ところで現代の人間らしく、未来は国際交流にとても関心がある。単に国際語の英語を理解しているというだけではない。国際人ってどんな人? 国際交流って何するの? これらについては詳しく別の機会に取り上げてみたいが、今は国際人が国際語を利用して国際交流を実行するのに最も大切な事は国際理解という事だという考えを念頭に置いたらいいと思っている。
障害社会に自ら飛び込んでいく前は国際化とノーマライゼーションはすぐには繋がらなかった。国際化を叫ぶ前に国際理解を掲げるべきであると力説してきた未来は今、先ず、障害者とノーマライゼーションを考えるようになったのである。自分とノーマライゼーションを考えるとすれば、未来自身が障害を持つ人間になったのだから当然の事である。最近やたら片仮名が氾濫してきて、ノーマライゼーションとかバリアフリーとかいう言葉が特に障害社会や高齢社会を語る時には頻繁に顔を出す場面に出くわす。
外来語であろうが和製英語であろうが、意味をよく理解した上での言いたい放題は許せるが、カタカナを頻出させて自分本位の事だけを並べると癪にさわるものである。英和辞書を広げてみれば、ノーマライゼーションは標準化とか正常化と訳されている。バリアフリーは柵とか障壁という意味のバリアを前に置いて自由にするとか解放するというフリーという言葉を付けたのだから当然、言わば「関門を解き放つ」という事で確かに「自分自身を自由に動かせる」というわけである。
障害者の立場で一般社会の中で生活するにあたって自らが自由に振舞えるほど嬉しい事はない。それなのに日本では言葉が先行して、障害者が心から喜ぶ状態にはなっていない。そんな事はないって? そうなの? 障害者本人が言っているのだから、確かである。 つづく・・・
障害社会に自ら飛び込んでいく前は国際化とノーマライゼーションはすぐには繋がらなかった。国際化を叫ぶ前に国際理解を掲げるべきであると力説してきた未来は今、先ず、障害者とノーマライゼーションを考えるようになったのである。自分とノーマライゼーションを考えるとすれば、未来自身が障害を持つ人間になったのだから当然の事である。最近やたら片仮名が氾濫してきて、ノーマライゼーションとかバリアフリーとかいう言葉が特に障害社会や高齢社会を語る時には頻繁に顔を出す場面に出くわす。
外来語であろうが和製英語であろうが、意味をよく理解した上での言いたい放題は許せるが、カタカナを頻出させて自分本位の事だけを並べると癪にさわるものである。英和辞書を広げてみれば、ノーマライゼーションは標準化とか正常化と訳されている。バリアフリーは柵とか障壁という意味のバリアを前に置いて自由にするとか解放するというフリーという言葉を付けたのだから当然、言わば「関門を解き放つ」という事で確かに「自分自身を自由に動かせる」というわけである。
障害者の立場で一般社会の中で生活するにあたって自らが自由に振舞えるほど嬉しい事はない。それなのに日本では言葉が先行して、障害者が心から喜ぶ状態にはなっていない。そんな事はないって? そうなの? 障害者本人が言っているのだから、確かである。 つづく・・・