小春日和の昨日、家の近くの自由が丘の無人スタンドで柚子(ゆず)と花梨(かりん)を買ってきた。柚子は5個で200円、花梨は1個100円である。緑の少なくなった東京でも、まだこのあたりは”緑地”が残っている。昔農家だった広い庭のお宅には、柚子や花梨の木があり、通行人の目を楽しませてくれている。
老妻が通っている絵手紙講座の友人から鬼柚子を貰ってきた。タテ12cmもある大型で、柚子の表面はゴツゴツしていており、いかにも鬼の顔を想像させる。そのまま食べるのではなく、冬至の柚子湯に入れるものらしい。しかし、何故か季節感があり、絵手紙にはよく使用されるとのこと。
先日の風で高台にある通りを挟んだ隣家の木の枝が折れて落下してきた。幸い通行人はなかったが、危ないので早速、老妻が小枝を届けに行った。普段から人間関係が出来ているので、隣人は恐縮して庭でとれた柿をたくさん寄越した。僕らの住む町名には「柿」の字がついており、昔は柿の木がおおかったが、あの青木光一の歌った村ではない。
ここも昔は青木光一の歌のような面影もあったが、今は家が建て込み、都会化されたが、まだ都心に比べれば”小さな秋”は見つけられる。写真は頂戴した鬼柚子と葉のついたままの柿、それに無人スタンドで求めた柚子と花梨。
老妻が通っている絵手紙講座の友人から鬼柚子を貰ってきた。タテ12cmもある大型で、柚子の表面はゴツゴツしていており、いかにも鬼の顔を想像させる。そのまま食べるのではなく、冬至の柚子湯に入れるものらしい。しかし、何故か季節感があり、絵手紙にはよく使用されるとのこと。
先日の風で高台にある通りを挟んだ隣家の木の枝が折れて落下してきた。幸い通行人はなかったが、危ないので早速、老妻が小枝を届けに行った。普段から人間関係が出来ているので、隣人は恐縮して庭でとれた柿をたくさん寄越した。僕らの住む町名には「柿」の字がついており、昔は柿の木がおおかったが、あの青木光一の歌った村ではない。
ここも昔は青木光一の歌のような面影もあったが、今は家が建て込み、都会化されたが、まだ都心に比べれば”小さな秋”は見つけられる。写真は頂戴した鬼柚子と葉のついたままの柿、それに無人スタンドで求めた柚子と花梨。