脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

54.取りって? 

2005-12-30 06:00:08 | Weblog
 年末になるとよく聞く言葉に「取り」というのがある。寄席で最後に出演する最も技芸が優れた人を真打というが、取りは呼びものとする言葉である。未来は自らの還暦酉年の大取りに長年敬愛してきたコートニーに出場して貰えた事にかえって感謝している。母親グエンに姿気質がそっくりなコートニーもまた未来のこれまでの人生に欠く事が出来ない存在だった。当時大学の講師だったコートニー、彼の存在は大きくて彼無くして未来の留学の実現はなかったと言っても過言ではない。否、実現までにもっと時間がかかった筈だ。また、グエン亡き後、マエ・アナ・パング博士の紹介に大きな役割を果たしたのはコートニーだった。そして博士との仕事はいまだに続いているのである。新年には元気なコートニーの再登場を未来は期待していたのだが・・・
 常々、未来は自分の人生の折り返し地点を還暦とみなし、その倍も現役で生きていきたいものだ、と想ってきた。55歳で大きな誤算に気付いた時は「遅かりし由良の助」と悔やんだが、気丈な未来は精神的な快復を素早く見せた訳である。
 軽い症状の人は当然、同じ様な状態の人も、また重い症状の人もプラス志向の未来の話を聴いて貰いたいものだ。きっと何かしらの役に立つだろうと思っている。学生に英語指導をしていた頃、未来は口癖のように言ったものだ。
「もう、既に習ったもん、知ってるもんは禁物! 知らない事は山とあるんだから・・・学校の授業で自分は遥か前に教えて貰った、極めたと思っても黙って復習授業を受けてごらん。必ずといってよいほど何かしら未知の事柄に出会うから。勉強の内容だけではなく知識としての新しい事柄を言っているの。それが知識として埋蔵されて人間形成に大きな貢献を果たすわけ。一時間の授業でそれが例え数分の他愛無い話でも、聴く耳持たずでは有識人間にはなれず無知というレッテルを自分で貼ってしまう事になる」
高校生は勿論、中学生はたまた小学生でもこんな未来の口癖はよく理解してくれたものである。

「来年、戌年は日記式にブログを利用してみよう」
一年の計は元旦にあり、と言うが未来は「大晦日にあり」とばかり来年のカレンダーを前に決意を新たにする。
 未来は典型的な脳卒中後遺症保持者として未だ未だやる事がいっぱいあって、たくさんの人に必要とされている、と自覚している。多方面から様々な質問が入ってくるのである。
 未来自身はどうしてシューホーンでなくウォーカーケインを装着するのかとしばしば聞かれる。同時に何故、外出にいつも車椅子を使用するのかとも聞かれる。無論、未来らしい理由がある。先ずは現時点で自ら出したこのウォーカーケインと電動車椅子という結論から未来は始めるつもりである。
 今年も素敵な出逢いがいっぱいあった。その最高は音楽セラピーの仲間である。指導者がとっても魅力ある女性で彼女との出逢いは今年還暦を祝った未来にはとても意味あるものであった。彼女のお蔭で未来は様々な発見を自分の中に見ては嬉しがっている。

 クリスマスの頃から、洒落じゃなくクルシミマスで寝ている状態から起き上がる時に右脇腹から右腰にかけて激痛を感じ始めてここ最近、未来は実はちょっとブルーになる事がある。何たる事か。感覚が甦るという事はこんなに辛い事だったのか。
 ぎっくり腰の痛みにそっくりだが、痛覚が鈍感になっていると痛みは全くなかったという訳か。ならば、必ずしも回復が喜ばしい訳ではないと言える。次の行動に移る時、異常な痛みを感じるのだがそこが痺れを感じ、まさにそこが半身不随を宣告された場所の一部だと非常に手こずる事になる。解消法は座ったまま、上半身を右左にねじるとよい。かなり楽になる。すぐによくなる訳ではないから、このねじり療法を暇さえあればすればいいらしい。妙な事を自慢する訳ではないが、未来はかつて70年代のディスコで踊り狂ったゴーゴーは得意中の得意だった。あの頃腰を捻り、リズムに乗るツイストなんていうのも人気があった。留学時代のメルボルンの繁華街に始まって、帰国後の大使館、航空会社時代に亘って未来は仲間と赤坂、六本木で踊りまくっていたものである。正に悔いなき若き時代の想い出である。
 さようなら、酉年! 12年後にまた会いましょう! 72歳の初老の未来、素敵に歳を重ねて行けるかしら! 自ら多いに期待しよう! 来年は戌年、最高の介助犬を演じたドックちゃんが指南役を務めてくれる筈だから、きっとよい年になるだろう。波乱万丈、大いに結構、生きている証拠だから。「来年も始めよければ終わりよし」の一年になる事を期待して酉年のブログを閉じる事にする。 
 A very happy new year to you all !

53.ウォーカーケイン 

2005-12-28 06:48:58 | Weblog
 ベッドに戻って、着替えに移ると小一時間を覚悟して先ず、足の方から取り掛かる。安定した左足に靴下を履かせる。ちょっとした時間が掛かるのは仕方のないことで時間の長短は運不運としか言いようがない。困ったさんの右足を左手で持ち上げると次は必死になって左膝の上に載せて靴下を履かせようとするが言う事を聞かない。乗っかってしまえばまな板の鯉状態になるのがやんちゃな右足である。膝上に足を載せる動作は右足の方が従順で左足の難儀は嘘のようである。健足の方を動かない膝に載せるのは一苦労するのだ。右足が思いっきり突っ張って、載せようにも二本の足が夫々に空中遊泳してしまう。左足を上に右足を下にの闘いは勝利が始めから判っている筈なのに毎回始まるのだ。健足の方は意思に沿って動いてくれるのだが、軸にならなければならない肝心な右足が全く言うことを聞かない。ただ、左足が靴を履くという動作に関して右膝は不可欠ではない。いくらでも他の方法がある。例え片手でも、左足をベッドの縁に載せて、左手に持った靴下を左足に履かせるのは器用不器用に拘わらず、然程難しいことではない。
 説明を試みる未来自身が混乱するのだから、聞いている方がこんがらがるのは当たり前だ。二本の足を夫々動かすのは比較的楽だが、同時進行が難しいという訳である。子供が一人だと言う事を聞く良い子だが、二人になると駄々っ子になるというのと同じだと考えればどうだろう。互いに夫々の主張が強くあって、中々譲らないという事である。同じ土俵の上では健足と無感覚で痺れの強い足が平行に並んでしまってノーマライゼーションを押し出してくるという事である。結果はいつも駄々っ子が観念して健足に従うという事で決着がつくが、判定に勝負を任せるという事になる訳である。
この動作の最中はずっと右上腕はしゃっちょこばっていて右肩の後方にいこうとする。こんな時、痺れは急速に強まり、腕は上へ後へと是が非でも強引に進もうとする。人間なら誰しもが持っている筈の羞恥心が働けば、決して他人様に見せられるような格好ではない。靴下を持つ左手がやっとのことで右足を捕まえたかと思うと靴下を落としてしまい、最初からやり直しということになる。気を取り直して靴下と右足のドッキングを再度試すが、今度は足の爪先が頑として靴下を受け容れない。酷い時はこんなことを何度も繰り返す。数回トライして成功した時には疲労困憊なんてこともある。勿論、一度で成功なんてこともよくある。                                              さて、ズボンを履くという動作は意外と簡単だが、上着がこれまた問題でTシャツ、トレーナー、セーターの類を好む未来にとって首を潜らせるのに一苦労する。首を通過すれば両腕を通すのにそれほど時間はかからない。衣類を身に付けるにあたって療法士や介護人は不自由な方からやりなさいと言うが、未来は簡単には頷けない。この方法は手を貸す方には良い着せ方かもしれないが、本人が一人で衣類の脱着を試みる時は健側をしっかりとある程度固定させない限り無理という訳だ。早くて十五分、ともすれば一時間以上かかってしまうこともしばしばある。
 さあ、今度はプラスティックのシューホーンでなく革靴付きのウォーカーケインを履かせるのだが、目覚めてすぐというわけではなくこれだけ長い時間、体を動かした後は案外、右足も素直に言うことを聞くものである。普段着とはいえ洋服もきちんと着たし、安心して動ける靴装具も身に付けたし、というところで未来の一日が始まる。当然の事だが、夜、衣類を脱いでパジャマに着替える時にはビデオを蒔き戻す状態で自分の体と改めて格闘する事になる。そうかといって寝間着起き間着の生活は断じて拒否する。
 現状維持はおろか当然、進歩を期待出来ないからこの朝の格闘は続けなければならない。幸い、半身不随を宣告された未来の前からは後退という言葉が隠れ、生きている以上死ぬまで進歩とか前進という言葉を無視したくないという気持ちが強くなってきたのである。 いよいよ今年も終盤に入ったマイブログに期待!

52.シューホーン 

2005-12-27 03:48:00 | Weblog
クリスマス当日に愛犬を見送る事が出来た未来は幸せ者だと言えよう。そして犬生最後の務めに主人の介護犬として全うした愛犬は実にあっぱれとしか言い様がない。気を取り直して脳のミステリーに戻る事にする。

 白々と夜が明けて更に自らの目が慣れてきたせいか身の回りの物が見え始める。鍔空画伯の水墨画の中の五風十雨の文字にいつものように挨拶をする未来はベッドに腰掛けたままで自分の両足をじっと見詰める。次の瞬間、左足はいつものように部屋履きを探る。自ら部屋履きを履いた左足に続いて未来は左手で右のシューホーン(プラスティック製装具)を掴む。ゆっくり右足を上に挙げ、更に左の膝の上に載せようとする。中々右足が左の膝に届かない。気の短い未来はカッカッしてくる。装具を床に置き、左手で右の腿を持ち上げる。右足は観念したかのように急におとなしくなる。意思を持たない右足はこんな時は突然、信じ難いほど従順になって左の膝に乗っかってくれる。さあ、お次は、左足の横に置かれた装具を掴むのがまた一仕事で、未来は一苦労するのである。右半身には感情がないようで機嫌の善し悪しが行動を左右するのも否めない。未来の体の中に内乱が起ったり、天候が悪くて低気圧が未来の近辺に蔓延っていたりすると忽ち、内乱は外乱に変わる。そうなったら手の施し様もなく、高がシューホーンを付けるのに三十分も一時間もかかってしまうのである。
 トイレの用が済むと洗面所に向う。
「うん、今朝も顔色はいいわ!」
目の前の鏡に向って満足そうにいつもの事ながら口の体操に移る。口をつむって唇を左右に動かしたり、上下に動かしたり、一本線を引いたり、ヒョットコ面にしたり大忙しの体操である。脳卒中で倒れて搬送された救急病院では想像も出来なかったこの回復に有難いと感謝する未来が鏡に映る。
 右半身不随という後遺症を受け容れた未来の体は兎角だんだん右に傾いてしまう。パジャマの右肩を上に引き揚げて正し、右脇の下に固まっているパジャマを上に引っ張り下に引き下げしてやっと左右対称のパジャマ姿になると「これでよし!」と未来は鏡に向って頷く。すると不思議な事に上腕の痺れがスーッと薄れていく。左手で歯を磨き、左手で顔を洗い、化粧水をぬって、小さなブラシで髪を梳かす。長年未来の感情を左右してきた天然パーマの存在を自ら喜ぶ一瞬である。幼い頃、ちぢれさんという天然パーマの女の子の漫画本があって、未来のニックネームの一つになった事がある。湿度の関係で雨の日は髪の毛を梳かしても梳かしても思うように治まらなかった。ティーンエージャーに成りたての頃、ある朝、目を覚まして鏡を見ると突然、髪の毛がチヂレからウェーブに変わっていた。以来、未来は髪の毛の悩みとサヨナラしたのである。髪を丁寧に梳かしてみると、数分前の右に傾いた姿に比べ、鏡に映る凛とした自分の姿勢に未来は満足するのである。

特別投稿:哀しい訃報が・・・

2005-12-25 07:10:42 | Weblog
マイダイヤリーから:12月24日(土)
何ということでしょう。愛犬ゴールデンレトリバーのドックちゃんが突然、昇天の刻を受け入れてしまいました。
入院検査を受けて僅か2週間後の事でしたからまるで事故のような出来事でした。
この朝、私は愛する者の一人、コートニーの訃報をメルボルンから受け取り、悲しみに暮れていました。おいおい泣く私の声がドックちゃんの耳に届いてしまったのでしょうか。
コートニーは私にはかけがえのない留学先の兄貴、そしてドックちゃんは私の末娘・・・
長い闘病生活の末、闘い疲れて一足先に天国に向かったコートニーが「そんなに無理しなくていいよ。一緒に行こう」と誘ったのでしょうか。もしそうだとしたら、説得力の強い彼には今まで誰でも頷いてしまうのが常でしたから「しょうがない!コートニーについて行きなさい」と言うしかありません。教え上手で、遊び上手だったコートニーにバトンタッチするから、ドックちゃん、安心してついて行きなさい。
あと僅かで10歳の誕生日を迎える筈だったのに・・・ 来年1月6日は戌年の誕生日だったのに・・・ 70歳のコートニーと10歳になるドックちゃん、きっととてもいいコンビだと思います。心臓疾患という闘病生活直後に癌と闘ってきたコートニー、生涯アレルギーに悩み続け、白血球の病に冒され、更に癌と闘い始めたドックちゃん、もういいよ、楽になろう、この地球上に住んでいる誰もが知らない、けれど、誰もが必ず足を踏み入れる世界にちょっと早めに行ったと思えばいいでしょう。
逗子マリーナで駆けずり回っていたドックちゃんは穏やかな性格に似合わず、駆けっこに関しては負けず嫌いでいつもダントツでトップランナーでしたね。
誰よりも正論を語ると自負していたコートニーは自分の意見にはいつも正当性を訴える負けず嫌いでしたから、きっとあなた達は初対面でも上手くやるでしょう。一番の証拠と言えば、あなた達は共に思い遣りが表面化していたからです。
クリスマスイブにamazing graces と口ずさみながらamen! と締めくくらねばならないこの辛さには計り知れないものがあります。
ドックちゃんの最期はビーグル犬のエミーのそれを思い出させてくれました。往診治療を続けていたエミーは喀血を繰り返して私の膝で私を見上げ、緊急入院直後に永眠の道を進んでいきました。ドックちゃんは半身不随になってしまった私と毎日車椅子の左脇に寄り添って散歩してきましたが、4年目が過ぎた頃からそれがしんどくなってきてたのですね。気がつかないでゴメンナサイ。ドックちゃんが不死身でずっと私の介護犬だなんて思い込んでいた私は何と愚かで自分勝手な飼い主だったのでしょう。最期、ドックちゃんが前進の力を振り絞って私を見上げ、その僅か10分後、上半身を思いっきり垂直に立てて頭を左後方にガーンと倒し、突然、ガクッと垂れた姿は瞼に焼き付いて離れません。まるで離陸直後の飛行機の上昇した勢いが次の瞬間垂直に頭をもたげて突っ込むショッキングな様子にそっくりでした。
ドックちゃん、もういい、もういい、あなたの思い遣りある癒しの心は充分に分っていますから・・・
2歳の弟分、ダックスフンドのテトちゃんはまるで葬儀の席で無心にはしゃぐ子供のようでしたが、ドックちゃんが横たわるドアの隙間から怖いもの見たさの様子で覗き見をしていましたよ。ドックちゃんのため息が聞こえたような気がしました。
*マイブログをいつも読んで下っている皆様、未来の独り言を読んで下さって有難う! 引き続き脳のミステリーに乞うご期待!


51.マイペースの我が右半身

2005-12-23 08:21:10 | Weblog
 年末年始がどんなに忙しくとも常に我が道を行くとばかりマイペースを頑なに護ろうとする事がある。否、護らざるを得ない事がある。不随を宣告された右半身の動きの協力を強制する時である。
 思うように寝返りがうてない未来が体の下敷きになっていた左手をブランケットから僅かに出してラジオのスイッチを回す。痺れ始めた左手は何とか命令された行動が取れるのに枕元のラジオはウンともスンともいわない。
「しまった!また、やってしまった!」
未来は心の中で叫ぶ。シャワー室でも聞けるラジオは未来の友で乾電池を使う簡単な物である。いつも夜通しNHKFMの深夜番組を聞きながら眠りにつく未来は時々、スイッチを切らずに寝入ってしまう事があった。この夜は暗闇の中で語りかけ、歌いかけるラジオが疲れ果てて朝まで待てずに電池切れになってしまったのだ。
「何時だろう?」
左の足をゆっくりベッドから降ろし、次に左半身を起こす。すると、動かぬ右半身は慣れたもので上手にいとも簡単に左にくっ付いて起き上がってくる。ベッドに腰掛けた未来は薄暗い部屋の中で目を凝らして壁掛け時計を見る。
「まだ七時ちょっと前か。でももう起きようか」
そして時計の右に目をやった。 つづく・・・

50.師走に想いをよせて

2005-12-21 07:18:30 | Weblog
 今年の暮は悲喜交々色々あってそれがまだまだ続きそうだ。12月中盤に入ったばかりの頃、未来には不安が一気につのる悲しい知らせが届いた。確かに師走は様々な事を足早に運ぶものである。結果は良かれ悪かれ、この時期いつも早急に結論を出したがるような気がするのである。30年近く前の大晦日の明け方に倒れた未来の母は有無を言わせずそのまま昇天してしまったが、未来の記念すべき還暦年の師走は衝撃と慟哭と僅かな希望が入り混じって未来を困惑させている。そして毎朝晩、期待と不安を持って未来はメールを開いている。豪州の最愛の人の一人が危機に立たされているのだ。
 十代最後の年に豪州に留学した未来には悠に一回りも年上の兄弟が未だ見ぬ日本娘の到着を待っていた。長兄に当たるディビッドは電気工学畑では有数の腕を持つ技術屋として活躍中ですぐ下のコートニーは大学で経済学講師として教鞭を執っていた。大学では「どんな疑問にも答えてくれる自信満々の講師」と言われ、彼は学生達にも人気があった。そして未来にとっては共にかけがえのない良き理解者であり、協力者であった。そのコートニーが数年の闘病生活の果てに昏睡状態に陥ってしまったというのである。繊細な彼は異常なほど精神的には気丈な人間である。そこに未来は一抹の望みを持っている。
 4年前に北半球で未来が脳出血に倒れた頃、コートニーは南半球で心筋梗塞に見舞われていた。被殻出血に見舞われた未来が右肩麻痺と闘っている間中、彼は心臓カテーテル検査を行っているとメールで知らせてきた。コートニーは大学教授らしく未来には丁寧に知らせてきたのである。曰く、この検査によって狭心症、心筋梗塞、弁膜症、心筋症、先天性心疾患、大動脈疾患などの心血管径疾患の確定診断を行い、病気の程度を判定して手術適応などの治療方針を決定するための侵襲的検査なのだから心配無用と言って未来を安心させたのである。更に彼は検査後の安静時間は短縮され体動も自由となり自分の負担は非常に少なくなってきているとも言ってきた。
 だが、重荷は重なるものでコートニーは更に何と癌という厄介な病魔にも襲われたのである。病名は肺癌、確かに若い頃のコートニーは飲酒を嗜み、喫煙も愉しんでいた。だが、未来の目には飲酒はともかくタバコは兄のディビッドの方がずっとヘビースモーカーとして印象に残っている。肺癌は空気が通る気管、気管支、肺胞までの内側の粘膜や分泌腺の細胞に発生する。最近、世界的に見ても肺癌の患者数は増加傾向にあって、特に働き盛りの40歳以降の男性に多く見られると言われている。好発年齢は50歳から60歳代が最も多くて次いで70歳代と言われている。コートニーは70歳代に入ったばかりである。
 20歳前から喫煙している人の肺癌による死亡率は高くなっているというので、未来は自分の若い息子も心配になるが、亡き父の行動を思い出すと何とも言えない気持ちになる。父は若い頃からかなりの酒豪で且つかなりの愛煙家だった。だが、彼は80歳を楽に越えて生涯現役人生を全うしている。だから未来はコートニーに「未だ未だ!」とエールを送るのである。 
コートニーの病状詳細メールが未来に届く少し前、我が愛すべきゴールデンレトリバーが突然、不調を訴えた。
 後ろ足が立たなくなったのである。しかも右脇の下に大きなしこりがあるではないか。人間共は慌てふためいて広尾の動物病院に駆け込んだ。即、入院という事で人間ドックならぬドッグドックに入る事になった。数日後、初めての検査で愛犬は疲労困憊といったところだろうと未来は覚悟の上で病院に電話した。「穏やかなワンちゃんですね、ドックちゃんは!」
副院長の意外な言葉が電話口の未来を癒した。こんな時でも癒しに徹する我が愛犬は実にあっぱれな犬である。
 そして自宅療養に切り替えられた愛犬は懐から数十万円がすっ飛んでしまったにも拘らず、元気な姿で家族みんなに歓迎されて戻った。これから未だ未だ通院、自宅治療が続く愛犬ドックは来年戌年の1月6日、そう、十二日祭の日に十年目の誕生日を迎える。

49.シェクスピアの喜劇『十二夜』

2005-12-16 03:03:51 | Weblog
 『十二夜』は『ハムレット』とほぼ同時期(1600年頃)に書かれたものといわれ、間違いが引き起こす喜劇として知られるが、この芝居も1601年1月6日、「十二夜」の日に初演したという説がある。
 話の内容は難破船から生き残ったヴァイオラは身を守るために男装して公爵に使えるが、その公爵の恋の使いとして伯爵令嬢を訪れる。だが令嬢は何と男装のヴァイオラに一目惚れしてしまう。ヴァイオラは実は公爵が好きなのに・・・ 全員が片思いの状態でどんなバカ騒ぎも許されるお祭り騒ぎの十二夜、こんがらがった恋の糸は果たして・・・といった具合である。
 この他愛もないイギリス特有のおとぎ話は数多いシェクスピアの歴史劇や悲劇の中でなぜか未来の心に残ったが故に、年末年始になると、未来はクリスマスより正月より何かこの名作『十二夜』をいつも思うのである。
 去年の大晦日は発達した低気圧が本州の南の海上を北上し、東京は二十一年ぶりの積雪で白い世界に塗りかわって幕を閉じた。例年なら世界中がカウントダウンの歓喜の声があちこちから聞こえる筈だが、災いの年はボックシングデーにアジアを呑み込んだ大津波が大被害を齎し、人間に自然の威力と恐怖をいやというほど知らしめたのである。そして、平成十六年最後の日、昼間の激しいぼたん雪は夕方には雨に変わり、夜には止み、静かに新しい酉年を迎えたのである。積雪は忌まわしい過去の出来事をただ埋めるだろうが、雨は流して消してしまうだろうか、と未来らしい捉え方をした。
 楽天家の未来の思いとは裏腹にあの締め括りと始まりは喜劇どころか歴史的大悲劇が繰り広げられたのである。 つづく・・・

48.歳末、去年と今年

2005-12-13 00:07:27 | Weblog
 未来の幼い頃の年末の記憶はクリスマスのデコレーションケーキである。今や死語になってしまった典型的な和製英語のデコレーションケーキはイブの銀座の夜を思い出させる。
 黄昏時に母に連れられて銀座に出ると真っ先に駆け込むのはペコちゃんポコちゃんが待ち受ける店だった。母は予約済のグリルされたチキンを受け取るとさっさとUターンする。何故、洋菓子屋さんなのにケーキを受け取らないのかって? これには動かし難い理由がある。イブを一年中で最も愉しみにしている父のお役をかっさらうほど母は野暮な女性ではなかった。たった一度だけ最高潮の時間に父に呼び出された母子はトンガリ帽子や色とりどりのテープを頭から肩にさげた酔っ払いの群衆の中に入っていった。父と部下の連中を先頭に母子は夜の銀座を練り歩いた。 真夜中の店先ではケーキの売り残しを避けようとサンタクロースの格好をした店員が大声で誘っている。さながら築地の競りのような勢いである。初めて見た夜の銀座のイブ風景を未来は必死に自分の脳裏に残そうと首をあちこちに回し、目をきょろきょろさせた。
 ご機嫌な父は大きなケーキの箱を落とすまいとタクシーに乗り込んだ。部下の男女が母子を後から押し込んで運転手に行き先を告げた。歩ける距離に我が家はあった。
 真夜中過ぎのケーキの味は子供の口には格別だった。その頃、肝心の父は既に深い眠りについていたものである。父がプレゼントを見ずに床に就いてしまうのが一寸恨めしかった未来は「大人達はあんな風にイブを愉しむんだ」と思った。
 やがて町中が洋から和に変わり、百八つの鐘が鳴り、御来迎を仰ぐ。自己中の日本人は松の内だ、何だって言うくせに欧米のクリスマスに関しては未だフェスティブシーズンは終わっていないのに正月気分に切り替えるという訳である。航空業界にいた頃、香港から帰る時、珍事に出会った事がある。確か、1月5日の事だった。日本人団体をたくさん乗せた愛社機が離陸前に機内音楽放送にクリスマスソングを流していた。すると日本人が一斉に笑い出した。欧米人は何故笑うのかと怪訝な顔をした。日本人の乗客の一人が大声で言った。
「曲を変えて! 終わった! 終わった! クリスマスは終わったんだよ!」
英国人の乗務員が言った。
「ホワット!」
「ストップ、ストップ! ノーモアークリスマスね!」
日本人が分ったような顔をしてはしゃいで叫んだ。
「ホワイ?」
英国人乗務員の脇で困った顔をした日本人乗務員に未来は耳打ちした。クリスマスから12日目の12日祭まで、即ち1月6日までクリスマスを祝っているんだ、と説明してあげた。5日は十二夜といっていわば、12日祭イブという訳である。 
 さて、前置きが長くなったが昨年の歳末の様子を語るには未来自身が主人公になりうる要素があるが、今年は戌年を待たずして未来の愛犬がヒロインになるのである。  乞うご期待!歳末続編!

47.年中大忙しの日本人!

2005-12-11 06:07:09 | Weblog
 暫く前、未来はボックシングデーの話を綴った。好奇心の旺盛な未来は洋の東西を問わず様々な行事に興味を示すのである。節句や神仏の風習に関心があるかと思えば、基督教のクリスマスは勿論、イースターやハロウィーンにも魅せられる日本人らしい女である。
 年末になるとせっせとクリスマスカードを書く傍ら、投函日を気にしながら年賀状を長年書いてきたものだ。12月24日の深夜には教会で讃美歌を歌い、25日が過ぎるとさっさとクリスマスツリーを片付けて、松飾に変えるのである。つい一週間前にターキーでクリスマスディナーを愉しんだ未来は今度は何の躊躇いもなく元旦をお屠蘇で祝ってお節料理に舌鼓を打つのである。
 桃の節句と端午の節句の間では復活祭を祝い、秋の菊の節句のすぐ後には万聖節(ハロウィーン)に参加し、クリスマスの時期を迎えるという訳である。クリスマスイブは日本語化して久しいが、ハローマスの前夜はハローマスイブとは言わずにハロウィーンと原語に近い発音をするので日本では由来をあまり詳しく知られていない。とにかく日本人は忙しい。仏を想って寺参りをしたり、七福神にあやかりたいとばかり神社を駆け巡ったり、俄かクリスチャンになったりするのである。
 未来にとっての忙しい師走も昨年と今年ではかなり異なっている。つづく・・・

46.本物のジャックハンマーと偽物の連動の凄さ

2005-12-03 06:56:14 | Weblog
 四年前の年の暮の未来は初めて体験する痺れに戸惑っていた。この予期せぬ訪問者は未来が救急病院から退院すると即座に居座った。この招かれざる客は以来、毎日々々悩まし続けながら未来と行動を共にしている。もしかしたら最早、分身的存在になった痺れに突然、別れを告げられたら、未来はどぎまぎするかもしれない。
 この特殊な痺れと初めて出会って数週間は未来の頭の中には「何これ?」という疑問が一杯に広がっていた。残念な事にこのとてもシンプルな質問には信じられないほど沢山の複雑な答えが見え隠れして、まともで解りやすい正答を一向に出してくれない。
 退院直後一年目の痺れは例のジャックハンマー(道路工事用電動ドリル)を右半身に抱え込んでしまったような不快感に未来は悩まされた。あっちでもこっちでも道路が穿り返されている東京のど真ん中で未来は妙な体験をした事がある。信号待ちをしている未来の真隣に作業員が大きく重いジャックハンマーを引きずってやって来た。作業員は当然のように無言で仕事を開始した。運が悪い事に作業員は未来の右側に立っていた。本物の電動ドリルと未来の体内に隠し持っている偽の亡霊のジャックハンマーは連動を始めた。勿論、作業員に未来の特製ドリルは見えない。つい未来ははしたなくも「ワォー!」と叫んだが、無論、作業員の耳には聞こえない。未来は無理に右を向けば例の小癪な小人が出てくる可能性が高いのを知りつつも作業員に声をかけた。
「すみません」
気付く筈がない。二度三度、未来は声を出した。それにしても何と長い赤信号なのだろう。幹線道路を横切る横断歩道はいつも街のお荷物らしい。やったあ! ガードマンが気付いてくれた。
「どうしたの?」
「すみません、ドリルの音が右手に響いて・・・」
ちょっと怪訝な顔をしたけどガードマンは返事の代わりに作業員に頼んでくれた。
「ちょっと、ストップ出来るかな?」
「あぁっ?」
作業員が手を休めて未来の方を見た。
「すみません、ドリルの音が響いて・・・」
「ああ、ゴメンゴメン!」
謝ることないのに作業員は笑いながら仕事を停めてくれた。本物と偽物のドリルの連立作動がこれほど凄まじいものだとは思ってもみなかった。信号が変るとガードマンは未来の案内をかって出てくれた。
「気をつけてね」
「ありがとうございます」
小癪な小人は現れなかった。  つづく・・・