脳のミステリー

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259.人間の価値観とは?  

2008-03-31 06:43:14 | Weblog
ミクシィのニュースに感動編がありました。

先天的に右腕のない障害があり、生後間もなく母親に病院に置き去りにされた青年がこの春、ある養護学校を卒業して高齢者施設の職員になる。
取り立てて話題にするようなニュースではないような気がするが、実は奥深く、意味ある事実がこの小さな報道には秘められていた。

青年は「僕は祖父母も知らないが、施設でたくさんの人に会いたい」と語る。
彼が生まれた時、両親は離婚協議中だったといい、母親は病院で出産した数日後に姿を消した。そして彼は幼年・少年時代は養護施設やカトリック教会で過ごしたという。
赤子の生後すぐに忽然と姿を消した母親は、十数年後に突然再会を申し出てきたという。
再婚相手と共に一方的に会いにきた母親は何が目的だったのだろうか。単なる母親のエゴ? 遠慮がちに近況を尋ねる母親は「ごめんね」を繰り返したという。
何に対する、誰に対する謝罪だろうか? 恐らく、全てに対してだろう! しかも自分に対しての「ごめんね」もあったのではないだろうか。
「家に行っていい?」と実の子供が聞くと、事前に連絡をするように言われ、一緒に暮らせないことを彼は悟ったという。
何故僕を捨てたの? 一番知りたかったことは聞けなかったという。
何しに来たの? とは聞かなかったのだろう。
赤子誕生の時、人間の心までも暗闇に置き去りにした母親は、多分、再会の時もその心を置き忘れてきたのだろう。
介護ヘルパー3級の資格を持つ青年は、この春からは老人ホームに勤務するという。
そして、今は母を恨む気持ちはないという。

何が彼をあたかも聖人の一人のように育んだのか?
聖人とは、高い学識や人徳、深い信仰を持つ理想的な人の事だが、彼は若くしてその条件を満たしていると思う。生まれつき無かった右腕の代わりに彼は生まれながらに他を慈しみ愛する徳を人徳のなせるわざと解して成長してきたのだろう。
「聖人に夢なし」と言えばすぐにがっかりしてしまいそうだが、聖人は悟りの境地にあり、雑念に煩わされないから、安眠することができて夢など見ない、というのが本当の意味である。
また、「聖人は物に凝滞せず」と言えば「時勢を知っているから自然に身を任せて物に拘らない」という事なのである。

「新しい出会いに挑戦したい」と目を輝かせて語る青年は人間の価値観を知る少数の現代若者の一人かも知れない。願わくば、多くの若者にこの青年の心意気を知って貰いたいと思うのは私だけだろうか。
価値観とは人生や社会において何が大切であるか、何をしてはならないか・・・
この青年は幸運にもこの事を早期の内に自らが蓄えたのだろう。こんな青年が日本にいるという事実が嬉しい!

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3 コメント

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self-criticism (ban-kuko ku-)
2008-03-31 16:16:54
ある著名な脳神経科医が言っていた。
人間の大人にとっての安全基地とは「経験・価値観・人脈」がそういった場所になるだろう、と言っていた。
確かに、ブログに紹介した若者はこれから経験を更に積み、人脈をどんどん増やし、価値観を高めていくだろう。
自分自身が綴ったブログにコメントを出すのも不思議だが敢えて書き込んだ。
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なんて幸せに見えるんだろう (ぎゃーろ)
2008-04-01 00:09:07
実に幸せな青年に思えてしまう。実際に幸せなんだろう。母親が育てなくって本当に良かったと思ってしまうのは・ん~・・。僕は無神論者なんだけれど、彼には神性を感じてしまいますね。

おじさんだけど、彼の心意気に、心が洗われました。くーさん素敵な話をありがとう。
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ぎゃーろさんへ (ban-kuko ku-)
2008-04-01 05:57:18
おじさんだって、おばさんだって、感激する話ですよね。
健常者だって、障害者だって、老齢者だって、ホント自分の考え方ひとつで人間は幸福になれるんですね。
だから、人間だけに与えられた「心」の操縦者である自分は責任重大です。
誰に対して?
先ず自分に対して!
それから周りの人達みんなに対してですよね。
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