脳のミステリー

痺れ、言葉、触覚等の感覚に迫るCopyright 2001 ban-kuko All Right Reserved

94.マイ・ブログThe BrainⅠの評判は?

2006-10-28 11:11:58 | Weblog
 9月末に販売に踏み切ったThe Brain Ⅰの売れ行きは好調だ。10月は正に「心血を注ぐ」気持ちでありったけの力を出し切って努力したが、高血圧の私が俄かに低血圧に悩んだりもした! だが、販売が順調に進んで、今は血圧も安定状態にある。
 中途障害者の私は人生、半世紀余を健常者として歩んできた。身も心も健常だったと振り返る事が出来る私は幸せ者だ、と感じている。
 だが、5年前、突如、障害の身となった私は不幸を大いに嘆いたが、その期間は自分でも驚くほど短かった。「何が自分に出来るか?」より「何が自分の周りにあるか?」が素早く私の脳裏をかすめた幸いがあった。
 幼い時から、「他人に出来て私に出来ない」があって「私に出来て他人に出来ない」がある事を自然に理解していた。他人といっても、私は手っ取り早くは自らの姉を想っての悟りである。
 一緒に習い出したバレエのレッスンで、姉は開脚をいとも簡単にやってのけるのに、私には心血を注ぐ想いの練習も中々効果が出なくて残念な思いをしたものである。小学校での作文コンテストでは、私は毎年のように金賞を貰う事が出来たのに、姉は一度も貰えなかった。自称英語職人の父を持つ姉妹なのに、妹の私は英語という言葉を容易く操る事が出来るが、姉はさっぱり分かりません!と兜を脱いでいる。社会人になってからは、姉は地道に木漆工芸家として極める事が出来るようになったのに、私は木地を前に刷毛も彫刻刀を持つ事さえ出来ないが、姉は熟練した手で次から次へと工程を進む事が出来る。だが、そう、確かに姉の手からは力作を生む事が出来るが、私には・・・ そして、私には海外の国立美術館等で裏方に回って根回しを上手にする事が出来るが、姉には・・・
 私が右手の機能を破損した時、修復不可能に気付く前に、言葉の機能が甦った喜びを感じたのである。人間にとって「手」はかけがえのないものである。確かに機能を失ったらショックだが、言葉も人間特有の機能で失うのはとても心苦しい。しかし、どうしても二者一択を強いられたら、姉は「手」を私は「言葉」を選ぶだろうと思う。私達姉妹は還暦を優に迎えて、今、互いの選択物をありがたく思っているという訳だ。
 せめて、私と同じ様に突然、中途障害者になってしまった人達に、是非、私のブログを読んで夫々の中にピカッと光る何かを見つけて欲しいと思っている。
 The Brain Ⅰをある中途障害の女性の家に届けに行った。彼女の家の前は私道らしく、段差があって私の自家用車は乗り上げが少し困難だ。転倒したら、すぐに救急車だと分かっているので、彼女を携帯電話で呼び出した。「今行きます」という声から結構長い時間が経って、やっと懐かしい女性の姿が見えた。車椅子で移動の私には杖だけを頼りに歩行に励む障害者の大変さは分からない。一生懸命、私に近づいてくる彼女が微笑ましかった。私が普段、親しくしている中途障害者の別の女性は片足を切断して義足をはめているが、3歳の頃の事故だという事で、とても慣れた移動をいつも見せてくれる。義足の女性はセッカチで、杖の女性はのんびり屋さんという両極端という性格からか、携帯電話で呼び出された女性は中々姿を現さなかった。常に車椅子で移動する私は改めて本来なら足が不自由な身とあらば、大変なんだ、と改めて驚いたのである。
 杖の女性は言った。
「電話で貴女と話をしただけで、活気付いたのよ」
「だったら、私のブログを読んで、もっと張り切ってね」
私のブログ、脳のミステリーはきっと多くの障害者の心を揺さぶるだろうと確信している。

93.脳のミステリー 万歳!

2006-10-24 06:53:16 | Weblog
 goo で104件中一番最初に見つかって、yahoo では1,100,000件中の一番前から検索出来るようになってるよ! 嬉しい! みんな、たくさんの人が私のブログを読んで日々の糧にして欲しい。音楽は心の糧というけど、聞いて!前田先生!マイ・ブログも障害者にとっては心の糧になるよね!(前田先生は音楽セラピーの療法士で私が大好きな女性の一人)

92.教えてあげる、障害者への正しい接し方!

2006-10-24 06:17:42 | Weblog
哲学者ルソー曰く
―我々はいわば二回この世に生まれる。一回目は存在する為に、二回目は生きる為に―
中途障害者の私曰く
―私はこの世に二回生まれた。一回目は人間一般社会に参加する為に、二回目は障害の立場から一般社会を垣間見る為に―

 死に損ないの私にはそれなりの必要性があったからこそ、三途の川を渡らずに現世に戻って来たのである。現在の私ならきっと貪欲に来世を覗き見て来ただろうに、未来の何も見ず、下界に舞い下りてて来てしまった。私の必要性、それは障害者という立場に立って客観的な眼で一般社会を見て、助言する事である。
 一般社会で、所謂、健常者が私達障害者にかける言葉は決まって「大丈夫ですか?」である。簡単な英語で言えばAre you alright? だが、what do you mean? I’m alright! と返されたら、どうする? 訊ねられてもいない、頼まれてもいないのに「余計なお世話だった」とあなたは思って「どうしよう!」と思うかも知れない。そう、一般社会から余計なお世話は何度も受けても、まさかの時のヘルプは滅多に受けないのが事実である。これは障害者仲間が異口同音に率直な意見として常日頃、思って話している事である。私達が欲しい言葉は「お手伝いしましょうか?」May I help you? なのだ。だが、この言葉を発する限り、身も心も充分に使える人でなければならない。健常者は障害者に声をかける前に自分の体に自信があって、心に余裕がなければ、気持ちだけでは安易には言動や行動に移すべきではない、と言いたい。障害者のヘルプって、実は大変なのよ!
 自らを主人公に語ってみよう。私は外出に必ず持ち出すのが、自慢の朱漆の杖ではなく、簡単操作の電動車椅子なのである。傍から見ているといとも簡単にハンドルを握る私を見ると、声をかけたくなるらしい。長年、決して軽くはないワーゲンのハンドルを握ってきた姉が「ワァー怖い! アレーッ難しい!」と騒いだくらいだから、左指先でチョイチョイと操作するのは・・・ まして周りの状況を把握しながらの走行は気も使うのである。
 安易に声をかけるものではない。障害者が「すみません!」と言って初めて「何をしましょうか?」と言って貰いたい。障害者は、ホント、健常者以上に「個」を大切にして生きてきているから! どうして分かるのかって? だって、ついこの前まで私、健常者で街を括弧していたんだもの。私なりに両者が分かるってわけ。
 とにかく、障害者の不便、障害者の痛みや悩みはホントに夫々! よく出会う「大きなお世話」や「余計なお世話」を指摘してあげなきゃね! 善意が悪意とまでいかなくとも迷惑になる事を私の場合、と断った上で述べてみる。
 私の家とリハビリ病院の間には結構、魔の横断がある。赤信号に注意だけではなく、道路の傾きと視覚障害者のヘルプになっているあの黄色い粒々が一緒に出現すると、神経をさかなでするという訳である。おまけに親切なガードレールが更に邪魔をするのだ。
 私の愛車はスイスイと気持ちよく走る。目前の信号が黄色に変わる。すかさず、ハンドルから手を放し(ストップにはハンドルを手放す)急いでストッパーをかける。通常の道での停車はハンドルを手放すだけでいいが、斜面ではストッパーが必要になる。更に例の黄色い帯に粒は最悪の条件になる訳だ。そこでお節介な人が登場すると、私は内心大慌てする。そんな時、背後からどんな人かも見えないのに「チョット動かしましょうね」とか何とか言って車椅子の後ろハンドルを持って少しあげて真っ直ぐにしている様子が想像で出来る。その瞬間、私の右半身では恐ろしい出来事が起こっているのに、私しか分からない。私は声も出ず、内々、例の小人と大格闘する事になる。それによって信号を逃がす事もある。お節介さんはトットと先に言ってしまえばいいのに、自分も渡らずに私の心配を勝手にする。「早く行ってよ! 私に構わないでよ!」と言いたいのは山々だけど、そうもいかず、心にもない事を言おうとする。
― ありがとう。でも、触らないで! 困るから ―
お節介さんは「大丈夫?」を連発する。あなたがいるから大丈夫じゃないの、とも言えず、私はその人の存在を極力無視しようと努力する。やっと平常心に戻って私は話し出す。
「ありがとう。でも、背後からはそっと触れられただけでも右半身に異常な痺れが起きるんです」
「あら、ごめんなさい」
やっとお節介さんからは私という障害者が期待していた言葉が貰えるという訳だ。
 信じられないだろうがホントの話で、障害者同士は「分かる、分かる」と多くの人が頷く。障害者との正しい付き合い方は、障害者本人から学ぶべきだと思うし、それがまた誰にでも通用する接し方ではないという事も健常者には浸透させて貰い、真のノーマライゼーションを根付かせて欲しい。先ず、障害者と健常者との間に存在するバリアフリーを一般社会で徹底させれば、自然にノーマライゼーションが浸透されていく、と私は思う。

91.マイ・ブログを総括する

2006-10-23 09:19:58 | Weblog
 マイ・ブログ脳のミステリーのテーマを大々的に変える事にした。
「脳の被殻出血に伴う強度な痺れと大格闘しながら脳の魅力と不思議を探る後半生を小説タッチで綴る主人公未来の毎日は必読!」はもう見飽きたという訳だ。
脳、No、Know!から何かを引き出したい。心脳、Yes、Know、nor、Learn!:自らの脳を教材に出来る私は実に幸せ者である。
 自分の脳にはノーという答はない。可能性があちこちに潜んでいるから。規制的な潜在意識をかなぐり捨て、イエス、活きている脳の機能に働きかける事によってアビリティ、即ち自分の能力を引き出すのに精を出そうではないか。もしかしたら、千載一遇ってなチャンスに出会うかもしれない。
 斯くして、出来上がったフレーズは:―
『脳、NO、KNOW:自らの脳に迫る。脳の秘密は果てしなく続く。脳トレは命ある限り続ける。数々の発見が潜んでいるから・・・』

90.アビリティ、ワン・バイ・ワン、能力のお零れ貰おう!

2006-10-21 09:01:13 | Weblog
 人間は個々に夫々素晴しい能力を持っている。ただ、本人がそれに気付いていないか、はたまた、それを充分に発揮出来るか出来ないか、それだけの事である。
 戦後の日本が長い間大好きだった「横並び現象」即ち「みんな一緒状態」は今や近代日本では首を傾げられるようになってきたが、諸外国では「個の時代」などというようなモットーはお目にかかる事がない。日本では「私も・・・」という言葉は日常茶飯事の頻度差で出没するが、豪州なんかではme, too とか so do I という表現に対してはreally! とか What a coincidence! とか言って奇遇だと思われる事の方が普通だ。だから、色々な人の話はよく聞くのかもしれない。トラベル・ジャーナリストとでも言おうかベテラン女性が面白い事を言っていた。
― 欧米人は考えて、話し合って、実行に移すが、日本人はよく考えて、よく話し合って、それだけで、おしまい! ―
なるほど、考えて話し合って実行に移すには人の意見も注意深く聴く事になるだろうが、最初から「おしまい」の四文字が潜在意識として夫々の頭に潜んでいれば、人の意見なんかいい加減に聞いている事が多いのかもしれない。
 私の子供達が幼い頃、日本人社会と豪州人社会を頻繁に往復したが、母親として「聴く態度」をまざまざと見せ付けられたものである。豪州では、話す相手が大人だったら、まして、子供達は興味津々の面持ちで聴き入る。騒がしくても、ちょっと大人が「シーッ!」と言って口に薬指を当てると、途端に静かになる。
英語指導の中で、私は小学校高学年の子供達や中学生には必ず言ったものだ。
「学校での授業中、先生の話はよく聴くように!」
日本の子供達はとかく頭でっかちになっているので「知ってるもん!」とか「分かってるもん!」とか言って、貴重な授業に真剣な耳を傾けない。知っているなら、試験はみんな100点! 分かっているなら、全員花丸! ところが、解答用紙を貰うと半数が首を垂れてしょげる。そんな光景を懸念に思った私は言ったものである。
「ここで習ったからと言って、全部知ってるつもりにならない事。一時間足らずの学校の授業で先生が全く知らなかった事を例に出すかも知れないでしょ。たった一分間の知らぬ事柄の為に一時間の授業を全て逃さずに聴くという事はとても大切!」
嬉しい事に、あの当時、真面目にしっかり私の話を聴いていた生徒や学生は今現在、あらゆる分野で輝かしい活躍をしている。
 ところで、今朝テレビをつけると「盗作だ!」と何やらワイワイ騒いでいた。人気ミュージシャンが人気漫画家の台詞を無断使用したというのである。日本は何と平和な国だろう! 私は松本零士のアニメ「銀河鉄道999」は殆ど知らないが、ゴダイゴの歌はよく聞いたものである。私の子供が生まれた頃に流行った歌だ。
The Galaxy Express three nine
Will take you on a journey
A never ending journey
A journey to the stars
この素敵なフレーズはとても記憶に残っている。私だったらもしかしたら、銀河鉄道はThe Galaxy ExpressでなくThe Milky Way Train なんて使って「陳腐!」てな事になってあんな爆発的な人気にはならなかったかも知れない。後半のフレーズA never ending journey
A journey to the starsは最高だ! シンガーソングライターの槇原敬之は80年も前の宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」を想ってか「銀河鉄道の999のタイトルも先人が創った言葉だ」と言っているらしい。なるほど! なるほど!
 おふたりさん、自分の能力を信じて大きな気持ちになろうよ。宮沢賢治が「先人の英知に学べ」と笑っているかもよ。槙原の歌詞「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」が松本の台詞「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」にそっくりなんだって!「流れ進むのは我々であって、時ではない」という名言を残したトルストイもきっと笑っているに違いない。かつての名言は現代に活きてこそ、改めて褒めたくなるものである。「夢は見るものではなく、叶えるもの」これは私の台詞。でも、槙原敬之ではないけど「記憶上のものを使用したかもしれない」という事は比較的よくある事だと思う。ちっぽけな私なんかは、始終名言を引用されるトルストイにあの世で会ったら、滅多斬りかも・・・ でも、文豪の豪は、豪語の豪、豪快の豪、豪華の豪、ふたりとも豪物(えらぶつ)(偉物)になって下さいよ! そうか。豪州の豪は大層なという意味で、州は日本で古くから用いた地域単位としての国、つまり豪の州、大層な国という事だったのか。日本人って、やっぱり、頭いい!
 とにかく、宮沢賢治は自分が見た夢、即ち多くの謎を秘めた銀河鉄道の夜の面白さと、素晴しい言葉や深い思想、更に世界観を童話に移行して見事に次代に残したのである。
 話は全く変わるが、安倍総理の「美しい国へ」は川端康成の「美しい国、日本」のパクリだと言う人がいるだろうか! 日本人初のノーベル文学賞に輝いた川端康成がその授賞式で「美しい日本の私」というテーマで講演した時、現総理は多感な中学生だった筈だ。「美しい国、日本」は総理の記憶に特別に残っていたのかもしれない。それより何よりその四半世紀も後に大江健三郎がノーベル文学賞受賞講演の際「曖昧な日本の私」でジョージ・オーウエルの言葉を借りて「人間味あふれhumane」「まともな sane」「きちんとしたcomely」「上品なdecent」日本人でありたいと語っている。大江氏とて文豪川端康成の「美しい日本の私」を念頭に自らの講演に「曖昧な日本の私」と題したのだろう。ならば、私は「いい加減な日本の私」とでも掲げようか? まさに陳套な趣向だ、と皆から貶されるに違いない!
名言、名台詞、名歌詞はいつの世も誰にでも常に海馬の協力を得て引っ張り出して貰いたいものである。昭和の売れっ子ベテラン漫画家も、人気歌手も夫々違った時に、異なった場所で大きな気持ちで自分の能力に自信を持って平成の次代を担う子供達に伝えて欲しい。
 日本語が乱れて汚くなってきている今だからこそ「夢も時間も裏切らない!」とおふたりに正しい言葉で伝えて貰いたいと願うのは私だけではないと想う。

89.できた! 私のブログ出身の本が!

2006-10-12 06:23:51 | Weblog
 話す事も、書く事も、読む事も大好きな私の本が出来た。出版社からの印刷物でない全てが私の手作りが素敵だ。凝り性の私が作成したので、まして美術館の企画を手掛けたりするのが再出発の仕事だったので表紙のセンスも中々いい、とまたまた自讃したくなった。豪州でも日本でも活字になって公表された執筆は幾つかあるが、自ら、書いて構成して発行に至るのは初めての経験である。嬉しい! 文句なしに嬉しい! 昨年、初夏の頃に『脳のミステリー』を立ち上げて早くも1年が優に経ったので思い立った私独自の発刊である。
 そもそも私がブログを立ち上げようと思った切っ掛けは何と音楽セラピーに参加した事である。
「英語の歌が選曲の中に幾つか入っているので、ちょっと入ってみてくれない?」
音楽は大好き! 聞くのは大好き! 昔から「ナガラ族」で仕事をする時も(勿論、勉強していた時も)睡眠に入る前も、音楽の流れる中でないと落ち着けない。そんな私の生活の中にも、一時だけ音楽抜きの時がある。それは美術の仕事をしている時である。頭の中は言語脳では英語脳だけが働き始める。他の全てをシャットアウトして目の前の美術品に集中しない限り、いい仕事は出来ない。
 実は音楽セラピーに初めて出席した時、何と言っても私は指導者の前田先生がとても気に入ったのである。無論、私を誘い出した障害者センターの藤田めぐみさんが大好きだったから、即OKを出したのは言うまでもない。しかも、選曲の中に讃美歌第2編167番があったから、尚更グループの一員になったのである。「われをもすくいし」否「アメージング・グレース」といった方が今や一般的だろう。
Amazing grace, how sweet the sound     大いなる主の恵み、なんとやさしき響きよ
That saved a wretch like me         このような我でさえも、救いたもうた
I once was lost, but now I’m found     かつて我は失われ、いま見出されぬ
Was blind, but now I see.            見えぬ我が身であったが、光を知った
 今から45年も前の事だが、始終、何も考えずに歌っては「アーメン!」といっていた記憶が甦る。(余談だが、この先の歌詞の英文和文共、ご希望とあらば・・・)作曲不詳だが1779年生まれの作詩はイギリス人の手によるものである。正直にかつ主の恵みを素直に感じたままに、その気持ちを綴った事が、多くの人々に感銘を与え、心を揺さぶる詩である。
 ピアノはバイエル止まり、歌は少なくとも音痴の仲間、それでも音楽は大好き、だから専ら耳から入れる・・・ ところが、前田先生は皆と一緒に歌うという事に自然と私を向かせたのである。凄い威力だ!そして、私はブログを立ち上げて自らの体験を楽天的に捉えて綴り、他の多くの障害者を揺り起こそうと奮い立ったのである。
 病院の先生達は異口同音「印刷物にしたらどう?」と言った。障害者の仲間達は「パソコンがないから読めない!」と言った。斯くしてブログ本作りが夏頃から始まったのである。3ヶ月で出来上がりなんてプロも真っ青でしょ! またまた私の自画自賛は始まる。

88.慶びのボンボニエール

2006-10-11 08:14:11 | Weblog
 皇室のボンボニエール展最終日が連休最終日にあたった日の天気は晴れ。開店直後に私は日本橋高島屋に入った。
 ボンボニエール(La Bonbonniere)はフランス語でキャンディーなどボンボンを入れる器の事である。ボンボンと言えば、すぐに頭に浮かぶのがウィスキーボンボンだ。ヨーロッパ生まれの子供の誕生祝や結婚式などで幸福を表すものとして古くからお馴染みだが、日本でも明治以降、欧州の伝統を取り入れるようになった。中に入れるお菓子は金平糖が主流だった。金平糖の原語はポルトガル語のconfeitoで織田信長が宣教師から献上され、以後、江戸中期には大名の茶菓子として用いられ、更に、明治時代になると皇室での使用が盛んになった。ヨーロッパからという訳で銀製品が殆どで、漆器はほんの僅かだった。陶器は更に少なかった。
 日本橋から銀座に移動して一日中遊んで帰ったら、北朝鮮核実験という大変なニュースが待っていた。それが原因かどうかは定かではないが(?!)その夜から右半身の麻痺が想像を絶する走り方になってきたのである。翌日は病院でのOTリハビリにも集中できなかった。北朝鮮付近の大気が妙な具合になってきているのか、はたまた、地底に変化が起きてきているのか? 大それた事は想像できないが、確かに低気圧が日本付近で発達したり、地震が発生したりする前になると、私の右半身に異常な痺れが走る事実は幾度となく経験している。

87.人間に必要なこと:それは忍耐

2006-10-07 08:09:31 | Weblog
 現代日本人に必要なもの、それは「忍耐」だと思う。この忍耐という能力を持つ人が年々減少している。天才とは強烈な忍耐者である、と言い放ったトルストイを始め、多くの著名な人が「忍耐」を賞賛している。「忍耐は仕事を支えるところの、一種の資本である」と言った人もいる。私の記憶に残る名言はふたつ:ひとつは「忍耐、それは肉体的な小心と道徳的な勇気の混合」というフレーズであり、もうひとつは「重要な事は何を耐え忍んだかという事ではなく、如何に耐え忍んだかという事だ」である。
 幼い頃、よく耳にした言葉があの「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ・・・」である。例え、高い所に目的を掲げても、もしも階段のない忍耐を昇ろうとすると、なるべく低い所を選んで、自分を高く評価出来ず、結局は失敗してしまうかも知れない。
 病魔に襲われ、後遺症と二人三脚の二回目の生を貰った私は、有難い事に人格の成熟度と非常に関係する「忍耐」を改めて認識する機会をも貰った。第二の人生を歩み始めて足掛け5年、私は自分に出来る全ての事をし得ると自ら誓ったが、もし、無限の忍耐を持っていないとすれば、様々な事を探求する事にきっとウンザリしてしまうだろう。私は道を歩んでいくのに、忍耐というしっかりした階段は不可欠だと思う。
 中途障害者のひとりとして、後遺症に悩む人に言ってあげたい。
― 私達は現在だけ耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから ―
誰の言葉だったかは忘れたが、実にその通りだと思う。
 私にとっての先輩障害者だった我が亡き父の晩年の口癖は強烈に残っている。
― 夜は怖い。だが、夜明けは安堵する。ああ、今日も無事に朝が迎えられたってね! ―

86.同じ日に印象に残った二人の健常者

2006-10-05 12:48:10 | Weblog
 十人十色とはよく言ったもので、本当に考え方や好みは各人夫々に異なってくる。一般的に健常者は障害を持つものに対して「思い遣り」というより「哀れみ」の心を表面に押し出すものである。一般社会に於いて、他人が例え要らぬお節介を行動に移そうが、お気の毒にという風な態度に出ようが、あまり気にならないが、障害社会では違う。
 私は自分も含めて、これは私の・・・!という分野ではプロ意識を強調する。最近は素人がプロの中に入り込んできて、何かと口を挟むようだが、これは非情に好ましくない。この傾向は無論、やがて専門家がプロ意識を忘れてしまう、という危惧さえある。
 これまで亡き父の口癖を護って、私自身も「英語屋」の名を継ぐように努力してきた。少しでも私らしい英語の表現に磨きをかけ、それが確たる他人に認められ、称えられて、それが自信に繋がる。父は「英語をマスターするのには優に40年はかかる」と言っていた。ある水墨家が「一本の線を描くのに40年かかるが、それでも満足しない」と言っていた。自信が付くと、更に飛躍する。要するに、努力、賞賛、自信、漸進の繰り返しが素晴しいプロを生み出すのだ。だから、私はプロには手厳しい。
 以前、病院で看護師が無言でいきなり私の車椅子を持ち上げて右にずらして彼女は私の左側を通り過ぎようとした。当然、私の右半身には強烈な痺れが上へ下へと物凄い勢いで走った。私は咄嗟に看護師に「ちょっと待って!」と叫んだ。振り向いた彼女は「ただ、ずらしただけよ!」と言った。「ただ・・・?」とんでもない!彼女にはどうってない事でも私には大事だったのだ。傍には私の療法士もいた。
「看護師さん、あなた、プロならプロらしく、声をかけて、ゆっくりチョットイイデスカ?って言ったらいいでしょう! ここは何処でもない病院内ですよ」
悪びれた様子もない看護師に向って更に私は言った。「あなた、お名前は?」看護師はそれでも無言で立ち去ろうとした。彼女がリハビリ室を出るや否や、私は療法士に「あの方のお名前は?」と怯まず聞いた。後日、再び同じ部屋で会った私に「先日は失礼しました」と看護師は詫びた。「ご自分の仕事には誇りを持って、患者にはゆとりを持って接して下さいね」「ハイ」以後、時折会う彼女とは軽い会釈を交わす仲になった。
 また、つい先日、私は二人の対照的な健常者でしかもある種のプロという人に会った。先ず、好ましくない体験を述べよう。
 私のブログの出版化に関する要望がかなり前からあちこちで耳に入る。療法士の先生方からも障害者仲間からも「是非」と言われて取り掛かる事数ヶ月、やっと見本が出来たので障害者センターで何人かの人に見て貰った。殆どの人が異口同音に驚いて言った。
「作ったの? プロ並みね! 大変だったでしょう、あなた、殊に片手だから・・・」
「ええ、初めの一冊だからね。それは大変だったわ。表紙を作るのも、両面をプリントするのも・・・」
「そうでしょう。費用も掛かっているでしょう?」
「まあね。でも。キンコスあたりに頼もうかと思って行ってみたけど、7、8万は掛かるって言われたので、じゃあ、自分で作るかって事にしたの。でも、そう、片手だからね・・・」
「そうよ、紙代とかプリント代とか、足が出ないように幾らか戴くわよね」
障害者仲間の幾人かとは「でも、なるべく安くしてね。無職の身だから!」「勿論!」と笑いあった。ところがある若い女性が「えっ、くれないの? サービスじゃないの? どうして贈呈じゃないの?」と突然言い出し、何とそれを厚かましくも何度も繰り返した。
― えっ、あなたプロでしょうに! ここに集まる人は皆体が不自由で職を取り上げられた人達が殆どなのよ。お世話する人がされる立場の人から無料で強請るの? せめて「譲っていただけるの?」とか「読みたいけど、どうしたらいいの?」とか言ってくれれば「とんでもない、貴女には差し上げます。いつもお世話になっていますから」ってな事になり得るかも知れないのに・・・ 「間違ってもあげない! ケチ! ドケチ!」人の知識と苦労をちゃっかりタダで戴こうなんて、根性が・・・ ―
私は呆気にとられながら、心の中でぶつけた。またまた故草野新平の「私は権力を振り回す人とケチが嫌いだ」という言葉が久しぶりに思い出された。
 何ともがっかりの午後だったが、家に帰って1時間もすると、玄関先に誰か予期せぬ訪問者がドアチャイムを鳴らした。愛犬のテトが吠えまくって、話にならない。ドアチェーンを確かめて、ドアを開け、隙間に見える顔に見覚えがあった私は「止め! 戻る!」と愛犬に制止してからチェーンを外した。そう、私の癖で人が来ると先ずチェーンが掛かっているかどうかを確かめて、それから、人を見極めて、確認して安全だったら徐にドアを開ける・・・ 御身大切に!
「覚えていますか? タクシーの運転手です。数週間ほど前に赤坂に・・・」
「ええ、覚えていますよ。それが何か・・・」
「あのう、貰いすぎちゃって・・・」
「えっ! まあ、何て律儀な・・・ 」
「同じ車椅子があったので玄関がここだ、と思って・・・」
「まあ、有難うございます」
1万円も貰っちゃった! タクシーの運転手さんはきっと自分の仕事に誇りをもって走っているんだわ。しかも近くに来た時に、訪ねてみるなんて何と心憎い事を・・・! きっと車椅子の客で、左手だけでは思うように支払いが出来ない人だったから、余計何としても届けようと思ったのかしら。日本人もまだまだ捨てたもんじゃない!
 一日の始まりと終わりが善ければ、全て善し!

85.死刑判決

2006-10-02 06:05:58 | Weblog
 最近の日本は犯罪そのものが増えているので、一般人も裁判とか判決という言葉を日常生活で耳にする機会が多くなった。子供の頃、聞いた事のある「ネズミの殺し合い実験」ではないが、人口の増加についてくる殺人にはやるせない気持ちになってしまう。
 豪州に留学した頃、渡豪してまもなく夏休みに入り、避暑地への往路で殺風景な大きな建物の付近が騒がしいのに私は気付いた。覚束ない英語で「What?」と関心をひく声を出すと豪州人のママはごく簡単に、でも丁寧に説明してくれた。    homicide は分からなかったがmurder は分かった。execution が分からなくてdeath sentence もdeath penalty も分からなかった。deathにつく単語がバラバラだと分かるがくっつくと分からない。そんな事は日常茶飯事で始終あった。暫くして、やっと私の知っている単語が出てきた。capital punishment である。はたと考えてcarried out という言葉があったのを思い出した私はギョッとして後を振り返った。そんな風に気の長い会話に飽きることなく付き合ってくれるママにはいつも頭が下がった。殺人犯に死刑を執行したのだという事をやっと私が理解した頃には、車はかなりの距離を走行した後で風景は牧草地帯になっていた。
 初めての旅行で先ず、覚えた英語が「死刑執行」に始まって、殺人の英語表現の色々や死刑の言い方を習うなんて・・・
次から次へと子供の殺人を犯した人間に死刑判決が出て今、日本のマスコミを賑わしている。
 イエス・キリスト曰く「罪を憎んで人を憎まず」:― つい最近、前小泉首相も間違えたようだが、この名言は確かに多くの人が中国の孔子の言葉だと思っているようだ。「悪其意不悪其人」という「孔(く)叢子(ぞうし)」の「刑論」にある言葉が「其の意を憎んで其の人を悪まず」なので真ん中の叢という字を端折って論語の孔子だという事になってしまったのだろうか。板垣退助が死ぬ直前に言ったというのも有名だし、大岡裁きもこのフレーズの発想だろう。私はこのフレーズを聖書の時間に初めて聴いた。そして日本の刑法に流れる基本的な考え方がこの発想なのだと思うのである。
 加害者も被害者も同じ人間と見れば、このフレーズが理解出来るのだが、立場を考えると中々難しい。 冤枉という言葉がある。冤も枉もそれ自体で「無実の罪」を意味する。犯人として起訴されて有罪が確定し処罰されたが実は犯人ではなかった、というのが「冤罪」である。簡単にいうと、罪を与えられたがそれは無実だという事である。
 痴漢騒動云々が時折マスコミを巻き込むが、一昔前の日本女性は被害にあっている最中人混みの中でも大声を出す勇気もなかった。今は違う。いい傾向だと思っている内に被害が女性でなく実は犯人呼ばわりされた男性だったいう事も稀にある。すし詰め状態の満員電車の中では下した手が傍の女性に否が応でも触れてしまう事がある。手当たり次第に「置換です!」なんて叫ばれたら堪ったものではない。「こっちにも好みがある!」と怒鳴り返した男の人にも出会った事がある。とんだ被害妄想から豚箱入りでは恨んでも恨みきれない。
 これがもし殺人事件だったら、と考えるとゾッとする。現に、間違いで処刑されて命を奪われたというイギリスでの話を聞いてそれがとても記憶に残っている。死刑囚の場合、死刑執行後の無罪の確定が冤罪となるのだが、死んだ後に冤罪と言われても浮かばれない。現在の日本では死刑確定後の無罪が冤罪という事になるが、実際の犯人ではない者が逮捕されて起訴されて、その後無罪判決になった場合は冤罪とは言わない。
 言葉というものは非情に影響力があるものだ。「冤罪」と言われようが、「罪を憎んで人を憎まず」と一旦、人の口から出た言葉は「死刑判決」以上に人を苦しめるものである。終身拘束する無期懲役ではどうか、処刑されなければ加害・被害双方に時間というものが影響してくるのではないだろうか。一生を鉄格子の中で暮らすという事は、それだけで辛い事だと思う。また、万が一、服役中に誤審が発覚したら・・・?
 何の場合も、当の本人でなければ、分からないものだし、死人に口無しでは・・・