同人誌『侍たちの警視庁 大警視川路利良の時代』を出版して以来、たくさんの方からお手紙やメールをいただきました。
その中には、『侍たちの警視庁 大警視川路利良の時代』に登場する警視官のご子孫が何人もいらっしゃいました。
拙著で取り上げさせていただいた警視官のご子孫と知り合え、家に伝わるお話などをご教授いただけたのは、大変ありがたく嬉しいことでした。
先日もあることがきっかけで、警視官のご子孫と知り合うことができました。
今回はそのことについて書きたいと思います。
今年五月、約十年ぶりに田原坂資料館を訪れました。
田原坂資料館には数々の貴重な警視隊関係の史料が展示されていましたが、もっとも驚いたのは警視隊戦傷者の写真でした。
その写真には“九里健三”という戦傷した警視官の名前が記載されていたので、後日パソコンでその名前を検索したところ、あるブログがヒットしました。
読んでみると、ブログ執筆者のアタイさんは九里健三と縁のある方で、現在はパラオ共和国在住でありながら九里について熱心に調べていらっしゃり、九里の故郷である長岡にも何度も訪ねていることがわかりました。
そこで九里の戦傷写真の存在についてご存じかをブログのコメントより尋ねてみたところ、まったくご存じありませんでした。
それどころか九里の写真はご子孫の家にも残っていないということで、大変驚いていらっしゃいました。
そこでさっそく、田原坂資料館に戦傷写真があることをご報告しました。
私からの連絡をアタイさんがどう受け止めたかについては、アタイさんがブログに詳しく書いていらっしゃいますのでこちら(アタイさまのブログ『あたいの裏日記』)をご覧ください。
その後、アタイさんははるばるパラオから熊本の田原坂資料館を訪れ、九里健三の写真をご覧になったということです。
偶然が重なり、九里健三の縁者であるアタイさんに九里の若き警視官時代の姿を見ていただくことができましたが、歴史を調べていると、こういう不思議な出会いが度々あります。
私はこれからも警視隊について調べていくので、また今回のような素晴らしい出会いがあることを楽しみにしています。
コメントをくださりありがとうございました。
ご先祖様に関する研究、これからもがんばってください。
私も引き続き警視隊の調査を行っていきます。
またなにか発見しましたらご報告します。
今後ともよろしくお願いいたします。
先週の八重の桜では西南戦争での抜刀隊の様子がさらっと描かれておりましたが、先祖達が薩軍の前でひるまずに、勇敢に向かっていったのだと思うと、ジーンときました。
不便な南国の発展途上国暮らしのアタイですが、先祖の奮闘に恥じぬよう、頑張っていきたいと思っています。