脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

134.婿養子三代続けば蔵が建つ

2007-02-27 11:17:49 | Weblog
 明け方、ラジオの音で目が覚めたら、面白いことを著名な教授が言っていた。
「婿養子三代続けば蔵がたつ」
なるほど、聖書では「放蕩息子の例え」が有名だ。ということは?・・・
 聖書は語る。父親の財産を貰って旅立った息子が放蕩して湯水のように使い果たした直後、その地に大飢饉が襲って息子は食べるにも困って途方に暮れた。曰く「人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになる」そして悔い改めて父親の元に戻る息子に「祝おう! 死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから」と言って祝宴を始めた、という話である。
 この世には男と女がいる。戦後、日本でも男女平等に始まって、最近では男女平等参画事業なるものがあちこちで聞かれる。男と女の本質をもっとみんながそれぞれ己を知る必要は大切だと思う。かつて私が勤めていた外資系会社でこんなことがあった。会社そのものはグローバルに動く企業だったので24時間休むことなく働いていた。通常は夕方になると終業時刻を迎えていたが、ある時期、限付きで夜通し稼働体勢を試す事になった。男性が24時間シフト制に入った時「給料も同じなのだから、女性も一緒にするべきだ」という声があがった。幹部の英国人からは「ノー」の一言が返ってきて、声の主は猛反発した。英国人は「所詮、男と女は違う!」の一点張りで譲らなかった。私には英国人の真意が分かったし、日本人のスタッフの言い分も分かった。近代日本人には男女平等の真の意味が理解し難いのかも知れない。アダムとイブ以来、男女を考える西洋人のように、日本人に理解を求めるのは難しいのだろうか。そんなことはない筈だ。
 現代日本人は「婿養子三代続けば蔵がたつ」をどう受け止めるだろう? 私なりに考えたことがある。それを述べる前に幾人かの人の意見が聞けたら嬉しい。私の考えは日を改めて記す事にする。

133.雪の降らない東京

2007-02-24 06:36:44 | Weblog
 有難いことやら、不安なことやら、東京には雪が降っていない。高村光太郎の智恵子抄に「東京には空がないという」とあったのをふと思い出す。昨日、雨が止むと肌に感じた寒さは雪の後のそれに似ているような気がした。彫刻家であり、詩人でもあった光太郎の表現の素晴しさに改めて思う。以前、あるエッセイ起稿の際、法然上人に触れた時に浄土宗の一枚起請文を「現在の今の今でも人の心をうちのめす文」と語っていたのを痛く感心した自分が思い出されたからだ。
 東京には空がないとは、どういうことか! 空がなければ、明かりも太陽の暖か味もない。無論、雲もなければ雨も雪もない。地球上の氷がどんどん無くなっている。深刻な問題である。自然界に於いて「無くてもいいもの」は然程深刻にはならないような気がするが「無くては困るもの」には気づかない事が多いが、常に考えていなければならない。
 先日、TVでとんでもない事をやっていた。「氷河の氷でカキ氷を作って食べれるか?」というのである。確かに、面白い企画かも知れない。しかし、面白いだけでこんな番組を作成して放映してもいいものか、と疑いたくなる。氷を必要として生きているものがいる。こんな単純明快なことがわからない筈はない。大食いコンテストとやらも甚だけしからん!と怒るのは私だけだろうか。この地球上には飢餓に苦しむ人が大勢いる。それなのに、同じ地球上で食べ物で遊ぶとは実に嘆かわしいことである。
 冬に雪が降らないのは、とても心配だ。地球の温暖化を改めて考えてしまう。

132.忘れてなかった右掌に感じた汗の触感覚

2007-02-18 06:27:11 | Weblog
 5年半ぶりに右手の掌が汗ばんだ。先週のストレッチ体操の時間だった。私が倒れた9月23日は夏が終わったばかりの連休で、ちょっとでも動き回ると少し汗ばむ季節だった。爽やかな秋晴れの日だったが、ともすれば汗ばんでくるような日だった。
 日本語とは実に趣のある言葉だろうか。春を待つ身には、麗らかが相応しく感じられるのだから。春の息吹を感じさせるような日だった。私の体も微かなしるしをつけておきたかったのだろうか。何と、掌に汗が僅かに滲んだのである。左の指先でなぞってみると、僅かに湿り気を感じたのである。私にとっての特別な日は幾日かあるが、2月16日は新たに追加しておこう。

131.春の嵐の後の週末

2007-02-17 06:51:59 | Weblog
 14日に日本列島を被った暖かい低気圧は危険な雪崩を起こし、前の日に私の痺れ痛覚を引き起こした張本人であることに間違いはない。私を襲った今回の痛覚はこれまで最高最悪だったことは前にも記した。
 15日の朝、目にした天気図にあるのは冷たい低気圧だというから、要注意の自然だったということである。
 水曜日。春一番が話題になった日の後は、痛痺れは重症で残っているが、耐えることは少しずつ可能になってきた。幸い、15日は北里のリハビリから帰宅してからは出かける用事もなかったので家での仕事に集中して在宅を決め込んだ。お蔭で、夜もマアマアの状態で睡眠時間に入った。
 翌朝、16日金曜日はセンターでの用事が一日中になっていたので少し躊躇いながら、起きたが、嵐の後の静けさとでも言おうか、すこぶる調子がいい。恐らく昨日のリハビリのせいに違いない。
 そこで、朝はパソコン中級クラスに出席した。映像調整を教えて貰った。中々、面白い。多分、美術館の博士は首を横に振って今ひとつ感心しないだろうが、何にでも興味を持つ私はパソコンの面白さに惹かれた。
 午前中いっぱいの授業で新たな痺れと痛みの襲撃を受け入れないように自分の姿勢を気遣った。2週間前の授業では車椅子を普通の椅子に変えて失敗した。体全体が強張ってしまい、授業が終わる少し前には行儀が悪いことは周知の上で教室を飛び出してしまった。そこで今回は慣れた車椅子のままで学習したら、脳も体もとても従順だった。
 午後は維持コースに参加した。とてもいいコースなのに、月一回のコースではいい結果は望めない筈だという事で来月いっぱいで廃止になるという。参加者は異口同音「いい!」というサインを出しているのに・・・ 諦めた! 民の立場から公に意見を出すのは、もうくたびれた! 結果が無という予想が立つ苦労はやめた!コースがなくなるのなら、それはそれでいい、後のことは自分で考えるから! 他力本願は嫌いな筈なんだから!
 さてさて、その維持コースだが、やっぱり素晴しかった。コースそのものではなく、療法士がいいということである。無論、療法士と私の馬が合っているからこそいいのだ。彼女は素晴しい、誰にでもいいのかどうかは分からない。とにかく、私との相性は最高だと思っている。ストレッチ体操は延々と続いた。自主トレも幾つか教えてくれた。
 火曜日には、痛くて強張って、上にも斜め後にも頑として動かなかった右腕が驚くなかれ、動く! 嬉しくなった私は、家に帰ってからも、暇さえあれば左手で右腕を引き上げて夕方から夜を過ごした。
 だが・・・ だが、普段動かさない右足の逆襲が夜9時頃から始まりだした。痺れは無感覚を伴い始めた。棒のようになった自分の足を体全体でベッドまで運搬する姿が滑稽に思えた。観念してベッドに潜り込んだ私はそのままラジオを友に就寝時間を迎えた。無感覚の痺れは私の眠りを妨げることはなかった。
 朝、目覚めると右腕は未だ上に向って動いてくれた。足の自主トレも結構うまく進む。有難いことである。昨夜あまりに早く眠りに就いてしまったので、当然のように目覚めた時は窓の外は薄明そのものだった。起き上がって1時間半もすると、右足に例の無感覚痺れが再び騒ぎ出してきた。揉み返しみたいなものだろうか?

130.自然って凄い!怖い!

2007-02-14 07:05:28 | Weblog
 昨日は自然の凄い威力をイヤッ!というほど思い知らされた。
 午後、リズム体操が始まる少し前、私は珍しく不機嫌な顔を隠せなかった。昔から、会社人だった頃から「朝、うちの奥さんと喧嘩して出勤してきても、通勤電車だイヤなことがあっても、クーちゃんの『おはようございます』を聞くと嬉しくなるよ」と同僚にも上司にも言われ続けてきた私が不機嫌な顔を明朗な顔に変えることが出来なかった。
 優しい言葉をかけられても、顔が歪んでしまう。こんな時は座って、思いっきりうつむいて、上半身をリラックスさせて、両腕をダラーンと前に下せば、何とかなる。何とかなる筈なのに、ダメだ。先頃亡くなった故鶴見和子さんは凄い勢いで訴えていた。インタビューの相手が「わかります」なんて軽はずみに同意しようものなら「あなたにわかる筈がないでしょう! 何がわかるの? いい加減なこと言わないでよ!」とたて続けに罵声の如き言葉がかえってきていたのを思い出す。
 そうだ、その通りだ。緊張、即ち強張り、痺れ、それに凄い痛みが加わる。わかり易いように病後に戻ってきた順番に感覚を並べたが、私にしてみれば最後に甦った痛覚とやらは余計なお荷物の何ものでもない。痛覚が戻ってきた頃、リハビリの先生も脳外科の先生も「痛覚という感覚の回復」を口にした。単に元の状態に戻りつつある痛覚は確実にフィットする場所も用意されていないのに、勝手に「回復」してきた訳だ。私は「快復」の証書を痛覚にはあげられない。痛覚が威張りだすと、緊張も痺れも隅に追いやられてしまうらしい。
 痛覚をこんなに怒らせるのは自然の仕業であることは間違いない。
 やっぱり! 嵐のような天気が日本を襲ってきている!

129.何事も「ローマは一日にしてならず」の心境で

2007-02-12 14:47:52 | Weblog
 最近、所謂、同族会社が不名誉なことで世間を騒がしている。パロマ然り、不二家然り!
 だが、夕刊を開いたら、海の向うから素敵な話が飛び込んできていた。女性の憧れ、イタリアのフェンディの話である。
 女系家族のフェンディは1925年にローマで創業した老舗である。まさに「ローマは一日にしてならず」だ。優れた職人でもあったフェンディ家の人々は「ブランドを革新するにはデザイナーが必要」というので、新進のファッションデザイナーを採用したのが創業40年後の1965年だった。私が調度、メルボルンに留学していた頃である。帰国後、日本で私が初めて購入したブランドバッグが奇しくもフェンディ。あれからこちらも40年、今も、私の娘が愛用しているとは嬉しい限りである。
 フェンディが採用したデザイナーはファッションに止まらず、芸術全般や歴史にも詳しく、常に「次」を考える人だったという。現在のデザイナーは孫娘である。彼女は「伝統を受け継ぎつつ革新すること、最新の技術で最高の品質を提供すること」と明言している。
 長年、二足のわらじを履いてきた私は5年前に脳内出血に見舞われて、一足を是が非でも脱がされた。自分の出来ること、ということで社会復帰した仕事は美術館である。元々アーティストではない私はエキシビション・オーガナイザーとして仕事に就いたのだから、まあ、今流に言えば、プランナーでありデベロッパーというところである。主な仕事は日本の伝統工芸のほんの一部を世界に広めることである。私の発信地はメルボルンの国立美術館になった。自らの留学から20年目の事だった。あれから更に20年、私は2004年に社会復帰した。JAPAN即ち、漆の展覧会にはパソコンを駆使して英文協力を果たした。更に翌年も、翌年も、そして昨年はロンドンの美術界に漆を紹介して好評を得た。私の英文は、確かに「日本の伝統を伝え、同時に革新する姿を伝える」ことに注目したものである。
 この精神を常に持ち続けてあらゆることを運べたら、それはもう、本望ということだ。本望で、もう死んでもいい等とは言わない。死んだら、何も出来ないもの・・・

128.捨てたもんじゃないね!

2007-02-11 09:19:11 | Weblog
 マイブログを開始して早3年目に入り、マイミクシィをかじり出して僅か数ヶ月が経った。嘆かわしい世の中になったものだ、とガッカリ気味の私に朗報なるものが、嬉しいかな、最近、チョクチョク入ってくる。自分にピッタリのひとりだ、と判断すれば、web上の仲間になれる。同輩の人には「頷き」と「同感」を以て喜び、若者たちからは斬新的なアイデアを有難いことにたくさん戴く。
 旧知の兼高かおる氏の明言は「日本人は集まって、話し合って、それでおしまい」で、あの時、私は成る程、と思ったものである。そして「これからの日本、どうなる?」と一緒に頭を痛めたことがある。彼女に会った最後の会合は凡そ2年も前になるが、チャンスがあれば私は「日本の若者も捨てたものではない」と断言できる。ただ、クダラナイ人たちばかりが所狭しとばかり蔓延っているから、まともな人たちが隠れてしまっている。
 パソコンは使いよう、webも網の潜り方ひとつで思わぬ閃きと展開がある。要は使い手がキーパーソンということである。動物の調教師然り、サーカスの猛獣使い然り、教育者然り、延いては子育て然りということになる。
 捨てもんじゃないね!ということは、すべて自分に掛かってくる。天に唾を吐けば自分にかかる、天に雨乞いすれば雨降って地固まるになる?! とにかく、ひとりひとりが自分に自信を持って、自分に責任を持って世の中を渡っていけば、自ずから希望も持てる筈だ。日本も捨てもんじゃないね!と心から言いたい。

127.心に障害を自ら持つ可哀想な人

2007-02-10 06:42:57 | Weblog
 自民党の町村信孝前外相曰く、柳沢伯夫厚生労働相の「女性は産む機械」発言について「もう済んだ話。言葉狩りという表現がぴったりだ」と、同党内外の柳沢氏辞任要求を批判した。そう、クダラナイ言葉のやり取りにウンザリ! 「2人以上子供を持ちたい若者」を「健全」と表現したのは、「(子供が)2人、3人、4人いたらいいねと、ごくごく当たり前のことを言った」と女性の私も厚生相を擁護したくなる。揚げ足取りの何ものでもないと思うからだ。間違ってもfaultfinderにはなりたくないね。発想を逆転するように、時間も逆転できるなら(ドラエモンならできる!)発言も逆転できるチャンスはある。逆もまた真なり、と言うではないか。
 人間特有の言葉をちょっと考えてみる。「言葉巧み」という表現の後には「騙す」とか「誘う」が続いて、あまりよいことは関わらない。「言葉じょうず」という表現は、善悪どちらの場合も使える。どんなに言葉巧みに話したって、重要なのは内容、真髄、それに気持ちである。どんなに言葉が少なくたって、真意は伝わる時には伝わるものである。人間、誰もが完璧ではない。間違えはある。「そういう意味じゃない」と声を大にして訴えても許す気持ちを持つのも人間だからこそ、と想う。話下手というか表現の欠如を大問題にするべきではない。まして、頭を下げているのなら。頭を下げるという行為は容易ではない筈だ。もし、あなたが渦中の人で、批難轟々、槍玉に挙げられたら、そして、もう一度のチャンスを与えられなかったら・・・
 捻り込むのは止めようよ。やるべき事がいっぱいあるんだから。くだらない! こんな程度の低いことを続けている人間は一掃したくなる。心に障害を持っているに違いない。それも、きっと重症だろう!

126.もう一度、知覚支援装置付コルセット!

2007-02-09 08:59:05 | Weblog
 凍て緩む頃、梅の話題がチラホラ、御水取りのニュースもすぐ間近に来るようになると、リハビリ病院には実習生が療法士と患者の間を遠慮しがちに歩く姿が目立ってくる。
 北里研究所病院では行く度に、例の知覚支援装置付コルセットを私は身に付ける。重田療法士考案のこの装置はどの実習生も興味深げにジッと見る。これが、メルボルンの学生ならきっと競って質問してくるだろうが、日本人の学生は今でもやはりはにかみやさんなのか、チャンスを逃す名人なのか、単刀直入に聞いてくる学生は滅多にいない。向学心に燃える学生はやっとの思いで、重田療法士に「少し側で見学してもいいですか」と聞いてくる。
 そして、この装置を付けて歩くのを見るのは初めてだ、と言う。どんな効果があるんですか、と尋ねてくる。私は誰の質問でもwelcomeで、食らいついたら離れない精神の子にはトコトン付き合う人! 英語を指導していた頃も「聞いたもん勝ち!」だった。明朗快活怖いもの無しの子が成功している。
 私なりに私が答えられるのは知覚支援装置付コルセットの効果ということになる。初めてこの装置を着用した時は、体全体がギクシャクした。麻痺のない身体なら抵抗もなかったろうに、当然のように右半身に激しい痺れと痛みが走ったのをはっきり記憶している。「からだ」を体とせずに「身体」にしたのは「生きている体」と共に「自分が何かをやろうとする誠心」を強調したいからだ。「勉強に身が入らない」とはよく使う表現だが、まさしく「リハビリに身が入らない」時期があった。違和感を通り越すような感覚が前面に出て来て体が異常に強張って歩を進めることが出来なかった。
 慣れとは恐ろしいどころか便利のいいもので、装置をつけたぐらいでは私の体は強張らないようになってきた。それより寧ろ、着用後のことを考えると「早く付けて!」と着用を心待ちにする自分が可笑しく思えるようになってきた。痺れが右半身に逗留していても、知らぬ存ぜぬとばかり、装置を付けて貰った歩行は私なりの順調を表現してくれる。
 着用し始めた頃は、装置を付けている間だけ、歩行がスムースにいった。それが、暫らくこのリハビリを続けていると、直後まで効果は続き、更に帰宅しても効果覿面になってきたのである。効果は次第に長く続くようになって、今では電動車椅子に揺られて20分、家に帰っても暫らくは快い足の運びに満足している。
「どうしてなんですか?」という質問に私はちょっと躊躇いながら答えた。
「慣れかな? 騙しかな?」
実習生はギョッとしたらしく「慣れ!騙し!」とオウム返しにリピートした。そう、私はこの装置を着用する度に「自分の体が装置を覚えている」と想う反面、ラマチャンドラン博士のミラー実験を思い浮かべる。視覚による騙しが多分に助けになると思っているのである。上手く騙し続ければ、あわよくば体が覚え、やがては脳が覚えるという順序だろう。
 私は、私と療法士と脳科学医が一体となって、トライとレザルトを気長に繰り返していくことだと想っている。
 健常者が、この知覚支援装置付コルセットを着用してもわかる筈だ。人間の体が正しいバランスを保つことはかなり難しいから・・・ 付けてみる?

125.自分にしかわからない心の悩み

2007-02-05 14:23:11 | Weblog
 有名人が悩んで命を落とすと、その病名が全国通津浦浦、光や音にも似た速さで駆け巡る。無名で最悪の病魔に悩まされている人は考えられないほど数多くいるが・・・ 
 先頃、自ら命を絶った女性は私の好きな人のひとりだった。何故なら、いつの場合も、同じ表情で、同じトーンの声で、同じ笑顔を惜しむことなく、振り撒いていたから・・・女性の死に関するニュースは、線維筋痛症という病名が一緒に報道された時、「辛かっただろう」と私なりに想った。自らの死計の後は極楽と安らぎが用意されていたのだろうか?
 神経線維は、軸策が集まって構成されている。軸策突起は、最も長い突起で、その末端は興奮伝達を受けて電気信号に変える機能を持つ神経細胞の樹状突起とシプナスを通して結合する。
 神経線維に関係した激しい痛み、ということになると素人の私でも恐らく耐えられないような痛みだろうと、僅かながらでも理解出来るような気がする。全身に走る激しい痛みの種類は普通の人が日常経験する痛みと異なり、「電気が走るような痛み」とか「血管をガラスの破片が流れるような痛み」などという表現で患者に形容される。これは私がよく表現する私の痺れがきっと「同感!」と叫んでいるに違いない、と想像する。私はよく、「ジャックハンマーが体に入り込んでガッガッガーァと騒いでいる」とか「溶鉱炉の中に飛び込んだような」という表現をすることがある。線維筋痛症も付随する症状として、緊張とかこわばりや疲労感、頭痛、微熱、ドライアイなどがあるらしいが、この病で死に至ることは無いと言われている。私の痛痺れもそうだ。だから何だって? 私は言いたい! 死より酷なのは耐え難い苦痛を受容して生きていくことだと・・・
 線維筋痛症は具体的な判定が難しいことから、とりあえず一般的な鎮痛剤が処方されることが多いようだが、これまで安定した効果を持つ特効薬は見つかっておらず、痛み止めにより快癒した例は少ない。私も、自らの痺れに耐えられなくなって、鎮痛剤を担当医に貰って3ヶ月間服用してストップした。効果が見られない薬は止めたほうがいいという、私なりの判断だった。
 今日のTVでは死を選んだ女性の姉が「電話でアーという叫び声しか聞かない時もあった」というようなコメントをしていた。私も自分の姉に電話した途端に出る声が「アー、アー、ウー、アーァ」だけで顰蹙を買うことがしばしばある。悩みは心の苦しみだから、人に悟って貰うのが難しいし、神経の苦しみも人に察知して貰うのは安易なことではない。