脳のミステリー

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257.きいろちゃんとくうちゃんのいる平和圏

2008-03-28 08:27:06 | Weblog
国際宇宙ステーションから土井隆雄さんが撮影した写真は、地平線に沿ってオーロラが緑色に光る幻想的な光景で、それをキャッチした地球の日本人は歓喜に沸いた。

オーロラと言うと、米国カリフォルニアのハリウッドにあるアートスタジオの存在を思い浮かべる。このスタジオではコンピューターグラフィックスで物体の見え方を計算しながら画像を作成している。そして最終的には生態系と見なすような完全模擬実験に持っていくのである。実験とはそこまでで、実際には映画なんかにも採用されるのだが、これは人間のイマジネーションを刺激するのには最適だと思われているのが私なんかにとっては面白い。現に、幾つかの画像を目の前にすると、七色に輝くオーロラ以上に私の脳内には様々な想像でいっぱいになり、ある写真家の言葉が今更のように蘇る。そう言えば、あの写真家は「写真は言葉のないコミュニケーションである」と言っていた。
脳内を駆け回って、物事を心に刻むには様々な途がある。そして、更に五感には夫々特徴があるのだが、最も一般的なのは視覚に頼る事かも知れない。「目は口ほどに・・・」ではないが、自分の目で見る写真は本当に言葉にはないコミュニケーションが取れるのだろうか。

さて、今回はこんな事を綴る予定ではない。いやはやハイパーグラフィティとは時には厄介なものである。私はワンダフル仲間の「きいろちゃんとくうちゃん」を紹介するつもりだった。何を隠そう「きいろちゃん」という名前を思い浮かべたら、突然あのオーロラの神秘的な自然の色が私の視覚を捉えた一瞬を思い出したのである。

2005年2月生まれのゴル、きいろちゃんのミクシィ登場は厳寒の真冬に温風を吹き込んでくれたようだが、今年もそのマイブログ登場では、三寒四温も吹き飛ばして春の麗らかな季節に飛び込むような気さえした。きいろちゃんの初登場では、6歳年上のシェルティのくうちゃんに後押しされてのミクシィ・デビューは華やかなものだった。それもその筈で、きいろちゃんの親戚があっちこっちにいて「待ってました!」の歓迎はさながら歌舞伎の花道からの登場みたいだった。その時のフォトを「時の時」としてアップしたいが、ブログではあえてくうちゃんとの仲良しフォトを載せてみたいと思ったのである。

ところで、きいろちゃんという名の由来って気になりませんか?
ママが幼い頃に遊んでいたクマのぬいぐるみに「きいろ」という名がついていたんですって! そして、20世紀最後の1999年家族の一員になったシェルティはクマから一字を貰って「くうちゃん」かな? この名前は、あのチワワのク~ちゃんより先取りなんですからね~ そして、ゴルは「きいろちゃん」というわけかな? でもそれを言うなら、「まーちゃん」でもよかったよね! まっ、いいか! ああ、そうか、くうちゃんの「くう」は「空か?」 さぶ~っ! 

とにかく、幼い頃の心というか、気持は、年を重ねてヒョンな処で出てくるものである。 折も折、きいろちゃんにフォーカスをあてようと思った時、宇宙からの素敵なメッセージが地球に届いた。それがあのオーロラの素晴らしい色彩の画像だった。

光の三原色は赤・緑・青で黄色は入っていない。でも絵具や印刷のインキでは青緑・赤紫そして黄をいう。自然と人間の手法とは実に素晴しい事で、それがコラボすると更に画期的な結果を生むのである。

日本では太陽は赤で国旗の日の丸が赤いのに疑問を持つ人はいない。歌や詩にも「真っ赤な太陽・・・」とか「赤い夕日に・・・」と表現されている。そして、Red Sails In The Sunset!なんかは私が好きな西洋の歌だが・・・ 
虹が便宜上七色というだけで、人間の視覚が赤・緑・青の視覚細胞に対する刺激量で色を判断するだけで、錯覚で見えるのは三色プラス黄色位だという事である。確かに赤と緑が混ざると黄色になるが、これは決して黄色の波長の光が出来ている訳ではない。とにもかくにも、TVなどは三原色の軌点を持つという事である。
自分の目で見る太陽は決して赤ではないのに、日本の子供の多くは「青い空に赤い太陽」を描く。だが、プリズムにかけて見る太陽光は七色になって、それが集まって白熱光になるという訳だ。

子供の絵の世界では、赤い太陽・緑の大地・青い海という事になるのだろうか。そこに黄という色が出現すると、黄色が太陽の赤に替ってその代表的な色という事になり、赤は血の色で生命という事に・・・
地球上で、日本人のように太陽が赤だと捉えている民族は少なく、多くの民族は「太陽は黄色」だと思っている。そう、黄色が主役になる事は結構あるだろう。

ここまで「黄色」を語ってくると、次に続く話は当然ゴルのきいろちゃんの事になる。
きいろちゃんのフォトからは様々なメッセージを読み取る事が出来る。たった一人ぼっちでカメラ視線に収まるきいろちゃんはチョッと不安が隠せない。隣にくうちゃんが座ると確実に甘えん坊でチョッと得意げな顔になる。それだけくうちゃんの責任は重くなるのだが、くうちゃんのシ~ラッとした表情が「分かっています」とマジ顔で言っている。そしてパパの両膝に絡まる二匹は手放しで安心しきって大喜びをする。きいろちゃんは「エヘン!私のパパ!」くうちゃんは「あ~あ、パパがいると安心!」と言っている。
僅か数か月の交信でこれだけ色々な想いを巡らせるきいろちゃんは確かに主役になれる。それもこれもくうちゃんという素晴らしい脇役が脇を固めているからである。