幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

『コミティア92』出展情報

2010年04月17日 | イベント
『コミティア92』の出展情報をお知らせいたします。

公式サイト

会期:2010年5月4日(祝・火)11:00~16:00
会場:東京ビッグサイト東1・2ホール
出展スペース:L05b

入場料はサークルガイド『ティアズマガジン』(1,250円)が
必要になります。

お誘い合わせの上、ご来場いただきますよう
よろしくお願い申し上げます。

※イラストは『幕末墓参り紀行』に挿入されている
中野竹子です。

春廼舎

2010年04月17日 | お知らせ
歴史家の釣洋一先生とラテン歌手の釣春音さんが経営する音楽酒房・春廼舎にいきました。

春廼舎公式サイト
春廼舎公式ブログ

三年前にはじめて訪れてから、これまでに何十回通ったことか。
どんなマニアックな掃苔のことでも楽しく語り合える、たくさんの仲間と出会いました。

私の大切な場所です。

常連で、会津をこよなく愛する照姫様がいらっしゃり、
熊本にある佐川官兵衛関係史跡について話し合いました。

照姫様は三月十八日に南阿蘇村で開催された
佐川の慰霊祭に参加されたとのこと。
会津への愛の深さには感銘を受けます。

明治初年の警視庁を研究するものとして、
いつか私も参加したいと思いました。

黒駒勝蔵

2010年04月17日 | 掃苔録
中原尚雄の墓の情報をいただいてからというもの、
鹿児島に行きたくてしかたないのですが、
連休が取れないので近場(関東)をうろうろしています。

千葉県銚子市では美賀保丸遭難碑を。

栃木県宇都宮市では報恩寺の戦死烈士の墓と、
常念寺の彰義隊の墓と、英厳寺跡の戸田家の墓を。
山梨県笛吹市では黒駒勝蔵の掃苔に行ってきました。 

この中では一番知られていないと思われる
黒駒勝蔵の墓について書きます。

黒駒勝蔵の墓は、石和温泉駅からバスで450円の
御坂東小学校付近(地名は黒駒)にあります。

しかしこのバスは一日に4本しかありません。 
行きも帰りもバスを利用するには、
どうやら黒駒に四時間いなければなりません。

一面ぶどう畑で飲食店がまったくない黒駒に
四時間滞在するのは厳しいと考え、
行きはタクシーに乗り、帰りをバスにしました。
行きのタクシーは3000円かかりました。 

勝蔵の墓は二つありました 。
一つは最近たてられた立派な墓で、
子孫の方の敷地内にあります。
もう一つもそこから程近い若宮観音堂の境内にあります。

こちらの墓についてはその存在は知っていましたが
詳しい場所が分からず、偶然見つけたものです。 
こちらの墓は古いもので、苔むして磨耗した
小さなお地蔵さんの形をしています。 
黒駒勝蔵の墓という表記もありません。

罪人として斬首された勝蔵の墓を建てることができず、
このような形にしたのでしょうか。 

そういえば竹居のドモ安の墓もお地蔵さんの形をしていました。 
なんとも心を打たれる墓でした。

大分~宮崎~鹿児島

2010年04月17日 | 侍たちの警視庁
今回は昨年12月の話になります
(写真は久木村治休の墓)。

明治初年の警視庁は鹿児島県士族に牛耳られていました。
そのため、明治初年の警視庁の面々を調べている私にとって
鹿児島は避けて通れない場所です。

しかし、実は鹿児島にはまだ2回しか訪問したことがありません。

明治初年の警視庁警察官を掃苔するため、
これまで46都道府県を訪ね、福島や宮城や熊本などは
それぞれ4回ずつ訪問しています。
しかし、鹿児島には2回だけです。

なぜか。それは明治初年の警視庁警察官の墓が見つからないからです。

警視庁に出仕した鹿児島県士族たちの多くが、
鹿児島にあった先祖代々の墓を東京に移しています。
管理上の理由によるものか、西南戦争で
故郷を戦場としたため居づらくなったからなのかはわかりません。

ただ青山霊園を歩くと、鹿児島から改葬された
彼らの先祖代々の墓をたくさん目にします。

しかしこのたび、明治初年の警視庁警察官の墓が
鹿児島にあることが判明したため、訪問を決めました。

たまにはゆっくりとした掃苔旅行を楽しみたいところですが、
いつも無茶なスケジュールになってしまいます。
少しでも多くの墓を訪ねたいと思う
掃苔屋のサガというものでしょうか。

今回も一泊二日で大分~宮崎~鹿児島の三県を巡る
ハードな掃除苔旅行となりました。

朝八時のフライトで羽田から大分に飛び、
空港からバスで佐伯駅に出ます。
時間との勝負なのでタクシーをひろい、佐伯招魂所に向かいました。
「佐伯招魂所までよろしく」と
タクシーの運転手さんに言ってもまず通じないので、
事前にしっかりとした地図を用意しておくことが必要です。

佐伯招魂所で目当ての13人の警視隊の掃苔を終えて佐伯駅に戻り、
そこから特急で日向市駅に向かいます。
タクシーをひろい、細島みなと資料館、細島官軍墓地、
黒田の家臣の掃苔をしました。
細島みなと資料館には、黒田の家臣のコーナーや、
西南戦争で戦死した迫田鉄五郎少佐のコーナーがありました。

細島官軍墓地の目的も、16人の警視隊の墓です。
黒田の家臣(海賀宮門、中村主計、千葉郁太郎)の墓は、
入江のそばの小島にあります。
干潮時には砂浜を歩いてわたれるそうなのですが、
満潮時だったためヒザまで海水に漬かりながら島に渡りました。
待っていたタクシーの運転手さんには
「本当に渡るんですか?」と少し呆れてた様子でした。

その後日向市駅に戻り、特急で鹿児島中央駅に出て、
1日目の旅程を終了しました。

翌日は朝七時の電車で隼人駅に向かいました。
タクシーをひろい、住吉墓地に向かいます。
ここには生麦事件でリチャードソンを斬り、
維新後に警視庁入りした久木村治休の墓があります。
墓の背面には、「生麦事変」と彫られていました。

帰り道のタクシーの運転手さんから聞きましたが、
鹿児島県はとても先祖の墓を大事にしており、
1日に2回お参りにいく家庭もまれではないそうです。
そのため、日本で一番切花の消費量が多い県だとのことでした。

隼人駅から鹿児島中央駅に戻り、南洲墓地へ向かいます。
川路利良のライバルであった坂元純ひろの弟である
伊集院盛昌の墓や、桐野利秋の弟である山内半左衛門の墓を掃苔しました。

墓地案内のボランティアの方々が、
墓地に眠る方々について教えて下さいました。
西南戦争トークで盛り上がり、2時間近く話しこんでしまいました。
知らなかった鹿児島の墓情報を教えていただき、勉強になりました。

大急ぎで鹿児島中央駅に戻り、新幹線で川内駅に向かいました。
そこからタクシーで泰平寺に向かい、官修墳墓を掃苔しました。
ここには、樋口萬吾三等少警部他7人の警視隊の墓があります。
情報が不確かで、あるという確証はなかったのですが、
大切に管理されている墓と出会い、嬉しく思いました。

日頃、福島県士族出身の警察官について御教示頂いている
大陀坊先生に良いご報告できると喜びながら、帰路につきました。

秋田掃苔紀行

2010年04月17日 | 掃苔録
昨年の11月、秋田に行ってきました。
連休が取れないのでまたも日帰りです。

往復に八時間かかり、滞在できたのは七時間でした
(写真は竹貫三郎の墓)。

秋田市八橋下八橋87の全良寺では
小野崎通亮と国安兵馬と須田茂穂と渋江厚光と金輪五郎と竹貫三郎。

秋田大学裏では平田篤胤。

仙北市角館町西勝楽町25の常光院では浜田謹吾を掃苔してきました。

全良寺の官修墓地は、落ち着いた佇まいの墓地でした。
山の斜面を利用した墓地は広く、案内板等もなかったのですが、
墓と墓の間がゆったりとしていて探墓しやすく、
一時間半ほどで目的の墓のほぼすべてと出会うことができました。
雪が積もる冬や、草の生い茂る夏ではこうはいかないと思います。