大型連休で始まった今年の五月は何とも妙な天気が続いている。晴れるんだか? 雨降りなのか? はっきりしてくれないかなあ・・・
でも、これが五月らしい不順な天候の状態なんだそうだ。
ところで、日本書紀にもあるが、五月と書いて「さつき」と読ませる日本語は面白い。この月は田植をする月だから元は「早苗月」と言っていたらしい。「さ」という言葉だけで古語では田植を意味する。後に皐月という字が使われるようになったのだが、元々、皐という一文字で「神に捧げる稲」いう意味をあらわす。桜が散った後に咲くツツジは春の花で、今、調度、街はサツキに入れ替わっているところだ。ツツジが終わってから初夏の花、サツキの季節になるわけだ。ツツジ、サツキと似た様な花が咲き乱れるのが続くのでツツジファミリーが他の花々より長い間、人の目を愉しませてくれる事になる。ツツジとサツキの違いがパッと見ただけでは分からないのも無理はない、一族なんだから・・・ 実は、サツキはツツジより一歩遅れるが、一つの枝に異なった色の少し小さな花を同時に開花させるという大きな違いがある。
人間社会では旧暦だ、新暦だ、と言っているが、自然界は我冠せずで、実に我が道をゆくである。兎に角、五月は言葉と自然と感触がバラバラに思える月である。旧暦五月は新暦では六月から七月に当たり、梅雨の季節である。だから、お天気自体がどっちにいっていいのか分からないのだろう。梅雨の事を五月雨(さみだれ)というが、五月(さつき)晴れ(ばれ)を梅雨の晴れ間だとすぐ分かるのは難しいかも知れない。鬱陶しい梅雨と爽やかな五月晴れをあまりに無関係に捉えているからだろう。
五月晴れという言葉は何とも清々しい晴天のイメージが強いが、所詮、梅雨時に使われる言葉なんだから、梅の実がなるというように喜ばしい事があるかと思えば、カビが生え出すというような嫌な事もあるのがこの時期である事は仕方ないだろう。
自然界の天候不順も、人間界の精神不安定状態もこの時期は避けられないのだから、私の死んだ右半身が、このまま死んだ状態で暴れてやろうか、それとも恰も甦らんとばかり大暴れでもしてやろうか、とどっちつかずになってもしょうがないか!?! でも、耐え難い痺れに襲われ、例の小癪な小人、ホムンクルスがちょこちょこ顔を出しては右半身を困らせるのは始末に悪い事である。
五月は、いずれアヤメかカキツバタ、ツツジにサツキ、名も知らない花まで綺麗に咲き誇るが、太陽も雨も自分の出番が定まっていないのだから、私も右半身を襲ってくる異常な痛痺れに我慢するよりないのだろう。
私らしい結末を記そうか。こんな不順な天候の中、色々なたくさんの花が美しく咲くが、こんな最悪な季候の中、姉曰く、次から次へと漆の器は出来上がるんだって! やっぱり自然って素晴しい! 冒頭にもあるが、今年の五月は妙で、晴れるんだか雨降りなのか一向に曖昧だが、これぞ本来の梅雨時の天気らしい状態なのかもしれない。それでは、仕方なく、諦めて、人間界から自然界に向けて、ビバ!ネイチャー!
でも、これが五月らしい不順な天候の状態なんだそうだ。
ところで、日本書紀にもあるが、五月と書いて「さつき」と読ませる日本語は面白い。この月は田植をする月だから元は「早苗月」と言っていたらしい。「さ」という言葉だけで古語では田植を意味する。後に皐月という字が使われるようになったのだが、元々、皐という一文字で「神に捧げる稲」いう意味をあらわす。桜が散った後に咲くツツジは春の花で、今、調度、街はサツキに入れ替わっているところだ。ツツジが終わってから初夏の花、サツキの季節になるわけだ。ツツジ、サツキと似た様な花が咲き乱れるのが続くのでツツジファミリーが他の花々より長い間、人の目を愉しませてくれる事になる。ツツジとサツキの違いがパッと見ただけでは分からないのも無理はない、一族なんだから・・・ 実は、サツキはツツジより一歩遅れるが、一つの枝に異なった色の少し小さな花を同時に開花させるという大きな違いがある。
人間社会では旧暦だ、新暦だ、と言っているが、自然界は我冠せずで、実に我が道をゆくである。兎に角、五月は言葉と自然と感触がバラバラに思える月である。旧暦五月は新暦では六月から七月に当たり、梅雨の季節である。だから、お天気自体がどっちにいっていいのか分からないのだろう。梅雨の事を五月雨(さみだれ)というが、五月(さつき)晴れ(ばれ)を梅雨の晴れ間だとすぐ分かるのは難しいかも知れない。鬱陶しい梅雨と爽やかな五月晴れをあまりに無関係に捉えているからだろう。
五月晴れという言葉は何とも清々しい晴天のイメージが強いが、所詮、梅雨時に使われる言葉なんだから、梅の実がなるというように喜ばしい事があるかと思えば、カビが生え出すというような嫌な事もあるのがこの時期である事は仕方ないだろう。
自然界の天候不順も、人間界の精神不安定状態もこの時期は避けられないのだから、私の死んだ右半身が、このまま死んだ状態で暴れてやろうか、それとも恰も甦らんとばかり大暴れでもしてやろうか、とどっちつかずになってもしょうがないか!?! でも、耐え難い痺れに襲われ、例の小癪な小人、ホムンクルスがちょこちょこ顔を出しては右半身を困らせるのは始末に悪い事である。
五月は、いずれアヤメかカキツバタ、ツツジにサツキ、名も知らない花まで綺麗に咲き誇るが、太陽も雨も自分の出番が定まっていないのだから、私も右半身を襲ってくる異常な痛痺れに我慢するよりないのだろう。
私らしい結末を記そうか。こんな不順な天候の中、色々なたくさんの花が美しく咲くが、こんな最悪な季候の中、姉曰く、次から次へと漆の器は出来上がるんだって! やっぱり自然って素晴しい! 冒頭にもあるが、今年の五月は妙で、晴れるんだか雨降りなのか一向に曖昧だが、これぞ本来の梅雨時の天気らしい状態なのかもしれない。それでは、仕方なく、諦めて、人間界から自然界に向けて、ビバ!ネイチャー!