脳のミステリー

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高齢者予備軍で半身麻痺の私が薦める読み物

2009-09-30 13:19:34 | Weblog
日本応用老年学会をご存じですか?

今や老年は何歳からか分かりません。
あまりに個人差があるからです。

私は50代のど真ん中で「脳出血」という病魔に出会い、私の命と交換に「右片麻痺」という厄介物を背負い込んでしまいました。
この厄介物は「遠慮」という言葉を知らないらしくて始終「問答無用!」とばかり激しい痺れと酷い痛みを連れ込みます。
それでも 私は「蘇り人生」に感謝しています

高齢者は65歳以上・・・私にはもう一年間余裕がありますから「高齢者予備軍」と自負しています
きっと来年の誕生日を迎えたら「古希までには程遠い」と言うでしょう

私は 日本応用老年学会に「高齢者予備軍障害者」として時折、エッセイを書いています。

興味がございましたら、是非 http://www.sag-j.org/column/ を開いて読んでみて下さい。

2009年9月11日
『レクイエム・フォー・ユアーセルフ』

2009年8月7日
『夢老い犬が教えてくれる人間の老計』

2009年4月6日
『20世紀の「外国人相談室長」は21世紀の「盲導犬の引退犬応援団長」に燃える高齢者』

リハビリで幻の右手を見た私!

2009-09-24 23:09:16 | Weblog
ラマチャンドラン博士著の『脳の中の幽霊』Phantoms in the Brain という本を知っていますか?
博士は「何年も前に、何十年前に失った手足を脳が忘れないが故に、幽霊のようにいつまでも頑固に存在して人間を苦しめる」と言っている。
正常な感覚や動きから切り離されているので「麻痺」や「激痛」を生じると言うのである。
博士は「幻の指が凄い力で幻の掌に食い込んでどうにもならないこともある」と言っている。

北里研究所のリハビリで 私は今信頼する主任療法士に正座の練習を強いられている。
右半身は完全に四六時中痺れと痛みに悩まされているのだから、私にとっては正座なんてとんでもない事である。
健足の左足を下にして先ず横座りをする。この時点でもう既に我慢できないほどの痛みに悲鳴をあげたくなる。次ぎに健足の上に臀部を半分載せようとする。外からは分からないらしいが顔面の中は崩壊寸前の状態になる。それでも尚、今度は脳外科医に不随と宣告された麻痺した右足を麻痺した臀部に載せようとする。その時、右側に一瞬だが5本の指をパッと開いている小さな掌が私の視覚が入った。
「先生、今何かしましたか?」
「ドンドン固く握りしめていく右手の親指が人差し指に食い込んでいくから静かに親指を離してあげただけですよ」
「いいえ、そうじゃなく、先生、私の右側でご自分の手を開いて見せましたか?」
「いいえ、僕は唯貴方の人差し指に親指が食い込んでいくからチョット解いたまでですよ」
「うそっ! 確かに先生の手にしては小さいけど、掌がぱあっと開いて・・・」

ラマチャンドラン博士式に考えれば、顔面神経が無意識に活動すると「手の領域」を刺激するのである。私は動かない右手が動いたと騙されてしまったのである。

そして私は僅かな時間だが「正座」が出来た。無論、主任療法士が転がった時の為に背後にスタンバイしていてくれた。彼は「この正座が少しずつ長く続けられる様になればいいのだから、ラマチャンドラン博士をいつも脳裏に置いてやってみたら!」と涼しい顔をして言った。
そのラマチャンドラン博士が「脳卒中の後遺症で悩んでいる人達の解決には程遠い」と語っていたのを思いだした。

それならば、実際に脳出血の後遺症を受容してしまって8年目に入っても未だ「痺れと痛み」に苦しんでいる私自身が少しずつ何かを発見できれば、それ程素晴らしい事はない、と途轍もない事を考え始めたのである。




後遺症を抱え込んだ朗々人生

2009-09-22 09:57:12 | Weblog
普通の週末を含むと今年のシルバーウィークは5連休!
1950年代から1960年代にかけてゴールデンウィークを定着させた日本の映画界が11月下旬の勤労感謝の日の前後をシルバーウィークと称して興行を打っていたが、殆ど浸透しなかった。柳の下に2匹の泥鰌は・・・
さて、今年から新たにシルバーウィークと称される大型連休は、日付の並びなどで2009年9月に初実施が・・・果たして・・・

とにかく今年の9月の大型連休はど真ん中が世に言う『敬老の日』だった。
無理に休日にした様な感じの今日『国民の祝日』は、私にしてみれば『敬労の日』と呼びたい。
そして8年前の脳卒中を思い出せば明日23日は『秋分の日』というより『敬浪の日』となる訳である。
私の本当の誕生日は27日だが、蘇った23日から『波浪の人生』が始まったからである。
第二の人生の『波浪』はいつも大波小波なんて生優しい物ではなく「挨拶」(ハロー???)も無しに突然、激浪や怒濤に変わる。

だが、私は第二の人生での「挨拶」は 常に「敬朗」で行きたいと思う。
宣告された「右半身不随」の痺疼痛との一生の付き合いは覚悟しているが、その状態が始終変化するのだから堪ったものではない。
まっ、ジャックハンマー(道路工事用の電動ドリル)を右半身に抱え込んでしまったのは「後遺症」として自分の命と引き替えに受容してしまったのだから仕方ないか・・・
だったら、蘇った第二の人生は『敬朗人生』として『朗々人生』でいくしかないと思わざるを得ない。

久々の気功レッスン

2009-09-10 10:39:58 | Weblog
                           自然の中で気功を行ったら…


気になっていた台風10号は北海道からも遠くに離れ、更に気になっていた熱帯性低気圧も遙か南西に日本を遠ざけているようです。
気にせず、心配無用ということで気功のレッスンに一ヶ月ぶりに行ってきました。

気功とは 「生体エネルギー」であり、気功では「気はつなぐもの、感じるもののひとつ」と考えられています。
中国では 混沌の中にまず気が生まれ、気が変化して宇宙が生まれたといい伝えられてきました。
荘子は「気があつまればすなわち生、気が散ずればすなわち死」といっています。
その意味で「気」は生命の源といわれてきました

呼吸は 気のコントロールに大変重要なものです。
気功は気を中心にして考えますので、呼吸法だけではなく、
気功の三要素、即ち姿勢・呼吸・意念をバランス良く一致させることが大切です。
でも、不随意に動いている内臓の中で唯一コントロールできるのが呼吸なので、
外から内に影響を及ぼしていこうとする時に、大切なのが呼吸法です。
緊張しない心身の状態、環境が必要で、満腹の時は、一時間ほど時間を置いて、
反対に極端な空腹の時は、適度に空腹を癒してから練習するのが望ましいです。

気功は、病気の予防・治療に顕著な効果があることが知られていますが、
深い『入静』(冥想状態)のもとでは、脳の酸素消費量が熟睡時の倍にもなります。
按功は主として経絡治療ですが、比較的簡単な大脳休息にも役立ちます。
気功を構成する重要な要素として、次の三要素を覚えておいて得貰いたいと思います。
(1) 調身(正しい体勢) 
(2) 調息(呼吸法)
(3) 調心(意念) 
これら三要素の鍛練を通じて心身のバランスを整え、潜在能力を引き出すのが気功なのです。

気功には数千、数万の種類が世界中に存在していると言われますが
気功の基本はひとつで「気」の循環を促成する事にあります。

「気」を活用することにより、人の本来もっている潜在能力を開拓する事ができます。
・脳の潜在能力 → 現在の脳生理学によると、人間は本来持っている可能性のほんの僅かしか活用していないません。
「気」を高めて顕在意識と潜在意識の壁を取り除く事により、潜在能力を顕在化することができます。
・毛細血管の潜在能力 → 人体の毛細血管の密度は、平均すると400本/1平方cmと言われていますが、
常時使用しているのは、5~6本/1平方cmでしかありません。
「気」を高めて毛細血管をより活用し、潜在能力を活性化することが出来ます。
・肺の潜在能力 → 人の肺には7億5千万の肺胞があるのに、平均的な人が実際に使っているのは、20%程度でしかありません。
「気」を用い、丹田(臍下)呼吸をする事で、消耗する事なく、酸素の吸収量が大きく増える事で、身体の働きを高める事が出来ます。

このような薬理作用によらない暗示的治癒効果をプラシーボ効果といいます。
プラシーボ効果は疾患によって違い、精神疾患、リウマチ疾患、各種の痛み、高血圧、消化性疾患では強く現れます。
プラシーボ効果の発現には個人差があり、よく現れる人と現れない人がいるのは事実です。
有り難い事に 私には比較的よく現れてくれます。

次ぎに「医療気功」を中心に考えてみたいと思います。
自分自身で意識的に気を体内に循環する鍛練法を「内気功」と言い、
気功師等の専門家が人や物に対して気を送る法を「外気功」と言います。

自分自身で鍛練する「内気功」はそれだけを習得し、効果を出す為には期間が必要になります。
でも専門家から気を送って貰う「外気功」は素人の人でも直ぐに効果を体験する事が出来ます。

アメリカの代替医療研究チームによれは、これらの気功効果によって今の病気の約50%~70%が
予防出来、しかも早く治る!との試算が出ています。
近代医学でも治らない病気があるので、それらの分野を「気功」で解決出来ると、しているのです。
薬も手術も必要ない「気功」がアメリカを中心に注目され始めているという訳です。
イギリスでは、主治医の医者が「気功」治療を必要とした場合は、その気功治療に対して
「医療保険」から他と同じ治療費として保険内から支給されています。
でも日本の場合、代替医療についてはかなりの遅れがあります。
これは政策的にも、又気功については特に国民の意識が低い為に、
代替医療は漢方薬!位にしか思われていなのが実情です。
益々高額医療も盛んになり、医療保険もうなぎ登りに増加している現状で、
近い将来の年金保険制度まで危ぶまれているのが実情ですからこそ、東洋医学や気功等の「代替医療」が必要な時代を迎えているのです。

日本も「代替医療」の必要性を重要視し、医療保険内支給されるようになって欲しいものです。

セプテンバーは特別な月なのだろうか?

2009-09-07 22:51:14 | Weblog
また今年も9月11日がやってくる。
古くから米国に伝わる英詩が、後に「千の風になって」という題で新井満氏が和訳して大評判になった。2001年9月11日という世界中を震撼とさせた米国同時多発テロの3年後の9月25日に98歳で逝去したアメリカ人女性の詩が大々的に公表されたのである。

今年は9・11がやって来る前に、今後私にとって記念すべき日になる8・11がある。
北の大地を元気に走り回っていたゴールデンレトリバーのライト君が星になってしまった日がある。7月はブログを書き始めた月、8月は日本の終戦記念日があるのだが、愛すべきライト君が星になって多分北極星の近くで・・・北極星は真北の空で一晩中一年中、ずっと動かずにいる星の傍に往った月なのである。北極星の傍だから探しやすい!

そして 9月は私の第一の誕生日があり、世界中の人が忘れられない9・11事件があって、その2週間後は私が個人的に忘れられないストロークの日、即ち第二の誕生日、がある訳である。

リハビリトレーナーが驚愕するスピードで脳内出血(2001年9月23日発病)から回復した私だが、未だに左手足に強い痺れが残っている。
触れた物の温度や質感などはさっぱり分からない。
でも 理由もなく気持ちがひどく鬱いでしまう事はない。
だから、自分に関しての症状を語る事は拒む事もない。
ただ、誰一人として私と同じような後遺症だけは抱え込んで貰いたくない。
粗造を絶する「痺れと痛み」が絶え間なく淀んだ川の様に永久の長逗留を決め込み、時折、突然堤防を破壊したように濁流化するのである。
「痺れと痛み」がミルフィーユの様に、バームクーヘンの様に・・・
そこには決して必要のない「ドライアイス」がべったりと張り付いてしまう様な事さえある。現実は こんなに甘い例え話ではなく、声に出せない程の辛苦の世界に引きずり込まれるのである。
だから、誰にも経験をして欲しくないと思ってしまう。

脳出血のいちばんの原因は「高血圧」で「高血圧性脳出血」と言う。
血管が硬くもろくなってしまう「動脈硬化」も脳出血の原因となる。
動脈硬化は高血圧により発生する事もあり、さらに高血圧が続けば続くほど悪化していく。
担当の脳外科医は「原因は高血圧だった」と淡々と下表情で語っていた。
出血は、すぐに止まる場合もあるが、数時間もの長い時間出血し続ける場合もある。
出血が続くと脳へのダメージも大きくなり、症状が悪化していく。
症状が更に深刻になったり、一度消えた症状が再び現れた時には、とても危険な状態になってしまう事もある。
だが、幸い、現時点では一日一粒の降圧剤のお陰で「再発はないだろう」と言われている。

脳出血の症状・発作が起こるのは、多くの場合、日中の活動している時間だと言われている。これは、活動している時の方が血圧の変動が激しい為だ。季節でいうと真夏と真冬に多く起こり、時間帯では朝の7時頃と午後5時頃と言われている。
私の場合は 真夏ではなかったが、夏の名残のある晴天の昼下がりで夕方近くにはなっていた。
「前触れは?」と多くの人が聞いてくる。
ある! あった! 一過性黒内障があった。それも二度もあった。三度目は哀しいかな「脳出血」のストロークになって現れたのである。

脳出血の症状は一気に現れる。
脳出血の代表的な症状は、「頭痛」「吐き気・嘔吐」「手足のしびれ」「意識障害」な等で、脳出血が起こって数分で発症するとの事である。
脳出血は、脳の出血する場所により「被殻出血」「視床出血」「皮質下出血」「脳幹出血」「小脳出血」の 5つの種類がある。
私の被殻出血とは、脳の中央にある「被殻」という場所から出血する脳出血だった。
脳出血の中でも一番多く見られるもので、脳出血の約40%位を占めている。
被殻出血による主な症状は、「片麻痺」「感覚障害」「片側の視野障害」等で、更にに進行すると「意識障害」が起こる。

こんな事、盛年期の人間が気にするだろうかねえ~
私の場合だって、55歳・・・高齢者だなんて思っていないし、予備軍とも思っていなかったのが事実である。
健康が取り柄の人間が、50歳を過ぎたからって、毎日毎日をビクビクしながら生活するなんて・・・考えられない!
脳卒中の前触れとして、私は特一過性脳虚血発作(TIA)として一過性黒内障を経験した。
一過性脳虚血発作(TIA)とは?・・・・transient ischemic attackの頭文字を取っている「一過性脳虚血発作(TIA)」とは、脳梗塞の前兆・前触れとしてよくみられる症状で、血液の固まりである血栓が脳の動脈で詰まって血流が途絶えることで起こる症状である。「片麻痺」、「体の片側のしびれる」、「めまいが起こる 」、「ろれつがまわらなくなる 」、「物が見えにくくなる 」、「視野が欠ける 」、などの症状が起こる。
症状は多くの場合は数分(2分~15分)、長くても 1日ぐらいに消えてしまう。
これは、詰まっていた血栓が溶けることで、血流が回復するからである。
脳出血の前兆・前触れは、はっきりとした症状として現れることがなく、突然発症することが多く、ほとんどの場合は、前兆がなく突然発症するのが脳出血で、希に「一過性脳虚血発作(TIA」と同じ症状が脳出血の前兆・前触れとして現れる事がある。その「希」が一過性黒白障として見事に私にあたったという事だろう。

私の場合の一過性黒内障は、暑い季節になって突然、ものの一分右目が黒いブラインドを降ろしたようになった。すぐに黒幕は消え、一ヶ月後に再びやって来たのである。
TIAは自然に回復するからといって、そのままほうっておいていいものではない。そう悟り始めた私だったが、時は既に遅しで、TIAが起こるという事は脳梗塞や脳出血になる危険がかなり高いという事なので、次には最悪の事態になってしまう可能性がある、そして三度目の正直は黒内障ではなく、私の右半身の自由を奪ったのである。。
厄介名事にTIAはすぐに納まってしまうので、ただの気のせいか、ちょっと疲れているのかぐらいにしか思わずそのままにしてしまうという危険はある。私という経験者は語る、である。

さて、優位半球の事にチョット触れてみよう。優位半球とは、大脳半球の左右いずれか一方がある機能に関して主として働く半球の事である。
一般に、右利きの人の脳は左脳が優位半球になる。私は右利きだから左脳が優位半球だという事である。
従って、私は左脳に出血が起こって反対側の右半身に麻痺が残ってしまったという事である。そして左脳出血だったが為に、失語症状がすぐに現れたのである。
出血が被殻の部分だけなら症状は軽くすむが、出血が基底核部の内包(運動神経線維が扇のかなめのように集まっている部分)にまで及んでしまうと、出血部位の反対側に麻痺や感覚障害が起こるのである。
出血が視床までがダメージを受けなかったのは不幸中の幸いだと思っている。視床出血は死亡率が高い脳出血だが、命が助かっても、痺れ、痛み、意識障害、片麻痺等の後遺症が残る事が多いのである。
私の一番の問題が「言語障害」だった。救急病院での主治医が二年間の米国留学を終えて帰国したばかりだったというのはとてもラッキーだったのである。
私が「先生、私は何らかのストロークを起こしたんですか?」と言うと彼は驚いた様子ですぐに答えてくれたのである。英語が話せる。嬉しかった瞬間!

英語という言語に非情に関係があるのが尾状核であると発表されたのはつい数年前のことである。日英独が共同研究の結果を発表した時、私は小躍りしたものである。尾状核は脳の中心付近、視床の両側に存在している。脳の2つの大脳半球にはそれぞれ尾状核が存在するのだが、左尾状核は特に、単語の理解と調音 (articulation) を複数の言語間でスイッチする時に、これらを支配している視床と関係していることが示唆されている。尾状核が学習と記憶、特にフィードバック処理に強く関わっていることが証明されている。一般的に、尾状核で起きる神経活動は被験者がフィードバックを受け取っている時に発生している事が示されている。
私の場合、この尾状核が盛んに活発に働いたと思える。だから、先ず英語がコミュニケーションの手段として働き、次ぎに日本語社会という環境が私に日本語を蘇らせたのである。

脳卒中後のし痺れが、麻痺のある側の手足、体や顔、口の周りなどに常時感じられる場合は、まず中枢性疼痛と同じ現象、即ち、中枢性の痺れと考えて差し支えない。
中枢性の痛みと痺れが同時に感じられるのが多いが、痛み、痺れのどちらか単独の事もある。私の場合は 発病後凡そ半年で痺れを感じるようになったが、痛みはそれよりずっと遅れてやってきたが、今は両方ともが「長逗留」を決め込んだらしく、急襲・激襲には言葉もない。軽く感じている時も健人には多分堪えられないだろうと思う。
痺れの性状は、ひりひり、じんじん、びりびり、ぴりぴり、などと表現されるが、私のはじんじんがんがん、である。ひりひり、ぴりぴりは決してない。。
常に感電させられているような、痛みとはまた違った不快感があり、痛みの場合と同様に精神的に参ってしまうことが多い。

治療には中枢性の痛みの場合と同様の薬が有効だとは言うものの、本人にしてみれば完全に痺れが止まることはなく、医学界では半分くらいに減らす事を目標に治療を行っているのが現状だが、私は安易には聞き入れていない。痺疼痛位では死に至る事はないと考えられているからだろう。

私は 今現在「痺れ、痛み、片麻痺」と闘っている訳で、これは一生続く我が身の内戦だと思っている。この痺疼痛を感じている間は「生きている」を実証しているのである。