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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

断食月(ラマダン)回教徒への理解と気配り

2019-05-06 05:14:04 | 2012・1・1

今日、5月6日の夜明けから世界26億人といわれる回教徒が6月7日の日の入りまで断食に入る。わが国は歴史的に回教(イスラム)と関係が薄く、現実にもそれほど教徒はいない。それだけに一般の回教についての理解はうすい。しかし、ここ数年、海外からの就労実習生、観光客の増大で、在日回教徒の数が増えてきて、その対応策もいろいろとられてきている。僕は1950年代から新聞社の外信部で中近東を担当、62年にはエジプト、シリア、レバノンなドアラブ7か国を歴訪、66年にはインドネシアに1年間駐在している。さらに80年代から90年代にかけてはJICA(国際協力機構)の研修事業で主としてイスラム諸国からの研修生の面倒を見ている。

こういった経歴の僕だが、30年ほど前までは、今でこそ一般的になった「ハラル」食をよく理解しなかったし日本の社会でも空港や鉄道駅、デパートなどに特別な祈祷室などなかった。最近ホテルの中には、部屋の天井にメッカの方向を示す「キブラ」の表示まであるという。イスラム理解のために良いことだ。

断食月で、あまり知られていない習慣は,教徒が早朝、夜明けの御祈り前に食べる「スフール」という軽食だ。断食後の夕方,教徒たちがこれを祝してた食べる「イフタール」はよく知られているが「スフール」はどうだろうか。JICAの研修宿泊施設ではラマダン中「スフール」を用意している。回教の聖典、「コーラン」によれば、回教徒は旅行中は断食を免除されるが、習慣的なこともあって、ほとんどの教徒は断食をするようだ。

1960年代、中近東ではクーデターが多かったが、断食月に多かった気がする。当時、僕はやはり断食による空腹が原因なのかと勝手に解釈していた。しかし、「コーラン」はラマダン中の争いことは禁止している。いずれにせよ、信仰上の問題だ、他教徒へ寛容であったほうがよい。


「こどもの日」忘れられかけ始めてきた端午の節句

2019-05-05 05:03:46 | 2012・1・1

総理府が「こどもの日」にちなんで発表る14歳以下の日本の子供人口が平成最終年(4月1日)推計は1、535万人で、全人口の12.1%に落ち込んだ。これは1980年以来、連続38年の減少、過去最低の記録である。つまり平成の御代は子供が減り続けた時代であった。そのためかどうか、僕の目には「こどもの日」本来の「端午の節句」のお祝い行事が年々、廃ってきたたように見られる。

5月5日はもともと男の子の端午の節句で、僕の子供だった戦前には東京でも鐘馗様や神功皇后などの武者人形を飾り、庭には鯉のぼりを建て空高く泳がせた。唱歌ではないが、子供たちは“ちまき食べ食べ、兄弟同士、柱の傷”でお互いの背くらべして楽しんだものだった。しかし、昨夜NHKラジオの深夜便番組を聞いていたら、今の子供たちの半分以上が「こどもの日」が端午の節句だったことを知らいそうだ。

わが家でも孫たちが皆、成人して、武者人形や鯉のぼりを二階の屋根裏に仕舞い込んだままだ。足腰が弱り、飾りたくともその元気がなくなってきた。しかし、僕の所望で昨日、形だけ柏餅を食べ、菖蒲湯に入りたくて菖蒲を買ってきて貰った(写真)が、老妻の話では売っている店を探すのが難しかったという。

今年は天皇陛下の退位、即位などの皇室の昔ながらの儀式、しきたりに若い世代も関心が集まっているようだ。よい機会である。民間に伝わる昔からの、こうしたお祝い伝統文化にも、もう一度、目を向けるチャンスである。ちなみに、菖蒲は1束180円、柏餅は1個150円だった。

 


10連休の固定化 ワークホリック世代の心配

2019-05-04 05:58:31 | 2012・1・1

10日連休も後半に入り8日目、今日は何の休日だか分からなくなり、カレンダーで確かめたら改めて「みどりの日」とわかった。加齢によるボケ現象なのだろうか。しかし、「みどりの日」は、かっては昭和天皇誕生日であった4月29日であり、天皇が崩御されてから平成18年まではこの日が「みどりの日」であった。19年に「昭和の日」制定に伴い5月4日に移行してきた。多分、そのためだろうと、僕自身のボケの理由づけにした。

80年来の竹馬の友から昨日、近況報告のメールが入った。共通の友人が腎臓がんの切除手術をした報告で、自分も連休中“TV+うたた寝”の毎日だという。僕も似たりよったりの生活だ。この連休中。考えてみれば一度も外出していない。人生の卒業期に近づいている世代であるから仕方がないのだが、一般の社会全体はどうなのだろうか。

僕ら昭和1ケタ世代は高度成長期を担ってきた世代で、1980年代、世界から”ワークホリック”(仕事中毒)と悪口をいわれた。子供の時から日本は国土が狭く、資源にも恵まれない、だから勤勉に働かなければなないといわれてきた。過労は悪徳ではなかった。戦後でも黄金週間という言葉はあっても、海外へ何日も家族連れで観光旅行へ行くなんて夢であった。

天皇陛下の退位、即位の儀式、お祝いを挟んで今年は10日もの大型連休となった。僕らかってのワークホリック世代は、こんなに休んで大丈夫なのか心配しないでもない。しかし、今朝テレビを見たら、新天皇への一般参賀へ朝から長蛇の列ができている。平和の世の中であるからでこその風景だ。10連休、社会全体に支障がないなら、毎年10連休にすべきだという意見も出てくるかも。でも二宮金次郎世代は大丈夫か心配である。

 

 


新聞に載らなかった即位式のメーデイ

2019-05-03 04:52:10 | 2012・1・1

即位式を伝えるわが家の購読紙、産経新聞(5月2日付首都圏版)は24面の半分以上「令和」の式典、国を挙げての祝賀の記事で埋まっていたが、全労連などの主催で全国各地で催された「メーデイ」については一行も記事はなかった。「メーデイ」といえば、戦後昭和30年代頃までは国家的な行事に近く、新聞も大きく報道したものだ。その時代を知っている僕には、時代の変遷を知り感無量だ。

古いアルバムに昭和30年「メーデイ」のさいの記念写真がる。新聞社の社会部駆け出し記者だった頃、無線車を前に現場取材記者の記念撮影だが、当時は「メーデイ」取材といえば社会部あげての仕事であった。一方、国際的にも米ソ(ソ連)の冷戦時代「メーデイ」といえばソ連がモスクワの「赤の広場」の軍事パレードに新兵器、ICBMを登場させるなど注目された.

インターネットの東京発ロイター電によると、全労連の東京の中央大会には2万8千人が集合参加したという。国家的な即位の祝日にも関わらず挙行した「メーデイ」が珍しかったのであろうか。主催者は、過去90回の恒例によってのものだと説明しているそうだが、僕からみれば、何も即位式にしなければと思うのだが。

共産国家の北朝鮮でも「メーデイ」式典を祝ったのであろうか。ネットの動画には日本と同じ”聞け万国の労働者”で始まる「メーデイ」歌が朝鮮語で紹介されている。それにもじって”聞け北朝鮮の金正恩、轟わたる拉致者返せの日本の声を”この歌のデモ行進ならば、マスコミも大きく扱うかもしれない。安倍内閣退陣ではニュースにならない。

 


戦前昭和の東京の遊び懐古(2)手遊び歌

2019-05-02 05:32:00 | 2012・1・1

一人だけの姉弟の姉が昭和19年5月2日、21歳の若さで早逝してから75年目にあたる。戦中の食糧難の時代、肺結核にかかり、人出不足の過労から僅か3か月寝込んだだけで亡くなった。今と違ってスプレプトマイシンなど特効薬はなく、回復には栄養を取り、体力をつけるだけだといわれていたが、タマゴ一つ、牛乳1本さえ入手できない時代であった。

七つ違いの姉だったから、あまり一緒に遊んだことはなかったが、歌好きの姉だった。たえず口ずさんでいたが、その中でも”手遊び”歌が、今でも僕の耳に残っている。今の季節なら「茶摘み歌」”夏も近づく八十八夜”のあの歌だ。近所に住む従姉と庭に面した庭に座り”トントン”と手をあわせて歌っていた。手遊び歌は”今は山中今は浜”など小学校唱歌が多かった。

戦前昭和の女の子の遊びは”ままごと”をはじめ”ごっこ”のつく遊びが多かったが、江戸時代から伝わる”ここはどこの細道か”とか”隣の牡丹は良い牡丹””かごめ、かごめ”なども路地で遊ばれていた。そのほか”一列談判破裂して””あんたがたどこさ”などのマリつき歌、路上にロウ石で「月火水木金土日」と書いた上を石ケリして遊び、ゴム紐飛び、じゃんけんして”グリコ”"チョコレート”″パイナップル”帰宅の道を競う姿もあった。

今、理屈をつけて言うならば、母親との手遊びはスキンシップを深めるうえでよかったのではないだろうか。

 

 


令和の即位のお祝いに何故メーデイなのか

2019-05-01 06:22:23 | 2012・1・1
今日、5月1日から年号が新しく令和に改元され、第126代天皇が「剣璽等承継の儀」の国事で正式に誕生すると予定稿じみで書き出し朝6時のテレビを見たら、全国津々浦々、祝福の大ムードである。渋谷のスクランブル交差点をはじめ、令和の初日の出を拝む若者でいっぱい、大阪の道頓堀へ何人も飛び込む姿に驚いた。それだけ、新しい時代への期待が大きいのだろう。
 
昭和の激動の時代を生きてきた僕らの世代には、5月1日というと、27年の皇居前”血のメーディ"をはじめ、数々の思い出がある。かってはマスコミも大きく取り上げ国民的行事に近かった。国を挙げての天皇陛下の即位の式の今年はどうなるのか思っていたら、予定通り、全労連主催の第90回メーディが、明治神宮近くの代々木公園で行われる。それも即位式と同じ時刻である。
 
産経新聞の一面(1日付け 首都圏版)に評論家の桜井よしこさんが「令和に寄せて」の一文の中で”麗しき大和の国柄を守れ”(見出し)を書かれていた。天皇陛下の退位、即位の儀式は国事として祝日と決まった。その国を挙げてのお祝いの日に、なぜ他国に端を発したメーデイを行うのか。それも第1回の日本のメーデイは1920年5月1日ではなく、2日に行われている。
 
いくらお祝いとっても道頓掘りに飛び込んだり、幟をたてて憲法改正反対のデモ行進をするのは、僕には”皇祖皇宗”綿々と続く大和の国柄のこととは思えない。
(写真は娘夫妻が日光で買ってきた令和の名前入りのあられ)