脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

249.ブログ

2008-03-08 08:39:23 | Weblog
 昨年11月には日本人の10人に一人がブログを持っているという発表があった。
 私が初めてブログなるものに出会ったのは2005年7月だったのだから、私はよくよく新し物好きという事になる。何故なら、Googleウェブログがスタートしたのが前の年の11月だったのだから・・・ Googleとはそもそもインターネットの検索エンジンの一つだと知った時、私が即思い出したのは、あの水泳で着用するgoggle ゴーグルだった。チョッとスペルがスクラブルして正しく並べられていないし、何かチョッと変な気がする綴りだが、その英語が「目を見張る」とか「ギョロつく」という意味で、次いでgooglyという単語を頭に浮かべると、私は英国で人気のあるあのクリケット競技での投球を思い出してしまったのである。それはバウンドした後で予想外の方向に跳ねる投球の事だからなあ・・・!? 
 とにかくGoogleというエンジンを運営する企業を発足したのが米スタンフォード大学の大学院生だったのだから、と思うと私の頭の中ではさもありなんという事になる。企業発足が1998年9月でGoogle Blog誕生が2004年11月だというのだから結構な早業である。それよりも私という障害者誕生から僅か5年足らずでそのブログに目をつけたのだから・・・我ながら「恐るべし熟年障害者!」と言いたくなる。そう、またまた自画自賛が始まるのである。私は自らを時にはインターナショナルという片仮名に嵌め込もうとする事があるが、よく考えると典型的な日本人気質の人間なのかも知れない、と思ってしまう。
 新し物好きで、すぐに自ら嵌り込んで、ハイパーグラフィアをいい事に自分の考えをブログを介して外に吐き出す。そんな人間である事は重々承知している。
ブログと言えば、日々更新される日記のようなものである。
 古典日記を考えると、蜻蛉日記、王朝日記、更級日記、和泉式部日記、土佐日記 そして紫式部日記などが私の頭の中には連なり、更に文豪の漱石日記を思い出す。
 最近話題になった日記に「小学生日記」があり、確か直木賞を受賞している。ローティーンの日記で感動し、かなりの影響を受けたのが「アンネの日記」である。世界各地でセンセーショナルな話題を次から次へと振り撒いて、各国で翻訳された少女の日記を私はやっと日本語、英語まで辿り着いたが、残念ながら原語には・・・
 ヒットラー、ナチス、ユダヤと順次多くのカタカナが私の中にも入って来た。その当時、いや少し前に初めて友達になった青い眼の女の子はユダヤ系だった。盛年期に入って間もなく、憔悴しきった私を救ったのは一周りも年上の女性で、彼女は危機一髪脱出して渡豪したユダヤ系ハンガリー人である。共に、あの「千の風になって」の裏話に共通する欧州の人達である。
 アンネの日記はベストセラーになり、映画化され、舞台でも何度も上演された。昭和の戦後の女性にとってはアンネという言葉は女の必需品の名称にもなっていた。
 昭和も遠くなりにけり・・・だが、戦前の事実が今世紀に入り「千の風になって」地球を吹きまくっている。そして今、日本では2005年7月に発行された「小学生日記」がブログに拍車を掛けているような気がする。中高年の為の趣味交流サイトも盛んだが、趣味人クラブ嵩じて次代を担う子供達への伝承、つまり良き風習、お行儀、言葉使いなどを自然に広めていって貰えば一石二鳥になるのではないだろうか、と思うのは私だけだろうか。
 お年寄りも未だ未だ必要とされている内が花だと自ら悟って貰えば、40、50は鼻垂れ小僧が数字を変えて60、70は鼻垂れ・・・と言われるようになるのも間近のような気がする。
 昨日もある高齢者から「百歳の現役歩け歩け人間」の話を聞いた。そのお婆ちゃんは一人で出歩き、それが散歩とも言えず散策とも言えず、何かしらの目的を持って出歩くのが好きなんだそうだ。お婆ちゃんの「困ったところ」は何と「買い物好き」だという。いいじゃないか、結構じゃないか、お婆ちゃんは箪笥貯金を持たず、日本経済に貢献している訳である。
 ブログを介して高齢者趣味人倶楽部なるものが社会的好影響を齎してくれる事を祈る私もまた紛れもなく高齢者の端くれである。

248.若者からの大感激の手紙

2008-03-05 17:08:01 | Weblog
手話交流会代表のSさんから突然手紙を戴いた。
思えば、Sさんとの初顔合わせは2006年暮の第一土曜日だった。手話交流会「ボヌール」の代表を務めるSさんは素敵な熟年女性。彼女は左に視覚障害者の青年を、そして更にその左には聴覚障害者の若い女性が手を繋いで登場した。ボヌールBonheirの目的は視聴覚障害者や知的障害者と共に手話を使って心の交流をモットーに、手話で歌い、ステップを踏み、ダンスをしながら障害者の人達への協力と理解を深めるのだと語った。手話は日米手話、触手話、更に触ローマ字を使うという事だった。
聴覚障害を持つ人が手話を操るのは分かる。だが、視覚障害の若者が独特なスタイルで手話を道具にする姿にはビックリした記憶が私には鮮やかに残っているが、何とその若者から手紙が届いたのである。Sさんが差出人だったが、封筒の中にはもうひとつ封書が入っていた。送り主はあの若者だった。これにはビックリ! 
初めて会ったあの日、私は彼に遠慮せずに聞いた。
「どうやって手話が分かるの?」
私の質問に彼は笑って答えてくれた。先ず、50音の決められた形を覚える。特に「あいうえお」は真っ先に覚えるのだそうだ。指の感覚は自分には分かるので形をやってみせる。返事は当然、声で分かるが敢えて手話でやって貰って胸に押し付けて貰う。なるほど、触手話である。勿論、50音が分かっていれば、掌に指で書いて貰う事も可能になるだろう。
今回手紙を開いた私は、もし若者が傍にいたら、きっと「どうやって?」と聞いただろう。
だって、手紙には鉛筆でこう書いてあったのだから。
「ご著書を読・・・それぞれの犬に対する・・・あふれて・・・とくにドックに対する深い想いを感じました。阪田さんの目の前で自ら死を知り、お別れをするばめんには強く心を打たれました。(~省略~)まだまだ寒い時節がらどうかご自愛ください」
・・・の部分は鉛筆の色がなく、うっすらと字の傷がついているのだが、彼が私に伝えたい事は十分に理解できた。
私は胸が熱くなり、何度も何度も紙を捲った。
アメリカ生まれの若者は3歳まで英語の社会にいたのに英語が苦手だと笑っていたっけ!優秀!優秀!これだけ丁寧な日本語が書けて、あの時知ったけどあれだけ話せれば、最高よ!
私が知る有識人の御子息もアメリカ生まれで日本育ちだが、車椅子で動き回っているらしい。アメリカという大陸がノーマライゼーションを彼らに自然と吹き込むのかしらん!実に素晴しい!
かのJFK大統領が尊敬したと言われる日本人が唱えた言葉「成せば成る、成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり」だが、これはしっかりと逆輸入したいフレーズである。

247.MRI

2008-03-02 09:20:22 | Weblog
うるう年談義をミクシィ上でやった。
うるう年を漢字で書くと閏年、英語だと平年common yearに対してleap yearと言う。 leapは飛び跳ねるという意味でjumpにも似ている。「一足飛びに」なんかはwith a leapと言ったりして、leapには「飛躍」という意味がある。
日本では、閏から潤を連想して「潤い」を当て字にして平仮名で「うるう年」にしたのかしらね~
因みに、漢字の本家本元の中国では「王が門の中に居る」という事で「暦からはみ出した月には政務を執らない」という事なんだって!
損なのか得なのか? と思っちゃうけど、やっぱり得なのかなあ!
休息を取って、気持ちが潤って、今年は特に29日は金曜日でTGIF(Thank God It's Friday)!とくれば、やっぱり得でしょう!!!
私らしく書き綴ると、すぐにコメントが入って来た。殆どの人が「得だ!」と思っているらしい。という事はマイミクシィの仲間は夫々が幸せに毎日を過ごしていると解釈できる。年を重ねる事に迷いがあると、不幸に繋がるのではないかと考えるからである。
何の迷いも寄せ付けまいとプラス思考をよしとする私は一抹の不安も抱かず「私に限って!」と、その得した2月29日にMRIを受ける事にした。

数週間前の金曜日、偶々主治医が休みでこの日は他の大学病院から来ていた女医さんが診察してくれた。何度か院内では見かけた事があって会話を交わした事はあったが、診察を実際に受けた事はなかった。
「ああ、やっと会えたわ!」
何を意味するかは時間が経つに連れて分かってきた。
「そろそろMRIを又撮って貰ったらいいかしら?」
私は何気なく聞いてみた。私は時々主治医ではない医師に診て貰っているが、彼女は初めてだった。夫々違う説明があるが、異口同音宜しく結論がほぼ同じだととても安心する。
結構美人系の女医さんとはつい数週間ほど前に会ったばかりだが、人間とは初対面で相性がいいか悪いかは分かるものである。私の答えはYESと出た。
そして、今日MRIを撮り終わって、説明にきた例の女医さんから感じた事はどうも彼女もYESと出ていたようだ、という事だった。有り難い! あれから女医さんは「マイ・ラブ、マイ・ドック」を読んでくれたらしい。
「あなたが好むような説明の仕方をしますね」
私が好む説明はYES/NOを明確に、曖昧な日本語はひたすら避けて、という事である。彼女は笑みを浮かべながら、説明を始めた。
「結論から言いますと、救急病院で処置して貰って、出血で破けた血管は自然に繕いが施されたのはこの画像から見えますよね」
「はい、見えます」
「あれから何の変化もありませんね」
「好いも悪いもですか?」
「イエイエ、取り合えず悪い変化は見られませんよ」
「好い変化は・・・感覚が戻ってきているという事実ですね」
「それは痛みを感じるようになってきているからですか?」
「そうです。歓迎したくないでしょうが・・・」
「そうですよ。医者は患者の痛みより感覚蘇りを歓迎するという訳ですか?」
「まあね!」
「本人は痛みを感じなければ鈍感を大歓迎しちゃうのに・・・」
「大がついちゃうんだ! あなたらしい!」
「とにかく痛みを感じる私の本体には既に痺れが蔓延っているって訳ですね」
「そう、うまい事を言う。その通りです。痺れという置き土産は捨てようにも強力接着剤で体内に張り付いちゃったのね」
なるほど、強力ボンド以上の接着剤は漆という接着剤だったのかも知れないぞ~っ! 内心の思いはチョッとお預けにする事にした。私に結構興味を持ってくれた女医さんは「何、何? どういう意味?」と聞いてきて次の患者さんに悪いから・・・ それでも感のいい女医さんは「何、何考えてるの?」ときた。私はすかさず「先生、今日の事、マイブログに書き込むから読んで下さいね」と言った。
「ああ、あの『脳のミステリー』ね。あれは面白いわ!」
「ありがとう」
私のハイパーグラフィアをけし掛けて「脳のミステリー」を書き綴る事を進めて下さった熟年脳外科医からこの病院に診察に来る医師達の間でマイブログは密かに広まっていたのである。
帰り掛けに女医さんは「常用している薬もそのままでいいし、血圧も安定しているし・・・安心して!」と言って、患者である私から「ありがとうございました!」という言葉を貰って笑った。
狭い診察室で電動車椅子をスピンさせてクルッと一回転すると「巧いもんだわ!」と女医さんは再び笑った。

MRIは磁場と電波とコンピュータで画像を作るのだが、実際のMRI装置と体の内部では何が起きているか? 実際の検査の流れにそって御紹介してみるから、興味があったら読んで下さいね!
①先ず、自然状態では体内の水素原子核は夫々バラバラな方向を向いている。
その際、MRI装置からは大きな磁場が発生している。
MRI装置の架台に自分の頭部が入る。
MRI装置の架台の内部には強くて均一な静磁場が常時発生している。
エレキバンの強さは1000ガウス前後だが、MRIではその10倍前後の10000ガウス近辺の非常に強い静磁場が発生している。
②次に、そこに強力な静磁場を与えると、水素原子核は一斉に一方向に向く。
そこを撮影(スキャン)をする。
MRIでは体内にある水素原子核から発生するごく弱い電波を受信して画像化する。
見たい部分に電波のアンテナ(受信コイルやRFコイル)を装着してから検査を始める。
撮影が始まると装置からコンコンという音がする。
この音は、必要な断層像を得る為に加えられる微弱な傾斜磁場によるもので、撮影中ずっと鳴り続けている。
③次に、電波(RFパルス)を当てると水素原子核は一斉にある特定の方向を向く。
これを磁気共鳴現象という。
④電波を切ると水素原子核は②の状態に戻る。
この時の水素原子核の戻り方の緩急によって、疾患の状態がわかるという事である。
⑤最後に画像を作る処理という事になる。
体内からの電波信号は、コンピュータによってデジタル画像に再構成される。
この時、病気の部分と正常の部分の水素原子核のふるまいの違いをコンピュータが画像の白黒として認識する訳である。

このMRI画像を前にして女医さんと私の会話があったという訳である。私は実に有意義に得したうるう年の2月最終日を過ごしたものである。