「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      66年前、本格的な帝都空襲が始まった日

2010-11-24 07:20:47 | Weblog
66年前の昭和19年11月24日、米軍のB-29機による本格的な帝都空襲が開始された。記録によると80機が編隊で来襲、武蔵野市にあった中島飛行機製作所を中心に集中爆撃し、その後荏原、品川、杉並の住宅街と東京港の一部を破壊した。投下弾は爆弾250㌔64個、焼夷弾34個で、死者223名、負傷者325名とある。この日の空襲の後、B-29機による本土空襲は本格化し、激化していった。

僕は当時、中学2年生だったが、正午ごろ警戒警報発令ととに帰宅を命じられたが、家の玄関を開けた途端、西南の方向に大きな爆発音がしたのを覚えている。級友のA君は帰宅途中だったが、この爆撃で逃避した防空壕が崩れ半身、埋まったが幸い救助され無事だった。当時学校では高学年はすでに勤労動員され、僕ら2年生が最高学年だったが、この空襲の後、学校近くに住むものは、学校警備の防空要員に指名された。空襲警報が発令されると、僕らは防空頭巾をかぶり、ゲートルをまいて学校へかけつけた。

そんな僕らもやがて年が明けるとすぐ、軍需工場へ動員されるわけだが、3月10日の下町大空襲以外にも東京は何回もB-29の来襲を受け被害を受けている。下谷黒門町(台東区)にあった伯母の家は、大晦日の空襲で焼け出されている。こうした空襲の被害の模様はラジオはもちろん、新聞には一切、報道されなかった。親類や知人など限られた間の情報であった。

今朝の新聞一面には「北」が韓国を砲撃と大きな活字が躍っていた。砲撃によりモクモクと煙が上がる上空を不安そうに見守る市民の写真が載っていた。これを見て、僕は66年前の帝都空襲の頃を想い出し,戦火の拡大だけをせつに願うだけである。