脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

kitty家のグレートワンダフルファミリー

2008-09-30 13:54:13 | Weblog
鳥取の砂丘近くに「驚き家族」が住んでいます。
猛暑の中で、何とゴル母娘が同夏同時出産したのです。
人間界なら「スワッ!ビッグニュース!」とばかりマスコミは張り込むところですが・・・
kitty家のワン家族はワンではありません! メンバーはもっとたくさんいます。
シェパードとゴールデンという大型犬とても上手に生活を共にしています。しかもその数を聞いたら、東京の人間は異口同音「信じられない!」と言うでしょう!
シェパードは プリオ♂、カレン♀、リンカ♀の3頭です。
ゴールデンは ロッキー♂、アロン♂、ルピー♀、ケビン♂、ビビ♀そしてコニー♀です。 お家が広いのか、お庭が広いのか、ご近所が広いのか・・・何と言ってもkittyさんの心が途轍もなく広いのでしょう。

警察犬と言えば強面のシェパード! 今、私がかなり肩入れしている盲導犬はその歴史を辿ると第一次世界大戦の頃にはジャーマン・シェパードの犬種名が出てきています。
つい先頃、TVで放映されて感動を誘った日本初の盲導犬チャンピイもシェパード犬でしたが、日本では現在、ジャーマン・シェパードよりも、ゴールデン・レトリバーやラブラドール・レトリバーの方が多く活躍しています。これは、シェパードのように精悍な顔つきよりもゴルやラブのようにおっとりして温和な顔つきの方が、街を歩く犬嫌いの人や子供にも受け入れられ易いという事が大きな理由となっているようです。

kittyさんの処では、ゴルの数がシェパの倍もいるからでしょうか、画面の上でだがシェパが他で出会うシェパよりも優しそうに思えるのです。

稀にみる猛暑の2008年夏、熟練のルピーママと新米のビビママがほぼ時期を同じくして出産を迎えたのでさすがのkitty家もてんやわんやの大騒ぎ!

ワンちゃんのお産は「安産」と言われますが、とんでもない! ルピーママは陣痛が来て5時間後やっと4頭目と思ったら、可哀想な場面も目撃しながらも見守っていたとの事ですが、翌朝帝王切開を・・・逆子がいて、残念な結果になった子も・・・ルピーは結局無事6頭のママになったのでした。帝王切開の手術の後の痛さもあるのにしっかり赤ちゃんの面倒をみるルピーは素晴らしい!
次は ルピーの娘、ビビの初出産!
2頭の出産後、1か月もすると元々大所帯のkitty家では子守りをするシェパのプリオ、未だお子ちゃまのゴルのコニー、日増しにパワフルになるパピー群・・・何が何だか・・・
改めてkittyさんに頭が下がります。
騒いでいる間に ルピーの腰のシコリが気になって急遽入院手術!・・・ホントに想像を絶するほど大変です。

それなのに9月末の日記には「コニーのドッグランデビュー」が紹介されていました。
沢山のパパママドッグがいるとはいえ、kittyさんのお疲れは想像できません。そして、旅立ちの日が来て・・・1頭は九州に 1頭は岡山に・・・パピーは減っていく一方!

私の簡単な感想は「私には到底無理な仕事」!
何が無理って、最後に迎える「別れ!」です!
そこで、自分が出来る「盲導犬の引退犬募金」応援に精々力を出しますね、kittyさん!


喜ばしい追記です!
たった今知ったんですが・・・ 驚きました。
kittyさんの処のビビのベイビーが・・・レーヴのシェルママさんの処に行ったんですって! そうあの可愛いルイールが・・・可愛い訳ですよね!
あまりにも速く逝ってしまった先代ゴルの名前がシェルなんですね。ルイールはシェルの生まれ変わり、そう思って大事に育てて欲しいですね!
レーヴ君、弟ちゃまのルイール君、可愛いでしょう!
レーヴ君は2006年生まれという事ですので、まだまだ一緒に遊べますね!
これが老犬とパピーだったら、チョッとしんどいかもね!
とにかく素敵な追加文でしょう!

ビバ! メリーロード!

2008-09-28 14:05:11 | Weblog
古の道幅を残しているような細道を右、左と曲がりながら民家の間を抜けて坂上に出ると右手目前に鬱蒼と樹木の茂る高松宮邸がある。
宮様はお二人とも既にお亡くなりになっていらっしゃるが、古くからの住人には未だに慕われているのがこの街を散策すると分かる。
宮邸前のバス通りは二本榎通りといって、元来、田町駅前交差点から品川駅前交差点まで、三田台町、伊皿子、高輪台町、二本榎と高台を縫うように続いている。
第一京浜国道や桜田通りに押され気味の通りは、歴史的には重要な道で旧東海道の一部だった。
二本榎の地名の謂れは承教寺山門前に自然石をそのまま利用した碑が残されている。
向かい側にある黄梅院の境内に植えられた夫婦榎は未だに残っている。この植樹は近代に入ってからだが、江戸時代には上行寺門前に榎が日本あったと歴史に残っている。上行寺の跡地には現在は明治学院の体育館が建っているが、榎はあちこちに移植されて複数が雄々しく現存している。

泉岳寺の方から上ってくると魚藍坂は一気に下って行く。私の話は、坂を下らずに高台を品川方向に進む訳だが、その商店街が最近メリーロードという名前に変えた。泉岳寺からの例の古の急なこう配の坂を登りきった所から高輪警察署までの道程をメリーロードと名付けたのである。
昨夜はその「秋の感謝祭」で商店側が日頃のお得意様をご招待しての芸能祭りだったのである。私は招待されるほどの客でもないし、この地に居住するようになって未だ11年目、特に居っぱなしになったのは7年前の魔の9月秋分の日からという事になる。だから当然新参者という事になる。だが、港区の外国人相談室長をやっていたという事実が吉と出る事は多い。今回もまた・・・
「盲導犬の引退犬募金のポスターとか何か色々持って来て!」
地区の区議会議員に言われるまま指示に従ったのである。
行ってビックリ! 私も世話役員たちもビックリ!
私は「これ、何の集まり?」役員たちは「この人、招待状も無しで入場時間前に何で?」と互いに怪訝な顔を向け合って・・・でもそこはご近所さん・・・
区長もいらっしゃいました。どうしましょう! 区長は素早く車椅子を見つけて
「やあ、Sさん、先日はどうも」
「とんでもない、こちらこそ」
私は車椅子という道具もあったせいか、特別席へ! 通常この区民ホールでは車椅子は出易いように後部なのだが、今回は一番前の特等席!
ポスター、募金箱、いいちゃんのカレンダー申込書、盲導犬とパピーのトイ・ラブ・・・みんな商店の奥さん達に頼んで私は議員さんに案内されて特等席に!

舞台には商店ではなく、笑天の山田隆夫さんが・・・またまたビックリ!
第一部は音楽祭という事で、先ずハワイアン・ショー・・・商店街にファンがいるとは聞いていた。続いては・・・往年のムード歌謡曲で一世を風靡した亡き黒木憲さんの息子さんがワンマンショーを・・・父親似は姿だけでなく丁寧な歌い方もよく似ている。彼は幼少の頃、この地域に住んでいたという。音楽最後はアントニオ・古賀さん・・・ギター片手に古賀メロデイーをタップリ、そして極めつけは勿論「フジヤマ」! 古賀氏は10年近く前に高輪地区に転居という事で、私はよく行きつけの鮨屋で一緒になるので顔馴染み!。

ここで10分間の休憩・・・この時間を利用してアナウンス担当の女性が何と「盲導犬の引退犬募金」応援を高輪地区から、と案内してくれたのである。

後半は寄席・・・ああ、だから山田隆夫さんが・・・
高座に先ずお出ましは 川柳さん! 私は川柳さんの落語は初めて聞いた。笑える。お腹を抱えて笑った。軍歌を取り入れた漫談は「歌で綴る太平洋戦史」という事だった。
次は三遊亭好楽さんでテレビの笑天を思い出しながら聞いた。笑天よりも自分の持ち時間が長いのでじっくり楽しませて貰った。
最後を飾るのは8代目橘家圓蔵を襲名、最近はテレビ出演は少ないようで私には月の家円鏡さんという名の方が親しみを感じる。
舞台のすべてが終了寸前に区議会議員に呼ばれ、席を立った(ああ、私、立てないんだ!)
ホールエントランスに戻って、ここでもビックリ! 6時から9時まで、ドップリ愉しんでいる内に「募金箱」が・・・大きい方を持ってくればよかった! でも誰が運ぶ?

とにかく東京港区での「盲導犬の引退犬募金」啓蒙活動は高輪を発信地にする事が出来たと確信を持つ事になった。今現在、私の処に話が来ているのが、白金、三田、赤坂・・・赤坂は青山がついてくる。私は人を集めるつもりはない。人が多くなれば意見が多くなるだけで、しんどくなるだけだから! 私にはマイミクのワンダフル軍団という強い味方がついている。語りかけは商店街と住人、手伝いは区議会議員達と区役所事務員!
私は私らしいやり方で「盲導犬の引退犬募金」啓蒙活動を私自身が人生を引退するまでに、と思っている。


写真の説明:高輪警察署 高輪消防署 高輪ザ・レジデンス前の榎の木 石碑

アイラブももちゃん!

2008-09-27 10:06:27 | Weblog
ゴールデンレトリバーは アメリカン、オーストラリアン、イングリッシュと大まかに分けられますが、最近マイミクさんにホワイト・ゴールデン・レトリバーの仲間が増えています。
私が豪州に留学した時、日本人の黒光りした頭髪をとても褒められたものです。そう、私は成人式を未だやっていませんでした! その時、白銀というか真っ白でキラキラ光っている毛をした女の子に会いました。
サンドラ・ディーという女優さんをご存じですか? 「避暑地の出来事」で主役になり、私生活では「マック・ザ・ナイフ」を歌ったボビー・ダーリンと結婚していた事がありました。彼女の金髪は当時の若い女の子の憧れでした。ところが、私が髪形こそ同じだがその毛色が光ったホワイト・ヘヤーに出会った時、それは明らかに白髪のホワイトではない事に気づいていました。こんなヘヤーカラーがあるんだ! 当時の私のBFフランクと彼女のBFブライアンは大の仲良しでしたが、女同士はそれ程深い交流はありませんでした.
私が初めて出会ったホワイトヘヤーの英ゴルは神戸のバディ&キース兄弟です。四半世紀近く前に南半球で出会った女の子のキラキラ光る白銀の髪の毛を見た時の衝撃に近いものを兄弟に感じたのは事実です。
バディ&キース兄弟と親しくなると、次から次へと私の亡きゴールデン、ドックの周りにはゴールデンに雑じってホワイトの所謂英ゴルが増え始めました。
英ゴルは ゴールデンの毛色で限りなく真白に近い毛色の犬です。犬の毛色遺伝の因子の中には「茶色の毛色を薄める因子」がありますから、そういったものが影響して、薄茶の毛色の英ゴルが白に近い毛色で生まれてくるのでしょう。

今回は白い英ゴルの仲間のひとり、東京のももちゃんを紹介します。マイミクではゴールデンは九州から北海道まで見事に縦断しているのですが、何故か英ゴルは関西以西南が多いのです。だから東京人としては憧れです!
ももちゃんは2002年1月24日生まれの英淑女です!
島国グレートブリテンと島国ニッポンという事で海が大好きなももちゃんはパパとママの秘蔵っ子です。
ママは完全に「犬バカ」というより「ももバカ」で~す (ももちゃんの独り言)
ある日の出来事・・・週末恒例!?の公園に行ってからカフェに~♪
こちらのカフェ、店内はワンコのお洋服着用がルールなのです。きっとゴルの豊かな毛が店内を勝手に舞う事がないようにという計らいでもあるのかも知れませんね。
以前は「ワンコに洋服だって」と否定的だったママ、でもこのカフェを利用するようになり毎回同じ服じゃ ももが不憫だわ。って・・・
お陰で、ももちゃんは衣装持ち~になってしまいました♪♪♪
雨の日はお散歩取りやめ!の筈なのに、何故かママはももちゃんにレインコートを・・・
ももちゃんは海が大好きなゴルだと、初めは思ったけど・・・実は何でも好き?
でも・・・とにかく 真冬生まれなのに寒いのと雨降りは大嫌い!
でも分かりませんよ~
大好きなママとパパが真っ白なゲレンデに連れて行ってくれたら・・・
海のサーフボードも挑戦するけど・・・スノーボードも・・・なんて!
分かりませんよ~
かつてのユーミンのコンサートじゃないけど、夏は逗子マリーナ、冬は苗場なんてね!
とにかく 青春真っ只中のももちゃんは何でも何処でも興味津津のお嬢ちゃんです。
海のような自然の世界も、巷のカフェも大好き!
ママがショッピングが好きそうだから、ももちゃんのワードローブは未だ着てない服でいっぱいなのではないかしら!
クー自身が「ショッピングが趣味」ですから、何となく分かるんですよね、ママの気持ち!気がついたら「どうしよう!」なんて事に・・・
自分は勿論、自分の子供にも、自分の愛犬にも・・・み~んな「犬バカ」ですよね!
いつか「ももちゃんのファッションショー」を企画してみたいですね。
出かける場所は同行できないけど、組み合わせてショーのようにすればいいんですよね!ああ、何だかやってみたくなってきた!
これって何だろう!
書きたがる脳は「ハイパーグラフィア」だけど・・・
企画したくなるのは・・・ハイパーインテンシブプランナーかなあ・・・
完全に造語! でも ももちゃんは興味あるかなあ~

色々な所に連れ行って貰ってるようですから、突然出会うかも!
ブラック&ホワイトの車椅子を見たら、声かけてね!
台場も行きますよ、銀座は大好き!
もし歩行者天国にでもママたちと来たら、その時は・・・
クーって呼んでね、ワンじゃないですよ・・・クーですよ!
それより、白銀の世界で真っ白なワンちゃんを見つけたら、きっと感動でしょうね!
寒いなんて言ってられない!

人間様との共存がとっても上手なももちゃんでした!
ママと共通する性格も最高!・・・好きは:自由&まあいいか・・・嫌いは:命令&頑張る! 因みに クーが好まないのが「頑張って!」のエール!

ももちゃん、あなたらしく青春を謳歌して下さい!

私のセプテンバー・ソング

2008-09-21 11:23:24 | Weblog
セプテンバー・ソングSeptember Songは「But it's a long long while」という歌詞で始まるアメリカのポップ・スタンダード音楽の代表的な歌で、1938年にブロードウェイのミュージカルで初登場、後に映画「旅愁」で使われて一躍有名になった歌である。Andy Williams等色々な歌手が歌ってきたが、私は特にFrank SinatraやPatti Pageが歌うのが記憶に残っている。
メロディーの美しいバラードでナット・キング・コールのトゥー・ヤングToo Youngとは反対で「MayからDecemberまでの時間は長いけれど、Septemberの声を聞くと残された日々は少なく感じる。人生もまた、長いようで短い。だから、貴重な日々を素晴らしいあなたと一緒に過ごしたいのだ」という、現在の時の時の私にふさわしい曲だと思う。

常に突拍子もない考えを打ち出す私だが「この人生の秋」を人間ではなく「盲導犬の引退犬募金」啓蒙運動に費やしたいという私に家族は「私らしい!」と笑っている。
私はこの活動に敢えて「啓発」でなく「啓蒙」という言葉を使いたい、と思った。
啓発とは、「人が気付かないでいる点を教えてより高い認識や理解を導く」という事だが、
啓蒙とは、人々に正しい知識を与えて合理的な考え方をするように教え導く」という事になる。
プレスリーが大好きで有名なYR女史作詞の「絆」に出会った時、身震いする自分に気づいた。その歌詞は・・・
♪♪♪♪♪
目には見えないものがまるで空気のように 見えるものよりずっと大切な存在
人に言われるよりも無くして気がついた 懐かしいあの声と笑顔に逢いたい 
Thanks to your love 

星より多い数の先祖たちがそれぞれに 時に熱く 時に重く つながり合って来た絆
何万年前の 昔から 今ここに生きる 私まで流れる愛は 奇跡のように
海よりも深い思いに包まれて 知らずに生かされている
ありがとう 生まれて来たこと
ありがとう 絆に感謝

とても小さなことが なぜか煩わしくて 誰もいらないなんて 思うけど違うよ
どんなつらい時代も 飢えで寒い夜も 温めてくれた 誰かがいたから今日がある 
Thanks to your love 

何十億の人は誰もみんなそれぞれに 時に笑い 時に泣いて  夢を求めて愛を運ぶ絆
なぜに傷つけ合うのか 世界中でただ一人だけのあなたという大事ないのち
いつまでも いつの日までも 幸せでありますように と祈る
ありがとう 生まれて来たこと
ありがとう 絆に感謝
ありがとう 生まれて来たこと
ありがとう 絆に感謝 
♪♪♪♪♪

9月は私にとって特別な月!
先ず、9月1日は関東大震災の日である。
亡き母は東京にいて、目の前で人が死んでいくのを初めて見た日だ、と言っていた。

9月は、これまでの60余年の私の人生で2度も大きな転機を迎えた月でもある。
ひとつは 1964年の豪州留学である。
この留学は、それまでの私とはまるで別人の自分を引き出す切っ掛けを作ってくれた。
ふたつ目 2001年の九死に一生を得た蘇り体験である。
この体験は、それまでのお気楽人生と全く違う価値観を徐々に植え付けてくれている。
これら二つの転機を考えると「啓蒙」と「啓発」を両手(右手の機能は?)に掲げて「コラボ活動」に従事するのがいいだろう、と欲張りな私は思った。
時に自らを啓発し、時に周囲の人を啓蒙し、生涯障害現役人生を目標に「盲導犬の引退犬募金」を応援していきたいと思うのである。

勿論 9月11日は世界中を震撼とさせた911米国同時テロという忘れられない日である。
9月と言えば、日本は9・1関東大震災の月と言ってきたのが、今は「千の風になって」が後押しして9・11米国多発テロの月と誰もが思っている。だが・・・私は私らしく9・27(苦にならない程度に)から本格的に「盲導犬の引退犬募金」の応援を始めたい。

私事だが、誕生日が2度ある月が9月だと、思っている。
一度目は9月27日、言うまでもなく私自身の誕生で、疎開先の諏訪湖の傍で母は「人々の温もりの中で出産した」と私に語っていた。そう、諏訪湖は間欠泉で有名な温泉地でもある。
二度目は9月23日、左脳被殻出血で倒れたが右片麻痺という宣告は受けたが蘇り、現在の自分がいるという訳である。

蘇り、つまり第二の人生での初仕事は、確かに本職の美術館の英文献はあるが、これは第一の人生から引き継いでいるから、本心から言えば「盲導犬の引退犬募金」の働きかけという事になる。
9月14日(奇しくも亡き豪パパの誕生日)は、私にとっては初めての「盲導犬の引退犬募金」応援出動の日になった。

当日は朝から台風13号の余波で天気はフラフラして、晴れるか曇るかはっきりしない日だった。だが、10時頃になると太陽は完全に私達の応援に回ってくるようになった。時折、雨雲が邪魔しようと近寄ってくるが太陽が追っ払う。午後になると、妙な風が吹き始めたが「招かれざる客」を自ら感じたのか気付くと、既に立ち去っていて、そこには青空と真夏のような太陽が残っていた。

斯くして 2008年9月14日は「盲導犬の引退犬募金」応援のリハーサルで9月27日(私の誕生日でもある)の第一回出動日に向けてとにかく成功に終わった。売上というか、私の処の募金額は最高額に終わったようだった。欲張りの私は当然「成功」に「大」は未だつけたくない!
14日の伊皿子の親睦会では、地区出身の区議会議員の挨拶のすぐ後に突然、マイクを振られてチョッと驚いたが、活動の主旨を述べる事が出来てとてもラッキーだった。

最後に この日10時~15時、5時間という結構長い時間、またその前後も私の中に潜んでいる痺疼痛は一度も顔を出さなかった。


写真は スピーチをする私とご近所のアンズちゃん

新薬

2008-09-07 06:07:11 | Weblog
数十年前の事である。
鎌倉駅で仰天するような場面に出会った。
プラットホムに立っていた女性がいきなり風に巻かれるように一回転してストーンと倒れたのである。あまりにも瞬時な出来事で私は声も出なかった。
女性は一糸乱れた様子もなく、スクッと立ち上がると何事もなかったようにスカートを払う振りをした。ホッとする間もなく女性はまた同じようにスッ転んだ。何度も何度も小さなあくびをする女性に声をかける事すら私は忘れていた。やがて東京行の横須賀線がホームに滑り込んでくると女性は私に続いて乗り込んできた。昼間の事だったのでオフ・ピークで空席があちこちにあった。女性は私の真向かいの二人席に座った。座ると同時に隣の固い背もたれに自分の頭を預けて眠りに入った。
どういう事! 何という人! 未だ結構お若いのに・・・ 私は本に目を向けながら時折、前に座る女性を窺っていた。横浜を過ぎても目を覚まさない。私が降りる新橋駅でも女性は起きなかった。当時は総武線との相互乗り入れはなかったので、次の終点である東京駅では職員に起こされるだろうと思った。

今になって考えれば、女性は迂闊にも睡眠薬入りの薬を服用して外出したのだろうと思う。
今回初めて 服用上の注意書きとして「眠気を催す事がありますので注意してください」が私への注意事項だった事を知ったからである。
今年の夏は確かに異常気候だった。だから私の右半身も異常事態に陥ったのである。
一大決心で 一年ぶりに脳神経内科医を訪ねた。医師はたった一度の診療で出会った女医さんだが私を覚えていた。嬉しい! 本来ならば、それだけで痛みも痺れも軽減する筈なのに今回はそんなお呪いみたいな事ではダメだ。鬱陶しい梅雨が明ければと思って変化を期待していたが、そんな簡単なものではなかった。
先ず、I先生が薦めてくれたリボトール錠・・・働きは 痙攣や意識消失を抑えるとある。自分には意識消失の心配はないが、服用後の眠気が半端じゃない! 私はI先生に願い出る事もせず、一日朝夜という但し書きを無視して、夜、寝る前に飲もう、どうせ夜は寝るんだから、と勝手に変更した。患者が一番の医者になる事もあるんだ、という持論を私は常に隠し持っている。I先生の説明が「効き過ぎると思ったら減らしたらいい」だった記憶があったからである。
一年ぶりの診療の際、I先生が一週間後には疼痛専門医の予約までしたくれていたので、私は一週間後の午後、ペインクリニックのO先生を訪ねた。I先生とは全く違うタイプの女医さんだった。彼女は初対面の私の話をよく聞いてくれた。そして、I先生が出してくれている薬の私に相応しい飲み方を指導してくれた。
私が勝手にリボトリール錠を減らしたのは正解だった。O先生は「それはいいでしょう」と言ってくれた。

更に一週間後、I先生の予約をしようとしたら9月中はいっぱいで薬だけなら脳神経内科の他の先生でもいいだろう、と受付で言われた。私は急きょ行き先を外科に変更し、疼痛専門医のO先生の予約状況を聞きに行った。幸い、O先生の予約は希望する日に取れた。
そして、更に一週間後の月曜日の午後、私はO先生のところに再来患者として出向いた。
「I先生が出してくれた薬はホントによく効きます。これがこめかみより上だけでなく、右半身全部に効くと嬉しいんですがね・・・」
私の言葉に静かに笑ったO先生は暫く何か考えている様子だった。
「新薬を飲んでみましょうか?」
「新薬?」
「ええ、アメリカ辺りでは結構普及しているのですが、日本では許可にならなくてやっと・・・」
新薬の名前はガバベン! 何だか 赤塚漫画の主人公みたいな変な名前!
アメリカで販売され出した新薬だとかで、O先生は丁寧に説明してくれた。脳外科医から出されているエースコール錠は勿論、I先生のリボトリール錠との併用も問題なしという事である。丁寧なO先生らしく、服用の仕方が15日目で変わってくる。
何れにしろ、リボトリールとガバベンは私の痺疼痛には多少なりとも痛みと痺れをこれまでの程度の維持してくれる事になってくれているのは嬉しい限りである。

ただ、悩みは服用後のどうしようもない睡魔! そこで私は冒頭で、数十年前の鎌倉駅での女性を思い出していたのである。