先日、障害者として受けているガイドヘルプサービスと介護保険制度のホームヘルプサービスの担当者会議に出席しました。
この日は、朝からかなりの体に負担がかかる入浴サービスを午前中に受けたので、午後一番の会議は結構辛いものがありました。
一般の椅子の座る事を断って、慣れた車椅子での参加になりました。
私は55歳の時に病魔の襲撃に遭遇して、以後、車椅子生活を余儀なく受容しました。
介護保険制度実施の前の年ですから、当然、ウォーカーケインも車椅子も障害者へのサービスとして供給されていました。
ところが介護保険制度が本格的に動き出して・・・
本人が戸惑い出したのです。
障害は先天的な場合は生まれた時から、後天的な場合は年齢を問わず受容せざるを得ません。
障害および介護についてはその対応が個々に異なってきますので、私自身の考えを述べてみたいと思います。
私には長年、障害に付き合って下さるケアマネージャーがいます。
ケアマネージャーは私の心と体の両面から一般社会での「出来ない」と「不満足」の懸橋の役目を担ってくれます。
介護保険は40歳になると保険料金を課せられ、65歳になると制度のサービスを受ける年齢資格が与えられます。
私にとって不可解なサービスが始まったのは多分、65歳になってからだと思います。
介護認定と称して、会った事もない人が私の前に現れて僅かな時間様子を見て後日認定書が郵送されてきます。
一度、認定書がきてビックリ仰天した事があります。
「要介護」が「要支援」に変更されていたのです。
脳外科の主治医の怒りはすぐに区役所に飛びました。
初めて会った人が介護から支援に勝手に変更したのなら、その人は正に稀有な名医です。
しかし、主治医と本人に言わせれば「名医」ではなく「迷医」です。
後日、区役所から連絡があって認定のやり直しがありました。
倒れてから10年間「要介護Ⅰ」で生活してきた私は介護度が進まない事を熱望しています。
そして、介護度が支援に代わるなんて夢の夢です。
何故なら、私の脳からの指令が方向音痴になるのですから、それが治るのは奇跡に近い訳です。
かの脳科学者、ラマ・チャンドラン博士が著書『脳のなかの幽霊』で未だ解決出来ない不思議だと、述べている分野ですから
ケアマネージャーは、高齢者の仲間入りをした人には是非頑丈な橋になって欲しいのです。
障害ケアと介護ケア、この橋渡しになれるのは誰でもない、ケアマネージャーだと思うのです。
利用者とケアマネージャーの間に本当の信頼感があってこそ社会福祉のいい制度が表面化するのだと思います。
余談になりますが、区役所を例にとれば・・・昼間だけ、区役所の人間はその区の人間ですが、5時以降翌朝までは在勤者から離れていくのだという事です。
障害者へのガイドヘルプサービスと介護保険制度のホームヘルプサービスの際どい境界線は敏腕なケアマネージャーなら見詰める事が出来る筈です。
ガイドヘルプは単なる道具の用意だと思うのです。
そしてホームヘルプは各家庭での便宜を図ったり、手助けをする事だと私は解釈しています。
因みに、私のケアマネージャーはベテランで、今現在ガイドヘルプを必要とする私とホームヘルプは未だ不必要とする私をよく理解してくれていると思います。
私はやっぱりラッキーな人間なのかな