平成13年9月、左脳で被殻出血が起きて右半身不随を宣告されて私は障害社会に足を踏み入れた。そして、あの時から、障害者手帳が私の身分証明書になった。
脳卒中は癌や心疾患と並んで日本人の三大死因の一つである。それらはかつて成人病といわれ、年をとるとやむを得ない理由で掛かるのだと考えられていた。無論、成人みんなが掛かる訳ではない。そこで成人病の原因を突詰めると、普段の生活習慣が大きなキーポイントになっている事が明白になってきたのである。生活習慣で考えられるのは、食生活や運動習慣、それに職場や近所付き合いや家庭などのストレスであるという事で、成人病は生活習慣病という表現に改められたのである。
高齢者の門を潜ると、そこは老齢からやがて死計に続く道が用意されている事はどんなに足掻いても避ける事は出来ない。でも、生活習慣病という表現には「運悪く発症したのでない」とか「自業自得だよ」という主張が込められているのである。勿論、遺伝的素因もあるが、この自業自得病は注意という言葉がある程度防ぐ事が出来るのである。経験者が言うんだから、結構信憑性がある筈だ。
ちょっと、話題を変えて、「障害」という言葉について少し違った面から考えてみよう。
私はバリアフリー社会を創造するNPO法人BFC(Barrier Free Communications)のホームページに毎月一回エッセイをノーマライゼーションを念頭に置いて書いている。
還暦を迎えた私の同輩仲間の殆どは今も生涯お嬢さんや万年青年だが哀しいかな他界した惜しい仲間も少なくない。私の周りでこれまであまり身近に聞く事がなかった病気がままある。ある著名なご婦人の娘さん(私の幼友達)の夫が40代前半の若さで癌で亡くなったと聞いた時、涙も出ない程驚いたが、かつてハワイ旅行を一緒に愉しんだ学友が50歳になるかならないかで肺癌で他界した時は涙が枯れる程私は嘆き哀しんだ。癌とか心臓病とか脳卒中はよく耳にする病名だが、最近、大好きな素敵な女性の一人が夫の膠原病に悩んでいる事を知った。もう一人の可愛い女性は多発性末梢神経炎という聞きなれない病気と連日連夜闘っているのを知っている。まだまだ無知で発展途上だと自称する私にしてみれば、奇病持ちの筆頭は私の友人である。彼女から鐙骨麻痺(2005年ブログNo.30)なる病名を聞かされた時、「アブミ骨?」と私は怪訝な顔をしてしまった。「どこの骨?」とつい聞いてしまった。説明されてもいまひとつ何とも不可解で、図書館で必至に学んだ記憶がある。
人に知られていない病は沢山あるが、人には見えない所にある障害も沢山あるという事だ。内臓に障害がある人は無論、健常者といわれる人も疲労などで俄か障害者になる場合がある。こうなると人間、みんなが夫々に障害を持っている事になる。障害者手帳を持つ人が便利に感じる事は健常者にとっても使い易いのではないだろうか。トイレといえば、かつては薄暗くて汚くて厭な臭いがしてなるべく利用を控えたものだが、最近ではかなりお洒落になってきている。消臭だけでなく消音装置もよく見かける。だが、多目的用トイレは普通より明るくて誰にも好まれる筈だという事に気づいている健常者がどれ位いるだろうか。障害者用などサインを明らかにしないでも、老若男女を問わず一寸その日一瞬でも不便を感じている人が手すり完備の広いトイレが使えたり、優先席に座れたり、心おきなく事が運べたら、ノーマライゼーションという言葉を殊更ながら敢て取り上げる必要もなくなるだろう。
脳卒中は癌や心疾患と並んで日本人の三大死因の一つである。それらはかつて成人病といわれ、年をとるとやむを得ない理由で掛かるのだと考えられていた。無論、成人みんなが掛かる訳ではない。そこで成人病の原因を突詰めると、普段の生活習慣が大きなキーポイントになっている事が明白になってきたのである。生活習慣で考えられるのは、食生活や運動習慣、それに職場や近所付き合いや家庭などのストレスであるという事で、成人病は生活習慣病という表現に改められたのである。
高齢者の門を潜ると、そこは老齢からやがて死計に続く道が用意されている事はどんなに足掻いても避ける事は出来ない。でも、生活習慣病という表現には「運悪く発症したのでない」とか「自業自得だよ」という主張が込められているのである。勿論、遺伝的素因もあるが、この自業自得病は注意という言葉がある程度防ぐ事が出来るのである。経験者が言うんだから、結構信憑性がある筈だ。
ちょっと、話題を変えて、「障害」という言葉について少し違った面から考えてみよう。
私はバリアフリー社会を創造するNPO法人BFC(Barrier Free Communications)のホームページに毎月一回エッセイをノーマライゼーションを念頭に置いて書いている。
還暦を迎えた私の同輩仲間の殆どは今も生涯お嬢さんや万年青年だが哀しいかな他界した惜しい仲間も少なくない。私の周りでこれまであまり身近に聞く事がなかった病気がままある。ある著名なご婦人の娘さん(私の幼友達)の夫が40代前半の若さで癌で亡くなったと聞いた時、涙も出ない程驚いたが、かつてハワイ旅行を一緒に愉しんだ学友が50歳になるかならないかで肺癌で他界した時は涙が枯れる程私は嘆き哀しんだ。癌とか心臓病とか脳卒中はよく耳にする病名だが、最近、大好きな素敵な女性の一人が夫の膠原病に悩んでいる事を知った。もう一人の可愛い女性は多発性末梢神経炎という聞きなれない病気と連日連夜闘っているのを知っている。まだまだ無知で発展途上だと自称する私にしてみれば、奇病持ちの筆頭は私の友人である。彼女から鐙骨麻痺(2005年ブログNo.30)なる病名を聞かされた時、「アブミ骨?」と私は怪訝な顔をしてしまった。「どこの骨?」とつい聞いてしまった。説明されてもいまひとつ何とも不可解で、図書館で必至に学んだ記憶がある。
人に知られていない病は沢山あるが、人には見えない所にある障害も沢山あるという事だ。内臓に障害がある人は無論、健常者といわれる人も疲労などで俄か障害者になる場合がある。こうなると人間、みんなが夫々に障害を持っている事になる。障害者手帳を持つ人が便利に感じる事は健常者にとっても使い易いのではないだろうか。トイレといえば、かつては薄暗くて汚くて厭な臭いがしてなるべく利用を控えたものだが、最近ではかなりお洒落になってきている。消臭だけでなく消音装置もよく見かける。だが、多目的用トイレは普通より明るくて誰にも好まれる筈だという事に気づいている健常者がどれ位いるだろうか。障害者用などサインを明らかにしないでも、老若男女を問わず一寸その日一瞬でも不便を感じている人が手すり完備の広いトイレが使えたり、優先席に座れたり、心おきなく事が運べたら、ノーマライゼーションという言葉を殊更ながら敢て取り上げる必要もなくなるだろう。