脳のミステリー

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276.愛しの愛ちゃん

2007-11-29 20:43:05 | Weblog
 愛しの愛くるしい愛ちゃんは戌年生まれのワンちゃんです。
若いママが癒しのワンちゃんです、と紹介すると大丈夫かなって心配になります。でも、大丈夫! ママが性格最高のワンちゃんと一緒に新生活をスタートすると愛情の掛け方を正確に自分のものにしていくからです。
 子供の頃から穏やかな性格のワンちゃんとの共生を営んでくると、その子供は思いやりのある人間に成長すると確信を持って言えるのです。
 人間はよりhumanityをもって、犬はdocicleな従者になって生活を共にするのです。愛ちゃんは恐らくたくさんの愛を、という意味でのネーミングだったと思います。私は亡きゴルのネーミングには従順で素直なワンちゃんという意味を込めてドックと名づけました。
 パパとママの愛の育みにはこのゴルちゃんが大きな役割をになっているようで実に微笑ましいのです。
 人間の子育てにはその「やりがい」の結果には少々時間が掛かります。でも、ワンちゃんの場合はその恩恵が瞬く間に飼い主に戻ってくるという訳です。そうなれば、若いママは「育てる」という初めての経験に自信を持つことが出来るという訳です。更なるプラスは愛ちゃんのママの興味は菜園だと言うのです。植物は素直です。自然の恵みがなければ、人間の手で水をかけて貰わなければ枯れてしまいます。順調に育てば、美味いものを人間の口に運んでくれます。手を抜けば、旨味も抜けてしまいます。愛ちゃんのママはきっとこの事実をいつも把握しながら生活している筈です。何故なら、菜園の世話を怠ると、そこに残るのは最悪なゴミだけという事になるからです。愚かな人間にはこのシンプルな事実が見えないのです。
 愛ちゃんのパパとママは無二のミュージック愛好者でもあります。ふたりの興味の共通点は愛ちゃん以外に音楽もあるのです。ギターの弾き語りでオリジナルソングを通してのコミュニケーションを追求するパパの愛妻は学生時代には自分もギターの弾き語りでライブ経験があるというのです。京都のフォークシンガーと言えば、日本では私には元祖って思えます。自分を振り返れば、ミュージックと言えば幼い頃からナット・キング・コールにプラターズだったのにフォークソングは私の中に入り込んだのはPPM(最近は拉致問題の被害者に捧げる歌で再びチョットした話題になりましたね)更に、カーペンターズなんかが好きになった時、心にはいくつもの気持ちが生まれるんだな、と思いました。私の心には常にナット・キング・コールのバラードやプラターズの歌声が見え隠れするのに、気分によってはPPMやカーペンターズがバックコーラスのように流れるのです。留学から帰国してすぐ私の耳を擽ったのは京都発フォークシンガーでした。東京人の私にとって意外なことに、フォークと言えば京都と思ってしまう自分がチョット可笑しく思えます。留学当時の私の中に異文化として入ってきた英語という言葉の次に、入ってきたのは京都のフォークソングの語り口でした。
 音楽という強靭な土台の上に愛ちゃんという花を咲かせようというこのカップルは健康体に音楽セラピーとアニマルセラピーを同時進行させているワンダフルコンビですね。愛ちゃん、京都のお嬢ちゃんらしく華やかな犬生を歩んで下さいね。
 言わなくても華の犬生をまっしぐらですよ、と言わんばかりに、愛ちゃん中心の日記は語りかけます。こんな平和は人間、誰もが望みますね。分けてあげて下さい、あっちにもこっちにも・・・

275.頼もしい後押し仲間がいっぱいいるレン君

2007-11-28 07:30:49 | Weblog
 若狭湾を臨む福井のレン君が初めてミクシィに登場したのはつい半年前の事である。四国のさぶろう君によく似たレン君はブリティシュ・ゴールデンにしてはチョッと小柄な男の子だ。山椒は小粒でもピリリと辛いというでしょう! それに英国はコインも金貨より銀貨、そうスターリング・シルバーって言うじゃない! そう、レン君には銀の素晴らしさがピッタリだと思う。犬種はゴールデンでもレン君にはシルバーのイメージがきっとお似合いだろう。銀は美しい白い光沢を放つので神秘的な意味があり、シルバー・ムーンと言って「月」に関連付けられる。初め、銀は男の子で金は女の子と言われていたが、何故か逆転して銀は月や女の子を象徴し、金は太陽で男の子という事になって今日がある。駄洒落が好きなハイパーグラフィアの私としては、若狭湾を前にした福井で駆け回るレン君には「若さ溢れるワン」という事で先ずは銀の魅力を放って貰いたいものである!? そして、その素晴らしさを強調するかのように、古代エジプトでは金より価値があるとされていたが、金製品に銀メッキを施していたものであると書き足しておこうか。
 ところでチョッと話が更に横道にそれるが、番手という言葉を知っているかしら。レン君を紹介するにあたって、これは是非とも知っておいて貰いたいな、と思う。番手とは、元々は紡績糸の太さを表す単位で、長さが一番手の2倍のものを二番手といい、三番手のものは3倍という事になる。長さは長くなるが、数が大きくなるほど糸は細くなるので、123の真ん中を取って太さと長さ共に中間をという事で2を取って二番手はどうだろう。ちょっとしたこじ付けのようだが、ゴールデンのレン君にはバディ&キース兄貴達や四国のさぶろう君には敬意を表して、チョッと控え目にゴールデンと名乗らず二番手のシルバーと言っておこうか。だが、その実、シルバーには底力が秘められている事をレン君は知っているのである! 
 そう、レン君には燻し銀の魅力を知って貰って、見た目の華やかさはなくても実力がついていって人を魅了するワンちゃんなんだと自ら分かって貰いたいものである。
 麦畑の麦を刈り取った後はレン君専用のプライベート・ドッグランになるとか・・・ 贅沢だね・・・ 麦を刈り取る前はレン君のクッキーベージュ色の毛は麦の色と一体化していたみたいだけど、その後、ドッグランは金色に輝くんだって! と、いう事はレン君、君はホワイト・ゴールドなのかなあ! 
 そんなピカッと光るゴールデンなのに、レン君は座り方が・・・とか、何故か「ネー座り」なんてからかわれている。そんなレン君にも、声を大にして言いたい事がある。おねえさん座りの本心は「足が長いからなんだぞ~!」という事だそうだ。
 リボンをつけて貰ったり、ミニーやミッキーの帽子を被ってみたり、鹿さんのヘッドに変えられたり、レン君は何だかいい玩具のようにされているような気がするが、中々どうして・・・ やればやるのがレン君だ。誇りに思っている長い足で天下の往来を全速力で駆けるレン君は「格好いい!」の一言で褒めてあげたい若狭(若さ)のプリンスなのである。

274.話題のミシェランの星の数

2007-11-25 08:13:47 | Weblog
 TVで人が旨いものを口にしている映像がこれほど多い国は世界広しと言えども日本だけかもしれない。実は、個人的にはそんな番組は余り好まない。自他共に認める食通ならともかく、これまでに食べた事もなく、番組の仕事として初めて口にするようなタレント等が出演して食しているのを見たりすると、嫌悪感だけが残る事もままあり、不愉快になる事さえある。まして礼儀作法もおざなりのタレントなんかがナビゲーターだったりすると実に不快に思ったり、経験不足の女子アナ等が出演したりしていると、本職をきちんとして欲しいと思ってしまう。
 つい少し前までは「ミシェラン賞」と言えばタイヤから考えるから車のコンテストかと思うが、今や「ミシェラン」には星の数が必需品でレストランと結びつけるのが常識になってきている。1900年頃、ミシェランタイヤが宣伝にガイドブックを出版して、出来るだけ遠出して車を乗り回してタイヤをすり減らして貰いたい、そして空いたお腹は出来るだけ美味しいもので満腹にして欲しいというだけで、お勧めレストランは脇役で、実はタイヤを売る為の宣伝だったという訳である。ホント、多くの欧米人は着想に秀でていて、日本人は真似をしては自分のものにするのが実にうまい! そして少し前までは「猿真似」と言って真似はあまりいい感じではなかったが、とんでもハップンhappen、never happen!?で、今やその真似っこを世界が注目しているような気がする。発想をチョイ借りするだけでなく、それを発展させる日本人の凄力に脱帽という訳である。日本人はこの特技をもっと意識するべきだと思う。真似だけでなく、発展させるというテクニックというか閃きは世界の注目度はかなり高い筈なのだから・・・
 さてこの度、フランスのタイヤメーカーが発行するレストラン格付け本「ミシェランガイド」の内容が発表され、各地に波紋が・・・ アジアを対象にしたミシェランガイドは初めてで、最高評価の三つ星が日本の八店に輝いた事も話題になっている。八という字が末広がりでだんだん栄えていくってフランスの選考委員さん、お分かりかな?! 日本という小さな島国は歴史が長く、伝統があって、信じられないほど奥が深いのを知っているかしらん? そう、京都の店と同じで、門構えは狭く、格子戸を潜り抜けると、奥はとっても長く広がっていくのである。狭い入り口に佇むだけでは、中の枯山水の庭園は予想外という事である。
 ところで、栄光の三つ星にはすし屋が二店も選ばれたんですって! 選考委員が、東京23区に散在するそんなにいっぱいのすし屋に行ったのかしらね~! それにいっぱいあるネタ以上にいっぱいあるすし職人特有の言葉も知った上で、すしはかなり美味しく食べれると私は思うのだが・・・
 先ず、すしネタの「ネタ」って?
 すしの材料の事だが、種を反対にして「ネタ」、なるほど、湘南言葉に似ているね! すし職人が使う独特な言葉には一般的な名詞になっているものもある。トロ、シャリ、アガリ、ガリ、ギョク、カッパ、サビ、オアイソ等など、結構みんなも使うね! 店の人からはオテショ(醤油等を入れる小皿)とかムラサキ(醤油)なんて言葉が頻繁に出るよね。
 何の気なしに使う言葉にも日本ならではの意味が込められている。アガリと言えばお茶の事、だが、それにも意味があって、語源は遊郭で来客に出した上がり花、つまり入れたてのお茶の事である。また、すし飯の事をシャリというが、これは仏語の舎利から来ていてすしとは直接は無関係である。強いて言うなら、舎利は遺体を含めた肉体を意味するから「肉体を維持するには飯は必要」とでも私らしく〆る事にしようか。これ以上続けていると「寿司談議」で終わってしまう事になるだろう。そこでせめてすしにつき物のガリだけでも外国人のお客様に教えてあげて貰いたいと私は思う。
 ガリは言わずと知れた「甘酢に漬けた薄切り生姜」の事で「ガリガリとする歯応え」から、その名が付いた。では、何故食べるのかは、薬膳食という事で、寿司食はそのすべてが冷たい魚介食材なので体が冷えてしまうという事から、生姜で体内から温めるという昔の人の知恵が出ているのである。そんな事も教えた上で、すし屋の食べ歩きはして貰いたいものである。ミシェランの覆面調査員は料理の味と質だけで独自の評価を下す訳だが、三つ星を貰った8店以外にも二つ星25店一つ星117店という驚異的な数で、都市別では世界最多の東京23区は一挙に世界の食の頂点にたったのである。この結果には賛否両論で、「東京は世界一美味しい都市」と紹介されながら、その評価を「当然!」と称賛される一方で「不可解、基準が曖昧!」と当惑しているのも報道されていた。美と曖昧は日本の特許! だって、ノーベル賞の川端康成は日本を「美しい国」と称し、もうひとりの受賞者である大江健三郎は「曖昧な日本」と語っているのだから・・・
 とにかく東京は6割以上を日本料理が占め、残りはフレンチやイタリアンがという事で総責任者の「食材の質や技法など、レベルの高さに驚かされた。東京は世界に燦然と輝く美食の都だ」という言葉を素直に受け止める事にしよう。
 それより認識を新たにした歴史と伝統を誇る西の欧州人に、東の千年を誇る美食家が集まる大都会からエールを送る事にしよう!
 私はフランス人を世界有数の自画自賛する国民だと思っている。そのセンスの良さは抜群で横に出る他国はないとさえ思っている。だが、そのフランス人の高い鼻を擽るのは何と日本人だと思うのである。
 高度経済成長期にあった頃、それまでは滅多に接客しなかった日本からの観光客が何とパリのシャンゼリゼの通りで信じられない量のショッピングをし始めた時、敗戦国日本からの客が凱旋門を悠々と通り抜けるのをフランス人達はどんな思いで見ていたのか不思議になるものであった。
 そして今、フランスが世界に誇るミシェランガイドブックが日本人の味覚に脱帽という事だろうか! 日本人は味覚も、視覚もかなりいいという事であろう。私は料理もさる事ながら、それを載せる器も天下一品と言いたい。料理は視覚から味覚を通して脳に辿り着くだけだというのも何だが、日本の器は視覚でその美を捉えられ、料理の演出で更に印象付けられ、食後も目の前からすぐには消えず、時を違えて再び演出に使われるという事である。個人的に私には、それは、日本の着物の美しさの魅力に相通ずるような気がする。この種の話はまたの機会に作りたいものである。

273.英系セッターのローズ&シーズのセナ

2007-11-24 08:09:52 | Weblog
 ぬか床を大事にするおっちゃんのあだ名は「キムタクのおじちゃん」というのだそうだ。理由は簡単で、作るキムチとタクアンが最高ということだから可笑しい。初夏の頃、その大切な漬物石で頭を冷やして寝る老犬ローズの姿が更に可笑しい! 老眼鏡をかけるローズは恩年とって15歳の老犬である。老犬だから尚可笑しい!
 飼い主さんは、住まいを大阪は10月のだんじり祭りで有名な処だと言い、聞いただけでも興味をそそる場所である。そして、この飼い主さん、チョッと訪問しただけでは摩訶不思議、結構奥深い人間だとお見受けするのも興味津々という事になる。
 かなり犬族に嵌まっていると思いきや、桜の季節には開花した様子を撮り捲る。5年間も咲かなかったアジサイに「語りかけたらいい!」と言われて、早速実行したら、咲いたと言っている。ホンマかいな?って言いたいよね! 何と語りかけたのかって? それが傑作で「引っこ抜くでぇ~!」と脅したら、慌てて咲いたというのである! また、11月にヒマワリの花が狂い咲きしてるゥーって興奮して写真に収めて騒いでいる。
 娘さんの転勤に伴う引越しの日、季節外れの真っ赤なアメリカフヨウが門出を祝うようにと言うか、多分「親離れ子離れ」を祝って咲いたのだろう! 半分喜んで半分泣いて見送ったらしい。
 老犬のローズちゃんがいるのに、極最近、東京方面から生まれて僅か2ヶ月のセナちゃんを受け売れて、現在は老計(失礼!)を楽しんでいる。 イエイエ、キムタクのおじさんの事ではありませ~ん、ローズちゃんの事です。まあ、ものは取りよう、捉えよう!
 こんな調子の飼い主さんとの共生だから、ローズは当然の事で、ニューフェースのセナも話題に事欠かない犬生を歩む事になるだろう。「お気楽」は女性特有の接頭語かと思っていたのだが・・・ ここには「お気楽親父」がいる。女性としては嬉しい事である。そして、お気楽親父は交友関係も然る事ながら、話題にもギョッとするものがある。
 過去のとっておきの話題は・・・ 先ず「コワァ~!」というお話! 時は昨年の春、「ひねもすのたりのたりかな・・・」の穏やかな日に穏やかでない事が起きたのである。野暮用(失礼!)で車を走らせると、恐~い黒のベンツがけたたましくクラクションを鳴らしながら追いかけてくる。知らん振りを決めたキムタクおじさん、思いっきりユックリ走行を心に決めた。すると、黒の外車は赤信号無視で更に追いかけてくる。そこで、今度は超スピードを上げることにした。あっという間に追いつき追い越され、強引に前に入り込まれたキムタクおじさん、覚悟を決めた途端、窓を閉め切って知らぬ存ぜぬを装って平常心を保とうとすると「あんたの車、後ろ見てみ、犬、引きずってるでぇ!」エーッ! 嘘・・・! 
 あまりの上天気に浮かれて、駐車場に愛犬を連れ出したキムタクおじさんはこんな日にこんな所で日向ぼっこは最高!という事で、車の後ろのバンバーにリードを繋いでいたのである! そして、数時間後、車は発車! 最悪! いきなりの散歩のダッシュに、必死で走る走る、競馬馬の如く走る! チビだから大型犬の10倍もの勢いで走ったのだろう。競馬場だったらなぁ~! 
 恐そうな外車に無理やり急停車を食らったキムタクおじさんとゼーゼー言ってるチビ犬に集まった野次馬は・・・ 見上げる愛しのチビ犬に向かって照れ隠しに「アンタ、何してん?」と言ったとか言わなかったとか・・・ そして急いで家に帰ると、幸い奥さんも娘さんも留守! よかった! 大型バケツを持ち出して、シャンプー・ドライをしているところに、おふたりが帰宅して「あら、いいわね~、お父さんに洗って貰ってん! 天気もいいし、良かったね!」何か言い出しそうな愛犬! 犬はいい、喋れないからいい!
 キムタクおじさんヒヤヒヤの快晴日はキムチほどには辛くなく、大甘に変身?だったのだろう! このワンちゃん、その夏、亡くなっているが、原因はあの事件ではないようだ。〆に、愛犬の名前が最高で「ギズモ」だった、と言おうか。いえいえ、傷物のキズモではない。濁音で始まるギズモは映画「グレムリン」からの命名だったのかな? クーの日記には健気なその子のフォトもアップしておくから、せめて労ってあげてね!
 未だ未だ続く、ワンちゃんに纏わる「笑える話」・・・と言うかキムタクおじさんの話!
 コンビニに迷い込んでいた柴犬に「その犬の家知ってる」という見知らぬ!?若者と一緒に迷子犬を届けに行った。そーっと戻してやると、犬はさっさと奥に消えた。「いいことした!」と気分よく帰宅したが翌日ビックリ! 夕べの家の前を通ると、何とそっくりの犬が2匹いるではないか! その家の人はもっとビックリしただろうね! 朝起きたら、双子になっていたなんて! その後、あの迷子の柴犬ちゃんは最高の犬生を謳歌しているらしい! やっぱり、キムタクおじさんはいい事したんだね!
 次は犬のいる喫茶店の話題である。オウムのいる店とか招き猫のいる店は以前からよく見聞きする。犬が行ける店も最近はあちこちにある。だが、ここで話題にする店は「犬のいる店」なのである。店番の犬も結構見かける。でも、ここは「犬のいる店」なのである。
 人間の殿方相手には「バニーガールのいるお店」とか「ギャルのいるお店」とか色々あるけど「犬のいるお店」って、どんなとこ? 犬を触るのも、犬と遊ぶのも、犬と写真を撮るのも自由自在で、犬との散歩も・・・ 入場料500円、お散歩料金1050円と聞けば、どう思う? ワンちゃん大好き人間の為にワンちゃんがお相手するという訳! 色んな商売があるものだ。最近は「おさわり!」という妙な表現ではないので「ハグしよう!」と言っても顰蹙を買う事も少なく「ふれあい!」という言葉を使えば「完璧!」と結ぶ事が出来る!?
 犬の恩恵を被っているキムタクおじさん、タクアン和尚よりも面白い世間話を持ってきて、聞きたいキムチ、否、気持ちにさせるナンバーワンの男の人かもね! これからも色々楽しい話を待ってま~す!


272.南の島のさぶろう君

2007-11-21 21:46:57 | Weblog
 さぶちゃんと言ったら、殆どの日本人が知っているのは「北のさぶちゃん」演歌の大御所! でもミクシィ仲間の星は絶対に「南のさぶろう君」だ。恩年3歳をやっと過ぎた京生まれで四国育ちのワンボーイである。ワンボーイには色々な意味が込められている。読んで字の如しはワンと吠える男の子! オンリー・ワンは大事な大切な一人っ子! さぶろう君はとにかく、丁寧に甘ちゃんに育てられている。
その証拠はママの日記からよ~く分かるし、パパの行動から更によ~く分かる。この家族は何処から見ても「一姫二太郎」でひとり目はママ?でふたり目はパパ!で、最後は言わずと知れたさぶろう君!! 京の都から瀬戸の海を渡ってやってきたさぶろう君の前世は牛若丸かな? だから「オカマちゃん!」なんて妙なあだ名を貰っちゃうのかな? それを言うなら「シスターボーイ」古いか! でもニューハーフは嫌だよね。だって、さぶろう君は列記とした純粋なゴールデンだもの、変なところにハーフなんてつけて貰いたくないよね。じゃあ、さっき言った「シスターボーイ」はどう? さぶろう君のママは若いからママというより姉貴かな! だから姉貴が可愛がる男の子でさぶろう君は「シスターボーイ」というのはどう? 結構いいこじ付けでしょ!
 さぶろう君一家の日記やフォト、最近ではブログを拝見していると若いカップルの新家庭記録みたい! 人間社会での子育てバイブルにしたらいいかも! 
とにかく姉貴はさぶろう君を色んな所に連れて行ってくれる。これは絶対に姉貴がさぶろう君の事が大好きだからに違いない!
 初めてのお出かけは3月10日、まだチョッと肌寒いのでネイビーブルーの洋服を着せて貰って公園デビュー、否、ドッグカフェー・デビュー! ヘェー、ドッグカフェー・デビューね・・・ 素敵でしょ。
 幼稚園に行く前の公園デビューみたいなものだよね。因みに、私ことクーはン十年前に社交界デビューして、何着てこうか?と大変だった思い出があるのよ! ドッグカフェー・デビューのさぶろう君も照れくさいやら恥ずかしいやらでチョッとドキドキしてたみたいだけど、ドッグカフェー楓では他にゴールデンと黒ラブちゃんのふたりが合流して、ママ達のお喋りが始まった! 何、これ、さぶろう君のカフェー・デビューじゃなかったの? 人間の子供のママもワン族のママもおんなじだね! 違うところは、人間のお子チャマ達は可愛そうに「静かにして!」と叱られている事もあるみたいだけど、ワン族は喋りながらでもママ達を動かす事ができるんだ! とにかく、やっとドッグランで遊べて、集合写真もバッチリ撮って・・・ 往復90分近くの遠出は無事に終了!
 さぶろう君の「始まってしまったぁ~!」はどうもブツブツ皮膚病の事を言ってるみたいだけど、ワン族の「始まってしまった!」はチョッと違うぞ! それは後回しにして・・・  先ず取り上げるのは3月中旬に始まったブツブツ病で、この対策は抗生剤やら薬用シャンプーやら、色々試されたけど、結局治ったのは寒くなってからだった。実は、大型犬も室内で生活するようになって犬本来の生活は忘却の彼方へ・・・ 寒い冬は繁毛して戸外でも寒さを防ぎ、暑い夏は脱毛して少しは涼しく過ごせたものだ。マンションペットに大型犬も受け入れられるようになって今やワン族が一部屋宛がわれる時代になってきている。昔は、子供部屋すら贅沢だったのが日本だが、今や家族の誰もが個室を持つ時代で「日本のウサギ小屋」は死語の世界にしまわれてしまった。そして、平成犬人共生家族が確かにワン族にも屋内に場所を与え、冷暖房完備を施している。だから、知ってる? 冬になると毛が少なくなってきて、夏はフワフワ! これって変じゃない? 人間は冬の暖房が効き過ぎると、セーターを脱いだりするじゃない! そして、夏の冷房で肌寒く感じるとカーディガンを羽織ったりするじゃない! ワン族は出来ないのに、お気づきかな? 何だか、もう、自然は完全無視状態!
 文明進化論は人間の社会だけで論じ合わず、ワン族社会も参加させてよ! ヒューマン、否、ヒューワン・コラボレーションだよ!
 そうそう、さっきオアズケにしたワン族の「始まってしまった!」論に移ろうか?
 さぶろう君のママ、否、姉貴が片道45分を車で出かけた「楓」デビューは「お出かけ&集合写真」の始まりだった。淡路島での「全員集合&ハイ!チーズ!」はだんだん恒例化してきている。現地集合、淡路島公園で思う存分遊んで、園芸学校でカフェタイムを愉しんで現地解散、帰宅後はママ達が「ありがとう!」「楽しかったね!」「またね!」のメール交換、これって幼稚園時代の人間の子供達と教育ママの習慣だよね。今ではドッグラン時代のワン族のワンちゃん達と養育ママの習慣でしょう! 違うところは、人間の幼稚園時代はとっても短いけど、ワン族の公園時代は長~いんだよね。この事実が「いじめなし!」のキーワードを作り出すのかも・・・
 人間って面白い生き物で「格差が好きで優越感を抱くのを好む」のに「みんな一緒!」を提唱するんだよね! この摩訶不思議な人間特有の心を満たすのが、さぶろう君達御犬様という訳である。でも嬉しい事には、そこには差別は見えないんだよね!
 楓に続いてさぶろう君が訪問したのは月見が丘海浜公園、ここは極最近オープンしたばかりで、楓のデビューでも見かけたラブのクリスちゃんが写真に写っていた。前出の黒ラブちゃんに代わって別の黒ラブが参加、即ち暇犬トリオ、違うでしょう!お気楽暇ママ係ドッグセラピーのスリー・ワン?!でしょ!
 今やさぶろう君達のアウティングは浜名湖にまで伸びてきている。その内に東京見物にも来るかしら? もし来たら、テトは何処に案内したらいいんだろう! 六本木ヒルズ? それとも・・・ ああそうかママ達の為の遠出じゃなかったね!
 とにかく、あちこちで黒ラブのガールフレンドと一緒のさぶろう君、やっぱり英国紳士だね、ホラ、あの007のボンド君も女性泣かせで「マドンナ命」のドンファンじゃないか!
 そんなさぶろう君が日頃の運動不足解消と称してのボール遊びでは「我輩は犬である」を実証してくれていた。でも、休日の過ごし方ではさぶろう君の姉貴は専属美容師に姿を変えていた。やっぱり「我輩は犬人である」の方がピッタリじゃん!
 さぶろう君の日記というより、集合写真満載のフォトアルバムは正に初めての我が子の記録作り、思い出作りにそっくりで、クーの感想は「ワン族の子育ては人間の子育てには最高のお手本になる」である。問題児は出ないし、いじめっ子も出ない。ビバ! ワン・ワールド! さぶろう君、貴重な日記と写真をあ・り・が・と・う!

271.愛らしいチョコちゃんは飼い主譲り!

2007-11-18 05:59:17 | Weblog
 ミクシィを始めた当初大好きな大型犬とお馴染みさんになって、チョコレート色の小型犬と仲良しさんになれたのはそもそもクーがワンダフル・ワールドにのめり込んだきっかけでした。大型犬はニューファンドランドのアズキで、チョコレート色の愛らしいワンちゃんが今日紹介するミニダックスフンドのチョコちゃんです。
 飼い主さんの日記というより(ゴメン!)チョコちゃんのフォトが毎回最高なのです。チョッとした飼い主さんの不注意で最近は愛嬌を振りまくのも自粛する羽目になっているらしいのですが、そんな事にはお構いなしで「チョコちゃんの振る舞い」は大歓迎なのです。不注意の詳細は飼い主さんの名誉の為に控えますが、ご本人はミクシィ仲間に暴露していますから、関心のある方は訪問してみてください。
 飼い主さんは宝塚大好き、お料理大好き、ショッピング大好き、美容にダイエット、テレビにペット等など・・・ やっぱり「お気楽主婦」のネームが一番似合うかな? 夢を叶えるためにチョッと努力しているという彼女の言葉が私はとても気に入ったのです。理学療法士と薬剤師というふたつの関係がとても深い二足のワラジを履いたご主人がいて、健康面では彼が、美容面では彼女自身が、と分担が決まっているのかも知れませんね。でも、お料理の腕前も向上に精進しているようですから、きっといい奥さんでしょうね。とにかく、とっても女性を感じる飼い主さんです。だからこそへまもするみたいですよ。完璧を目指してへまする女性って可愛いですよね。
 ところでチョコちゃんの正式名はチョコラで、チョコラーテというダンス曲からつけたという事です。とても寂しがり屋でどこへ行くのもいつも一緒だ、と仰っていますが、それってホントは飼い主さんの言葉を弁明しているのでしょうね、きっと!
 結婚2年目、チョコちゃん2歳という事で年末を迎えるようですから「桃栗三年柿八年」に加えて「石の上にも三年」という言葉を思い浮かべれば「三年目」が最も大切な時期なのかも知れませんね。ふたりして夢に向かって周囲に気を配りながら、大いにハッスルして貰いたいです。
 暫らく前になりますが、チョコちゃんがイナバウアーを披露してくれたのは、何となく理解出来ます。だって、飼い主さんは5歳から成人になるまでバレエを習い、今はシャザサイズに嵌っているようですから・・・ シャザサイズって、知っていますか? ダンスというので、どんなダンスかな?と思ったら、日記に説明がありました。エアロビにチョッと似てて、アメリカの最新曲に乗って踊るんですって! 40分位踊って、20分位ダンベル持って筋トレしたり、ストレッチしたりするんですって! 30過ぎててね~と思ったら、60位の人も一緒にやっていますよ、だって!
 さてさて、初対面では人見知り、でも一旦仲良しさんになると・・・ チョコちゃんの事かと思ったら、飼い主さんの自評でした! やっぱり親子?って似るものですね。ワンちゃんも飼い主の背中を見て育っていきますから・・・ やっぱりチョコちゃんもいつも一緒が好きらしいですよ。甘えん坊ですね! まあっ、仕方ないか! チョコレート色のチョコちゃんですもの、甘いのは当たり前ですね。
 支えてくれる人が回りにいっぱいいて、いつも回りに助けられていると自覚している飼い主さんは最高です。困った人がいたら、いつも助けてあげれるような人でありたいと、いう彼女にエールを送ってあげましょう! 「雨にも負けず、風にも負けず」の宮沢賢治好みの女性かしらね! チョコちゃんがきっと素敵なパートナーの役目をズッと演じてくれますよ。

270.自然界に生きている人間だから出来る「循環と伝承」

2007-11-16 10:04:56 | Weblog
 タイトルから内容の判断をしかねるだろうと想像出来る「循環と伝承」・・・
地球というかけがえのない惑星に人間が住み着くようになって、信じられない時間が経っているが、地球が絶えることなく永遠に活き続けるには必須言葉だと私は考える。「時が流れるのではなく、人間が突き進むのである」という名言を借りて考えると「地球の長い歴史と正しい循環」がキーワードだと私は思うのである。このキーワードは「青い地球」にあくまでも青さを保ち続けてくれるだろうと願い、それを実現に導くのである。
 私は「仕事としての時間」は確実に失われるのを承知の上で障害者センターのパソコン木曜会に出かけた。
 ところで港区では「シルバー人材」なるものが掲げられるようになって久しいが、この木曜会はあくまでも自主サークルで公共の場所を使用している。
 対象が老若男女の障害者という事だが、指導者はみな第一線を退いた元気印の高齢者が担当している。こんな身近な所で障害者と健常高齢者の組み合わせが、自ずからノーマライゼーションを実践に移している。
 知識人も例外ではなく、ひょんな事で障害者になり得るが、彼等も確実に高齢者になっていくという事実は否めない。
 一頃流行った「亭主元気で留守がいい」とは確かに実に名文句だとは思うが、同じ頃「定年後の亭主は粗大ゴミ」なんていう言葉も流行ったという記憶がある。けしからん! 実にけしからん! こんなことを面白可笑しく持ち上げるから、本当のゴミも積もり積もって、手の施しようもない状態になってしまうのである。
 木曜会では、有識高齢者が「確かな思いやり」を持って、愉しく障害者に接する姿を見るにつけ、微笑ましく「さすが、港区!」と言いたくなる。
 確かな思いやりって何?
 ここでクーの日記は終わっている。
 続きを書き込んでいく事する。確かな思いやりは正に「飴と鞭」を両手に近づいてくる。失敗すると「ダメ! ダメ! 何度言ったら分かるの?」で成功すれば「流石だね、使えないのは不随と言われた部分だけだね!」という言葉が出る。差別も区別も存在しない。

 還暦を迎えるまで我が愛国感には「大好き」と「大嫌い」がハッキリ分かれていた。そして、ここへきて更に明確になって、それが「日本人気質」と言えるのかと少々ガッカリしていたが、木曜会は私のそんな思いを吹き飛ばしてくれる。
 長年、得意分野と自他共に認めてきた事柄を他人に教えるという事は習う人がいなければ成り立たない。現役時代のこの関係は教える側が第一線を退いた高齢者となると多少考え方が違ってくると私は思う。
 私は長年、英語指導という立場を副業として保ってきた。始めたのが23歳だったから、突然の病でこれを退いたのが55歳という事で、何と32年間続けてきたという事になる。私の場合「習う」という対象は、ビジネスマン、受験生、子供達といった具合にかなり幅も広かった。余計な事だが、報酬はビジネスマンが最高額、次いで子供達、そして割安が受験生だった。このランク付けには私なりの理由があった。ビジネスマンは仕事上での必要性から時間を割いてきていた。時間を割くなら金も惜しむな、という事である。何故なら、自分で稼いでいるのだから・・・ これは最近知り合ったK大商学部の教授が「障害者とは言え、健常者と同じように、偶さか仕事によってはそれ以上の報酬を貰いなさい。それが当然です」と言っている。実に同感である。では、受験生の場合はどうだろう。彼等もまた、必要だから時間を作って教えて貰いにくる訳だ。ビジネスマンとの違いは、彼等は稼ぐ時間がなく、親がかりの身だという事で「出世払い」という事になる。親は責任上、授業料を負担してあげる事になる。最後の、子供達は完全に興味と時間と余裕、プラス親の欲望がはっきりと見えてくる。だから、私はビジネスマンの次に高額の報酬を要求したのである。最近、小学校でも英語を教科として取り入れ始めている。ならば、余計に考えられる事は「おけいこ」とか「塾」とかいった課外授業になるという事である。
 そうして納められた授業料は、私が試行錯誤の末、大きく言えば、日本経済に還元するというわけである。
 さて、そうして色々な人生を歩んできた高齢者が積み重ねてきた英知を通常なら、次代を担う人達に還元して貰いたいと願うのは私だけだろうか。様々な社会に首を突っ込むのは容易な事ではない、という前に不可能だと思う。だから自分がいる社会、という事で障害社会に限定して考えてみようと思うのである。
 港区のお陰で「障害者が習う場」を更には「高齢者が教える場」を確保して貰い、習得の喜びと伝授の喜びを場所の同じくして約束されるのである。そして自然に「ノーマライゼーション」が生まれるという訳である。
 伝承の気持ちを持って、循環に力を注ぐ、これは人間ならではの行為である。人間の心も身体もこの「伝承と循環」を始終やっている筈だ。生まれた時から、育んできた自分の長所を我が子のみならず、たくさんの人に分かち、自らの血流の如き流れを、自然社会にまた一般社会に「淀みなく」送り続ける事が人間としてのタスクだと思うのである。

269.生きとし生けるもの

2007-11-13 07:49:00 | Weblog
 動物大好き人間のhanahanaさんらしいミクシィ日記が始まったのは去年の梅雨時の事だった。季節柄、愛犬のゴルは湿疹病で病院通いの真っ最中、そんな時にhanahanaさんは迷子のワンちゃんに出会った。犬のお巡りさんならぬhanahanaさんがお巡りさんの役目を買って出た。
 迷子の迷子のワンコちゃん! 貴女のお家は何処ですか? 名前を聞いても分からない! お家を聞いても分からない! 仕方なく、取り敢えず自分のお家に連れ行った。「お家何処?」百回位!聞いたそうで、警察に届けを出しておいた甲斐があって翌日にはお家が見つかった。中々出来るものではない。
財布を拾って届けたら、物凄い時間が掛かって後悔した事がある。昼休みにあるビルのトイレで小銭入れと思しき財布を拾って届けた時の事である。調書を作ると言ったお巡りさんはこっちの都合も聞かずに自分の仕事だけを熱心にし始める。「仕事に戻らなくては・・・」と言う私には知らん振り!「どれ位で終わります?」シーン! 無視し続けられた私の前に、やっと出た言葉が「すぐ終わりますよ!」だって! とんでもない、もう届けてから20分は経っているではないか! 結局1時間近く掛かって「持ち主が出てこなかったら、どうします?」「えっ!いいですよ。お巡りさん、タバコ代にでもして!」「それは出来ません。どうします?」「どうでもいいから早くして!戻って上司に怒られたら、説明してね!もう来年のカレンダー、あげないから・・・?! そう、お巡りさんの警察は私の会社の管轄署で年末になると「来年のカレンダー貰えますか?」と強請りに来ていたのである。そう、当時のエアーラインのカレンダーは大人気だったのである。拾得物はとんだ迷惑物である!
 hanahanaさんの拾得物はチョっとお年を召したワンちゃんで、これは落とし主というか飼い主がすぐに見つかって万々歳! さて次の拾得物一亀!これはチョッと笑えたかも! でも、将来、浦島太郎さんのように竜宮城に行けるかもよ!
 末娘のローランちゃんとの出会いも実にhanahanaさんらしい。ペットショップの売れ残りに心痛める寸前にクレジットカード決済で購入したと言うのだから、家にペット犬が居ないのならともかく・・・ここで呆れる人と頷く人に人間界では分かれるのかも知れない。
 昨年の9月19日早朝hanahana家では、底抜けに明るかったゴルが10年の生涯を閉じた。幼い頃から抱っこが大好きだったゴル、大きくなったゴルのヤヤちゃんの抱っこはどうやって?・・・! 立て続けに哀しみはやってくるもので、ちっちゃいけど16年も生活を共にしてきたヨークシャテリアが10月に入って間もなく大往生でヤヤの後を追ったのである。
 hanahanaさんって、私の「ハイパーグラフア、書きたい脳」に軍配をくださらないほどの「放っとけない症候群」で・・・ かくして哀しい表情でhanahanaさんを見詰めるヨークシャテリアをまたまた抱っこしてご帰宅! 2匹を見送ったばかりで、さすがにとてもいきなり連れて帰る事が出来ずに、一先ずは友達に頼んで・・・ 
 私にも覚えがある。逗子の家の近所での事だった。「先生、可愛いでしょう!」実はこの声掛けが曲者だった。数日後、またあの生徒の家の玄関先で呼び止められる。「先生、ヒマラヤンと三毛のミックスなの・・・」だからどうだって言うの! でも可愛い、更に数日後中学生の男の子の後には例のママが立っている。「トイレは仕込み済みですから、宜しく・・・」チョッとチョッとやめてよ! 男の子が傍からママに助っ人の言葉を挟む。「先生、内にはもう一匹がいる事になったんだって!」「先生、乾杯のブランデーも一緒!」ヤダー、もう! 中学生の男の子のお父さんは偶然にも私の高等部の先輩、あの時当時でこそ私は奇遇な縁で英語指導をしていたが、結果というか結局、ミックスネコちゃんを断る事が私には出来なかった。そんなこんなで、男の子は大きくなって私の処からも、ご両親の処からも巣立っていったが、問題のミクシィ・プシィ・キャットは18年も長生きをして我が家に居続けた。
私はhanahanaさんのように友達に猫をあずけなかったが、猫の首輪に鈴を付けて、私の財布にも同じような音色の鈴を付けて、数週間カモフラージュの毎日をヒヤヒヤと送っていたが、ある日、猫の尻尾を思いっきり踏んづけてしまい、ギャーァ!キャーァ!で父にバレてしまった。尤も動物好きの父には呆れ返られただけで、問題にはならなかった。父本人が亡くなる数週間前「ミックを抱っこさせてくれ!」と言い「可愛いな、お前はいつまでも少女のような顔をしているんだな!」と言って嬉しそうにしていた姿を思い出す。これぞ我が家のアニマルセラピーの始まり!
 それにしても、hanahanaさんのお家はカード犬の集まり場所になってしまいそうだね。
カード犬と言っても反則でカードを切られる訳でもなく、カード地獄に陥る訳でもなく、カード天国のお犬様でいっぱいの地上のパラダイスといえるかもしれないという訳だ。だからこそ、私は今回のブログに「生きとし生けるもの」という題名を迷わず付けたのである。
 この夏は例年に負けず劣らずの酷暑だった。デッカイ末っ子ハスキーのワイヤー君は初めての換毛期を迎えてブラッシング騒ぎになり、末っ子だった筈のゴルのローランちゃんは湿疹騒ぎを初体験、そんな夏が去り、大いに奨励したいハワイ旅行をhanahanaさんが実行に移した。hanahanaさんの愉しみは「犬と戯れ、猫とお寝んね」という贅沢な趣味である!
 旅から帰った第一声が「疲れた!こんなに疲れた旅は今までにない!ってくらいの疲労!」で半日くらい寝ちゃった、と言っていた。だから、ねっ! 犬猫の世話で大変だと思われがちでも、実はワンちゃんもニャーニャも言わずとも「アニマルセラピー」の施しも忘れていないのである。世話しているつもりで、彼等に癒されているのである。
 hanahanaさんのエピソードでどうしても忘れられない話がある。今では製造中止になっているシボレーアストロという旧車に纏わる話である。
 ある日、エンジンがウンともスンとも言わず、大慌て! ワンダフル・ウォーキングを日課にしているhanahanaさんは暫く車を動かしていなかった。ヤヤちゃん達、たった?3匹しかいなかった頃は散々世話になっていた車は車検の度に買い替えを勧められていたが「未だ未だ大丈夫!」と頑張って貰っていたのに・・・とうとう!? あまり長い間動かさなかった上に何とルームライトの消し忘れでバッテリーの充電切れ! 思い出がいっぱい詰まった愛車!もっと大切にしよう、というhanahanaさんの愛車物語は是非ともあの「モッタイナイ・ノーベル賞平和賞のワンガリ・マータイ女史」に紹介してあげたい。
 hanahanaさんと生きとし生けるもの全てに乾杯!

268.左手による左手の為の手造り★☆★料理店!

2007-11-11 23:47:21 | Weblog
 週末は雨天だと知った金曜日の夕方遅く、私は愛車?で近所のピーコック・スーパー・マーケットに出かけた。お肉ならスキヤキかキムチチゲ、お魚なら鍋と頭に描きながらブラブラ店内を回っていた。するとMEATケースの片隅にチョッと寂しげに遠慮がちにお買い徳品の表示が更に気が落ち込むような陳列のされ方の鶏肉が目についた。「ウーンッ!」とチョッと考え込んだ私はある料理に閃いた。
 今夜から仕込んで明日の為にと思った私はすかさずお買い得見切り品の鶏肉を手に取った。近くにいた何人かの買い物客が「まあ、あの障害者、見切り品なんか手に取って・・・」咎めるような、呆れるような視線を私は感じた。「皆さん!ホントのグルメじゃないね!」ほくそ笑む私は店内備え付けウォーター・サプライの処に行って店員に言った。
 「すみません、お水が欲しいんですが、それとこの鶏肉買いたいんですけど」
支払い用のエディ・カードを渡すと僅かな金額が差し引かれた。馴染みの店員は「今日は珍しくお料理係ですか?」「ええ、まあね。店内を回っていたらチョッと閃いて!」「そうですか、お愉しみですね」と笑った。車椅子の背中に見切り品とウォーターボトルを入れて貰い、特大プラスティックバッグを背負わせて貰って意気揚々と帰宅した。
 姉が仕事場からやって来た。
「さっき電話したんだけど留守だった?」
「うん、チョッとピーコックに」
「あら、何か欲しかったの?」
「ううーん、別に!」
「そう、よかった! 夕飯は持ってきてあげたわ!」
さすが、以心伝心! 今日の見切り品の鶏肉は今夜の食べ物ではない。見切り品が今夜のではない!? 何故だ!
 夜、私は見切り品の鶏肉を気長にボイルし始めた。夕食後のキッチン兼ダイニング兼仕事場は急に忙しくなった。ガスレンジの回りは火をつける前に一掃され、パソコンデスクの横からレンジまでの通路も一掃された。テトは「邪魔しないでね! 戻る、ベッドに戻る!」の声でスゴスゴトいつものデッカイ椅子に陣取った。「まあ、いいわ。そこでもいいわ」ウロチョロさえしなければ・・・ こんな時、私はいつも首から携帯電話をぶら下げている事にしている。
 そして、ナガラ族、出動開始!という訳である。ハイパーグラフィアのいい処はナガラ族賛成派なのである。パソコンデスクとガスレンジの往復は電動椅子(車椅子ではない)が活躍し、パソコンはハイパーグラフィアの機嫌を損ねないようにTVの画面を右下に映し出して、ハイパーナガラ族!を応援してくれた。真夜中12時まで、鶏肉はコトコト飽きもせず自ら柔らかくなるのを願っていたようだった。火を止めて、就寝の用意をしている内に鶏肉は熱が覚めて冷所に落ち着いた。
 翌日、私の様子を見に来た息子に野菜を切って貰った。「何作ってるの?」「カレーよ。特製カレー、チキンカレーよ」私は全ての食材が食べ頃の時が来たら、また来て味付けを息子に頼んだ。彼は快諾してくれた。野菜の切り方もうまいし、味付けの腕も父親を凌ぐようになってきていた。父子の血は争えないものである。
 丁寧を売り物の母子は斯くして「高輪カレー」を作ったのである。評判はバッチシッ!
 夕方、我が家はBYO食堂に変身した。豪州のBYOはかなり歴史が古い。BYOは近頃馴染みになってきたBring You Ownで言わば「お持たせ!」という事である。息子は「腕」を娘は「アイスクリーム」をそして仕事場から駆けつけた姉はドリンクを持って集まった。
 高輪の外は雨、でも我が家の中の雰囲気は盛り上がった。

267.追憶の中の茶々丸を背景に我が道を行く磨呂!

2007-11-10 08:05:11 | Weblog
 まさかトップを飾る写真のワンちゃんが今は亡きゴルだとは日記を読むまで分からなかった。更に、これほどまでに追想の中に愛犬を呼び戻す飼い主に会うとは思わなかった。
 1998年4月26日が問題の茶々丸という名のゴルが生まれた日で、この子は8歳になった年に他界している。大型犬は小型や中型に比較してその寿命は幾分短いと言われているが、日本が世界一の長寿国になったと共に、日本の大型犬も確実に10年の犬生を送るのがあたり前のようになってきている。それでも、茶々丸は8年で逝ってしまった。そう、我が愛犬ドックも10歳の誕生日を迎える事なく、死へ急いだ。
 愛しの茶々丸は突然、血液を作る事の出来ない病気になったという。飼い主は「発病後、たった5ヶ月でお別れ」と記しているが正に「たった5ヶ月間、されど5ヶ月」だったのだろう。
 私には病院通いを続けて、最終的に見送った愛犬は二匹いる。一匹はビーグル犬のエミー、もう一匹は言うまでもなく、ゴルのドックである。エミーの死は壮絶な闘病の挙句の逝去だった。私の膝の上で何度も体を仰け反らせたエミー、その辛さは如何なるものだったか、死犬に口なしである。エミーは健気にも力を振り絞って私の膝をよじ登り、出来るだけその円らな瞳を私の顔に近づけた。そして、その日の夕方、帰らぬ犬になった。発病後僅か一ヶ月弱でエミーは昇天の刻を迎えている。
 一方、ゴルのドックは突然、悪性リンパ腫瘍を発病して老齢を感じさせる闘病生活をし始めた矢先、僅か一ヶ月弱であっけなく逝ってしまった。
 茶々丸の闘病生活は5ヶ月、5ヶ月は犬にとっては長かったのではないだろうか。だからこそ、飼い主がついつい若い元気な磨呂に、茶々丸の若かりし姿を重ねてしまうのだろう。
 茶々丸が病気になってバニーズ・マウンテン・ドッグを迎え入れ、磨呂と名付けた。様々な人が色々な事を言うだろう。だが、良かれと思って行動に移した時はプラス人間になって生活をしていかなければ、後悔と懺悔しか残らない。病弱の子を持ちながら、はたまた障害の子を持つ身で次の子を授かる人もいる。人は夫々の考えで行動するものである。正しい判断と適切な思いやりがあれば、何事もうまくいくのではないだろうか。少なくとも、自分自身にとっては・・・ 愛しの亡きワンちゃんの追想は飼い主だけの物になるのだから、飼い主だけが満足する思い出でいいと思う。
 犬種も違えば、年齢も違う、まして性格は全く違う。更に、一緒に住んでいた頃の茶々丸と磨呂は健康状態も全く違っていた。
 茶々丸の看病で忙しいにも拘わらず、敢えて磨呂を迎えた第一の理由は茶々丸に元気をあげたかったからだと言う。その結果、茶々丸はイヤイヤながらも・・想像以上に元気な時を過ごしたようである。確かに、死のカウントダウンを宣告されて急遽退院する事がある。そして、その後、必ずしも死が急ぎ足でやって来るとは限らない。余命・・・と限られても、愉しい家族に迎えられて元気で活発な生活を送る事によって、医師の宣告よりズッと長生きをする事もある。現に茶々丸と磨呂にはたくさんのツーショットがそれを語っている。磨呂が来なければ、茶々丸との思い出も作れなかった。磨呂とのフォトも撮れなかった。人は亡き愛犬に「あ・り・が・と・う」は言えても、残された愛犬に感謝の言葉を向ける事はあまりない。でも、人間よりヒューマン性に富んだゴルの茶々丸はきっと別れの時にはそっと磨呂には「あ・り・が・と・う!」と呟いて旅立ったのだと思う。
 さて、そんな茶々丸との思い出を背後に毎日元気に駆け回る磨呂は、飼い主の為に「茶々丸との追想劇」と自らのユーモア劇の2本立てを見事に演出している。
 茶々丸を見送った初めの一年は涙々の毎日だったと言う。果たして、磨呂はどんな気持ちで幼児期を過ごしていたのだろう。飼い主には「哀しみ」の上書きとして更なる「愉しみ」を必死になって与え続ける磨呂の健気さが伝わってくるようである。茶々丸の辛い闘病生活とそれ以上に辛い死別は恐らく時が解決の手助けをしてくれたと思う。その過ぎ行く時と一緒に駆け、哀しみに喜びを振り撒いて、飼い主を辛苦の底から這い出させているのはバニーの磨呂である事は決して否めない。
 ワンちゃん仲間の皆さんも是非、飼い主みどちゃんの日記(11月8日付け)を読めば、きっと「もし私だったら・・・?」明確な私なりの返答は恐らく「未だ未だ私の心の中では・・・!」状態だろう、という想像が出来る。私も亡き愛犬を現在いっしょにいるダッキーのテトに追い求めては追憶の中で亡きドックを遊んでいる毎日である。
 犬って凄いね! ペット犬の底力を感じるよね! 万歳!磨呂!Hooray!Teto!