脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

64.感覚が戻ってくるという事

2006-07-28 08:58:29 | Weblog
 日常において、我々は何の気なしに「あの人は鈍感だ」とか「あの人は敏感だ」とかと他人の感じ方を簡単に表現する事がある。鋭敏な感覚を褒め称える分には如何なる言葉を起用しても心配無用で、「鈍いなあ」とか「気が利かないなあ」などをちょっと悪ふざけの気持ちで使うのなら、然程差し支えはないだろうが、鈍感の表現には充分な配慮が必要だと想う。愚鈍などの使用は感心しないが、魯鈍などはとても愚かで頭の働きが鈍いとあからさまに言ってしまう事になるだろう。軽愚などはもっての他で軽度な精神遅滞を意味するから間違っても簡単に口に出す言葉ではない。「さすが良心と鋭感の持ち主」などと褒められれば舞い上がってしまうが、そんな事は滅多にある事ではない。
 感覚とは、人間が外界からの光、音、匂、味、触などの刺激を感じる働きだが、それによって起こる意識は障害社会でなくとも千差万別という事になる。
 私は病魔に出会って、触の刺激を感じる機能を損傷して、意識が全く無かった所から、極最近になって、やっと「痒い」次に「痛い」を僅かながら感じるようになってきた。正に、痛し痒しの心境で具合はよい様で悪い様でホントに困る。痒いと感じ出したのは凡そ二年前の事で、痛みを感じ始めたのは一年前からである。外敵刺激は痒みも痛みも時と場合で感じる事もあれば、感じない事もある。だが、内的刺激は痛覚が紛れもなく、感覚機能を揺さぶっている。内的刺激による痛覚は鋭感そのもので脳神経を興し、痺れは相も変わらず、傍若無人な動きをする。全く、堪ったものではない。
 的確なマッサージを規則正しく受けるようになって、私の右半身は正直に反応してきている。足先が脳からの指令を無視する事が心なしか僅かだが少なくなってきた。上腕は未だ未だ期待薄しだが、下肢は中々期待できそうだ。
 だが、右腕も、腰掛けたままで左手に誘導されて頭上に持って行かれるに当たって、かなり従順になっていた。無論、上腕の方は日増しによくなるという表現には程遠いが、確かに変化は感じる。
 今まで眠っていた他の機能が働き始めたりして明らかに変化を感じるという事は、医学的に考えると向上と言えるのかもしれないが、痺れに決定的な変化が現れない限り、良くも悪くも語る事は私には出来ない。だが、可能性にチャレンジするのが私らしいのである。
「PNFをやってみましょうか」
「PNF? 何それ?」
Proprioceptive Neutromuscular Facilitation固有感覚受容性神経筋促痛手技、いやはや何とも英語も日本語も長い名称だ。ProprioceptiveだけでPNFを意味する。そして、neutroは神経でmuscular筋肉、facilitationが促進だとすると、素人の私でもPNFイコール筋肉を刺激して神経の働きが早く捗るように促すという訳かという事で、と何となく理解できてくるから、やっぱり私にとっては英語様々になるわけだ。療法士だって、暗記していないみたいでPNF、PNFと言っている。とにかく、療法士は私の体を以て実例を見せてくれた。「ああ、あれか!」懐かしい事に数年前、リハビリ初期の頃、私がよく受けていた方法だった。あの頃は脳の話もリハビリの話もチンプンカンプンだった。リハビリもある程度、理屈がわかった方が遣り甲斐もある。然るにPNFとは動作に抵抗を加えて深部の筋肉を刺激して、神経筋機構の反応を促し早める手法である。然るべき要求を作り出して反応を引き出すよう努力すれば、潜在能力という人間誰もが持っているものを伸ばす事が出来るという訳だ。この動作を繰り返し反復すると、学習効果があり、身体活動の技能(skill)を熟達させ、協調性を獲得する事ができる。身体活動を継続的に実施すると、耐久性が向上し、また、動作に変化をつければ回復効果があり、疲労が和らぐ、という事である。
 何事も、反復し、持続が大切だ、という事だ。そう言えば、ここ二週間ほど、雨天の為、リハビリ病院を休んでしまったので、歩行練習を怠ってしまった。結果はてき面で、久しぶりに出かけた研究所病院では初めの歩行練習は一往復がやっとでいつものリズムを取り返すのに僅かだが、時間がかかった。それでも嬉しい事に連日のマッサージの効果は出ていた。

63.パソコンは素晴しい家庭教師!

2006-07-23 05:40:14 | Weblog
 パソコンは実に有能な家庭教師である。P先生はリセットという素晴しい言葉を私に教えてくれた。これまでの私なら「覆水盆に返らず」といって中国の故事を引き合いに出したり、英語の慣用句を持ち出して、それっきりになっただろう。英語での表現はIt is no use crying over spilt milk.と言ってWhat is done cannot be undone.という意味を普段の生活の中に持ち込んで聞かせる。成る程! 古代中国はもっとあっぱれだ。周の太公望が斉(せい)に封ぜられた時、離縁して去った妻が復縁を求めて来たが、盆の水をこぼし、この水をもとに戻せたら求めに応じようと言って復縁を拒絶したという教えを伝えている。
 だが、現代社会ではパソコンを前に「古代中国も大英帝国も遥か昔になりにけり」か、と想わざるを得ない事が時折ある。
生きている限り、大なり小なりリセットは利くものだ、と考えなければ先に進まないだろう。
 コンピューターを初めて目の前にしたのはもう30年以上も昔の事である。航空会社に勤務していた頃、予約業務に取り入れられたコンピューターは各人の机の上で卓上テレビのように鎮座して時折、スタッフを驚かせた。
「どうしよう、壊れちゃったよ!」
年配のスタッフが叫んでいる。
「どうしたの?」
「中々、次の画面が出てこなくて、アゲイン!アゲイン!って出るから、何度も押していたら、フールって出てきたよ」
「どーれ、もう一回押してみて」
押して駄目なら、引いてみな、ってね! 他の年配のスタッフがふざけて笑った。
「クミ(私のニックネーム)、どうしよう、フール、フール、フールって画面一杯にFOOLが並んじゃったよ!」
当時若かった私は結構、頼りにされていた。
みんな大爆笑!で本人だけが心配そうに「壊れちゃったのかな」とオロオロしていた。
「大丈夫ですよ。フールって出たんだから、この機械はバカじゃないわ。ちゃんとレスポンスを画面に出してるもの」
「どうしたらいい?」
「リセットがある筈だから、それを押してみて下さい」
「ああ、元の画面に戻った!」
やっといつもの笑顔になった先輩はホッとした様子でオーバーに胸を撫で下ろした。
 性能のいい今時のパソコンは一回、二回、何回リセットしても、そう簡単には壊れないのだから、私の脳というパソコンも不死身ではないが、そう簡単に参る事はないだろう。
 P先生はPush or Pull を奨励して、それでもダメならReset をお奨めという訳か。成る程!

62.フィット感覚のない右足

2006-07-20 06:31:09 | Weblog
「歩き方が変ね!」
後からついてくる療法士が呟いた。
「最近、痺れが強いからかしら?」
療法士は目の前に姿を見せると、不可解な顔をした。
「今日は歩く練習は止めておきましょう。妙な歩き癖が付いてしまうと困るから」
私はかつてリハビリ病院の療法士が「ぶん回しの歩き方だけはしないでね」と釘を刺したのを思い出した。彼女の忠告を頑なに守った私は今「歩き方はいいですね」とあちこちの療法士に言われる度に感謝している。確かに遅いけど歩き方は結構いい方だと思っている。妙な歩き方を指摘するセンターの療法士の言葉を私は素直に受け止めた。
「リハビリ病院に行ったら、新しい装具を見せてみますね」
「そうした方がいいわ」
車椅子に戻った私は、左手で装具と自分の右足の具合を弄った。内側は右足の左側なのでゆとりが簡単に感じられる。だが、右側はかなり難しい。ゆとりを感じようとする前に、指が金具と足の外側の間を入らないのだ。小指一本がスゥーと滑れば装具としては最高だ、と言える。哀しいかな、私は自分の右足にフィット感が伝わらないのである。勿論、足が装具の金具に当たっている事も感じないのである。
 7月はじめの話である。
 早速相談をしたリハビリ病院のPT療法士は、綿密に私と新しい装具を観察してくれた。何度も何度も私は装具を履き替えた。これまで数年間使ってきた古い装具、初めて身に付けた新しい装具、「立って、座って」「歩いて、止まって」を繰り返しやってみせる私の足元を注意深く彼は観察した。私が今現在、最も信頼する療法士は幾度となく、私のフィット度を観察しては、自らの目で装具を上から真っ直ぐ覗き込んでいた。
「ちょっと待ってて下さいね」
彼はリハビリ科の医者の部屋に入って行った。暫くすると、確信を持った風な顔で私の前に戻ってきた。そして、彼は小さなメモ帳に調節の為の説明を細かく書いてくれた。頼りになる療法士だ。
 翌日、マッサージの為のリハビリ・ステーションに出向いた。そこで、私が信頼するもうひとりの療法士が怪訝な顔で、右足の右横の窪みの存在を指摘した。マッサージが終わって古い装具を身に付けると、窪みはほぼ装具の金具近くにはまった。なるほど、先日の新しい装具に締め付けられたせいか? 二日も前の事なのに、そんなに強く押さえつけられていたのか! かわいそうに!
 ところで、新しい整体師は未だ私の障害に慣れていない。彼は善かれ!と思って装具付の靴を履かせてくれようとする。
「いいですよ。遠慮しないで」
― 遠慮じゃないの! 嫌なのよね! あーあ、英語を話す脳外科医が懐かしい! ―
専門語の多い医者も英語になると、懇切丁寧に説明してくれたっけ! 単刀直入に言っちゃおうかな?
「先生、結構です、はいいんです、じゃなくて、困るんです、なんですよ」
「えっ?」
「強引に足を靴に突っ込んで、見た目は何ともなくても、靴の中の足の中身が太鼓橋みたいになってるんですよ」
「ええっ?」
「この前も、車椅子に乗ってるからいいようなものの、家に入ってから、もう、大変だったんですよ、実は」
「そうだったんですか。ゴメンなさい」
這う這うの体で部屋に入った私は大変な思いで装具付の靴を脱がせ、暫くしてから健足の方の革靴を脱いだのである。走った緊張は数時間で消えて、元の痺れに戻ったのだった。この時の回復が以前、車の中で耐えられなくなった時のと違って、僅か数時間の辛抱で済んだのには理由がある。以前のは初めから「ダメ!」だったのを強行に右足を押し込んだからで、今回のはある程度、同意しながら押し込んだからである。ああ、ややこしいアンヨ! でも、ゴメンネ! いつもはっきり説明してあげるからね。

61.筋トレ?マッサージ?EMS?

2006-07-17 05:31:49 | Weblog
 あなたは何派? 筋トレ?マッサージ?それとも電気療法? 私? 私は何でもいい、少しでいいから動けばいい!
 若い頃の部活時代の筋トレという言葉が懐かしい。
 私は硬式テニス部に所属していた。本物でなくとも、練習試合には力が入った。放課後、部室に飛び込んで「今日の練習は筋トレ中心!」と言われると「休めばよかった!」と本音が出た。
 通常の筋トレを続けて疲労がたまってくると、まだトレーニングを続けなくていけないというサインなのに気力が低下して筋肉が動かなくなる。こうなると、意思とは無関係に筋肉を収縮させるEMS、即ち、電気的筋肉刺激で、もう一頑張りさせて筋力強化を期待するというのが現代人という訳だ。「弱い部分を鍛えて、筋肉のバランスをよくして反応を速める」EMSは優れものである。
 学生時代の部活にこんな優れものはなかった。あの時代、普通の人にはEMSなる言葉さえ出会う事はなかった。
 航空会社に勤務していた頃、私は父の紹介で、カイロプラクティクなる療法を定期的に受けていた。脊椎の異常を手による衝撃で整えて、神経機能を回復させる事によって内科疾患の治療を図るのだった。当時、私は疲労と腰痛を訴える多くのスチュワーデスに紹介して、知る人ぞ知る一寸したブームになっていた。大学のラグビー部や野球部のモサばかり対象の毎日が華やかになった、と整体師は喜んでいた。
 今年7月から、診療を受け始めた整体院では私が中途障害者という事から独自の計画を立ててくれる事になった。先ず、最初の内は主に手で皮膚や筋肉をさすったり、揉んだり、叩いたりして刺激を与えて新陳代謝をよくし、機能を回復させて治療を図ろう、というのだ。ゆくゆくは、この通常のマッサージにEMSを併用して効果をあげたい、と説明された。
 整体師の治療は病院のPT療法士に報告しながら、私は気長に、後退することなくお願いするつもりだ。

60.姫金魚草

2006-07-14 06:08:38 | Weblog
 金魚草、地中海沿岸生まれのこの多年草は様々なニックネームが色々な国で付けられている。イングランドではスナップドラゴン、ドイツではライオンの口、フランスでは子牛の鼻、遠く日本に移入されたこのアンテリナム属の花はキンギョソウという名が付いた。確かに風になびくこの花を見ていると「キンギョーェ、キンギョーッ」という小父さんの声が聞こえてくるような気がする。
 スナップドラゴンとは何ぞや? 噛み付く竜とでも言うのか? スナップと言えば、普通はホックの事を指す。スナップ写真なんていう言い方も普及している。だが、スナップを英語で考えると「小枝がポキッと折れる」「ロープがプツンと切れる」「神経等が緊張で急に耐えられなくなる」など碌な時に使われない。そうそう、そう言えば最近では「プッツン!」ってよく使われているね! 
 気を取り直して、友達がくれたキンギョソウに見入る。目の前で真っ赤な小花が揺れる。何とも優雅な揺れは、本来のキンギョソウを小さくしたような実に沢山の可愛い花がまるで金魚が自由に水の中を泳いでいるように思える。厳密に言うと、姫金魚草と言う。この和名で、更に可憐な小花をイメージするだろう。茎は一見、細くて弱そうだが結構強くて、細長い葉も5cm位あって緑色が赤い小花を引立たせている。
 風に揺れながら、茎がしっかり小さな花を支えているのを見ていると、今の私は優雅という言葉の前に忍耐を思い浮かべてしまう。キンギョソウがスナップを連想させて「神経が緊張して耐えられなくなる」自分を「気の持ちよう!」と、勇気付けてくれるような気がする。
 ところが、記憶に残る逸話は残酷な事もあるものである。我が息子が中学生だった頃のホントにあった話だが、ちょっと披露してみようか。
 自然児と定評の湘南ボーイ等の話である。ある日、一人の男の子の家に数人の仲間が集まっていた。海で散々遊んで食事に戻った連中を待っていたのはその家の母と祖母が作った昼食だった。おかずは何と海老のてんぷら! 育ち盛りの連中には勿体無い位、立派な海老が数え切れないほど大皿に載っていた。
「あいつらにも残しておく?」
「いいべえー」
「ちょっと可愛そうな気もするよ」
「メシだけとっといて、やろうぜ」
「そうだな、メシにシラスでいいべえー」
「上出来、上出来!」
そこへ、あいつらが塾から直行してきた。
「アー、腹減った!」
「何? 海老天?」
「何で分かるんだ!」
テーブルの上に海老の尻尾がたった一つ残っていた。ヤバイ!という顔をした子の横でその家の子が言った。
「大丈夫、大丈夫、俺が作ってきてやるよ」
「サンキュウ」
暫くすると彼は小さなテンプラを皿に盛り付けてきた。
「これだけかよ」
「贅沢言うな。シラスもあるよ」
ウメエ、ウメエと二人の少年は平らげた。一人が何気なく聞いた。
「ところで、あの魚何?」
「えっ!」
金魚だった! 赤い金魚は小エビの赤い尾に似てるか!? 二人の少年は庭でゲーゲーやった! 後でハラ痛とか食中毒は聞いていない!
 ゴメンなさい! 可憐なキンギョソウの話のオチがキンギョの哀れな最期では、何ともイヤハヤ!

59.マッサージ

2006-07-11 21:41:24 | Weblog
 定期的なマッサージをお願いしたのは今から2年半前の事である。
毎日、健常な左側を酷使するので、左手、左肩、左足がとっても凝る。右手が全く動かないので、マッサージは当然、自らする事は儘ならぬ、否、不可能なのが私の体である。
「先生、町のマッサージ師にお願いしようかと思うんですが・・・」
「いいんじゃないですか? 凝ってると思いますからね」
「もし、先生の同意書が必要だったら、お願いできますか?」
「勿論、いいですよ」
はじめの数ヶ月は往診療法に来て貰っていた。やがて、そのリハビリステーションが通所サービスを始める事になって私も通う事になった。公民間に約束事があって、通所サービスでは凡そ4時間も拘束される。時間貧乏の私には一寸した試練だった。後遺症の痺れが極端に強い私は結果的には様々なサービスを遠慮した。新しい処置を施して貰う度に私は脳外科の担当医と整形外科の療法士に相談しながら、マッサージを続けてきた。
 「不快ならやらなければいい」「それは我慢してでもやって貰った方がいい」「それはやらない方がいい」「やってもやらなくてもいい」といった具合に、結構、明確に指示してくれる先生が頼りになった。私は自分が気持ちいい、と感じるマッサージと「我慢しても」というマッサージだけを受ける事にした。すると、4時間の拘束時間の中、私の必要時間がたった30分だという事が明らかになった。数ヶ月間、色々な処置を受けて、分かった事である。ホラホラ、私の時間貧乏虫が動き出したゾ! 我慢した。30分の為に残り?の3時間半の時間を私なりに有意義に過ごしたいと始終考えた。
 結論が出た時は既に「遅かりし由良の助!」だった。私は通所サービスから往療サービスに戻して欲しいと願い出たが、人手不足が大きな理由で暫くは無理というのが答だった。双方の処置時間がうまく合わないのである。私は必死になって代替マッサージ師を探した。時間は掛かった。でも、見つかった!
 新しいマッサージが私に合うかどうかが第一の問題だ。テストはパス! 次はマッサージ師と私の相性の問題がある。これも高得点でパス! 新しいマッサージ師は説明しながら、療法を施してくれた。彼は私の症状をよく理解してくれそうだ。私の得意な第六感が働き出した。
 私は決めた。マッサージ所を変更する事を。これまでのマッサージ師達に心からお礼を言って、サヨナラしよう!
私は30数年前、自ら転職した時の事を思い出していた。『立つ鳥跡を濁さず』がとても大事である。
 そして、子供も私も大好きだった小学校の若い(当時!)教師を思い出した。息子が初めて出会ったその男性教師は担任交代に際してこう明言した。
「いつも先生を君達の土台にするように。いつまでも僕から離れまいとはしないように。僕から巣立って、僕を踏み台にして大きく成長して次の踏み台を踏み外さない事です」
息子は高が8歳の子供だった。30歳近くになった息子が言う、一番印象に残っている教師はあの時の男性担任だ、と。
 私も若い頃から、たくさんの『人間踏み台』に乗っては降り、を続けてきた。一方、私自身が多くの人の踏み台にもなってきた。そして、久しぶりに私の目の前に二つの踏み台が並んだのである。私は躊躇せず、新しい踏み台に乗る用意をし始めた。これまでの踏み台を私の後に控える人達に上手に譲り、目の前のこれからの踏み台に・・・私は乗っかった!宜しく!

58.脳のたんぱく質

2006-07-07 23:12:51 | Weblog
 今日は七夕、もとはと言えば中国から伝わった伝説だが、今や細長い日本あちらこちらで夏到来を知らせる年中行事である。古く万葉の時代から、どうも日本人は夏の夜空に牽牛星と織女星を探しては年に一度の逢瀬を眺めるロマンティストらしい。
『彦星の 妻よぶ舟の 引綱の 絶えむと君を わが思はなくに』
彦星が妻の名を呼び、叫んでいる。引く牛車は牛の歩みがもどかしくて、手綱は切れそうになっている。私もそのようにあなたの事を想っている。何と素敵な和歌だろう。
 折角だから、私も今夜ぐらいは梅雨の合間を縫って夜空を仰いで感傷に耽ってみたい!無理だ? そんな事はない! やっぱりダメか! 私の目はやっぱり、夜空ではなく、新聞の活字を追っている! 見つけた! 逢引の二つの星? いいえ、「脳のジャンクトフィリン」! 何それ?
 夕刊の記事に、「脳の神経細胞内のたんぱく質ジャンクトフィリンを壊すと物忘れが激しくなる」とあった。高齢者にとっては聞き捨てならない記事だ。
 脳内の神経細胞が活動する際、情報を伝達する電気信号が流れて電位が跳ね上がった後、一気に下がって休息する状態(AHP)に注目していた研究チームはジャンクトフィリンというたんぱく質を欠損させたマウスと正常なマウスで記憶力を調査していた。そして、上手く記憶するには休息が必要だ、という結論に達した。記憶活動に深く関与している脳の「海馬(かいば)」と呼ばれる部位の神経細胞で、活動後に休止する状態がなければ、記憶が保持できないメカニズムを突き止めたのだ。マウスの海馬の神経細胞では、記憶活動時に細胞内のカルシウムによる連絡で、電位上昇後いったんAHPを経て、次の記憶活動に備えることを明らかにした。研究チームの竹島教授(京大)は「海馬の神経細胞では、休まないとカルシウムが供給過多になり、刺激の繰り返しで疲れてしまうようだ」としている。
 それでは私は、人間の体に不可欠な栄養素であるたんぱく質に、私らしく触れてみようと思う。
 人間の、皮膚、骨、筋肉、毛髪、血液、更に、酵素、ペプチドホルモン、神経伝達物質等など、色々たんぱく質からは作られる。こんなに大切なたんぱく質だが、凡そ20種類のアミノ酸から作られても、その内の9種類は人間の体内で作る事が出来ないのである。
 ・・・と、いう事は、食べ物から摂取しなければならいという訳である。
 では、多く含まれる食材から、私が最も好んで食する物を書き出してみようか!
ア行では、アナゴ、イワシ、ウナギ、枝豆、お味(アレッ?)違う!アジ、参ったな!鯵・・・
カ行では、カニ、牛肉、黒豆、鶏卵、子持ちカレイ・・・
サ行では、酒もとい鮭、秋刀魚、蕎麦・・・
タ行では、鯛、鱈、チーズ、豆腐、鶏肉・・・
ナ行では、何たって、納豆!
ハ行では、ハハハ、ハトムギ茶、ヒラメ、ブリ、ほたて貝、豚肉・・・
マ行では、鮪に味噌もたんぱく質がいっぱい!
ヤ行では、ヨーグルト
ラ行では、レバーにたんぱく質がいっぱい詰っていそう!
ワーイ、ント(うんと=どっさり)せっせと、いっぱい、たんぱく質を取ろうっと!
 ちょっと苦しい書き出しだったけど・・・ 
 とにかく、ジャンクトフィリンが無くなると、神経細胞のつなぎ目で情報伝達物質の受け皿になる受容体と連携している別のたんぱく質が、細胞内器官の小胞体に引っ張られて受容体から分離してしまって、情報伝達がうまく出来なくなるんだって!
 今日の夜空は暗闇に雲は見えても、星は難しかったみたい! 何と、苦しい言い訳だろうか! でも、私は、心の中の短冊に「1秒でもいいから、痺れに休息をあげて!」と願い事を忘れない欲張り屋である。

57.カンパネラ

2006-07-01 08:01:06 | Weblog
 若い頃から、長い間ショパンに魅せられてきた私は自称バイエル卒業者を名乗るピアノ曲愛好家である。初めて自分の小遣いをはたいて買ったレコードがカーメンキャバレロのピアノ曲、海外で初めて異性の友達がくれたのがリストのコレクション、その上、狭い我が家にはグランドピアノが窮屈そうに置かれている。そんなピアノ演奏には格好の環境だったのに私は辛うじて、ピアノのバイエル修業者を名乗る不届き者だ。
 だが、この不届き者にも自らの慰めがある。二つの内のひとつは「リストを弾く為に生まれてきた」と言われるピアニスト、フジ子・へミング、もうひとつは、またまた出ました!私特有の病魔との出遭い、である。
 フジ子・へミングは偶さか私の高等部では一回り近い先輩で、彼女の名前を聞くと「ラ・カンパネラ」の演奏が頭を横切る。彼女のリスト作品集は今、私のベッド・タイム・ミュージックの仲間のひとつでもある。
 もうひとつの慰めは、自らの病魔との遭遇である。この怪しい病魔は中々正体が掴めないのだが、時折、私に独特な安堵感を与えてくれる。先ず、「ひま」という言葉である。文字通り「貧乏暇なし」で、更にこれまでの私の貧乏は「時間貧乏」だった。「ひま」という言葉には暇と閑というふたつの漢字が使われる。
『一歳(ひととせ)に 二度(再び)も来ぬ春なれば 暇無く(いとなく)今日は花をこそ見れ』
以前の私なら、こんな素敵な詩はついぞ思い浮かばなかった筈だ。「いと」は休みの事である。閑もやはり「ひま」なのだが、こちらは何となく落ち着いてのどか(長閑)な様子が頭に浮かぶ。閑雲と言えば、ゆったり空に浮かぶ雲の事だし、更に閑雲野鶴(かんうんやかく)なんて事も言う。野原に遊ぶ鶴を大空に浮かべて、なんの束縛も受けずに伸び伸びと暮らす境遇、言わば、俗世間を離れた悠々自適の生活を例える言い回しである。私は病魔に出遭った事で、閑雲野鶴の世界に時折、身を置く自分が羨ましく思える事がある。
 きっかけは、障害者仲間の友人の存在である。彼女は先日も私に野に咲く花をくれた。その名は「カンパネラ」キキョウ科の花である。つい最近まで紫の花のイメージが強かったカンパネラはベルのような釣鐘の形から、ベルフラワーとか釣鐘草と呼ばれる。私が貰ったカンパネラはブルーに近い薄紫色で風が吹いて茎が揺れると爽やかなベルの音が聞こえてくるような気がする。
 フジ子・へミングのラ・カンパネラは真紫の花の力強さがイメージ強く、今、私を閑雲野鶴の世界に誘うカンパネラ・パルパタは薄紫の花の清々しさが、汗ばむ季節に自然とホッとする気持ちにさせる。
 野の花を貰う日は、私の車椅子は花車になり、私の「ひま」は「花」と言葉の戯れを愉しむ時になるのである。