脳のミステリー

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252.痺れ:耐えがたい後遺症

2008-03-13 06:29:44 | Weblog
昨日、何故ふざけたようなブログを書いたのか。多分、私のハイパーグラフィアがそうさせたのだろう。言いかえれば、私はきっと痺通の辛さから逃れたかったからだと思う。だから、BWPでの馴染みのゴル達は夫々が、そしてそのゴル友が余る喜びにも勝る彼らの笑顔を見ているだけで、私の辛苦そのものの痺通を忘れさせてくれるからだと思う。この気持は味わったものでなければ心底語る事は出来ないと思う。感謝!感謝!本当にありがとう! ゴルちゃん、デンちゃん、ピレーちゃん・・・♡♡♡

感覚を失った筈の部分から自発性の異常疼痛、即ち痺れ、電撃痛、灼熱痛、押圧痛、乱切痛等とも表現される激痛が発生する。
求心路遮断痛なんて言葉を向けられると処置なしの感がしてしまうのは否めない。
最近の私の異常疼痛は灼熱痛と言えるのかも知れない。疼痛なんてあまり使わないが、漢字とは便利な物で「なるほど病だれに冬か!」と感心してしまう。だって英語ならsharp painで簡単に表現してしまうから。
ニューロパチーneuropathy即ち末梢神経の障害は表面の感覚は鈍いのだが,焼けるような痛みがあり、これを灼熱痛と言うが私は「ドライアイスの襲撃」という表現を使う。また、アロディニアallodynia即ち触ったり口を動かすと痛みが出たり、風があたっても痛いという訳で痛みの性状は持続性の焼けるような耐えがたい痛みなのである。神経ブロックという最終手段は何らかの鎮痛プラス補助という意味だが、痛みを軽減する事は出来ても、痛みを完全にとることは稀れという事である。
モルヒネを投与したり、神経ブロックは一寸私は躊躇して遠ざけたくなる。モルヒネを試みる事は重要かも知れないし、深く、うずくような性質の痛みには、モルヒネが部分的に効く場合があるかも知れないが、私は・・・モルヒネ中毒という言葉に怯える古い人間なのである。
脳卒中後痛 post stroke pain には、末梢性の痛みか中枢性の痛み、またその両方の痛みが生じる事がある。
末梢性の痛みは、運動障害に伴う手足の筋肉痛、骨や関節の痛みとして、拘縮に伴う痛み、肩手症候群、肩関節周囲炎などがある。
脳卒中などの発症後約1カ月経過してから、麻痺した側の手指の痛みがみられる。私の場合はこれにピッタリ当てはまる。痛みに加えて、むくみの為に急速に手指が曲がったまま伸びなくなり、リハビリの大きな阻害要因になる事がしばしばある。まっ、自然に何事もなかったように上辺だけは治るのだが、拘縮に伴う痛みは関節を動かそうとすると痛みが強くなるのが特徴で、麻痺がない側の手足が過剰に使用されて痛む事もあるという訳だ。
一般的にもよく視床痛という名を耳にするかも知れないが、それだけではなく視床ー頭頂葉間(被殻、放射線冠)、脳幹などの障害で起こる同種の痛みもまとめて脳卒中後中枢性疼痛 post stroke painと呼ぶ。私のは紛れもなく被殻だと言える。
中枢性疼痛の共通点は痛みの求心路の遮断であり、感覚鈍麻とアロディニアを伴う痺れと痛みが特徴だという事である。
末梢神経が侵されたときは皮節に一致して発生し、中枢性の病変によるときは皮節には一致しない。

疼痛という言葉が如何に適切な表現なのか、私は身をもって理解させられている。
月曜日に久しぶりに雨が降り、一昨日の東京は3月下旬を思わせるような気候だった。私自身の体はダウンを脱がせ、軽いコートを羽織らせたが、昨日は行き交う人は未だ「随分いい陽気になってきましたね!」なんて不似合いの声かけをついついしているようだが、トンデモナイ!チョッとした隙間から入る風が私の疼痛を招き入れていたのである。
風は冷たい。だから私の痺通はあくまでも疼痛だったのである。
手袋は不要かな、と思っても健手の4本の指先が蝋人形の手のようにローソク状態になる。無論、親指は別なので一緒に変化はしない。どれもこれも実に自然の法則は正直だと言える。
でも、でも、ワンちゃん達の自然の笑顔も正直で、そんな辛苦の私を奈落の底に突き落とす事なく、ワンダフル・ワールドにいつも導いてくれる♡♡♡

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