久々の投稿です。
コロナ禍による北海道の緊急事態宣言で、自宅に次ぐワタクシの活動の中心となっている図書館の利用が長期間できず、なかなか調べ物が進まない日々が続いています。
というわけではありませんが、今回は、以前に書いた郷土史劇の脚本を、2回に分けて掲載することにしました。
ワタクシが書いた旭川の歴史に題材を取った脚本としては、3月に市民劇として上演した「旭川青春グラフェイティ ザ・ゴールデンエイジ」があります(このブログにも掲載しています)。
今回新たに掲載するのは、市民劇にも登場させた歌人・齋藤史の生涯を描いた作品「白きうさぎ雪の山から出でて来て ~歌人・齋藤史と旭川とその時代~」です(「白きうさぎ……」のタイトルは史の代表作から取りました)。
といっても、彼女の子供の頃から晩年までのエピソードを、語りと短歌の朗唱、それに芝居の3つのアプローチによって描いたちょっと毛色の変わった作品で、いわば習作です。
内容は、プロローグ、第1〜5章、エピローグの7つのシーンに分かれていて、それぞれ齋藤史が残した手記やインタビュー、短歌などをもとに作ってあります。
朗唱パートは短歌の作品をそのまま、語りパートは彼女が残した手記やインタビューを一部使わせてもらっています。
芝居パートは、2・26事件のシーンで伝えられている様々な関係者の発言を台詞として使ったほかは、ほぼワタクシの創作です。
脚本の中に使わせていただいた手記やインタビュー、短歌の出典は、脚本の冒頭に記載しておきました。
またこの脚本の一部(若山牧水の来旭、及び2・26事件の2つのシーンの一部)は、2020年2月に上演された旭川歴史市民劇予告編(プレ公演)の中に取り込まれ、実際に演じられています。
<齋藤史について>

齋藤史(1909−2002)
このブログでは、幾度も紹介していますが、齋藤史について簡単に説明しておきます。
彼女は日本を代表する歌人。
東京生まれですが、職業軍人だった父親の瀏の異動に伴い、少女期と思春期の2度、旭川で過ごしています。
旭川の北鎮小学校時代の幼馴染が、のちの2・26事件で処刑されたこと、2度目の旭川時代に出会った若山牧水の勧めで本格的な短歌の道に入ったことなど、「物語を持つ最後の歌人」と称されました。
旭川生まれではないが、旭川にゆかりのある文学者としては、交流のあった詩人・小熊秀雄とともにいろいろな意味で双璧、とワタクシは思っています。
なので、この脚本も、習作ですが、ブログに載せることとしました。
彼女の生涯はもちろん、彼女の短歌や文章についても、もっともっと多くの方に知っていただきたいというのがワタクシの思いです。
脚本を読むのは慣れていない方がほとんどでしょうが、ぜひご覧になってください。
<その他の主な登場人物>

齋藤 瀏(1879−1953)
長野県生まれの軍人・歌人。大隊長、参謀長として、2度、旭川第七師団に赴任する。

栗原 安秀(1908−1936)・坂井 直(1910−1936)
ともに北鎮小学校で史の幼馴染だった陸軍将校。2・26事件では、昭和維新を目指して決起するも、処刑される。

若山 牧水(1885−1928)・若山 喜志子(1888−1968)
牧水は酒と旅の歌人として知られる宮崎県生まれの国民歌人。妻の喜志子も歌人。大正15年、夫婦で旭川を訪れた。

酒井 廣治(1894−1956)
大正〜昭和の旭川の短歌会のリーダー。旭川信用金庫の理事長を務めるなど実業家でもあった。

小熊 秀雄(1901−1940)
小樽生まれの詩人。旭川新聞に務めていた時代に、史、瀏と交流する。

林 芙美子(1903−1951)
ベストセラー小説「放浪記」で知られる山口県生まれの作家。史と親しく交際した。
**********
習作「白きうさぎ雪の山から出でて来て ~歌人・齋藤史と旭川とその時代~」(ブログ掲載版・前編)
プロローグ、第1章、第2章、第3章
<登場人物>
▼齋藤 史 さいとう・ふみ 明治42(1909)年 2月生
▼瀏(父) りゅう 明治12(1879)年 4月生
▼キク(母) 明治20(1887)年11月生
▼てる(祖母) 嘉永元年(1848)生
▼案内の兵士
▼栗原 安秀 くりはら・やすひで 明治41(1908)年11月生
▼坂井 直 さかい・なおし 明治43(1910)年 8月生
▼若山 牧水 わかやま・ぼくすい 明治18(1885)年 8月生
▼若山 喜志子 わかやま・きしこ 明治21(1888)年 5月生
▼酒井 廣治 さかい・ひろじ 明治27(1894)年 4月生
▼小熊 秀雄 おぐま・ひでお 明治34(1901)年 9月生
▼山田少尉
▼林 芙美子 はやし・ふみこ 明治36(1903)年12月生
▼大家の妻
▼近所の主婦
▼晩年の史(93歳)
▼若い女
▼コロスの男 1 2 3 4 5(山田)
▼コロスの女 1 2 3
*この戯曲のうち、短歌は、「齋藤史全歌集 1928-1993」、および旭川新聞昭和2年25日掲載の紙面から引用しました。また史の独白パートの台詞、および各芝居パートの内容は、齋藤史著の「春寒記」(乾元社)、「遠景近景」(大和書房)掲載の手記、および「ひたくれなゐに生きて」(河出書房新社)、「私のなかの歴史6 不死鳥の歌 斎藤史」(北海道新聞社編)掲載の史のインタビュー、齋藤瀏著「二・二六」の掲載の手記を参考に(一部引用も)構成しました。
◆ プロローグ
舞台、ぼんやりと明るくなると、若い女が押す車椅子が現れる。
乗っているのは歌人、齋藤史 (93歳)。ゆっくりと舞台をまわったあと、舞台上手で止まる。
若い女が車イスから離れると、コロスの男女が静かに入ってきて、所定の位置に座る。若い女去る。
史が顔を上げて、語り出す。
史(独白) ……ああ、ごめんなさい。お待たせをしてしまいましたね。この年になると、あちこち体が言うことをきかなくなりましてね。出かけるのに時間がかかってしまいまして。お若い方々に迷惑をかけてばかり。
……でもやはりこうして外へ出かけるのは良うございますね。心もちがしゃきんとします。家にこもってばかりいますと、つい気持ちも内に向かってしまって……。あら、ご免なさい。余計なおしゃべりをしてしまいまして。
……何からお話しすることになっていましたっけ。……そう、まずはわたくし自身のことからでしたわね。
わたくしは、明治42年2月14日、父、齋藤瀏、母キクの長女として、東京の四谷で生まれました。きょうだいはありません。一人っ子です。名前は歴史の史(し)と書いて「ふみ」と呼びます。実は父は「史子」とするつもりだったんです。それが、そんなこともあるんですのね。戸籍係の方が「子」の字を書き忘れたそうなんです。ですので、史。あまりない名前のせいでしょうか、たまに男と間違えられることもありました。
明治に生まれて、大正、昭和、平成と、本当に長く生きてきました。歌作りも長くなりました。きっかけは……。ああ、そうでした。これは後でお話しするんでしたわね。ご免なさい。
……史いう字には、「出来事を書き記す」という意味があります。わたくしは、これまで、たくさんの事を見て、聞いて、歌にしてきました。こうしてみると、わたくしの人生というものは、案外、生まれた時から定まっていたのかもしれません。
コロスによる朗誦、最初は単独で、リフレインは全員で。
以下、短歌の朗誦の場面では、後方スクリーンに短歌を映し出してもよい。
一房の藤の垂(しず)り花(か)夜(よ)の底の地中にふかく伸び入りにけり
(リフレイン)
なにゆゑにうしろ振向くふりむきてとりかへしのつく年齢は過ぎたり
(リフレイン)
死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれないゐの生ならずもや
(リフレイン)
◆ 第1章
史(独白) (問いかけにうなづいて)……はい、はい。旭川のことですね。よく覚えておりますよ。七(しち)師団の練兵場。練兵場ってお分かりになりす?
……ええ、そうです。軍隊が訓練をするところ。そこは雑草がぼうぼうで、向こうの方が見えないくらい広いんです。遠くに大雪の山々が白く雪をかぶってかすんでいましてね。それは神々しい程でした。
わたくしの父、瀏は職業軍人でした。大正4年の夏、転勤が決まり、一家は東京から初めて地方に出ました。行先は北海道。わたくしにとって、初めての長い長い汽車の旅でした。
大正4(1915)年7月。旭川区。旭橋たもと。
上手から軍服姿の齋藤瀏(35)と案内役の若い兵士が現れる。
瀏 いやあ、着任前だというのに、さっそくわがままを言ってすまないなあ。
兵士 いえとんでもありません。……車は待たせておきますので、ごゆっくりどうぞ。
瀏 ああ、ありがとう。家族にこの風景をちゃんと見せてやりたくてねえ。……おいこっちだ。
上手から、瀏の母てる(67)と妻のキク(26)、娘の史(6)が現れる。
てる もう着いたのかい?
キク いえ、まだ先なんだそうですよ、官舎。見せたいものがあるからって……。
史 わたし、先行っていい?
キク いいわよ。気を付けてね。
史 (瀏のもとに駆け出す)お父さま。
瀏 (しゃがんで史を迎える)……ほら転ぶなよ。史は乗り物ばかりで退屈だったろう。どら(抱っこする)。
キク ああ、いい風。気持ちがいい。
てる 本当だね。
瀏 東京の夏とは違うでしょう。それよりもこれだ(橋の下を指さす)。
てる ……ああ。
瀏 石狩川だ。
史 すごいね、おっきいねえ。
てる ほんとだね、おっきいね。
キク ……水面(みなも)がキラキラして。
兵士 石狩川は全長300キロメートルに及ばんとする北海道第一の川であります。そして、この旭橋、明治37年に完成し、旭川の中心部と我が師団を結んでおります。旭橋の名は、当時の師団長、大迫尚敏(おおさこなおとし)中将閣下によって命名されました。そしてあちらには、大雪山連峰の山々がそびえ立っております。これが我が師団の本拠地、旭川が誇る景観であります。
一同、景観をしばし眺める。
史 わたしたち、これからここで暮らすの?
瀏 そうだよ、ここで暮らすんだ。
史 石狩川と旭橋、……(兵士を見る)
兵士 (口の形で教える)
史 大雪山!
瀏 そうだ。石狩川と旭橋、大雪山だ。
史 石狩川と旭橋、大雪山!
史(独白) 「石狩川と旭橋、大雪山」。この時の父の声は、いまも耳に残っています。
こうして引っ越してまもなく、わたくしは官舎の隣にあった小学校に転入しました。「北鎮(ほくちん)小学校」という軍人の子弟ばかりの学校で、そのころでは珍しい男女共学です。ポプラの並木が門から玄関まで続いて、校舎は白いペンキ塗り。広い中庭にはクローバーの花が咲いて、大変ハイカラな様子でございました。
そのころ、官舎も学校も同じ遊び友達の中に、昭和11年の2・26事件で刑死した栗原安秀中尉、二つ下に坂井直中尉がおりました。どちらも父親同士が士官学校の同級生。一家そろってのつき合いをしておりました。
大正6(1917)年9月。旭川。瀏の官舎。
史(8)と栗原安秀(8)、坂井直(7)の幼馴染3人が、ちゃぶ台を囲んでいる。
かっぽう着姿のキク(28)が、ふかし芋を乗せた皿を持ってやってくる。
キク はい、おまたせ。おやつできたわよ。
栗原 (目を輝かせる)やった、ふかし芋だ。
史 クリコの大好物じゃない。私もだけど。
キク クリちゃんもナオシも遠慮せずに食べてね。でものど詰まらせちゃだめよ。特に史、あんたよく噛まないんだから。
史 (耳を貸さず)あたし、これー!
栗原 僕はこれ!
坂井 あ、じゃ(手を伸ばす)。
3人 いただきまーす(食べ始める)。
間
キク ……きょうはどこ探検に行ってきたの?
史 いつもの近文台。でも収穫あったよ。クリコ見せてみて。
栗原、ポケットからハンカチに包んだものを見せる。
栗原 土器のかけらだと思うんだけど。模様ついてるし。
キク 本当? ……すごいじゃない。
栗原 ナオシはもっといいもの見つけたよ。おい(うながす)。
坂井、ポケットからハンカチに包んだ黒い石を出す。
坂井 ……これ。
キク ……?
史 お母さん、わかんないの。矢じりよ。
キク ……ああ。
坂井 射撃場の奥のナラの木のところで。
キク いろいろ出てくるのね。
史 あのね、この辺りはきっと古代人がうようよいたところなんだよ。なんか基地っぽいというか、家っぽい跡もたくさんあるし。
栗原 フミ公は何見ても遺跡だ、遺跡だって。この間も遺跡見つけたって騒ぐから行ってみたら、誰かが野ぐそした跡だったじゃないか。
史 何言ってんのよ。あそこは遺跡だった所に、たまたま誰かがうんこしたんじゃない。クリコのくせに生言うんじゃないわよ。
キク あんた男の子捕まえてクリコ、クリコって。ま、あんたもフミ公なんてハチ公みたいに呼ばれてるんだからオアイコか。
子供たち、平気で食べ続ける。そこへ私服姿の瀏(37)が顔を出す。
瀏 おい、ぞうきんを一つ貸してくれんか。……おうクリ坊とナオシ、来てたのか。ちょうどいい、これから馬の体洗ってやるんだが、手伝ってくれんか。
栗原 (目を輝かして)はいおじさん、すぐ行きます。
瀏 いやすぐでなくていいんだ。食べた後でいいから(キクから雑巾を受け取り、馬小屋に)。じゃ。
栗原 もう済みますから。……ナオシ、行こう。
坂井 うん。
2人、芋を飲み込むようにして、瀏の後を追う。
史 あ、待ってよ、あたしも(後を追う)。
キク ほら、みんなお行儀悪いわよ。もう、しょうがないんだから……(ちゃぶ台の上に置いたままの矢じりを手に取る)。……古代人ねえ(と、思いをはせながら一つ残った芋を口に入れる)。
瀏の声 おーいキクー。もう一つバケツを持ってきてくれ。
キク あ(むせそうになる)はい。(あわてて飲み込んで)……はーい、今行きまーす(急いで去る)。
コロスによる朗誦、最初は単独で、リフレインは全員で。
落日の石狩川は燃えながら少女のわれの中を流れき
(リフレイン)
北蝦夷の古きアイヌのたたかひの矢の根など愛す少年なりき
(リフレイン)
ウッペチ川オサラッペまたエタンベツ記憶ほぐれてすらすらと言ふ
(リフレイン)
◆ 第2章
史(独白) 結局、わたくしたちの最初の旭川での暮らしは、5年ほどで終わりとなりました。父が異動になったんです。その後、九州小倉の連隊区司令官から連隊長に進み、大正13年12月、父は再び旭川の第七師団に赴任することとなりました。今度は参謀長です。わたくしは小倉の女学校を卒業してから少し遅れて旭川に行きました。数え年17のときでした。
歌人の若山牧水が喜志子夫人とともに旭川に来たのは、その2年後の秋のことです。「短歌誌の出版で多額の借金を抱え込んだ、それを返済するための揮毫(きごう)旅行を計画している、よろしく助力を」という意味の手紙が父のところに来ました。父は、佐佐木信綱門下の歌詠みでもありました。牧水とは、東京にいたころ、一、二度会ったことがある程度でしたが、そこは歌人仲間。「旭川は引き受ける」と返事をし、夫妻をわが家に迎えました。
大正15(1926)年10月。旭川。参謀長官舎。
若山牧水(40)が、毛布を敷いた上に紙を乗せ、揮毫の真っ最中。
着物のすそをまくり上げて帯にはさんだももひき姿。
傍には助手を務める妻の喜志子(37)と史(17)がいる。
牧水 よい、よい、よぉいっと。んで、よい、よい、よぉいっと。よいの、よいの、よぉいっと。……どうだ、こんなもんか。
喜志子、字を見てうなづく。
紙を替えようとしたところにキク(38)がお茶を持ってやってくる。
キク ご苦労様です。少しお休みになりませんか。
牧水 ああ、奥さん、ありがとうございます。……では、一息つきますか。
キク 静岡にお住いのお二人の口に合いますかどうか。
牧水 ああ、わたしは結構。(大きな徳利を出して)これがありますから(と、湯飲みに酒を注いで飲む)。
史 本当にお好きなんですね。父へのお手紙に、「酒を一日一升飲みます」とあったんで、冗談かと思ったら、本当なんですね。
喜志子 すみません、この人、図々しくて。
キク あら、主人はそれを読んで「ますます牧水さんが好きになった」と言っていたんですよ。気になさらないでください。
牧水 そうさ、だから手紙には「酒はお願いするが、肴は香の物か生のトマトがあれば十分」と書いたんだ。
史 ほんとに毎日1升なんですか?
牧水 はい。
史 休肝日はなし?
牧水 ん? はい。
史 (感心して)たいしたもんだわ。
キク そうだ、肴といえば、庭に菜園があって、きゅうりがなってるんです。召し上がられます。
牧水 や、それはうれしい。
キク 取ってきますね。
喜志子 わたし手伝います。手伝わしてください。
キク そう。じゃお願いしますか。史は牧水さんのお相手しててね(喜志子と奥へ)。
史 はい。
史、牧水の書いたものを見ている。
牧水 (酒をちびちびと飲みながら)・・・史さん。きのう父君が散歩に連れて行ってくれた高台。春光台と言いましたっけ。
史 はい、そうです。ただ私たちは昔から近文台って言ってましたけど。
牧水 昔から?
史 ああ、わたしたち旭川は2回目なんです。最初は小学生のころにいて、あそこは幼馴染とよく探検した場所なんです。
牧水 そうか、いいところでしたね。山ぶどうとあと……。
史 コクワですか。
牧水 そうそうコクワ。ありゃ、なかなかいけますな。
史 ……歩きながら吟じておられましたよね。「ふるさとの山に向かって……」。
牧水 「ふるさとの山に向かって言うことなしふるさとの山はありがたきかな」。友人の石川啄木の歌です。もう亡くなって10年以上経ちます。
間
牧水 ……ところで史さん、史さんは父君に倣って歌を作ったことがあるそうですね。
史 ……ああ、はい。ただ歌なんでもんじゃ……。
牧水 ずっと歌をやるつもりはないんですか?
史 えっ?
牧水 はい。歌をずっとやるつもりは?
史 私ですか? うーん……(返答に困る)。
牧水 ……そうですか。(酒を飲みながら、独り言のように)あなたが歌をやらないというのは、うん、いかんな。うん、歌を作らないというのはいかん……。
間
史 (近づいて、徳利を取り、酌をする)……どうぞ。
牧水 おお、これはかたじけない(飲み干して、酌を受ける)。
史(独白) 「牧水も来て宿りたる家のあと大反魂草(おおはんごんそう)は盛り過ぎたり」。昭和55年の秋、わたくしが53年ぶりに旭川を訪れた時に作った歌です。大正15年の秋、あの時の牧水の言葉がなかったら、こんな年まで歌を続けていたかどうか。
……牧水夫妻は、5日間わが家に滞在して帰路につきました。地元では、牧水を迎えたことがきっかけとなって、「旭川歌話(かわ)会」という短歌の集いができました。……はい、「歌」に「話」と書いて「歌話会」です。そのころ地元の新聞社にいた、詩人の小熊秀雄もその一人でした。父の転勤が決まった時は、皆さんが送別の歌会を開いてくださいました。
昭和2年3月。旭川。旭川歌話会控室。
瀏と史の送別歌会の後。瀏(48)が旭川歌話会会長の酒井廣治(34)と談笑している。
瀏 いやいや酒井さん。きょうは本当に感激した。わたしら親子のためにこんな素晴らしい会を開いてくれて本当にありがとう。
酒井 そう言っていただけるとうれしいのですが、実は僕はまだ残念です。せっかく参謀長が旭川に来てくれたおかげで、みんなの気持ちが盛り上がっていた時なのに。ここで去られてしまうのはなんとしても惜しい。
瀏 いやいや大丈夫です。先ほども挨拶させていただいたが、旭川歌話会に結集した才能は、特筆すべきものがありますぞ。その中には若い方もたくさんいる。それを貴方、東京時代は、北原白秋の一番弟子だったという酒井廣治がまとめていけば、鬼に金棒。旭川歌壇の将来は明るいと、私は固く信じております。
酒井 ありがとうございます。まあ私の力は微々たるものですが、ここは踏ん張るしかありません。
瀏 その前途洋々たる若者の代表が戻ってきたようですぞ。彼もまた貴方を慕っている。
小熊秀雄(26)と史(18)が現れる。史は洋装。
小熊 酒井会長、みなお帰りになりました。あとは我々だけですね。
酒井 ああ、小熊君、お疲れ様。主賓の史さんにまで手を煩わせてしまったんじゃないのかい。
史 いえ、私はお別れをしておきたい方がたくさんいらっしゃったものですから、遅くなってしまいました。会長、改めてお礼申し上げます。このような会を開いていただいて、感謝いたします。
酒井 いやいや史さんには会の世話人までやっていただいて、本当に助かりました。それに史さんが参加してくれたおかげで、予想以上に女性会員が集まってくれました。
小熊 史さんはさっぱりしていて、誰とでも気兼ねなく接していましたからね。幹事である僕がずけずけ言って場が気まずくなった時も、史さんが和らげてくれました。「小熊さんは少々ものをはっきり言いすぎます」と、あとで、お小言をもらいましたが。
史 (とぼけて)そんなことありましたっけ。
酒井 まあ短い間でしたが、いろいろなことがありました。で、参謀長、最後に一つお願いがあります。来月、旭川歌話会が出す歌集の題なんですが、参謀長がお考えになった「霧華(きばな)」。小熊君と話してぜひお借りしたいと思っています。お許し願えませんでしょうか。
瀏 それは……、かまわないというか、むしろ使ってもらえれば光栄なことですが。
酒井 本当ですか。
瀏 私は旭川の厳しい冬、石狩川のほとりを歩いていて川霧が霧氷となって木々に白い花を咲かせる様を見て「霧華」の言葉を思いついた。皆さんに、いい言葉だと言ってもらって、そのうえ歌話会の歌集の題にも……。(感極まる)酒井さん、これ以上の餞別はありませんぞ。
酒井 ……ありがとうございます。それでは遠慮なく使わせていただきます。
瀏付きの兵士が入ってくる。
兵士 失礼します。(敬礼して)閣下、お迎えの車が参りました。
瀏 ああ、分かった。ちょっと待たせておいてくれ。
兵士 は、承知いたしました(敬礼して去る)。
酒井 名残惜しいところではありますが、時間もかなり遅くなっています。
瀏 そうですか。それではお開きとしますか。
酒井 はい。
瀏 歌集は、でき上がったらぜひ送っていただきたい。楽しみに待っていますぞ。(酒井と固く握手。さらに小熊に向き合って)小熊君、君にもいろいろと世話になった。君は詩が本分だが、短歌もぜひ続けてくれるとうれしい。では(史をいざない去ろうとして)。……おっと一つ忘れていた。いつも言うことだが、そのもじゃもじゃ頭だけはどうしたものか。ま、何とかしたまえ、といってもせんないか。黒珊瑚は小熊秀雄のトレードマークだもんな。いや実は私も君のように、一度髪の毛を伸ばしてみたかったんだ。(豪快に笑う)いや冗談、冗談。では失敬(去る)。
史 ・・・いやびっくりした。親父様があんなことを言うなんて。・・・じゃ、失礼します(深くお辞儀して、去る)。
微笑みながら顔を見合わせる酒井と小熊。
コロスと3人による朗誦、最初は単独で、リフレインは全員で。
こよひかぎり歌語りする日もなけむ心寂しきつどひなるかも(瀏)
(リフレイン)
長髪の小熊秀雄が加わりて歌評はずみきストーブ燃えき(史)。
(リフレイン)
歌によき霧華の街のうすぐもり春に先だちいゆく人かな(小熊)
(リフレイン)
◆ 第3章
若い女が、コップの水を運んでくる。軽くのどを潤す史。
若い女、コップを受け取ると去る。
史(独白) ……はい、お待たせをしました。……いえ、まだ大丈夫ですよ。このまま続けましょう。
次はあの話でしたね、父と栗原達の……。はい、その通りです。たくさんありますわね、そのことに関わるわたくしの歌は。何年たっても、何かの拍子に出てくるんです。不思議なことです。
……そう、昭和6年ごろからでした。凶作が続きましてね。娘は売られ、餓死に近い者も出て、兵士は故郷(ふるさと)からの便りに泣いていたそうです。その悲痛な訴えを聞くのは一番身近にいる隊付きの若い将校です。彼らはみな純情でした。なので、そうした悲劇を生む政治に対し、怒りをぶつけていったのです。そして何らかの変革を望むようになっていきました。このころ父は予備役(よびえき)となり、わたくしたちは東京の大森に住んでおりました。
昭和7(1932)年秋。東京・大森。瀏の自宅。
和服の瀏(53)を囲むように、軍服姿の若者が酒を酌み交わしている。
栗原(24)、坂井(22)、坂井の後輩(22)の3人。/span>
栗原 さ、おじさん(瀏に酒を注ぐ)。
瀏 (飲み干して)ああ、うまい。……それにしても、「クリ坊、ナオシ」と呼んでいた君たちとこうして酒が飲めるようになるとは。思いもよらなかった。
栗原 僕は旭川にいた頃が懐かしくてしょうがないんです。おじさんの家に行くのがとにかく楽しかった。なあナオシ。
坂井 同じです。おじさんも、おばさんも実の子どものように接してくれました。
山田 あの坂井中尉。予備役とはいえ、齋藤少将におじさんというのは、よいのでありますか?
瀏 ああ、かまわん、かまわん。俺は一介の在郷軍人(ざいごうぐんじん)だ。2人には、昔のように呼べと言ってあるんだ。さ(と酒を勧める)。
山田 そうでありますか。それでは、おじさん、頂戴いたします。
坂井 いやいや、お前はおじさんじゃないだろ。少将殿とか、閣下とか。
山田 や、これは失礼いたしました。(敬礼して)閣下!
3人吹き出す。
栗原 ……ナオシが連れてくるのは、どっか抜けている奴が多いな。大丈夫か。
坂井 そうですか? こいつはともかく、うちのグループはち密な奴が揃っているはずなんですが……。
史(24)が手料理をもってやってくる。
史 にぎやかでよござんすこと。(配り始め)これ、口に合うかどうか。
坂井 ……筑前煮じゃないですか。昔おばさんによく食べさせてもらった。(史の顔を見て)え、これ、史姉さんですか?
史 そうよ。こう見えても新妻ですから。
坂井 どれどれ(食べる)。……うん、あの時の味です。なつかしい。
栗原 そうか? (食べる)うん、うん、うん、なるほど、なるほど。
史 何がなるほどよ。
栗原 いや、野っ原を駆け回っていたフミ公に手料理をふるまわれる日が来るとは、これも思いも寄らないことだなってね。
史 クリコ、憎まれ口たたくなら、料理引っ込めるわよ。
栗原 (自分の分を手前に寄せて)いやいや、フミ公さま、これはご勘弁を。われらしもべに、餌をお与えくださいませ。ほら、ナオシもご新造さんのご機嫌取るんだよ。
酒井 え、俺ですか? 何を?
瀏 (苦笑して)なんだなんだお前ら、子供のころとまったく変わっちゃいないんだな。あきれたもんだ。
会話をよそに筑前煮を食べていた後輩将校、突然声を上げる。
山田 ……うまいです。本当にうまいです。
史 え、そう? それは、ありがと……。
山田 (泣く)……これを、うちの兵の家族にも食べさせてやれたら。
坂井 ……え、どうしたのよ、お前。
山田 すいません。自分は……、自分は……(涙をぬぐう)。
史 大丈夫? 何かあったの?
山田 ……はい。ありがとうございます。……実は、自分は、先日、隊の初年兵から家族について聞き取りをしたんであります。東北出身の兵の家では食べ物が底をつき、芋のツルや雑草まで食べているそうです。一人は、「妹が」と言ったきり、下を向いてしまいました。やっと顔を上げると、涙があふれていました。そいつの妹は、家族のために身を売ったんでしょう。自分は、それ以上聞けませんでした(泣く)。
間
栗原 ……おじさん。ご存知のように、全国にいる我々の仲間、隊付き将校の下にいるのは、貧乏な農家の次男、三男、中小の商工業者の子弟です。その家族の窮状を日々目にし、耳にしているんです。
坂井 不況続きで、コメも生糸も値段が下がって、庶民の暮らしは立ちいかなくなっています。現状を直視すれば、この国をこのままにしておくことはできないはず。そう政治・経済の重責にあるものは思わなくてはなりません。「昭和維新を断行すべし」。そう訴えて仲間に加わる同志が増えています。
瀏 (盃を置いて)……うん。東北・北海道の飢饉については、私も実際に現地に行って目の当たりにしてきた。君らにはいつも言っているが、「知行合一(ちこうごういつ)」、つまり知識として知っていたとしても、行動に移さなければ何ら意味をもたなない。ただ一方では、軽々しく事を行ってはいけないことも事実だ。これから君たちがどう行動すべきか、ともに考えていこうではないか。いいかな栗原中尉、坂井中尉、それから……。
山田 ……あ、山田です。
瀏 山田少尉。
3人 はい。
史(独白) クリコたちは、その後も仲間を誘ってたびたび我が家を訪れました。父は血気にはやる彼らのことを抑えつつ、国粋主義の団体に活動資金を融通させるなど支援を惜しみませんでした。
この少し前に結婚した私の夫は、遠い親戚にあたる医者の卵でした。まだ十分な収入がありませんでしたので、そのまま2人、わたくしの実家で過ごしていました。
昭和11年が近づくと、栗原たちの表情はいっそう固くなっていきました。何かが煮えつまってゆくような、そんな重い予感が、わたくしの胸の内にも濃くなってゆきました。ただ、それがどんな形でいつあらわれるかは全く分からないんです。あたりは前より静かな感じさえありました。
今も思うことなのですが、男たちがおのれの利害や生命(いのち)を超えて一つの事を思いつめ、もちろん幾度も迷い、ためらっているうちにですが・・・、急に発火点のような時が近づいてきて、彼等自身にも予測できない速さと熱さになって奔(はし)り出して、それはもう止めようがなく燃え上ってしまう・・・。どこの国の歴史の中にも、人間のこうした火のようなものは、さまざまの場合の違いこそあれ、出来事としてくり返されてきたのではなかったか、とわたくしには思われるのです。
昭和11(1932)年2月25日。東京駅。
栗原 おじさん、急に呼び出してしまって本当にすみません。時間がなかったものですから。
瀏 いや、いいんだ。気にするな。
栗原 いよいよ準備が揃いました。明日朝、手筈通りならかなり早い時間に電話を掛けます。ベルが鳴ったらやったと、成功したと思ってください。
瀏 わかった。
栗原 もしベルが鳴らなかったら……。いや、きっと鳴るようにします。これが最後のお別れになるかもしれません。おじさんには、本当にお世話になりました。
瀏 わかった。電話を待っているよ。
栗原 もう行かなければなりません。……では。(去る)。
コロスの男4、立ち上がる。軍服にマント姿。坂井のようでもある。
二・二六事件の青年将校蹶起趣意書を朗唱し始める。
男4(坂井) 謹んで惟(おもんみ)るに我が神洲(しんしゅう)たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥(ごとうすい)の下に挙国一体生成化育(せいせいかいく)を遂げ遂に八紘一宇(はっこういちう)を完(まっと)うするの国体に存す。
此の国体の尊厳秀絶(そんげんしゅうぜつ)は天祖肇国(ちょうこく)神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方(まさ)に万方(ばんぽう)に向つて開顕進展(かいけんしんてん)を遂ぐべきの秋(とき)なり。
(以下、次第につぶやきにかわる)
然るに頃来(けいらい)遂に不逞凶悪の徒(と)簇出(そうしゅつ)して私心我慾を恣(ほしいまま)にし至尊絶対の尊厳を藐視(びょうし))し僭上(せんじょう)之れ働き、万民の生成化育を阻碍(そがい)して塗炭(とたん)の疾苦(しつく)を呻吟(しんぎん)せしめ、随(したが)つて外侮外患(がいぶがいかん)日を逐(お)うて激化す。
蹶起趣意書の声が小さくなると、コロスと瀏によるさまざまな言葉が舞台に飛び交う。
コロスはいつの間にか立ち上がっている。
男5(山田) (軍服にマント姿)これより、われわれは、昭和維新を断行する。
軍靴による行進の音。瀏のそばに身重の史が立っている。
瀏 史、雪だよ。雪だ。……うん、雪ならばよい。クリ坊もナオシも旭川育ちだ。雪には強い。……もっと降れ。もっと積もれ。(祈る)あの子たちに力を与えたまえ。
男4(坂井) (どやどやと土足で家に入り込む足音)閣下、お命頂戴に上がりました。
女1 あなたがたは何をしにきたのですか、用事があるなら何故玄関から入らないのですか。それが日本の軍隊ですか。
男1 ……とうとうやったか、お前たちの心はヨオッわかっとる。ヨオーッわかっとる。
女2 待ってください。主人を殺すなら、まず私を殺してください。
コロスの男たち 問答無用!
機関銃の音
男2 本日、午前五時ごろ、一部青年将校が左記個所を襲撃せり。これら将校等の蹶起せる目的は、その趣意書に依れば、内外重大危急の際、元老、重臣、財閥、軍閥、官僚、政党等の元凶を芟除(さんじょ)し、以って大義を正し国体を擁護開顕せんとするにあり。
男3 ・・・容易ならざる事態が発生し、恐懼に耐えません。
全員 朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ。朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ。
男1 いやいかん。皇軍同士が撃ち合うのは、絶対にいかん。
男5(山田) 皆さん、撤退を求められますが、一体、我々の行動は認められたのではないのですか。
男3 事態は、もはや猶予ならんところにきている。それが分からんのか。
男4(坂井) ……私は決して国賊ではありません。日本第一の忠義者ですから。今の日本人は性根がくさりきっていますから、真実の忠義がわからないのです。
栗原 陛下、吾々同志程国を思い、陛下の事を思う者は日本中どこをさがしても決しておりません。その忠義者をなぜいじめるのでありますか。朕は事情を全く知らぬと仰せられてはなりません。
コロスの女が戦前に使われていたラジオを持ってきて、舞台中央に置く。
雑音に混じって、兵への呼びかけが聞こえてくる。
勅命が発せられたのである。既に、天皇陛下の御命令が発せられたのである。お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶対服従して誠心誠意活動してきたのであらうが、既に、天皇陛下の御命令によって、お前達は皆原隊に復帰せよと仰せられたのである。此上お前達が飽く迄も抵抗したならば、それは勅命に反抗することになり逆賊とならなければならない。
正しいことをしてゐると信じていたのに、それが間違ってゐたと知ったならば、徒(いたずら)に今迄の行がかりや義理上から、何時までも反抗的態度をとって、天皇陛下に叛き奉り、逆賊としての汚名を永久に受ける様なことがあってはならない。
途中から後ろに控えるコロスが昭和維新の歌の文言を念仏のように唱え始める。
コロスの声、次第に大きくなり、ラジオの音、かき消される。
ベキラノフチニナミサワギ フザンノクモハミダレトブ
コンダクノヨニワレタテバ ギフンニモエテチシオワク
ケンモンカミニオゴレドモ クニヲウレウルマコトナシ
ザイバツトミヲホコレドモ シャショクヲオモウココロナシ
ショウワイシンノハルノソラ セイギニムスブマスラオガ
キョウリヒャクマンヘイタリテ チルヤバンダノサクラバナ
男1・2・3が栗原・坂井に近づく。2人立ち上がる。
栗原 おわかれです。おじさんに最後の別れを申します。史さん、おばさんによろしく。クリコ。
坂井 お世話になりました。ほがらかにいきます。ナオシ。
2人、それぞれ男たちに両脇を抱えられるようにして去る。
間
銃声。続けてもう1発。
コロスは元の位置に座っている。コロスによる朗誦、最初は単独で、リフレインは全員で。
白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り
(リフレイン)
春を斷(き)る白い彈道に飛び乗って手など振ったがつひにかへらぬ
(リフレイン)
暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた
(リフレイン)
(後編に続く)