脳のミステリー

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45.真のノーマライゼーションって?バリアフリーって?

2005-11-23 15:42:09 | Weblog
 ところで現代の人間らしく、未来は国際交流にとても関心がある。単に国際語の英語を理解しているというだけではない。国際人ってどんな人? 国際交流って何するの? これらについては詳しく別の機会に取り上げてみたいが、今は国際人が国際語を利用して国際交流を実行するのに最も大切な事は国際理解という事だという考えを念頭に置いたらいいと思っている。
 障害社会に自ら飛び込んでいく前は国際化とノーマライゼーションはすぐには繋がらなかった。国際化を叫ぶ前に国際理解を掲げるべきであると力説してきた未来は今、先ず、障害者とノーマライゼーションを考えるようになったのである。自分とノーマライゼーションを考えるとすれば、未来自身が障害を持つ人間になったのだから当然の事である。最近やたら片仮名が氾濫してきて、ノーマライゼーションとかバリアフリーとかいう言葉が特に障害社会や高齢社会を語る時には頻繁に顔を出す場面に出くわす。
 外来語であろうが和製英語であろうが、意味をよく理解した上での言いたい放題は許せるが、カタカナを頻出させて自分本位の事だけを並べると癪にさわるものである。英和辞書を広げてみれば、ノーマライゼーションは標準化とか正常化と訳されている。バリアフリーは柵とか障壁という意味のバリアを前に置いて自由にするとか解放するというフリーという言葉を付けたのだから当然、言わば「関門を解き放つ」という事で確かに「自分自身を自由に動かせる」というわけである。
 障害者の立場で一般社会の中で生活するにあたって自らが自由に振舞えるほど嬉しい事はない。それなのに日本では言葉が先行して、障害者が心から喜ぶ状態にはなっていない。そんな事はないって? そうなの? 障害者本人が言っているのだから、確かである。 つづく・・・

44. 未来という名前

2005-11-19 11:13:54 | Weblog
 未来をほんの少し知る人は呑気で、不幸知らずの楽天家だと言う。未来と長く深い付き合いのある人は熟慮の心があって心憎い気配りのある女だと言ってくれる。未来本人は何れをも持つ人間だと思っている。
 そして自分の名前がそれを語っていると思っている。ミクとよんでもミキとよんでも女の子の名前であれば普通なら美しいという漢字を当てはめてみたいのではないだろうか。一生、美を追い求める人生という意味を還すのであればこの漢字は素晴らしいが、「未だ」という字を当てはめると未だ訪れていない可能性を思い浮べる事になる。未来の名前はミライという読み方が正しい。英語で意味を聞かれたらとても簡単でフューチャーは将来の何ものでもないが、日本語は単純にそうはいかないところが面白い。未来という字は将来という意味が一番考え易く、未だやって来ていない時を指し、現在の後に来る訳だが、前途洋々と言えば将来に望みが多い様を表して順風満々の人生を思い浮かべるだろう。
 だが、仏教では来世の事で死後の世界を意味するのは周知の通りである。現生と来世の狭間に身を置いた時、三途の川を前に未来は突き進まずきっと、さも忘れ物をしてきたかのように迷わずUターンしてきたのだろう。今となってはあちらの世界もちょっと見てくればよかったかな、と悔しがる時もある。将来に悲観する人もいるが、未来はそんなマイナス人間ではない。未来図と言えば、未来を理想化して想像上のありさまや姿を絵画や彫刻、また、文章に表したものを指すではないか。二十世紀初期イタリアの芸術運動に未来派というのがあるが、現象の時間的な流れの印象を感覚的に表して機械文明を賛美している。未来という未だ見ぬ世界には嬉しい期待を持つものだ、と未来自身は思うのである。だからこそ未来というプラス人間が再稼動し始めたという訳である。 つづく・・・

43.突然の障害社会で得るものは?

2005-11-11 04:04:49 | Weblog
 十二月に入ってまもなく暖める事によって爪先が痒くなり、更に腕に痛みを感じるようになった未来は痛みという感覚が自分に戻った事を正にプレゼントとして二十六日に受容したんだと悟った。二日後、未来が病院を訪れて医師に訴えると体内で何かしら変化が起きているのだろうという説明をしてくれた。後遺症というかけがえのない相棒と二人三脚の人生も面白そうだなと自ら期待を持つ未来はやはり変人奇人なのだろうか。痺れ、痒み、痛みという段階を踏んで感覚が少しずつ戻ってきているようだが感覚障害があった方がいいと思う時もあるほど耐え難い痛みは容赦なく、時を選ばず、無論、場所も選ばず未来を突然襲って悩ますのである。未来の当面の難問はこの妙な感覚にどのように対応してうまく付き合って生活するかという事である。自らの身体を題材にして研究する覚悟を自覚する事が肝心だと思った。
 障害で失ったものと得たものを考える時、未来は三十年余り前の自らの結婚を思い出す。十五で知り合った二人がそれまでに培ってきた交友関係はどちらかというと共有してきたものであった。結婚で失ったものは結構気の合っていた男友達、得たものは大勢の新しい老若男女の友人である。特にご年配の男女の先輩からは色々な事を学んだ。昔からの男友達も少しは付き合いが残っている。新しい友達の中には新しい男友達もいる。連れ合いを通して知り合って、未だに相談相手になってくれる人もいる。
 あえて障害社会で新しく知った人や事柄を違った視点から考えると、とても大切だと感じる。今は何をするにも、以前から今尚付き合いのある友人が賛同してくれる上に、障害を通して知り合った多くの新しい友人が応援してくれる事実が強い味方になってくれる。有難い事である。自ら障害を自負する人達は個々に違った事実を極めて自然に未来に吹き込んでくれる。
 生まれてすぐに未来を受け入れてくれた社会は家族が構成する家庭だった。やがて幼稚園、学校と様々な人間が行き交う新しい社会が次々に未来に紹介された。二十代初めに所謂一般社会に初めて身を置いて以来、未来は特に何も取り立てて考えずに前進してきた。果して一般社会に対して特別な社会というのが存在するのだろうか。確かに純真に広がる子供社会と経験豊かな高齢社会が特別社会と言えるかもしれない。ならば所謂一般社会は大人達が先頭をきって率いるごく普通の一般社会と未来のような障害者が中心の一般社会という二つの社会で構成されているのではないかと思う。然したる障害もなくスムースに物事を運ぶ社会と、山あり谷ありの社会、即ち障害のある社会という事である。   つづく・・・

42.昨年のボックシングデーは?

2005-11-06 06:44:54 | Weblog
 一般的に怪我や病気は快復すれば、人生が特に際立って複雑に変わる事はない。一方、快復に後遺症が道連れとして名乗り出れば、人生は回復のレールに乗る事になる。これはかなり以前とは違った社会の中で生きていくことになる。大変だ!と叫んだ未来は確かに心中穏やかではいられず、人生が大きく変っていくのを実感したのである。このレールは途中、単線になったり、複々線になったり、又、引込み線になったりする。殆どの場合は一方通行で滅多に出会い頭の事故にはぶつからないものの、並行走行しながらぶつかる事もある。極最近、未来が経験する様になった症状で、痺れに痛みが重なり、更に痺れを感じる事がある。こんな症状を一般的に説明すると、こんな風になるんだと未来は思った。
 五十代最後の暮に未来は意味のあるクリスマスプレゼントを貰った。それもイブではなく、クリスマス当日でもなく、二十六日のボックシングデーに貰った。未来を突然襲ったこの異常感覚は紛れもなく自分の脳からのクリスマスプレゼントだった。この日は未来が現在住んでいる近くの宮邸で高松宮妃の葬儀があった。欧米では十二月二十六日はサーバント達がプレゼントを開いて自らを労う風習がある。フェスティブシーズンの十二月は二十五日まで働き蜂のように働き続ける家臣達が前もって貰ったプレゼントをひと先ず箱に収めておいたのをやっと静まり返った翌二十六日に開けるという古い風習である。 つづく・・・