼」を獲得すると言いました。
言葉が使えない赤ちゃんは、養育者、おもに母親に対して泣いたりわめいたりすることで、自分の感情を伝えます。
このとき母親がそれを受け止めて対応し、表情や言葉を投げかけて安心させてあげることで、子どもは母親に対する信頼を感じます。
これが「人を信じていい」という信念につながり、その信念を持つことで初めて、自分自身も生きる価値があると信じることができるのです。

しかし、乳児期に自分が発したサインを受け止められなかったり、サインに対して恐怖を与えられることが多い場合、人生の一番最初で「信頼」ではなく「不信」をより多く獲得するようになります。
すると、「母親も家庭も、世の中も、自分自身も信じられない」という思いにつながり、
大人になってから社会への適応がうまくいかないこともあるのです。
■「自律」への道を見守られて育ってきたか
乳児期を経て、幼児の頃になると「自分でやる」という自律性や自主性が発達していくのですが、
そのときにはダダをこねたりぐずったりと、子どもには反抗的な態度が目立ってきます。
しかし、こうした一見「反抗」とも取れる態度は自分と親を区別し、
1人の人間として生きていくための基礎をつくるための大切な行動なのです。
この時期にそうした欲求を受け止められず、否定され、制御され続けるとどうなるでしょう。
また、何でも親が先回りしてやってしまい、子どもが自分なりに考え、自分で選んでチャレンジする機会を与えられないままに育つとどうなるでしょう。
表面的には「いい子」に見えても、心の底では「自分の力でやりたいのにできない」「自分はこうしたいのにできなかった」という言葉にできない不満を抱えるようになります。
それが後になって、問題行動となって爆発することもあります。
また、自分で創意工夫して生きていく力を信じることができず、逆境や困難な課題に遭遇したときに「自分でなんとかやってみよう」という勇気を持ちにくくなってしまうのです。
■ありのままの自分を出す、そして歩き出す
このように、人間性の基本となる部分は、自我が芽生える前、そして自我が育つ時期に形成されます。
そのため、「どうして私だけ苦しいんだろう」「生きにくいんだろう」と悩み、他人や自分自身を信じることができない人は、
そう思う自分の根っこの部分に、親の関わり方が影響しているのかもしれません。
そんな自分に気づいた場合、その気持ちを一度親に、それが無理なら話を聞いてくれる誰かにぶつけてみるといいでしょう。
「自分は苦しかった」「こう受け止めてほしかった」という思いを打ち明けてみると、
自分の心の中にあったしこりが解けて、次の目標に目を向けることができるかもしれません。

また、親の関わり方が「生きにくさ」に影響していると考える人たちの自助グループに参加してみる、というのも一つの案です。
同じ苦しみを持ち続けてきた人と素直な気持ちを交換しあうと、生きるための勇気やアイディアが湧いてくることがあります。

ただし、ひとつ注意したいことがあります。
たしかに、「こうなったのは親のせいかもしれない」と原因に気づき、自分の軌跡を振り返ることは大事です。
しかし、原因ばかりを深く堀り続けたところで、残念ながらそこから「生きやすさ」につながるヒントを得られることは少ないものです。
大切なのは、今、ここから自分なりにできることをやり、親の影響からの卒業を目指すことです。
そのためにも、まずはありのままの自分を出し、受け止めてもらうことから、一歩歩き出してみてはどうでしょうか。





「天に唾を吐けば、自分にかかる」・・・息子が小1の時の担任が子供達に言った言葉です。
高齢者の仲間入りをした今、再びこの言葉を思い出しています。

先日、高輪消防署の人が訪問してきて、防災・防火の説明をしていきました。
数枚のパンフレットを説明の度に置き、最後に「おれおれ詐欺」のパンフレットを置こうとした時、私は言いました。
「ああ、これは結構です。どうせ読まずにゴミ箱に入ってしまいますから、勿体ないです」
子供を思いっきり甘やかして育ててきた「御礼金」じゃないかとさえ、私は思ってしまいます。
「おれおれ詐欺」でなくても、様々な場で私は「お子さんが気がかりではありませんか?」というような言葉や態度を浴びせられて事があります。
今現在に及んでもあります。
私の答は一貫して「NO!」です。
子供達は幼い頃から自立してきています。
無論、金銭的にはある一定の年齢を迎えるまでは親の責任です。
かなり幼い頃から着替えは自分でして、夜寝るのも早めに独りで寝ていました。
こんな子供達の母親である私は決して「おれおれ詐欺」に引っ掛かるような人間ではありません。

上記に記事を読んでいて、かけがえのない思春期に自殺を考えたりするのは多分にそれまでの親子の関係に原因が無きにしも非ずでしょう。



『アナザ―・ワールド』

2010-11-11 22:35:28 | Weblog
『アナザ―・ワールド』
俳優の長門裕之さんが語ってくれて初めて認知症の意味が自分なりに分かりました。
― 認知症の人間と一般人の世界は違う ―
認知症になってしまった愛妻が食卓で焼き魚を目の前にした時、暫く見詰て片手でヒョイと魚を持ちあげてポイッと口に放り込んだそうです。
それを見た夫の長門さんは躊躇わず箸を置き、同じように片手で魚を持って食べたそうです。
食卓を囲んでいた者全員が同じような食べ方をすると、軽やかな笑いが起きたそうです。

私は外国での食卓でのある有名な出来事を思い出しました。
晩餐会の席で異文化の国からのお客様がテーブルに出されたボールに入った水を一気に飲んだのです。
それを見た高貴な西洋人は同じようにボールの水を飲み干しました。
慌てた家来を制止、他の客人も皆同じようにフィンガー・ボールの水を口に運んだそうです。

自分と違う行動を取った人間をすぐに咎めてしまう私は穴があったら入りたいです。

先日 ミクシイでこんな話を読みました。
引用します。
タイトルは『落ち込まない自分になるための5か条』
落ち込みやすいあなたは、いつも劣等感を抱えていませんか?
★人と比べたときから落ち込みやすい自分が始まる
今の世の中、「自分は落ち込みやすいタチ」と自認する人は、とても多いものです。
「夜明け前がいちばん暗い」といわれるように、挫折や屈辱を経験して、苦しみ悩むことは、心の成長を前にした大切なステップでもあります。
しかし、日頃から些細なことで落ち込んでいると、劣等感から抜け出せなくなってしまいます。
そのせいで、自分だけが持つ魅力や長所が見つけられなくなるのです。
では、落ち込みやすい人とはどんな人でしょう?非常に多いのが、いつも「人と比べてしまう人」です。
「友達と比べて、私は何のとりえもない」「親戚はみんなお金持ちなのに、うちだけがビンボー」など、何かにつけ人と自分を比較していないでしょうか?
★落ち込みやすい人の発想パターンとは?
勿論、憧れや羨望を抱くことは、心にとって大切な刺激になります、自分を高めるための目標や夢を抱くことができるからです。
しかし、劣等感ばかり感じてしまう場合、ものの見方、感じ方を軌道修正する必要があります。
落ち込んだ時に、他の見方ができないだろうかと考え直してみてください。
★落ち込まない自分になる5か条とは?
いつも他人と自分を比較して落ち込んでしまう人は、以下の5か条をぜひ覚えておいてください。
自分を変えるために、きっと大きな力になってくれます。
1) 自分はこの世でオンリーワン
どんな侮辱にあっても、人に比べられても、あなたはこの世でたったひとつの存在。
劣等感が強くなると、それが見えなくなります。落ち込んだときには、「私は、この世でオンリーワン」と心に唱えてください。
2) 自分の魅力をメモに書く
「何のとりえもない」と思っている人でも、必ず魅力は見つかります。
「綺麗好き」「声がいい」など、どんな小さなことでも構いません。
メモしていくにつれ、自分の魅力を発見できるようになります。
また、友人や家族に指摘して貰うと、意外な発見があるものです。
3) 人は人、自分は自分
人には夫々、全く違った人生の課題があります。
人の成功、幸せをねまたず、自分は自分の人生を輝かせることを心がければいいのです。
「人は人、自分は自分」と唱えることを忘れずに。
4) 人生は修行
辛いこと、苦しいことがあったときには、「人生は修行」と唱えましょう。
修行の場数を踏んだ人ほど、強くなれるのです。
5) 意識的に発想の転換を試みる
いつも考え方がマイナスに傾いてしまう人は、意識的に発展的な思考を心がけるようにしましょう。
自分の嫌な部分も、見方を変えれば長所になるはずです。
★付き合う人の影響は重要
いつも些細なことで落ち込んでしまう人は、心が傷つきやすくなっています。
心にできたたくさんの傷が重なると、自分に自信がもてなくなったり、自分を愛せなくなってしまうのです。
こうしてできた劣等感には、日頃付き合う人の影響も大きく関係しています。
あなたの周りには、競争心の激しい人、上っ面しか見ない人、斜めに物事を見ている人、マイナス思考な人が多くないでしょうか? 
こうした人たちに囲まれていると、心の強度が低いうちは、とても影響を受けやすくなってしまいます。
是非、愛情に溢れた人、大らかで心の柔軟な人を探してみてください。
あなたが日頃から求めていれば、きっと見つかるはずです。
落ち込みやすい自分を変えるには、まず自分で自分を愛せるような環境を整えることが大事です。
自分に自信を持つことも、マイナス思考を直すのも、まずは自分を好きになることから始まるからです。
このように、最初は同じように「羨ましい」「自分も欲しい」と感じても、
発想がマイナスに傾く人は、マイナス思考にどんどん拍車がかかっていきます。
しかし、意識的に発想を転換すれば、具体的な展開まで構想することができます。

以上引用文です。

幼い時から欧米人に接するチャンスが比較的多かった私には中近東などの人々、宗教分すればイスラーム教の世界には無縁だった私です。
十数年前、私は縁あって米国人留学生を預かる機会とイスラム教徒を預かる機会、というふたつのチャンスを同じ夏に経験しました。
アラー(アッラーフ)は、アラビア語でアブラハムの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教)の唯一神に対する呼称のひとつです。
イスラーム教では根幹を成す重要な定めに、信じなければならない6つの信仰箇条である六信と義務として課せられた5つの行為である五行がある。
五行のひとつであるサラ―つまり礼拝は私にはチョッと辛いものでした。
一日五回、キブラに向かって神に祈ることで、辛いのはその時間帯だったのです。(熟睡中にも礼拝が・・・)
ギブラとはメッカのマスジド・ハラームにあるカアバの方向ことで、
立方体の形をしたカアバは、メッカのマスジド・ハラームの中心部にある建造物で、イスラーム教における最高の聖地とみなされている聖殿です。
キリスト教の礼拝には慣れていますが、イスラーム教のは初めてでした。

犬はダメという事で、ゴルのドックちゃんには逗子マリーナに行って貰いました(笑い!)



上手な記憶の方法には・・・
1.間隔をあけて記憶する。そのつど新鮮に受け止める。 
2.記憶したらすぐ眠る。
3.思い出す訓練をする。

先日、あるライブに行ってゲストのル ヴェルヴェッツの歌でとても印象に残った曲があった。
他のは以前から知っている歌だったが、最後に披露したのは初耳だった。
曲目を思い出そうとすればするほど、記憶から遠退いてしまう。
忘れない内に書き止めて置かねば、と思いながら全く思い出せない。
プロデュースした湯川れい子さんに尋ねてみた。
また、同時に私は英語圏のある友人にその感動した歌の話をしていた。
曲目はThe Most Beautiful Dayと、いとも簡単に思い出せたのである。
その後暫く時間が経って、湯川さんから返信が来ていた。
ル ヴェルヴェッツの歌のタイトルは「The Most Beautiful Day」です、と。
日本語の中から一生懸命思い出そうとした曲目・・・英語で話している時にはスラスラと題名が脳に・・・
正に「脳のミステリー」である。
あんなに簡単な曲名がどうして思い出せなかったのか・・・我ながら可笑しくなってしまった。
そして、英語で話をし始めたら、曲名が英語だったからという簡単な理由で苦労もせずに思い出していた・・・この不思議さ!

記憶とは「生物に蓄積される過去に関する情報」であって
「将来に必要な情報をその時まで保持すること」それに 「生物体に過去の影響が何らかの形で残ること」である。
所謂ワーキングドッグを見ていると「賢い」と「記憶」という言葉が私の脳裏に浮かぶ。
我が家6代目の犬は一番記憶に残っていてすぐに忘れず行動に出すのは「待て!」と「戻れ!」です。
「待て!」常に私が犬に向かって声に出す言葉で、「戻れ!」はチョッと失敗しても愛犬に向かって口にする言葉である。

『胎内記憶』について昨日ミクシイのニュースに「胎内記憶って本当にある?」というタイトルで載っていた。
無論、私は興味をもって読んでみた。

『胎内記憶』は科学的に証明されておらず、「子どもが親の期待に応えようとして話を創作しているのではないか」「親の刷り込みではないか」という説もある。
ただ子どもの知識では創作し得ないような内容が含まれていることもあるようで、神秘的な『胎内記憶』の真相は不明のまま・・・

どれだけの人間が母親のお腹の中にいた時のことを覚えているだろう? 
殆どの人はそのような記憶はないかと思うのだが、世の中にはごく少数「胎児の頃の記憶がある」という人も存在するらしい。
このような『胎内記憶』は2~3歳の子どもに質問してみると聞くことができる場合があるらしく、
それ以降の年齢になってしまうと忘れてしまったり、創作や空想が入り混じってしまったりすると言われている。

だから現在のサイエンス(医学、発達心理学)では「胎内記憶はありえない事」とみなされてきたのだろう。
その理由のとして
「子供が大きくなると、ほとんど、胎内記憶を忘れてしまう」誤った記憶・思い込み・妄想などとの客観的区別がつきにくい」「そのために、誰もが納得できる証拠が少ない」「胎内から外が見えた、胎内に入る前の記憶がある」など、説明しにくい記憶という事になる。
幼児の『胎内記憶 』人が持っている最も古い記憶は・・・たいていの人が思い出そうとして思い出せる記憶は、せいぜい四~五歳くらいまでだろう。
通常、それ以上過去に遡ることは出来ないのではないだろうか。
だから多くの人が、それよりも古い記憶は存在しないと思っているのである。

だが、これは誤った固定観念で「逆行催眠」というものを使うと、更に古い記憶を遡ることが可能だから・・・
「乳幼児期の記憶」から「出生時の記憶」、そして「母胎内の記憶」まで遡ることが出来ると言えそうである。
つまり人は誰でも、そうした記憶を持っているということ・・・
ただ普通の状態では、思い出せない・・・これは確かな事だと思う。
『胎内記憶』はずっと残っていて、生まれる前の記憶や胎内記憶は普段は思い出そうとしても中々思い出すことが難しいのだが、
『胎内記憶』はすべて人間の潜在意識の中にしっかりと残っている、と言える。

『胎内記憶』で感じることができるのは、お腹の中の様子だけではなく、
その時の、お母さんの考え方や感情がダイレクトに伝わり、お腹の中の赤ちゃんに大きく影響を与えていることが分っている。
妊娠中に、情緒不安定だったり 夫婦の仲が悪く イライラしていたり寂しいと感じていたり、ネガティブ思考や、不安など・・
お母さんが感じること、気持ち、考えはすべて 赤ちゃんに伝わり同じように 苦しくなったり、困っていたりするのである。
このように、お母さんの感情や、言葉かけ、気持ちは 赤ちゃんにしっかりと伝わり記憶をしているばかりか、
後々の人生にも影響を及ぼしていることがあるようだ。
こうしてみてみると、母親と同じ性質の魂が、そこに宿るのか、妊娠中の胎内で感情や意識が少しずつ刷り込みとなって 
子どもの性格に影響を及ぼしているのか?
どちらとも言えないが、何か幼い頃に関係があるような気がしてくる。
当然、それは 考え過ぎかもしれない。
同じ兄弟でも性格が違ってくるのであれば、もしそういうようなことがあるとしたら、
子育てで悩む前に妊娠中はできるだけ自ら率先して良い考えと穏やかな感情で世の為、人の為、周りの人への温かい思いやりと、感謝の心で接していくように過ごしていくことが 一番良いのでは・・・と思う。

年子のふたりの子供を持つ私だが、男女の違いは別にして、確かに母親である自分には妊娠中の心が根本的なふたりの性格の違いの鍵を握っているのが分かる。

記憶という不思議

2010-11-06 22:33:55 | Weblog
上手な記憶の方法には・・・
1.間隔をあけて記憶する。そのつど新鮮に受け止める。 
2.記憶したらすぐ眠る。
3.思い出す訓練をする。

先日、あるライブに行ってゲストのル ヴェルヴェッツの歌でとても印象に残った曲があった。
他のは以前から知っている歌だったが、最後に披露したのは初耳だった。
曲目を思い出そうとすればするほど、記憶から遠退いてしまう。
忘れない内に書き止めて置かねば、と思いながら全く思い出せない。
プロデュースした湯川れい子さんに尋ねてみた。
また、同時に私は英語圏のある友人にその感動した歌の話をしていた。
曲目はThe Most Beautiful Dayと、いとも簡単に思い出せたのである。
その後暫く時間が経って、湯川さんから返信が来ていた。
ル ヴェルヴェッツの歌のタイトルは「The Most Beautiful Day」です、と。
日本語の中から一生懸命思い出そうとした曲目・・・英語で話している時にはスラスラと題名が脳に・・・
正に「脳のミステリー」である。
あんなに簡単な曲名がどうして思い出せなかったのか・・・我ながら可笑しくなってしまった。
そして、英語で話をし始めたら、曲名が英語だったからという簡単な理由で苦労もせずに思い出していた・・・この不思議さ!

記憶とは「生物に蓄積される過去に関する情報」であって
「将来に必要な情報をその時まで保持すること」それに 「生物体に過去の影響が何らかの形で残ること」である。
所謂ワーキングドッグを見ていると「賢い」と「記憶」という言葉が私の脳裏に浮かぶ。
我が家6代目の犬は一番記憶に残っていてすぐに忘れず行動に出すのは「待て!」と「戻れ!」です。
「待て!」常に私が犬に向かって声に出す言葉で、「戻れ!」はチョッと失敗しても愛犬に向かって口にする言葉である。

『胎内記憶』について昨日ミクシイのニュースに「胎内記憶って本当にある?」というタイトルで載っていた。
無論、私は興味をもって読んでみた。

『胎内記憶』は科学的に証明されておらず、「子どもが親の期待に応えようとして話を創作しているのではないか」「親の刷り込みではないか」という説もある。
ただ子どもの知識では創作し得ないような内容が含まれていることもあるようで、神秘的な『胎内記憶』の真相は不明のまま・・・

どれだけの人間が母親のお腹の中にいた時のことを覚えているだろう? 
殆どの人はそのような記憶はないかと思うのだが、世の中にはごく少数「胎児の頃の記憶がある」という人も存在するらしい。
このような『胎内記憶』は2~3歳の子どもに質問してみると聞くことができる場合があるらしく、
それ以降の年齢になってしまうと忘れてしまったり、創作や空想が入り混じってしまったりすると言われている。

だから現在のサイエンス(医学、発達心理学)では「胎内記憶はありえない事」とみなされてきたのだろう。
その理由のとして
「子供が大きくなると、ほとんど、胎内記憶を忘れてしまう」誤った記憶・思い込み・妄想などとの客観的区別がつきにくい」「そのために、誰もが納得できる証拠が少ない」「胎内から外が見えた、胎内に入る前の記憶がある」など、説明しにくい記憶という事になる。
幼児の『胎内記憶 』人が持っている最も古い記憶は・・・たいていの人が思い出そうとして思い出せる記憶は、せいぜい四~五歳くらいまでだろう。
通常、それ以上過去に遡ることは出来ないのではないだろうか。
だから多くの人が、それよりも古い記憶は存在しないと思っているのである。

だが、これは誤った固定観念で「逆行催眠」というものを使うと、更に古い記憶を遡ることが可能だから・・・
「乳幼児期の記憶」から「出生時の記憶」、そして「母胎内の記憶」まで遡ることが出来ると言えそうである。
つまり人は誰でも、そうした記憶を持っているということ・・・
ただ普通の状態では、思い出せない・・・これは確かな事だと思う。
『胎内記憶』はずっと残っていて、生まれる前の記憶や胎内記憶は普段は思い出そうとしても中々思い出すことが難しいのだが、
『胎内記憶』はすべて人間の潜在意識の中にしっかりと残っている、と言える。

『胎内記憶』で感じることができるのは、お腹の中の様子だけではなく、
その時の、お母さんの考え方や感情がダイレクトに伝わり、お腹の中の赤ちゃんに大きく影響を与えていることが分っている。
妊娠中に、情緒不安定だったり 夫婦の仲が悪く イライラしていたり寂しいと感じていたり、ネガティブ思考や、不安など・・
お母さんが感じること、気持ち、考えはすべて 赤ちゃんに伝わり同じように 苦しくなったり、困っていたりするのである。
このように、お母さんの感情や、言葉かけ、気持ちは 赤ちゃんにしっかりと伝わり記憶をしているばかりか、
後々の人生にも影響を及ぼしていることがあるようだ。
こうしてみてみると、母親と同じ性質の魂が、そこに宿るのか、妊娠中の胎内で感情や意識が少しずつ刷り込みとなって 
子どもの性格に影響を及ぼしているのか?
どちらとも言えないが、何か幼い頃に関係があるような気がしてくる。
当然、それは 考え過ぎかもしれない。
同じ兄弟でも性格が違ってくるのであれば、もしそういうようなことがあるとしたら、
子育てで悩む前に妊娠中はできるだけ自ら率先して良い考えと穏やかな感情で世の為、人の為、周りの人への温かい思いやりと、感謝の心で接していくように過ごしていくことが一番良いのでは・・・と思う。

年子のふたりの子供を持つ私だが、男女の違いは別にして、確かに母親である自分には妊娠中の心が根本的なふたりの性格の違いの鍵を握っているのが分かる。


『日本は福祉国家になれない?』

2010-11-04 23:17:10 | Weblog
ここ十数年日本国内では「バリアフリー」とか「ノーマライゼーション」というカタカナがあちこちで聞かれてきている。
十年前、私は障害社会に自ら飛び込んで、今、「バリアフリー」はまあまあ一般人の間に少しずつ浸透してきたかな、と思うが「ノーマライゼーション」は乙武君がマスコミから遠ざかってからはあまり持て囃されるカタカナでは無くなって来ている様な気がする。
先日、某TV局で盲目の少女がトライアスロンに挑戦して、話題になったが恐らく来年のあの時期が来ない限り、一般人の心の中では「忘却の彼方に」去ってしまうのではなかろうか。
脱線するが、今日、偶々出会った人が「バリアフリー」という言葉を日本に流行らせた人だった。

先日、デンマーク人と結婚して37年経ったという女性のインタビューを二日連続で聞いた。

デンマークと言えば、ロイヤル・コペンハーゲン、レゴ、アンデルセン、そして愛娘が勤務するマースク船舶がある。
デンマークは海運大国としても知られ、世界最大のコンテナ船企業、APモラー・マースクグループの発祥地であり世界本社所在地でもある。
そして、その会社がスカンディナビア航空を創立したという事はあまり知られていないかも知れない。
デンマーク=福祉国家という強いイメージが日本人の間にはある。
この国の王のモットーは「 神様の救い、国民の愛情、デンマークの力」という事だという。
何という愛国者の国だろう。
現代日本人には考えられないかも知れない。
だが、我らの天皇皇后両陛下も恐らく同じ気持ちだと思う。
でも、こんな事を言ったら日本では「バッカじゃなかろうか」と言われるような気さえする。

デンマークでは、学生結婚でもして、子供がいたりすると、政府が完全バックアップをする。
言わば、出世払いという事である。
本当に勉強したい人間には授業料などを出す。
言わば、国に借金をして勉強に励むという訳である。
一方、働けば、60%の所得税がかかってくる。
因みに消費税は25%だ。
税金を出したがらない日本人・・・それでも日本人はデンマークを憧れの福祉国家として羨ましがるのだろうか。

福祉国家デンマーク人の人生は3エイジに分けられるようだ。
第一の人生は、幼時期とか学生時代という事になるのだろう。
第二の人生は、就労期で多額の税金を課せられるという事だろう。
第三の人生は、老年期で安心して年金生活を送る事になる。
国に納めた税金はデンマーク人達(必ずしも自分にという事ではない)に戻ってくる・・・デンマークでは人間が大切な資源と見るからだ。
この国はデンマーク人による単一民族国家であるが、 2009年の統計によるとデンマーク人が95%を占めている。

デンマークは、世界最高水準の社会福祉国家で、国民の所得格差が世界で最も小さい。
「みんな同じ」を声高に叫ぶ日本人だが、その本心は何だか「格差」を好んでいる様な気がしてならないのは私だけだろうか。
無論、デンマークにも富裕層はあるが、多額の税金を他のデンマーク人の為に納めているのである。

愚かな日本人はデンマークのような福祉国家に羨望の眼差しを向けるが、税金は払いたがらない「バカども」の集団とは思いたくない。