脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

284.猛暑時のロン毛ワンコってホラー? ノー、アイム・スィーティー!

2008-07-26 05:45:36 | Weblog
一見無個性で実は個性派・・・これがコッカースパニエルです。
街でよく見かけるコッカースパニエルはアメリカン!
ディズニー映画の「わんわん物語」に登場するのはこのアメリカン・コッカースパニエル!
意地悪シャム猫に虐められて、のら犬トランプにSOSを発信してハッピーエンド・・・つまり主人公のトランプのシンデレラボーイ物語でしたね。
半世紀以上も世界の子供達のワンダフル・フレンドになっているのが実はコッカースパニエルです。
今日 ご紹介するのはACGのアメックスちゃん! 
ACGって何? American Cocker- spaniel Girl の略語!
じゃあ、APCは? American-express Platinum Card 否Cockの事で~す?
cockはcockerの略語! フムフム! 納得する?
もうひとつ おまけはcock・・・
コケコッコーって何? そうcock-a-doodle-dooって書くんですよね! 全然違うじゃん!
とにかく英国のコッカースパニエルは cockつまりヤマシギ狩猟用の犬だったのです。
それが米国に渡って愛玩用になったって訳です。
はい、クーの「言葉・語源・犬源レッスン」はこの辺でストップしましょうか?

さて、とにかく今日の主役はコッカースパニエルのアメックスちゃんで~す。
ハ~イ!ってどこからでも登場してしまいそうな活発な女の子です!
ああ、ワンちゃんじゃなくて飼い主のFLOWERさんの事です。
飼い主は 我らワンダフル仲間には珍しくマダムではなくヤングレディーです。
ヤングレディですよ! ヤングレディ!
FLOWERさんは名前通り花真っ盛りのお嬢さん!
現代っ子のFLOWERさんは正に 昭和生まれの平成育ちの素敵なお嬢さん!
そんなヤングレディとアメックスちゃんの生活、知りたい?
そうそう忘れてた! cockって時に「親分」になったり時に「仲間」という意味にもなったりするんですよ!
どうですか? 
もしかしてcockって アメックスちゃんとお姉ちゃんのワンダフルドュオネームでしょ!
FLOWERお姉ちゃまは アメックスちゃんの避妊手術にとっても心配していました。
勿論、自分だってうら若き乙女なんですから・・・
その後は実は 猫可愛いがりよう?でアメックスちゃんを玩具にしたり、お姉ちゃまが反対に玩具になってくれたりします。
そんな訳で アメックスちゃんは日本一幸せなワンコです!
FLOWERお姉ちゃまが そっと教えてくれたんですが・・・
アメックスちゃんには もうひとつ隠れたエピソードがあるんです!
お姉ちゃまがかなりブルーで凹んでた時 アメ横で出会ったのがアメックスちゃん!
可愛くて可愛くてもう一度見に行ってゲット!
そこで 子犬の名前はアメちゃんに決定!
良かったね!
アメはアメでも 横須賀のアメ兵通りだったら 名前がドブ!
だって あそこは「アメ横」じゃなくて「ドブ板通り」だもの!!!
アメックスは恰好いいけど・・・ドブックスじゃあね・・・チョットねえ・・・!
ブルーだったFLOWERお姉ちゃまは アメックスのお陰で 今は花花花、と華やかに!
ミクシイ仲間には フォトアルバムだと分かり易いかも!
閲覧キーは クーかFLOWERさんに チェック!

次回も 続けてロン毛コッカーが登場! 乞うご期待を!

283.中枢性疼痛に ハイパーグラフィアが疼く!

2008-07-25 08:01:50 | Weblog
末梢性の痛みに比べて頻度は低いのだが、より苦痛を伴い、難治性で厄介なのが中枢性の痛みである。今年に入ってから、私はこの中枢性疼痛に始終悩まされている。これは脳卒中の病変が直接の原因となって痛みをきたすもので、視床出血や視床梗塞による視床痛のほかに、大脳の出血や梗塞による中枢性疼痛、脳幹病変による中枢性疼痛なども知られている。
痛みを感じとるセンサーは体中至る所に張り巡らされていて、その信号は末梢の感覚神経のケーブルを通り、脊髄を経由して脳の視床というところで情報処理され、最後に大脳皮質の感覚中枢で痛みとして感じられると考えられているのは周知の事である。普通の痛み、すなわち末梢性の痛みは痛みセンサーの刺激で生じるのだが、中枢性の痛みの場合は、手足の末梢には痛み刺激が加わらないのに、視床や大脳の感覚神経の情報処理の異常のために、いわば「脳の中で」痛みを感じてしまうわけだ。だから安心していていいのは、例え痛みが強くても、脳卒中の再発を心配する必要はないということになる。
痛みは、脳卒中の発症直後から起こることもあるが、多くは何ヶ月かしてから始まる。半身、特に手足のうずくような耐え難い痛みで、痺れを伴うこともしばしばある。然るに私の場合は、痛みに絶えず痺れを伴っているのは確かである。
気分、天候(曇天、降雨の前にひどくなる)、気温(寒冷で悪化)、更に日本特有の湿気の影響を受けやすく、刺激でひどくなるのを防ぐ為にはどうしたらいいのか悩んでいる。

数年前、プロのマッサージ士が手や肩を揉んでくれたことがある。良かれと思ってか、その人は麻痺している右側の手や肩を集中的に揉んでくれた。実は、それが恐怖の始まりだった。「痛いからやめて!」と言っても「少しは我慢して!」と言うので私は拷問を受けたようでも我慢した。失礼だが、それは私にとっては確かに拷問そのものだった。だが、後になってマッサージを受けた手足が痛むことは無かったので適切な治療だったのだろうと思わざるを得なかった。実際には感覚が無いので痛いのかどうかも解らなかった。しかし、あの時の治療の痛みは忘れられない。そして私はリハビリ病院の療法士に相談してマッサージ士の診療所に通うのをやめた。理由は「肩や腕に触れられると自然に筋肉が萎縮してしまうから」という事だった。
あの頃の私の右半身は感覚も無ければ痛みもなかった。あるのは痺れだけだった。
あの頃の私は、同じような後遺症を受容して「痛い!」と苦しみ悩んでいる人を見て「可哀想に」と思っていた。故鶴見和子さんが「恥も外聞もなく罵声を発したいほど痛い!」と書き綴っているのを読んで「私はズッと幸せだ」なんて、やがてそんな時期が自分にもやって来ることも知らないで、他人事のように思っていたのである。鶴見さんは時折、NHKに出て話をされていたが、疼痛の話になって聞き手が「痛いでしょうね」なんて言おうものなら、彼女独特の言い回しで言ってたものだ。
「あんたになんか分かるわけないんだから、気休めはやめて頂戴!」
そんな放談を聞く度に、私はラジオに向かって「そうだ!そうだ!」と言っていたものである。威勢のいい鶴見和子さんが逝ってしまってもうどれくらいになるだろう。寂しい!
そして私は、発病直後の右片麻痺には感覚もなく、痺れもなく、痛みもなかったが、そんな状態の中で少しずつ体に変化が現れ始めたのだった。先ず痺れが来て、次ぎに痛みが来たのである。 
腕、肩、右顔面に鈍痛が少しづつ走り出し始めたのは、かなり初期の段階からである。腕、肩は少しは我慢できるが、特に右顔面は辛い。右顔面の鈍痛がひどい時は目の複視(左右の目のピントが合わない)もひどく用の無いときは目をつむっている時間が多い。幾分痛みが和らぐからである。
右半身の鈍痛が増すにつれて、ほんの少しづつ感覚が戻ってきていると云う感じは確かにあったが、だんだんひどくなる鈍痛には耐えがたいものがある。ただ寝ている時は鈍痛は多少なりとも和らぎ、眠気が睡魔に勝てなくなる頃には気が薄れていくのが日常だと言える。だが、朝 目覚めた時は痛みはほとんど無いが起きるとまた、鈍痛がおそってくると云う 繰り返しという事である。とにかく、痛みで寝れないということは無いので、それだけでも助かっている。それは今でも同じである。
それならば寝ていたらいい、という酷なことをいう人がいる。そんな人にはビンタを食らわしてやりたい! ズッと寝ていたら、第二の人生を貰った意味がない。
私は顔面の痛みがとれるなら、右手足はなくなってもいいとまで思う事がしばしばある。そのくらい顔面の痛みは憂鬱なのだ。主治医の脳神経外科医はそんな私にいとも簡単に言ってのける。
「冗談じゃない! 右半身が無くなったら何でバランスをとるの!」
私は反論する。
「慣れるんじゃないですか? 無いものはないって!」
医者は即応える。
「とんでもない。無くなったら他の機能に障害が出ますよ!」
「なるほど、一難去ってまた一難か~」
「そう、よく分かってるじゃない! どの難が最悪かは会ってみなければ分からないからね!」
神経の病気というのは大変難しく、ましてや脳神経となると、ほとんど分かっていないのではないだろう。血管を繋ぐような外科的な処置は脳であれ、どこであれ出来るようになったと思うが、神経となると、切れたものが繋がったにしても、それが通じているかどうか 医者側では分かりようが無い、患者にしか分からないのである。

仕方ない、生きている限り医者の助っ人になっていくか!
それでも最近の疼痺痛はハンパじゃない! 来週辺たり、以前会った神経内科の女医さんに予約をとって久しぶりに相談してみようか。それに例の私の著書「マイ・ラブ、マイ・ドッグ」の感想も聞いてみたい!

282.Music & Sound エムズシステムのスピーカー

2008-07-17 13:53:47 | Weblog
横浜元町は洒落た通りで 高校生の頃のお気に入りはフクゾウ ミハマ 喜久家・・・
大人になってからの馴染みの店はユニオン 近沢レース そしてダニエル横浜家具店!
そのダニエル家具が虎ノ門にショールームを・・・
車椅子生活の私には最高のニュースだった。
湘南の避暑地の生活が長かった私は東京虎ノ門で倒れて車椅子に頼るようになって、横須賀線に乗るのが苦手になった。
必然的に高輪の自宅周辺の港区内が還暦後の縄張り!ということになった。
パリ祭の日に、虎ノ門ダニエルで開催された「演奏家のいない演奏会」ビル・をエヴァンスを聴く・・・
相変わらずの興味津々で最近仲良くしている若奥ちゃまのAさんと私は出かけた。

紹介されたのが何とも「ユニークな筒型キャビネットの紙と木のスピーカー」だった。
これはもはやスピーカーではない。
楽器そのものである。
そこで「演奏家のいない演奏会」が取り上げたのが「ビル・エヴァンス・トリオ」だった。
エヴァンスのアルバムには駄作が一枚も無いと評されることもあるほど、質の高い録音が多い。
従来、ピアノ・ベース・ドラムスなどの楽器奏者は「リズムセクション(伴奏者)」と呼ばれ、リズムを刻む「道具」に過ぎず、後に多数組まれるようになったいわゆる「ピアノ・トリオ」においても、主役はあくまでピアノでありベースやドラムスはリズムセクションの範疇として処遇されていた。だが、ビル・エヴァンス・トリオにおいては、この旧来の慣習を打ち破り、テーマのコード進行をピアノ・ベース・ドラムスの3者が各自の独創的なインプロビゼーションを展開して干渉し合い、独特な演奏空間を演出したとはある記事で読んだ記憶がある。
「演奏家のいない演奏会」で聴くことになったCDは1961年の収録で、その直後に僅か25歳のベース奏者を交通事故で亡くすという訃報付の曰く因縁の録音である。
音を楽しむ感性を揺り起こすエムズシステムのスピーカーは、立体感やライブ感のあるサウンドを五感のすべてで奏でるような贅沢の愉しみを引き出す。
ひとつのスピーカーから波動式に音楽を広げることで空間全体に音楽が響く独自の構造がエムズシステムということだが、技術力ではなく音に包まれた生活という物語で演奏する為の音響スピーカーということだろうか。
一見すると和太鼓のようでよく見ると素材は紙と木、そこから奏でられるのは空間のバイブレーションということだ。この優れ物は、2つのスピーカーを背中合わせに取り付けており、筒型キャビネットの中に搭載した緩衝材が、両端のスピーカーの振動を相殺し、空間自体を共振させて音を作り出す仕組みという画期的なものである。

いくつもの音が出会って美しい調和が生まれるように、五感のすべてで感知した自らのスタイルを重ねることで、人生の愉しみは更に深まる。仕事柄、正に日頃常に頭の一部を占領している日本の伝統工芸の漆の魅力に相通ずるものがある。
五感の中でもっとも複雑な構造をしているのが聴覚だという。本当に人間の聴覚を満足させる音がどれほどあるだろうか。無論、目の前でお気に入りの音楽アーティストが演奏してくれる話は別で、音を体で感じ、心地よく包み込むような音空間の実現とは・・・
そんな贅沢な音空間を実現するには、音を楽しむための束縛から解き放たれた音は、新しい感性を揺さぶる感動をもたらしてくれる。音響工学云々よりもそれを聴く人間の耳が大切だということになる。
豊かな時間に暮らす「贅沢スタイル」を私らしくヒーリングに併せて考えてみる。

エムズシステムのスピーカーを生んだ企業では元来「ヒーリング」を基本にしている。ヒーリングには様々な療法がある。障害を持つ私自身が関係しているものを挙げてみると、アニマルセラピー(特にドッグセラピー)、アートセラピー、音楽セラピー、更にはヒーリングミュージック、そして宗教的技法としては座禅こそ組めないが、自分なりの瞑想に耽ることはある。
私の疼痺痛は空間のバイブレーションにとても敏感だという事は私自身が周知の事だが、今回、体験したエムズシステムのスピーカーによる贅沢な空間共振は私にとっては画期的なものだったと言える。