年末になるとよく聞く言葉に「取り」というのがある。寄席で最後に出演する最も技芸が優れた人を真打というが、取りは呼びものとする言葉である。未来は自らの還暦酉年の大取りに長年敬愛してきたコートニーに出場して貰えた事にかえって感謝している。母親グエンに姿気質がそっくりなコートニーもまた未来のこれまでの人生に欠く事が出来ない存在だった。当時大学の講師だったコートニー、彼の存在は大きくて彼無くして未来の留学の実現はなかったと言っても過言ではない。否、実現までにもっと時間がかかった筈だ。また、グエン亡き後、マエ・アナ・パング博士の紹介に大きな役割を果たしたのはコートニーだった。そして博士との仕事はいまだに続いているのである。新年には元気なコートニーの再登場を未来は期待していたのだが・・・
常々、未来は自分の人生の折り返し地点を還暦とみなし、その倍も現役で生きていきたいものだ、と想ってきた。55歳で大きな誤算に気付いた時は「遅かりし由良の助」と悔やんだが、気丈な未来は精神的な快復を素早く見せた訳である。
軽い症状の人は当然、同じ様な状態の人も、また重い症状の人もプラス志向の未来の話を聴いて貰いたいものだ。きっと何かしらの役に立つだろうと思っている。学生に英語指導をしていた頃、未来は口癖のように言ったものだ。
「もう、既に習ったもん、知ってるもんは禁物! 知らない事は山とあるんだから・・・学校の授業で自分は遥か前に教えて貰った、極めたと思っても黙って復習授業を受けてごらん。必ずといってよいほど何かしら未知の事柄に出会うから。勉強の内容だけではなく知識としての新しい事柄を言っているの。それが知識として埋蔵されて人間形成に大きな貢献を果たすわけ。一時間の授業でそれが例え数分の他愛無い話でも、聴く耳持たずでは有識人間にはなれず無知というレッテルを自分で貼ってしまう事になる」
高校生は勿論、中学生はたまた小学生でもこんな未来の口癖はよく理解してくれたものである。
「来年、戌年は日記式にブログを利用してみよう」
一年の計は元旦にあり、と言うが未来は「大晦日にあり」とばかり来年のカレンダーを前に決意を新たにする。
未来は典型的な脳卒中後遺症保持者として未だ未だやる事がいっぱいあって、たくさんの人に必要とされている、と自覚している。多方面から様々な質問が入ってくるのである。
未来自身はどうしてシューホーンでなくウォーカーケインを装着するのかとしばしば聞かれる。同時に何故、外出にいつも車椅子を使用するのかとも聞かれる。無論、未来らしい理由がある。先ずは現時点で自ら出したこのウォーカーケインと電動車椅子という結論から未来は始めるつもりである。
今年も素敵な出逢いがいっぱいあった。その最高は音楽セラピーの仲間である。指導者がとっても魅力ある女性で彼女との出逢いは今年還暦を祝った未来にはとても意味あるものであった。彼女のお蔭で未来は様々な発見を自分の中に見ては嬉しがっている。
クリスマスの頃から、洒落じゃなくクルシミマスで寝ている状態から起き上がる時に右脇腹から右腰にかけて激痛を感じ始めてここ最近、未来は実はちょっとブルーになる事がある。何たる事か。感覚が甦るという事はこんなに辛い事だったのか。
ぎっくり腰の痛みにそっくりだが、痛覚が鈍感になっていると痛みは全くなかったという訳か。ならば、必ずしも回復が喜ばしい訳ではないと言える。次の行動に移る時、異常な痛みを感じるのだがそこが痺れを感じ、まさにそこが半身不随を宣告された場所の一部だと非常に手こずる事になる。解消法は座ったまま、上半身を右左にねじるとよい。かなり楽になる。すぐによくなる訳ではないから、このねじり療法を暇さえあればすればいいらしい。妙な事を自慢する訳ではないが、未来はかつて70年代のディスコで踊り狂ったゴーゴーは得意中の得意だった。あの頃腰を捻り、リズムに乗るツイストなんていうのも人気があった。留学時代のメルボルンの繁華街に始まって、帰国後の大使館、航空会社時代に亘って未来は仲間と赤坂、六本木で踊りまくっていたものである。正に悔いなき若き時代の想い出である。
さようなら、酉年! 12年後にまた会いましょう! 72歳の初老の未来、素敵に歳を重ねて行けるかしら! 自ら多いに期待しよう! 来年は戌年、最高の介助犬を演じたドックちゃんが指南役を務めてくれる筈だから、きっとよい年になるだろう。波乱万丈、大いに結構、生きている証拠だから。「来年も始めよければ終わりよし」の一年になる事を期待して酉年のブログを閉じる事にする。
A very happy new year to you all !
常々、未来は自分の人生の折り返し地点を還暦とみなし、その倍も現役で生きていきたいものだ、と想ってきた。55歳で大きな誤算に気付いた時は「遅かりし由良の助」と悔やんだが、気丈な未来は精神的な快復を素早く見せた訳である。
軽い症状の人は当然、同じ様な状態の人も、また重い症状の人もプラス志向の未来の話を聴いて貰いたいものだ。きっと何かしらの役に立つだろうと思っている。学生に英語指導をしていた頃、未来は口癖のように言ったものだ。
「もう、既に習ったもん、知ってるもんは禁物! 知らない事は山とあるんだから・・・学校の授業で自分は遥か前に教えて貰った、極めたと思っても黙って復習授業を受けてごらん。必ずといってよいほど何かしら未知の事柄に出会うから。勉強の内容だけではなく知識としての新しい事柄を言っているの。それが知識として埋蔵されて人間形成に大きな貢献を果たすわけ。一時間の授業でそれが例え数分の他愛無い話でも、聴く耳持たずでは有識人間にはなれず無知というレッテルを自分で貼ってしまう事になる」
高校生は勿論、中学生はたまた小学生でもこんな未来の口癖はよく理解してくれたものである。
「来年、戌年は日記式にブログを利用してみよう」
一年の計は元旦にあり、と言うが未来は「大晦日にあり」とばかり来年のカレンダーを前に決意を新たにする。
未来は典型的な脳卒中後遺症保持者として未だ未だやる事がいっぱいあって、たくさんの人に必要とされている、と自覚している。多方面から様々な質問が入ってくるのである。
未来自身はどうしてシューホーンでなくウォーカーケインを装着するのかとしばしば聞かれる。同時に何故、外出にいつも車椅子を使用するのかとも聞かれる。無論、未来らしい理由がある。先ずは現時点で自ら出したこのウォーカーケインと電動車椅子という結論から未来は始めるつもりである。
今年も素敵な出逢いがいっぱいあった。その最高は音楽セラピーの仲間である。指導者がとっても魅力ある女性で彼女との出逢いは今年還暦を祝った未来にはとても意味あるものであった。彼女のお蔭で未来は様々な発見を自分の中に見ては嬉しがっている。
クリスマスの頃から、洒落じゃなくクルシミマスで寝ている状態から起き上がる時に右脇腹から右腰にかけて激痛を感じ始めてここ最近、未来は実はちょっとブルーになる事がある。何たる事か。感覚が甦るという事はこんなに辛い事だったのか。
ぎっくり腰の痛みにそっくりだが、痛覚が鈍感になっていると痛みは全くなかったという訳か。ならば、必ずしも回復が喜ばしい訳ではないと言える。次の行動に移る時、異常な痛みを感じるのだがそこが痺れを感じ、まさにそこが半身不随を宣告された場所の一部だと非常に手こずる事になる。解消法は座ったまま、上半身を右左にねじるとよい。かなり楽になる。すぐによくなる訳ではないから、このねじり療法を暇さえあればすればいいらしい。妙な事を自慢する訳ではないが、未来はかつて70年代のディスコで踊り狂ったゴーゴーは得意中の得意だった。あの頃腰を捻り、リズムに乗るツイストなんていうのも人気があった。留学時代のメルボルンの繁華街に始まって、帰国後の大使館、航空会社時代に亘って未来は仲間と赤坂、六本木で踊りまくっていたものである。正に悔いなき若き時代の想い出である。
さようなら、酉年! 12年後にまた会いましょう! 72歳の初老の未来、素敵に歳を重ねて行けるかしら! 自ら多いに期待しよう! 来年は戌年、最高の介助犬を演じたドックちゃんが指南役を務めてくれる筈だから、きっとよい年になるだろう。波乱万丈、大いに結構、生きている証拠だから。「来年も始めよければ終わりよし」の一年になる事を期待して酉年のブログを閉じる事にする。
A very happy new year to you all !