脳のミステリー

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音楽セラピー:歌は世につれ世は歌につれ

2008-12-07 12:06:18 | Weblog
歌は世につれ世は歌につれ・・・
言葉も世につれ、発音や書き方もどんどん変わっていく。
替え歌という鏡に世相を映している。
学校の校歌や応援歌を替え歌で「アホ山」と歌ったり「ケイオウ」を「テイノウの王者」なんてふざけたものである。
♪カラス、何故なくの? カラスの勝手でしょう!?
道を行く子供達が歌う童謡に心が動揺した!
確かに勝手と言えば勝手・・・でも「何故なくの?」なんて聞く子供もいなくなったのかと思うとチョッと寂しい。だって「カラスの勝手!」という妙な答が出ているから・・・

最近気づいたのは「流行り歌」というのはメロディーよりフレーズが大切なのかなあと思ったことである。あえて「流行り歌」としたのは流行歌というと演歌(艶歌)系だけが頭に浮かび、所謂ポップス系の影が薄らいでしまうと思ったからである。シンガーソングライターは別にして、豊かな日本語の表現を考えたらメロディーをつけたくなるのかなと思っただけである。

現代は 俳優と歌手の区別がなく、比較的入り易いと思われる歌手デビューをして役者の道にも足を踏み入れるという順序が盛んなようである。いい例がスマップやTOKIOというアイドルである。
その昔 歌う映画スターという人が脚光を浴びた事がある。高田浩吉などがその先駆けで鶴田浩二はその田と浩を貰ってデビューしたと言われている。高倉健なども好き嫌いはあっても上手いと言える。映画俳優としてデビューしていながら歌の方が数倍も味わいがあるのは石原裕次郎だろう。普通、役者はそれなりに苦労を重ねて年輪を感じてくるから歌を歌うと雰囲気が自ずとついてくるのだなというのが私の感想であった。

最近の歌手は リズムとかビートに重きを置いているのかなと思う。湯川れい子さんご推薦の「きずな」はご自身の作詞で歌はゴスペル調・・・これを友人だという音楽セラピーのM先生が取り入れてくれたのだが、歌っている方より聞いている方の涙が印象に残るものである。M先生が昨年熱心に指導してくれたのは「千の風になって」だったがこれも素晴らしかった。M先生は残念ながら事情があって先月一杯で港区の音楽セラピーの指導を辞めてしまった。彼女の指導は独特で経験とリズムが活きていた。言語障害に悩んでいた人は徐々に言葉の蘇りを喜び、失意のどん底から笑いを振りまけるようになった人もいる。
M先生は長年港区の音楽セラピーを担当してきたが、職員との意見が全く合わずに辞めてしまった。残念で悲しい事だが、私は相変わらず私らしくこれからもM先生とはズッとお付き合いをさせて戴ける。前々から行政との意見の相違はあったと聞いているが、先生はハッピーな方だから・・・
音楽セラピーというのは結構難しいんだろうな、と思う。歌うだけでもいいという人もいるかも知れない、楽器がいじれればいいという人もいるかも知れない。私?・・・私は少し違う。音楽は音響とは違うと思っているので、実際に自分に似合った音を愉しんで、それが自分の体内に癒しとして残れば、これ以上の音楽セラピーはないと考えるのである。
M先生はそんな意味から、私に満足感を与えてくれた。無論、鈴を一斉に鳴らしたりした時、耐えられない痺疼痛に部屋を飛び出した事も幾度かある。だが、ひとり廊下に出て静かにして、酸欠状態になった頭を下に下げ、血流を送ってあげるとホッとしてまた静かに部屋に戻り参加したものである。音が大きかったからではない。周波数の問題だと思っている。再度、セラピーに参加するとM先生は私とはアイコンタクトを取るだけに過ぎず、平常心をもって音楽セラピーを続けていた。

新しく港区の担当者には M先生とは違った良さを早く私に見つけさせて欲しい!