雨雲が空いっぱいに広がっているにも拘わらず、私は運を天に任せてリハビリに出かけた。何としても私が信頼する療法士に会いたかったからだ。
出かける予定が参議院選挙の投票場だけだった週末に、私は新しいプラスチック製短下肢装具を付けて家の中を歩く約束が療法士との間にあった。いつも私が使用している装具は革靴に金属製支柱付き短下肢装具だが、これにすっかり慣れている私に最近、療法士が勧めてくれた装具がプラスチック製の軽いものである。
軽いのだが、これを履くと痺れが倍増する。酷い痛みも伴う。ところが、実用歩行訓練と活動向上訓練を行うと言うので、リハビリの度に履いてみたが一向に慣れない。歩行練習中にも痺痛は容赦なく倍増し、顔右半分はサロメチールを思いっきり塗りたくった様にヒンヤリ、スースー、目を開けていられないようになる。革靴付の装具より遥かに軽いのに、どうしてそんなに私を苦しめるのか! 療法士曰く、従来の金属製支柱付き短下肢装具は私が持っている3足全てが内反する右足の為に十分以上の優しい角度が付けられているというのである。なるほど、並べて後ろから見ると、その違いは私にもよく分かる。革靴付きを並べてみたら、どれも少々内側になびいていて同じ位の角度があるが、プラスチック製は確かに幾分直立していて、そのふたつの角度の差はほんの僅かなものである。
あれくらい程度の角度の差が、これほどの痺痛と内反を生じるのか! 信じられない!
「約束通り、週末はずっと家でプラスチック製の短下肢装具を付けて歩いていましたよ」
いつものように私の右半身にストレッチを施す療法士は、いつものように苦笑いした。
「不思議な事に痺れも痛みも信じがたいものなのに、歩行は結構いい調子なんですよね!」
療法士の反応は私が予期したものだった。
「いいですよ。疲れもいつもより表面化しないし、続ける価値はありますね!」
「辛くてもね! 続ける価値ね! 続けるのは私だからね!」
革靴付き金属製支柱付き短下肢装具のお陰で、しっかりした歩行と醜くぐにゃりとはならない内反は当然の結果なのだ、と療法士は言っていた。でも、それは僅かにバランスが正しく保たれてはいないのだ、と療法士は言っていた。唯、長い間、それを履いていたので、恐らく、比較的綺麗な歩行が保たれてきていて、恐らくそれは私の体が忘れないだろうと、療法士は言ったのである。そして、プラスチック短下肢装具を使用して今度は正しい姿勢での歩行を目指そうという事になったのである。
今日、私がマイミクシィの日記に綴った文が私の脳裏をかすめた。著名な人物をある外国誌が評した言葉である。
― 自らに対する疑いを克服し、殆ど見込みのない中で目標をやり遂げようとしており、多くの人がその未開発の潜在能力の高さを証明している ―
リハビリの度に海馬を頻繁に出入させたいほどで、さすがに素晴らしい言葉である。
出かける予定が参議院選挙の投票場だけだった週末に、私は新しいプラスチック製短下肢装具を付けて家の中を歩く約束が療法士との間にあった。いつも私が使用している装具は革靴に金属製支柱付き短下肢装具だが、これにすっかり慣れている私に最近、療法士が勧めてくれた装具がプラスチック製の軽いものである。
軽いのだが、これを履くと痺れが倍増する。酷い痛みも伴う。ところが、実用歩行訓練と活動向上訓練を行うと言うので、リハビリの度に履いてみたが一向に慣れない。歩行練習中にも痺痛は容赦なく倍増し、顔右半分はサロメチールを思いっきり塗りたくった様にヒンヤリ、スースー、目を開けていられないようになる。革靴付の装具より遥かに軽いのに、どうしてそんなに私を苦しめるのか! 療法士曰く、従来の金属製支柱付き短下肢装具は私が持っている3足全てが内反する右足の為に十分以上の優しい角度が付けられているというのである。なるほど、並べて後ろから見ると、その違いは私にもよく分かる。革靴付きを並べてみたら、どれも少々内側になびいていて同じ位の角度があるが、プラスチック製は確かに幾分直立していて、そのふたつの角度の差はほんの僅かなものである。
あれくらい程度の角度の差が、これほどの痺痛と内反を生じるのか! 信じられない!
「約束通り、週末はずっと家でプラスチック製の短下肢装具を付けて歩いていましたよ」
いつものように私の右半身にストレッチを施す療法士は、いつものように苦笑いした。
「不思議な事に痺れも痛みも信じがたいものなのに、歩行は結構いい調子なんですよね!」
療法士の反応は私が予期したものだった。
「いいですよ。疲れもいつもより表面化しないし、続ける価値はありますね!」
「辛くてもね! 続ける価値ね! 続けるのは私だからね!」
革靴付き金属製支柱付き短下肢装具のお陰で、しっかりした歩行と醜くぐにゃりとはならない内反は当然の結果なのだ、と療法士は言っていた。でも、それは僅かにバランスが正しく保たれてはいないのだ、と療法士は言っていた。唯、長い間、それを履いていたので、恐らく、比較的綺麗な歩行が保たれてきていて、恐らくそれは私の体が忘れないだろうと、療法士は言ったのである。そして、プラスチック短下肢装具を使用して今度は正しい姿勢での歩行を目指そうという事になったのである。
今日、私がマイミクシィの日記に綴った文が私の脳裏をかすめた。著名な人物をある外国誌が評した言葉である。
― 自らに対する疑いを克服し、殆ど見込みのない中で目標をやり遂げようとしており、多くの人がその未開発の潜在能力の高さを証明している ―
リハビリの度に海馬を頻繁に出入させたいほどで、さすがに素晴らしい言葉である。