脳のミステリー

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『♪みんなで歌う♪』はカラオケとは違う楽しさがある

2012-06-30 14:50:22 | Weblog
先にチョッと触れた音楽セラピーの前田キヨ子さんと、楽しい昼食を一緒にしました。

食後、高齢者相談センター(旧地域包括支援センター)の人を前田さんに紹介しました。
この日は虎の門いきいきプラザ(とらトピア)という所で催しがあるとの事で二人で訪問してきました。
そこでは、元気ハツラツの男女が色々な事を楽しんでいるようでした。
センターの職員が何か音楽を要素に入れた催しをしたいと、常々思っていたと言うので、前田さんの音楽療法を飛び入りでお願いしました。
さすが私が気に入った先生です。
即興で音楽療法をやってくれました。
限られた短時間なので曲目は2曲・・・「赤とんぼ」と「東京ラプソディー」でした。

山田耕筰作曲の「赤とんぼ」・・・三木露風の作詞は現代っ子には理解し難い部分も沢山ありますが、高齢者にとっては懐かしい歌です。

夕焼け小焼けの赤とんぼ
負われて見たのはいつの日か

山の畑で桑の実を
小籠に積んだは幻か

十五で姉やは嫁に行き
お里の便りも絶え果てた

夕焼け小焼けの赤とんぼ
とまっているよ竿の先


解釈は・・・
「夕焼け小焼け」は「夕焼けがだんだん薄れること」のことを指すのでしょう。
「負われて見たのは」は「追われて」ではなく、きっと「姉や」に背負われて赤とんぼを見たのでしょうね~
「姉や」とは、女中・子守りなどを親しんで呼んだ語ですよね。
「姐や」という漢字にすると完全に「下女」になってしまうかしらねえ
かつての我が家には近所の小母さんが「お手伝い」で出入していましたし、義父の処からは幾人かの女中さんが嫁に出して貰ったようです。
この「姉や」が結婚した後、彼女の「お里の便りも、絶え果てた」のは徐々に疎遠になっていったという意味でしょうね。
娘がお世話になっているお家には故郷の食べ物などをお礼に送っていたのでしょう

この童謡は大正・昭和の世代にはとても歌われてきた歌詞です。
奥深い日本語を語り継いでいきたいと思いました。

次は「東京ラプソディー」です。
門田ゆたか作詞・古賀政男作曲/昭和11年の作品ですが、私には「藤山一郎の歌」で記憶に残っています。

1.
花咲き花散る宵も
銀座の柳の下で
待つは君ひとり 君ひとり
逢えば行く ティールーム
楽し都 恋の都
夢のパラダイスよ 花の東京

2.
現(うつ)つに夢見る君の
神田は想い出の街
いまもこの胸に この胸に
ニコライの 鐘も鳴る
楽し都 恋の都
夢のパラダイスよ 花の東京

3.
明けても暮れても歌う
ジャズの浅草行けば
恋の踊り子の 踊り子の
ほくろさえ 忘られぬ
楽し都 恋の都
夢のパラダイスよ 花の東京

4.
夜更けにひととき寄せて
なまめく新宿駅の
あのこはダンサーか ダンサーか
気にかかる あの指輪
楽し都 恋の都
夢のパラダイスよ 花の東京

5.
花咲く都に住んで
変わらぬ誓いを交わす
変わる東京の 屋根の下
咲く花も 赤い薔薇
楽し都 恋の都
夢のパラダイスよ 花の東京


歌詞はまるで山手線に乗ってるかのように進みます。
かつて「銀座の柳」は名物でした。
現在では、「中央区の木」にも指定されています。
埋立地である銀座の土地が水分の多いことから柳が根腐れを起こしてしまい、1877年に湿地に生育する柳に植え替えられたようですが、1921年には車道の拡幅にともない銀杏へと植え替えられたという事です。
それでも銀座の柳に対する思いは強く、1929年に発表された西條八十作詞の『東京行進曲』でも銀座の柳を懐かしむ歌詞が登場したのです。
『東京ラプソディ』の他にも『東京音頭』で歌われるなど、柳は銀座のシンボルとして定着していったという訳です。

ところで、神田のニコライ堂に通うロシア人は今でもいるのでしょうか。
でもニコライの鐘は今でも鳴り続けています。

昔の浅草はジャズが盛んだったのでしょうか
新宿のダンサーは、男の人に人気があったのでしょうね~
踊り子がダンサーと歌われたり、ティールームとかパラダイスとか・・・東京は戦前でもモダンだったんだなあ、と思いました。

銀座は、日本最大の繁華街であり下町の一つでもあります。
銀座の名は、一種のブランドになっており全国各地の商店街には「○○銀座」と呼ばれる所がそこかしこに見受けられます。
この銀座という地名の由来は、江戸時代に設立されたとは貨幣の鋳造所のことで、慶長6年(1601年)に京都の伏見に創設されたのが始まりという事です。

音楽セラピーの前田先生の飛び入り舞台は大盛況でした。

色々なところで「音楽セラピスト」として「一緒に歌を楽しんで」懐かしい銀座にみんなで繰り出そう、という訳です。
銀座7丁目ライオンビアホールでの『♪みんなで歌う♪』は前田先生主催で十年以上も続いています。
私が独りで初めて参加したのも7~8年も前の事です。
銀座が東京都中央区の西部に位置し、西を千代田区、南を港区に接する、という事で今では港区の友人を出来る限りいっぱい誘っています。
年に二回、七夕の時季と年末の頃、銀座で再会を愉しみにしている高齢者はいっぱいいます。
『♪みんなで歌う♪』はカラオケではありません。
カラオケは歌ってる本人だけが陶酔してしまう事もあります。
でも『♪みんなで歌う♪』は一人ひとりが声を出し、みんなで一緒に歌うのです。
失語症の老齢者も、歌になると自慢の声で歌うのです。
その人は大会社のお偉いさんだったそうです。
きっと「認知症」と間違えられている高齢者も『♪みんなで歌う♪』の輪に入れば・・・歌って・・・あらっ、認知症じゃない、なんて事にもなりかねません。

銀座7丁目ライオンビアホール6階での『♪みんなで歌う♪』は片手以下の金額で食べ放題、飲み放題、そして歌い放題で~す

『♪みんなで歌う♪』への参加は当日突然でもかまいません
いらしたら、『脳のミステリー』で知りました、と一言

最高の癒し!

2012-06-28 09:24:28 | Weblog
月曜日にペインクリニックの担当女医に会ってきました。

暫く新しい薬を止めようかな、って言ったら・・・

ギャバロン錠5mgを試してみるって聞かれました。

この薬は就寝前に一錠服用するだけです。

一ヶ月間試飲してみる事にしました。

筋肉の緊張を和らげ、突っ張り・凝り・痛みなどを改善するというのです。

昨日の気功レッスンでは、奇しくも還暦を過ぎると老化現象のひとつとして筋肉が落ちるという話題になりました。

右半身が全く動かない私の左半身の筋肉はかなりのものです




薬に頼らず、心の癒しに最適な療法には・・・

自分が体験済みのはふたつあります。

ひとつは、音楽療法です。

私にとって最高の音楽療法士はMKさんです。

明日、彼女とランチを一緒に・・・その後、音楽療法士として我が地区の役所関係の人を紹介するつもりです。

MKさんからOKを貰ったら、彼女の素晴らしさをお話しますね

今日の話題は「アニマルセラピー」です。

私は盲導犬や介助犬の支援活動を心底応援していますが・・・

自分自身が犬族に癒されているのを毎日実感しています。

今回、アップしたフォトは、私の妹分がFacebookで作成したものです。

彼女に会ったのは、1964年

口数の少ない、お勉強が苦手の、ニックネームそのままのTom-boyでした。

毎週末、留学生の私の為にやってくる幼子の中で、彼女はとっても接し難い女の子でした。

家屋内疾走・・・私が必死に彼女の名を呼びながら駆けるずり回るのを何時間も何時間も大木の上に登って見ていたような女の子でした。

悪びれたようすもなく、数時間後に姿を現す女の子に私はホント!手をやきました。

何がしたいのか、何が欲しいのか・・・全く解りませんでした。

あの頃は、豪州でも「発達障害児」Developmental Disorderという言葉は一般社会では聞きなれぬ言葉でした。

思えば、他の子供達はみな夫々に私にカードを書いてくれたりしましたが・・・

そうかと言って、彼女が私を嫌いだという事ではなかったようです。

大きくなってから会っても「Hi!Kumiko!」という挨拶しか口から出ませんでした。

ひとつだけ大きな思い出があります。

1984年、メルボルンの美術館で私がExhibition Organaizerを務めた時、オープニングパーティーの夜、二人の子供のベビーシッター役を買って出てくれたのです。

以来、私の子供は彼女の事が大好きで、他の子供達より印象に残っているようです。

その彼女がFacebookで私が盲導犬募金支援活動をしているのを知ると、彼女もメルボルンでワーキングドッグ支援に夢中になり始めたのです

素敵な事ですよね~

1964年以来、初めて彼女とFacebookで語り合うようになって彼女の姉兄更に従姉達はビックリしているようです。

私の親友ともFacebook友になったと言ってきました。

今朝、パソコンを開くと彼女が作成した「犬と人」の和やかなフォトが目には入ったのです。

このフォトひとつで私の今日一日は最良の日になると確信しています。

アニマルセラピーの力はパソコンを通しても

明日はペインクリニックへ・・・

2012-06-24 16:54:19 | Weblog
病院行きがこんなに待ち遠しいなんて・・・
ここ数年のお付き合いはリボトリール錠剤、セロクラール錠剤、それにマグラックスです。

一番長いお付き合いのマグラックスは、

胃内で制酸作用により胃酸を中和するとともに、
腸内では水分の再吸収に抑制的に働き、
腸管内容物が膨張し、
腸管に機械的な刺激を与え排便を容易にしてくれます。

通常、胃・十二指腸潰瘍、胃炎、上部消化管機能障害における制酸と症状の改善、
便秘症の治療、尿路蓚酸カルシウム結石の予防に用いられます。
飲み忘れた場合は気がついた時に、1回分を飲んでください、と言われてますが、
ここ2週間ほどは薬が切れてしまってチョッと心配です。
何しろ、欠かしたことのない薬なので・・・

セロクラールは
血管平滑筋弛緩作用、交感神経α受容体遮断作用などによる脳血流増加作用や、
ミトコンドリア呼吸機能促進による脳代謝改善作用、また血小板の凝集抑制作用があるとのことです。
通常、脳梗塞後遺症、脳出血後遺症に伴うめまいの症状の改善に使用されるようです。
通常、成人は1回1錠(主成分として20mg)を1日3回毎食後服用で、必ず指示された服用方法に従って・・・と言われていたのに
こちらも無くなっちゃったんです。

リボトリール錠剤0.5mgは、
言われた通りに毎日1錠服用してますが・・・
服用中にアルコールを飲用すると薬の作用が強く出るので控えてください、という但し書きがあるのに・・・

薬は怖いから気をつけなければ・・・

りリカ危険 & トラムセット危険!

2012-06-20 21:19:23 | Weblog
最近、再び「ナルコレプシー」を疑い始めた。
別名「居眠り病」は、前夜かなり良く眠っているのに、昼間に強い眠気がおこる状態が長く続くのだ。
昼間の眠気は持続的なもの以外にも、『睡眠発作』と呼ばれ、仕事中などに突然耐えがたい眠気が起こり、人前でも眠り込んでしまう発作もある。
睡眠時間は数分~1時間以上と様々らしいが、多くの場合、10分~20分間の仮眠で眠気は一時的になくなるのが特徴だという。
頻度は1日に2回~3回程度から、頻繁に生じる場合まであるとの事だ。
私の場合は、0分~20分間の仮眠で眠気は一時的になくなるが、結構頻繁にある。
発作は歩行中あるいは運動中など、時や場所をかまわずに生じるという説明もあるが、これは私にはない。
発症期は主に15歳前後が多く、40歳以上の発症はまれであるという説明なので・・・

私は「ナルコレプシー」に代わって最近服用し出した薬を疑い始めた

リリカ危険&トラムセット危険

リリカの効果を感じないと思った時それどころかリリカが私をおかしくしているのでは、と思ったがその判断は正しかった
私には合わない薬だったのだ

今回のトラムセットはトラマドールとアセトアミノフェンの配合薬だが、私はトラマドールというオピオイドを怪しみ調べてみる事にした。
オピオイドとは、麻薬系の鎮痛薬である
これは、効き目の時間も長短、色々コントロールが可能らしい。
副作用には、眠気というか昏睡となっているので服用を止めたい、と思い出した。
トラムセットに三環系の抗うつ薬の役割があると、分かったからには・・・
来週、ペインクリニックの医師に会うので・・・それまでトラムセット服用を一錠ずつ減らしていこう
三環系抗うつ薬は、副作用も強いけれども作用も強い印象がある。
副作用としては、最も多いのは、眠気、口の渇き、便秘、排尿困難感などで、最後のだけは感じない
血圧が下がる人や、逆にあがる人もいうらしいが、これも大丈夫
年配者は用心して使う必要があるとの注意があるから~~~

港区障害者地域自立支援協議会

2012-06-16 21:39:31 | Weblog
港区の障害者地域自立支援協議会委員に選出されました

自分が障害者になって早や12年の歳月が過ぎようとしています。

1)障害者自立支援法の目的は・・・
障害者自立支援法は、ノーマライゼーションの理念に基づき、障害のある人が普通に暮らせる地域づくりを目指し、平成18年4月に施行されました。

この法は、障害者の地域生活への移行を目指しており、そのためには、障害者のニーズに合わせて複数のサービスを適切に結びつけて調整することや社会資源の改善、開発等を行う相談支援事業の充実が不可欠であり、その中核的役割をなす自立支援協議会を強化する必要があります。

2)相談支援事業とは・・・
①相談支援の位置づけ:相談支援事業については、市町村と都道府県に実施主体が分散している状況を改め、平成18年10月より、障害種別に関わらず、市町村が一元化して実施することになったのです。
特に、知的障害者、精神障害者及び障害児については、従来は都道府県において実施されていましたが、最も身近な地域において支援を受けられるよう、市町村の地域生活支援事業の必須事業として位置づけてます。
②相談支援の理念:法の目的である障害者の地域生活を支援するためには、障害者等の多様なニーズにきめ細かく対応すること
が必要になりますし、相談支援事業を軸としながら地域の支援体制を構築し、障害者等からの相談に応じ、それぞれの問題について必要な情報の提供や助言を行い、必要な障害福祉サービス等につなげていくことが必要となります。
このことの積み重ねが、障害者基本法の基本的理念である個人の尊厳と社会、経済、文化活動への参加の機会の保障へとつながっていくと考えているのです。

来週、第一回の会議が開かれます。
自らが障害者だからこそ分かる問題が沢山出てくるのではないかしら、と思っています。

年齢を重ねるということ

2012-06-10 04:50:16 | Weblog
私の人生は「朗々人生」です。

いつもいつも朗らかで、笑顔を絶やすことのない人生・・・

「朗々」であり、かつ「労々」・・・年を気にせず自分に無理なく課せられた仕事をしていれば気持ちも朗らかに

年を重ねてきた自分を振り返ると・・・

成人式は海外でしたから・・・それに豪州では21歳

でも「おさけ」はティーンエージャーの頃から「食前酒」を口にしてました

もう、とっくに時効で~す

25歳の頃「お肌の曲がり角」はチョッと気になりましたっけ

30歳・・・あの頃は晩婚と言われてました

初産は32歳だったのに、信濃町の病院では「高齢だから母親が落ち着いてていい!」なんて妙な褒め言葉を戴きましたっけ

それから還暦までの30年は・・・波乱万丈の人生でした

まさに「山あり谷あり」の人生で・・・

山に登ると一般的には味わえないような「至福」の時が待っていたものです。

谷に下ると「奈落の底」にも・・・

驚きの谷底は「脳出血との遭遇」でした。

でも朗らか人間の私は這い上がって自分なりの幸せを掴み取ろうとしました。

還暦を迎えた時は自分の体は「活きている半身と死んでしまった半身」の二人三脚を強いられていました。

朗らか人間って、気楽で人生が楽しくなるものです。

子供の頃は早く大人になりたかった時期がありました。

娘盛りの頃は年齢を隠したい時期もありました。

盛年期に、若く見られるのがいやで少しでも40代・50代の近づきたいと思いました。

そして今、年を重ねるっていいものだなあ・・・本心からそう思うのです。

右肩麻痺を人に知られたくない・・・加齢を隠したい・・・そんな愚かな私は何処かに消えてしまいました

後遺症と共生の自分が高齢化してくる・・・でも、自分らしく生きるって最高です

Time flies but aging comes so slow 光陰矢のごとし、でも老化はゆっくり

2012-06-08 05:26:48 | Weblog
光陰矢のごとし・・・

Time flies って言ったら、本当に置時計を紙飛行機のように飛ばした子供がいた(メルボルンで)

私の英語がもっと上手で、あの子に日本語の諺を教えてあげていたら、彼は何をしただろうか

光に向かってダーツの矢を放っていただろうか




古希に向かって歩きだしたら・・・

時間は早く進んでいるようだけど、自分の老化はとってもゆっくりすすむんだなあ、と思っている

忙しいと尚更のことだと思う

老化は自分でコントロール出来るんだと、自覚するようになったのはつい最近のことである

障害・・・でも生涯現役人生♪♪♪

2012-06-06 23:16:04 | Weblog
今から思えば・・・

1984年・・・色々波乱万丈があって、掴んだ幸せ

何にも変えられないほど最高の年でしたっけ

そしてその最高が更に20余年の月日が経った今も新たな斬新的なアイデアを生むきっかけになっている幸せを感じています

生きてるって幸せですねえ~

死ぬまで活動性のある現役人生を送ろうと思っています。

体の老化現象は自然のなすがまま・・・

でも心は自分の気の持ちようで如何にでも

2012年は私にとってサードエイジのスタートです

頑張れ高齢者