海外の激戦地への慰霊の旅を続けておられる岡山在住のIさんから昨年暮れぺリリユー島とアンカゥル島へ出かけられた「カメラ紀行」(私家版)を頂戴した。ぺリリユ―島では遺骨収集団の焼骨式にも参加され、その時の式の写真が表紙に掲載されてあった。痛ましい。改めて戦争の残酷さに思いをはせ、英霊のシャリコウベの写真に手をあわせた。
Iさんは今日から今度はサイパン、テニアンへの慰霊の旅に出発される。今年は激戦だったサイゴン戦(昭和19年6月28日ー7月9日)が終わってから75年に当たる。サイパン島の戦闘は激烈で、島の陸海守備軍は、上陸してきた米軍の攻撃に衆寡敵せず”今や進むも死、退くも死”として"聖寿の万歳と皇国の繁栄を祈念して”全員玉砕した。島の北部には、最後の守備軍と民間人が両手を挙げ、天皇陛下万歳を叫びながら70m崖下の海に飛び込んだマッピ岬がある。米軍はここを”Banzai cliff"と呼び、今は記念公園になっている。
明仁上皇と美智子皇太后も2005年、サイパンへ慰霊の旅をされている。Iさんも両陛下と同年配の戦前生まれ、戦争を知る最後の世代である。僕ら昭和1ケタ前半生れ世代は、残念ながら足腰が弱り、海外旅行が難しくなっていた。Iさんも”いつまで続けられるか”と言われているが、次の世代にも慰霊の旅はぜひ続けて貰いたいものだ。