戦前は、東京の区部でもお彼岸には家で”ぼたもち”(おはぎ)を作り、お重に入れ
て隣り近所の親戚や知り合いに配った。また、その逆にご近所からも、同じような
配りものがあった。懐かしい想い出である。人と人との暖かい心の通いがあったが、
戦後いつのまにか、こういった風習はなくなってしまった。
昨日、友人と外で飲んだ勢いもあって駅の構内で売っていた”ぼたもち”を買って家
へ帰った。早速、仏前に供えたあと、老妻と一緒に食べた。”ぼたもち”は昔に比べ
て小型で甘味も薄かったが、やはり季節の食べ物である。お彼岸に食べるからこそ
味しいのである。
八十路に差し掛かる年なのに恥ずかしい。僕はこの年になるまで”ぼたもち”と”おは
ぎ”の違いを知らなかった。”おはぎ”は”ぼたもち”の上品な言葉ぐらいとしか思って
いなかった。そこで僕よりは物知りの老妻に聞いてみたらさすがである。明解な答えが
かえってきた。
春のお彼岸に食べるのが”ぼたもち”で、秋のお彼岸に食べるのが”おはぎ”なのだそ
うだ。”ぼたもち”は春に咲く牡丹の花の色と形状が似ているから”ぼたもち”で、一方、
”おはぎ”は、秋に咲く萩の花の色と形に似せて昔は作ったとのことだ。調べてみると、
「和漢三才図会」という本にも同じことが記されている。
今は”おはぎ”も”ぼたもち”も混同して使われている。東京では牡丹の花など周りには
ないし、秋には萩の花の咲く所などない。季節感の喪失から僕のような”おはぎ”と”ぼ
たもち”の違いが判らない男が出ても仕方がないのかしれない。
て隣り近所の親戚や知り合いに配った。また、その逆にご近所からも、同じような
配りものがあった。懐かしい想い出である。人と人との暖かい心の通いがあったが、
戦後いつのまにか、こういった風習はなくなってしまった。
昨日、友人と外で飲んだ勢いもあって駅の構内で売っていた”ぼたもち”を買って家
へ帰った。早速、仏前に供えたあと、老妻と一緒に食べた。”ぼたもち”は昔に比べ
て小型で甘味も薄かったが、やはり季節の食べ物である。お彼岸に食べるからこそ
味しいのである。
八十路に差し掛かる年なのに恥ずかしい。僕はこの年になるまで”ぼたもち”と”おは
ぎ”の違いを知らなかった。”おはぎ”は”ぼたもち”の上品な言葉ぐらいとしか思って
いなかった。そこで僕よりは物知りの老妻に聞いてみたらさすがである。明解な答えが
かえってきた。
春のお彼岸に食べるのが”ぼたもち”で、秋のお彼岸に食べるのが”おはぎ”なのだそ
うだ。”ぼたもち”は春に咲く牡丹の花の色と形状が似ているから”ぼたもち”で、一方、
”おはぎ”は、秋に咲く萩の花の色と形に似せて昔は作ったとのことだ。調べてみると、
「和漢三才図会」という本にも同じことが記されている。
今は”おはぎ”も”ぼたもち”も混同して使われている。東京では牡丹の花など周りには
ないし、秋には萩の花の咲く所などない。季節感の喪失から僕のような”おはぎ”と”ぼ
たもち”の違いが判らない男が出ても仕方がないのかしれない。