誰でもきっと一度はバーゲンセールの会場に行った事があるだろう。かつて数寄屋橋に阪急デパートがあった頃、有楽町の読売ビルにそごうデパートがあった頃、近所に勤める私達若い女の子はどちらの野球チームが優勝しても大騒ぎだった。昼食返上でバーゲン会場に駆けつけるのが常だった。
制服姿でみっともない行動は控えるように言われていたので、ある日、コートを引っ掛けて行った。セール用品に熱くなっていった私はコートを脱いで一寸気に入った服を姿見の前で羽織ってみたりしていた。女店員の「お似合いですよ」という言葉に、私は軽く一回転してみたり・・・と、その時、目に入ったのは、何と他の客が私のコートを握っているではないか!「すみません、それ、私の・・・」「恐れ入ります、それ、こちらのお客様の・・・」すると、物凄い目で睨んだ女性客は「これ、私のです! 早いもん勝ちよ!」と恐ろしい剣幕で言い放ったのである。「あの、そのコートはこちら様の・・・」女店員は言い難そうに頭を下げた。私も「すみません、紛らわしいとこに置いて・・・」「そうよ、紛らわしいわよ!」と女性客は私のコートを投げつけた。女店員は「申し訳ございません。私がお持ちしていれば良かったのです」と頭を下げた。
早いもん勝ち!だと言っても決してお似合いじゃあないのに。だって、私のオーダーコートはダックスフンドじゃないけれど、袖丈が私専用で短めなんだもん!
近頃の店で私が大嫌いなのが、心が伴わない女店員の言動である。「お買い得ですよ」「安いですよ。こんな値段では買えませんよ」「ピッタリお似合いですよ」「ひとつ持っていると便利でいいですよ」私の事も知らないでよくもまあ、次から次へと誘い言葉が出てくるものである。「これ、実は私も買ったんですよ!」そうか、じゃあ、止めた! 貴女と同じなら止めた! 口から出任せ商売は止めようよ!
また、私にはこんな経験がある。
まず、第二の故郷メルボルンでの逸話である。靴屋で気に入った靴を見つけた。色も、デザインも、サイズもピッタリである。小躍りして「一寸試着したいのですが・・・」の声に「靴を脱いで、この上に載せてみて・・・」と偉そうに言った店員は「う、うんん・・・ノー」と頭を横に振った。「でも、一寸履いてみたいの」「ノー!」形が私の足の形とはかけ離れているので今は大丈夫でもきっと痛くなるからダメだ!と説明してくれた。
二度目も靴屋だった。イタリアはローマの靴屋でも押し問答はもっと可笑しい物だった。私より半サイズ大きい足の姉の為にお土産にしたかった。あの時のメルボルンの店の教訓が利いていて靴だけは自分のは当然だが、姉のでさえも、目で見て、お似合いをピタリとあてることが出来た。しかし、店員はやっぱりダメ!と言った。私が自分のじゃないと言うと、店員は尚更ダメだと言い張った。結構高価な靴だった。いい案が浮かんだ私は、色といい、デザインといい、革質といい、最高だから玄関の飾りになる、と言った。店員は「まさか!」と言いたげだったが、「仕方ない!売ってあげる!」と言った。斯くして、姉は私の土産を大喜びして長い間履いてくれた。やったー、私の勝ち!
買い時、買い得、早い者勝ちはこちらが決める事、気持ちも財布の中身もみんな夫々違う筈! こんな時にみんな一緒はないでしょうに! 焦らず、慌てず、確かな物を自分の正しい判断で手に入れたいものである。
日本現代買物気質を語ると、何でもかんでも手当たり次第、欲しいままに買い過ぎるような気がする。似合う似合わないは二の次でショッピングに興じているような気がする。航空会社に勤めていた頃、ヨーロッパの高級店で日本からの客が多額の現金を手に「これで買えるだけの小物を頂戴!」とか「ショーケースのスカーフを全部包んで!」と言って、店員やガイドを驚かせ、その後顰蹙をかったものである。ショッピングは殆どが自分の為ではない、プレゼント用だったのだ。あの頃は、海外旅行というと餞別が当たり前だった。だからお返しのお土産も当然だった。金の力を借りた義理果たし!心がそれほどこもっていない贈答品というのが出始めたのである。2月3月のバレンタイン時の義理チョコの原点がここにあったのか、とさえ思ってしまう。
制服姿でみっともない行動は控えるように言われていたので、ある日、コートを引っ掛けて行った。セール用品に熱くなっていった私はコートを脱いで一寸気に入った服を姿見の前で羽織ってみたりしていた。女店員の「お似合いですよ」という言葉に、私は軽く一回転してみたり・・・と、その時、目に入ったのは、何と他の客が私のコートを握っているではないか!「すみません、それ、私の・・・」「恐れ入ります、それ、こちらのお客様の・・・」すると、物凄い目で睨んだ女性客は「これ、私のです! 早いもん勝ちよ!」と恐ろしい剣幕で言い放ったのである。「あの、そのコートはこちら様の・・・」女店員は言い難そうに頭を下げた。私も「すみません、紛らわしいとこに置いて・・・」「そうよ、紛らわしいわよ!」と女性客は私のコートを投げつけた。女店員は「申し訳ございません。私がお持ちしていれば良かったのです」と頭を下げた。
早いもん勝ち!だと言っても決してお似合いじゃあないのに。だって、私のオーダーコートはダックスフンドじゃないけれど、袖丈が私専用で短めなんだもん!
近頃の店で私が大嫌いなのが、心が伴わない女店員の言動である。「お買い得ですよ」「安いですよ。こんな値段では買えませんよ」「ピッタリお似合いですよ」「ひとつ持っていると便利でいいですよ」私の事も知らないでよくもまあ、次から次へと誘い言葉が出てくるものである。「これ、実は私も買ったんですよ!」そうか、じゃあ、止めた! 貴女と同じなら止めた! 口から出任せ商売は止めようよ!
また、私にはこんな経験がある。
まず、第二の故郷メルボルンでの逸話である。靴屋で気に入った靴を見つけた。色も、デザインも、サイズもピッタリである。小躍りして「一寸試着したいのですが・・・」の声に「靴を脱いで、この上に載せてみて・・・」と偉そうに言った店員は「う、うんん・・・ノー」と頭を横に振った。「でも、一寸履いてみたいの」「ノー!」形が私の足の形とはかけ離れているので今は大丈夫でもきっと痛くなるからダメだ!と説明してくれた。
二度目も靴屋だった。イタリアはローマの靴屋でも押し問答はもっと可笑しい物だった。私より半サイズ大きい足の姉の為にお土産にしたかった。あの時のメルボルンの店の教訓が利いていて靴だけは自分のは当然だが、姉のでさえも、目で見て、お似合いをピタリとあてることが出来た。しかし、店員はやっぱりダメ!と言った。私が自分のじゃないと言うと、店員は尚更ダメだと言い張った。結構高価な靴だった。いい案が浮かんだ私は、色といい、デザインといい、革質といい、最高だから玄関の飾りになる、と言った。店員は「まさか!」と言いたげだったが、「仕方ない!売ってあげる!」と言った。斯くして、姉は私の土産を大喜びして長い間履いてくれた。やったー、私の勝ち!
買い時、買い得、早い者勝ちはこちらが決める事、気持ちも財布の中身もみんな夫々違う筈! こんな時にみんな一緒はないでしょうに! 焦らず、慌てず、確かな物を自分の正しい判断で手に入れたいものである。
日本現代買物気質を語ると、何でもかんでも手当たり次第、欲しいままに買い過ぎるような気がする。似合う似合わないは二の次でショッピングに興じているような気がする。航空会社に勤めていた頃、ヨーロッパの高級店で日本からの客が多額の現金を手に「これで買えるだけの小物を頂戴!」とか「ショーケースのスカーフを全部包んで!」と言って、店員やガイドを驚かせ、その後顰蹙をかったものである。ショッピングは殆どが自分の為ではない、プレゼント用だったのだ。あの頃は、海外旅行というと餞別が当たり前だった。だからお返しのお土産も当然だった。金の力を借りた義理果たし!心がそれほどこもっていない贈答品というのが出始めたのである。2月3月のバレンタイン時の義理チョコの原点がここにあったのか、とさえ思ってしまう。