幕末掃苔屋 公式ブログ

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掃苔屋の鉄則と近況報告

2011年11月17日 | 掃苔録

先日、青山霊園立山墓地と長谷寺と瑞泉山墓地をはしごした際のことです。
瑞泉山墓地を歩いていて、石澤謹吾の墓と出会いました。
石澤謹吾は飯田藩家老で維新後は警視庁に出仕した人物で、宮城集治監初代典獄・樺戸集治監四代典獄として知られています。
石澤謹吾の墓は『幕末維新人名事典』や『三百藩家臣人名事典』によると、飯田市江戸町正永寺にあると書かれていますが、今年五月に実際に訪れてみたところ、石澤家遠祖の墓しかありませんでした。
お寺の方にもお聞きしましたが、明治以降の墓については正永寺には存在しないとのことでした。
瑞泉山墓地に石澤謹吾の墓があるということは、もちろん知りませんでした。
ただなんとなく、「前にも来たことのある墓地だけれども、なにか出会いがあるかもしれない」と思って訪れたまでのことです。
足で歩いて探すことは大切だと、改めて思いました。
実は長谷寺の墓地では、私にとって石澤謹吾の墓以上の出会いがあったのですが、こちらはまだ確証がとれていないので発表は後日としたいと思います。

以下、近況報告です。
柴又に行き、はじめて寅さん記念館に入ってみました。
実際に撮影に使われていた「くるまや」セットの展示や、寅さんの啖呵売を展示するコーナーや、舞台となった全国各地を紹介するコーナーなどがあり、予想していた以上に面白かったです。
丹南藩主高木正坦の実兄である五島盛貫の掃苔のために訪れた長崎県の福江島が、二度も舞台になっていたことを知り、驚きました。
浅草名画座では、今でも「男はつらいよ」を頻繁に上映しています。
一度は劇場で見てみたいと思いました。

二の酉に行きました。
おし田の田舎まんじゅうをかじりながら散策し、今回はさつまスティック、鶏皮焼、大阪焼きをいただきました。
毎年楽しみにしている干し海老屋とソーセージ屋は、やはり二の酉にも出店しておらず、それだけはがっかりでした。
一の酉より少し混んでいたように感じましたが、夜店の数が例年より若干少ないように感じました。
今年は三の酉まであります。
三の酉は土曜日なので賑わうことでしょう。


※写真は長谷寺から瑞泉山墓地への移動途中で見かけた猫