「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

"犬の遠吠え”では困る 竹島の領土権

2019-05-14 05:45:18 | 2012・1・1

竹島は島根県隠岐の島町に属する日本海上の群島で、歴史的事実に照らしても国際法上もわが国固有の領土である(首相官邸HP).その領土を韓国が不法に占拠し、傍若無人にも過去3年間もドローンを飛ばし海上資源調査をしていた。これに対して、日本政府は事実を知っていたのかどうか。知っていても抗議しなかったのかどうか。

韓国の国会は、4月、日本の文科省が2020年度からの検定教科書に竹島が固有の領土である旨明記した決定を受けて全会一致で“独島(竹島の韓国での呼称)は歴史的、地理的、国際法的にも韓国領だ”と決議している。随分と勝手な話である。わが国は過去3回にわたり、韓国が不法な”李承晩ライン”を根拠に竹島を実効支配を続けているのは国際法違反だとしてICT(国際司法裁判所)に委託するよう申し入れしているが、応じてこない。

僕には竹島問題に対する日本政府の対応は”腰が引けている”ように見える。2012年、当時の韓国の李明博大統領が竹島に上陸、韓国の国旗をたてても政府(民主党政権)は”冷静,公正、平和的に”解決したいとICTに提訴しただけで終わってしまった。毎年2月22日は,日露戦時中(韓国併合前)竹島が島根県に帰属したのを記念して平成3年「竹島の日」に決定したが、島根県だけの行事のようで、政府からは政務官しか出席していない。ことさら、ことを荒たげる必要はないが、韓国からみれば”犬の遠吠え”である。


朝鮮半島の”竹のカーテン”

2019-05-13 05:22:10 | 2012・1・1

戦後すぐの東西冷戦の時代、英国のチャーチル首相が欧州の共産圏と非共産圏との境界を”鉄のカーテン”と呼んだ。1960年代、ベトナム戦争の頃だろうか、アジアにも、これを模して”竹のカーテン”と呼んだことがあるが。今でも朝鮮半島の北緯38度線には”竹のカーテン”が依然として残っている。先日来、北朝鮮が二回にわたって、飛翔体を発射している現実を見てそう思った。

一昨年のシンガポールでのトランプと金正恩との米朝首脳会談で、僕はやっと”竹のカーテン”も撤去されるのではないかと思った、韓国民の大半もそう思ったに違いない。北朝鮮との融和政策を進めていた文在寅大統領の支持率は80%の高率だった。しかし、今年2月のサイゴンでの第2回目の米朝会談が物別れみ終わった後は、支持率は半分以下に低下した。そして、ここへきての事前の予告なしの飛翔体の発射だ。文在寅の融和対話路線に水をさすものだ。

拉致問題について、北朝鮮から何も反応がないのは何故なのだろうか。”竹のカーテン”に囲まれて、この国の実態はそれでなくと分かりにくいが、これだけ、日本中が国をあげ解決に向けて声をあげているのだ。金正恩の耳に入っていない筈がない。”世界中の誰も喜ばない”(トランプ大統領)飛翔体を発射するより、即刻,拉致被害者を日本へ帰国させるべきである。拉致問題の解決がない限り、ノーベル平和賞云々の話はない。


「母の日」モンペ姿明治生れの母の想い出

2019-05-12 05:15:18 | 2012・1・1

5月の第2日曜日は「母の日」である。「母の日」の、が日本の社会に定着したのはいつ頃からであろうか。わが家でも娘たちから季節の花とともに贈り物が届けられた。しかし、僕には過去に「母の日」を祝った記憶がない。母は明治26年生まれ、昭和51年、83歳で他界しているが当時、あまり「母の日」を祝う習慣はなかった気がする。

インターネットで調べてみると、「母の日」は100年以上前、ウィルソン大統領時代、米国で始まったようだが、日本では戦後すぐの占領下、キリスト教関係の婦人グループが、真似て始めたようである。これにコマーシャリズムが便乗して、今や日本でも5月、新緑の頃の俳句の季にもなってきた。

あまり親孝行でなかった僕だが、最近は年に一回、「母の日」を偲ぶ日にしている。母というと何故か戦争中の防空演習のモンペ姿が目に浮かんでくる。戦争中は母だけでなく”ぜいたくは敵”の時代で、女性はモンペ姿が多かったが、母は特に隣組の活動には熱心だった。戦争末期、空襲が激しくなり,食料の配給が途絶えると、母は手製のリュックを背負って週に何回も買い出しに出かけた。昭和20年8月15日、僕は庭の防空壕の中で母と共に陛下の玉音放送を聞いている。

母親と同じ世代の明治中期生まれのの女性は、息子の戦死者を多く出している。母は息子は僕だけだったが昭和19年、一人娘を結核で亡くしている。思えば、この世代の明治生れの女性は大変な苦難な時代を生きてきたものだ。母の好きなカーネーションを捧げて想い出にしょう。


トランプの訪日 来日できなかったアイゼンハワー

2019-05-11 05:05:57 | 2012・1・1

トランプ米大統領の来日が2週間後に迫った。令和天皇が初めて迎える国賓であり、大相撲の千秋楽の土俵上で賜杯を優勝力士に渡したり、安倍晋三総理がプロゴルファーの青木功を交えてプレーに招待するなどの話題は先行しいる。たしかに国民の来日への関心度は高いが,心からの”熱烈歓迎”ムードとなるとどうだろうか。

米国大統領の来日で想い出すのは59年前の1960年、日米安保条約批准に際し、安倍総理の祖父に当たる岸信介総理が時の米国の大統領のアイゼンハワーを日本に招請した当時のことだ。大統領の日程を決めに来日した特使が、羽田空港で安保反対のデモ隊に会い、ヘリで大使館へ運ばれたり(ハガテイ事件)、国会前の激しい反対デモで東大の女子学生が死亡する事件(樺美智子事件)など治安が悪化、結局アイゼンハワー大統領の来日は中止された。

幸い今の日米関係は良い。トランプ来日反対の声は聞かれない、しかし”ようこそトランプさん”の声もない。理由の一つは「アメリカン.ファースト」の政策が強すぎて世界各地でトラブルを巻き起こしているからだ。いつも不満だらけのような顔をしてつぶやいているのは日本人には合わない。せめて日本に招かれて来日するのだから、日本の”おもてなし”に甘んじて、滞在している時だけでも微笑みの顔を拝見したいものである。


海洋動植物を絶滅させるプラスティック.ゴミ

2019-05-10 05:25:17 | 2012・1・1

”動植物百万種絶滅危機”というセンセ―ショナルな見出しの記事(産経新聞5月8日付首都圏版社会面)に載っていた。その脇見出しに”プラゴミ40年間に10倍”とあった。環境問題には素人に近く、放棄されたプラゴミが、日本列島各地の海岸に漂着、美観上問題になっている程度の知識だったが、オゾン層破壊のフロンや温暖化の原因の二酸化炭素同様、マイクロ.プラスティクとなって地球環境破壊の原因だと聞いて驚いた。

プラスティック製品は今やスーパーの包装紙をはじめ日常生活にかかせない。その結果、全世界で排出されるプラゴミの重さは2億9500万トン(2010年調査)といわれ、うち半分近くが海洋に放出されていると推定されている。その量は中国が1位(28%)、インドネシアが2位と(10%)言わrているが、数年前、僕はスラウェシ島マナド沖のマリンスポーツのメッカといわれるブナケン島の海岸にまでプラゴミが漂着しているのにがっかりした。

しかし、プラゴミは今や美観上の問題ではなくなってきた。死亡した鯨の胃の中にプラゴミが入っていたり、サンゴ礁がプラゴミとの接触から壊死し始めてきてる。さらにはプラゴミが長期間の漂流で紫外線などで劣化して"マイクロ”粒化して有害な化学物質を吸着しやすくなり、これが魚などの体内に入った時が心配視されている。6月の大阪C20サミット会議では、プラゴミの海洋汚染問題も主要議題に入っている。人類共通の問題だけに真剣な討議を期待したい。


痛ましい大津の保育園事故 都の 認証保育所の散歩

2019-05-08 15:43:44 | 2012・1・1

滋賀県大津市の保育園児の事故は痛ましい限りだ。きちんと保育士3人に引率されて、歩道で信号待ちしていたところへ、衝突事故を起こした車の一台が飛び込んできた。まだ、おしめも取れないいたいけな幼児たちだ。二人が死亡,さらに重傷者もいるとのことだ。園児たちは、保育士にに連れられて、琵琶湖へ散歩に出かけた帰り道だったという。

この事故を知り、僕は東京のわが家の近くにある認証保育所を想起した。東京都では正式認可保育園の不足から、私鉄沿線の駅近くに都独自の認証保育所を認可している。駅に近く送迎に便利だが、ビルなどの一室にあったりして施設面積が狭く園内に遊ぶスペースがない。このため、園児たちは保育士に連れられてて近くの公園へ行ったり、鉄道の跨線橋の上から電車を見に行く。散歩の途中、僕はこの園児たちの列と出会うが痛ましい(写真)

わが町は都心に比べれば、郊外で比較的交通量は少ないがバスも走っている。危険だと思っていたら、先日、新聞に認証保育所を対象に大きな公園へ遊びに連れて行く巡回バス制度ができたという。よい制度である。大津の事故のようなことがある。子供だから一日中園内の保育では飽きてしまうのだろう。しかし、幼稚園には散歩の時間はあまり聞いたことがない。安全第一である。交通量の多い都会での散歩は一考を要するのではないだろうか。大津の事故は警鐘である。

 

 

 


断食月(ラマダン)中の観光旅行の是非

2019-05-08 07:01:13 | 2012・1・1

先日、小ブログで回教徒の断食月が始まった旨書いたところ、早速関西に住むインドネシア通の友人から、昔、商社勤務でサウジアラビアに在勤していた時の体験談をメールで送っていただいた。ラマダン中、回教徒は昼間、水を飲むことさえ禁止されているため、それを気づかい、自分のアタシェ.ケースの中に水のボトルを入れ、トイレの中で隠れて飲んでいたという。メッカのあるサウジアラビアは戒律も厳しく、ここで勤務する異教徒の大変さを改めて知った。

半世紀以上前の1966年、僕はインドネシアに常駐していたが、イスラムについてはほとんど理解がなく11月がラマダン月だったが周囲に構わず日曜日、昼間から中国料理店でビールを飲み、店を出たところ強盗に襲われた。当時、ジャカルタは治安が悪く、9月にも僕はピストル強盗の被害にあい注意していたのだが、あまりにもラマダンについて無知であった。

こんな体験にもかかわらず、30年後の1996年1月、従軍体験を持つ先輩とスマトラへ”ノスタルジア旅行”へ出かけた。ラマダンの終わりごろだったが、やはり、街中のレストランは昼間、シャッターを閉じ、僕らは隠れるようにして裏口から入り、食事をしたりした。二人とも酒好きだったが、ラマダン中なので人前での飲酒は控えた。数日後、僕らは「イドリ.フィットリ」という断食明けの大祭を体験するこはできたが、やはり、ラマダン中の旅行は控えるべきだと反省した。

友人から在インドネシア大使館から在留邦人あてのラマダン中の注意事項を記したホームページを送って貰ったが、注意に越したことはない。ラマダン中のイスラム諸国への旅行は、観光など不要不急な旅行はやめたほうがよい。


孫の14連休 老夫婦は「少欲知足」

2019-05-07 04:16:45 | 2012・1・1

10連休という史上初の大型連休は昨日で終わり、今日7日から日本列島は平常の生活に戻った。わが家では社会人の男の孫が連休前の4月24日から米国西海岸へ旅していたが、今朝早く帰国、その足で会社へ通勤するという”離れ業”をした。

合計年齢174歳という僕ら夫婦の10連休はどうだったか。僕は連休中ずっと在宅一回も外へ出ていない。テレビで平成から令和へという世の移りをながめて暮らした。妻も大同小異だが、同じ屋根の下に住む娘夫妻に連れられて都内の温泉へ出かけたり、買い物を兼ねて横浜までドライブへ出かけたりした。

僕が座っているパソコンの前の壁に菩提寺から頂戴した格言つきカレンダーがある。5月は「少欲知足」とのことで、説明文には”喜ぶ基準は自分次第”とある。添えてある英文には”Being happy with less makes for greater happiness"とあるところ見ると西欧の格言なのかもしれないが、なんとはなく理解できる気がする。自分が満足と思えば幸せなのだ。

外資系のIT企業に勤める孫は環境的に海外旅行するには恵まれている。LCC(格安航空券)を駆使して多分、連休をすこしずらせば超格安旅行ができたのであろう。僕からみれば、「少欲」ではなくて「大欲」だが、若い時代は二度とはこない。恵まれた時代である。