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写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

市民劇 オリジナル脚本注釈

2021-09-10 13:00:00 | 郷土史エピソード



今回も本に掲載できなかった市民劇関連の資料のアップです。
アップするのは、当初、本に掲載したオリジナル脚本に添える予定だった注釈です。
本やブログ掲載の脚本と照らし合わせて見ていただくとよいのですが、単なるウンチクものの読み物として見てもらっても楽しめるかと思います。


                   **********


◆ アクト1


* 女給
・ カフェーやバーで客の接待をする女性。初期のカフェーでは、和服にエプロン姿が定番スタイルだった。

* 東西声(とうざいこえ)
・ 舞台で口上を述べる際、見物客の注目を集める言葉。「東西東西(とざい、とーざい)。今日、ご覧に入れますは・・・」などと使う。

* 師団通
・ 旭川駅前と第七師団司令部を結ぶ戦前の旭川のメインストリート。



大正末の師団通 
 

* 第一神田館
・ 明治〜大正期の旭川にあった活動写真館。

* 活弁士
・ 活動写真弁士の略。映像のみの映画=無声映画時代に、スクリーンの脇で筋や台詞を語った説明者。活弁、弁士とも。

* 美しき天然
・ 明治30年代、九州佐世保の女学校で誕生した唱歌。日本人作曲の初のワルツとされ、活動写真の伴奏や、サーカス、チンドン屋の演奏曲=ジンタとしても知られる。またこの歌の旋律をもとに、大正時代の流行歌「船頭小唄」が作られたことでも知られる。

* 神居、旭川、そして永山の三村
・ 1890(明治23)年、上川開発のため北海道庁によって設置された。

* 屯田兵
・ 明治時代、北海道の警備と開拓の2つの役割を担って配備された兵士。

* 旭川駅
・ 1898(明治31)年に開業した旭川の玄関口。

* 陸軍第七師団
・ 北海道に置かれ、北鎮部隊などと呼ばれた旧日本陸軍の組織。



春光台から見た第七師団(大正8年) 


* 常磐公園
・ 1916(大正5)年に開園した旭川初の都市型公園。

* 悲願の市制施行
・ 実際は1914(大正3)年の区制施行時の方が住民の喜びは大きかった(当時の区は市に準じる北海道のみの行政単位)。区制施行は札幌、函館、小樽に大きく遅れていたこと、市制施行は区制廃止による全道一斉の措置だったことがその理由。


◆ アクト2


* エピグラフ
・ 書物の巻や章のはじめに示す引用句。この脚本では、旭川ゆかりの文学者の詩や散文を使っている。碑銘、碑文の意味も。

* 旭ビルディング百貨店
・ ゴールデンエイジの旭川で最も高かったビル。

* 旭川美術協会展
・ 1924(大正13)年、高橋北修らが開催した美術展。

* 旭川師範学校
・ 1923(大正12)年に開校した教員養成のための教育機関。

* 出面賃(でめんちん)
・ 出面(でめん・でづら)とも言う。大工や左官などの日当のこと。幅広くアルバイト代のことを指すことも。

* 旭川新聞
・ 1915(大正4)年創刊の北海東雲(しののめ)新聞が前身。4年後、旭川新聞と改題した。1942(昭和17)年、11紙が統合して北海道新聞が誕生するまで、北海タイムス、函館新聞、小樽新聞などと並ぶ道内有力紙だった。



旭川新聞社(昭和4年) 


* 黒珊瑚(くろさんご)
・ 詩人、小熊秀雄の異名。とぐろを巻いたような特異な髪形にちなみ、本人が署名記事に使った。



小熊秀雄


* コラージュ
・ 既存の写真や絵、実物など絵の具以外のものを使って表現する美術の技法。「糊付けする」の意味のフランス語が由来。

* 菊頭
・ 小熊の特異な髪型を指して高橋北修やその仲間が言った言葉。

* はんかくさい
・ 愚かな、おかしな、の意味の北海道の方言。


◆ アクト3


* 浅草行進曲
・ 当時人気だったカフェーをテーマにした昭和初期のヒット曲。

* 北海タイムス
・ 1887(明治20)年、札幌で創刊された北海新聞が源流(北海タイムスとなったのは1901年=明治34年)。1942(昭和17)年、道内11紙が統合して北海道新聞が誕生するまで、有力紙として親しまれた。戦後、同名の新聞が発刊されたが、1998(平成10)年に廃刊した。

* 音楽大行進
・ 1929(昭和4)年に始まった音楽の街、旭川を代表するイベント。吹奏楽、マーチングバンドなど約4000人が参加し、全国屈指の規模を誇る。



第1回慰霊音楽行進(昭和4年) 


* 帝国ホテル
・ 1890(明治23)年、東京都千代田区に開業したホテル。外国人賓客の接待ができる国を代表するホテルとして建てられた。



帝国ホテル  


* フランク・ロイド・ライト
・ アメリカ人建築家で、近代建築の3大巨匠の1人と称される。1923(大正12)年に竣工した帝国ホテル新館の設計者。

* 帝展
・ 現在の日展(日本美術展覧会)につながる帝国美術院展主催の公募展。1907(明治40)年に始まった文展(文部省美術展覧会)のあとを受け、1919(大正8)年から毎年開かれた。

* 北原白秋(きたはら・はくしゅう)
・ 詩、短歌、童謡など数多くの名作を残した福岡県生まれの文学者。旭川には、1925(大正14)年8月、樺太旅行の帰りに来訪している。

* 旭川信用金庫
・ 凶作の影響により疲弊した地元商工業者の苦境打開を目的に、1914(大正3)年に発足した旭川信用組合が前身。1951(昭和26)年に信用金庫となった。



旭川信用組合(昭和2年) 


* 極粋会(きょくすいかい)
・ 架空の組織だが、戦前の旭川にあった国粋主義団体「旭粋会」をモデルとしている。

* 黒色(こくしょく)青年同盟
・ 架空の組織だが、かつて存在した無政府主義者の団体「黒色青年連盟」をモデルとしている。

* たくらんけ
・ ばかもの、たわけもの、の意味の北海道の方言。

* 無政府主義者
・ 一切の国家権力を否定し、個人の完全な自由、および個人の自主的な結合による社会の実現を目指す人々のこと。

* アナキスト
・ 無政府主義者と同じ。

* 博徒
・ サイコロ博打など、賭博を生業にしている人。

* 大杉栄(おおすぎ・さかえ)
・ 大正時代の労働運動、社会運動に大きな影響を与えたアナキスト。関東大震災の際、妻でやはりアナキストだった伊藤野枝(いとうのえ)とともに、憲兵大尉の甘粕正彦(あまかすまさひこ)らによって虐殺された。

* 伊藤野枝(いとう・のえ)
・ 福岡県生まれのアナキスト・婦人運動家。平塚らいてうのあとを継ぎ、雑誌「青鞜」の編集・発行人を務めた。



大杉栄と伊藤野枝 


* 労働争議
・ 賃金など労働を巡る労働者と使用者の間の争いのこと。

* 階級闘争
・ 資本主義における労働者と資本家など、社会的な階級間の争いのこと。


◆ アクト4


* 浅草オペラ
・ 大正時代に東京浅草で披露された大衆歌劇。絶大な人気を誇ったが、関東大震災で劇場が壊滅的な被害を受けて衰退した。

* 「ベアトリ姉ちゃん」
・ 浅草オペラの代表曲。

* ルバシカ
・ ロシアの男性用上着。ロシア文化の影響を受けた大正〜昭和の日本の芸術家が好んで着たことで知られる。ルパシカとも。

* 十勝岳の噴火
・ 1926(大正15)年5月24日に発生した大災害。

* 泥流
・ 火山噴火や山崩れの際、雪などが融け山を流れ下る現象のこと。

* モガ
・ 切りそろえた断髪で洋服を着こなすなど流行に敏感な女性、モダンガールの略。大正末から初話初期にかけての流行語。男性はモダンボーイ=モボ。  

* 抱月(ほうげつ)・須磨子(すまこ)の芸術座
・ 抱月は劇作家、演出家の島村抱月、須磨子は女優の松井須磨子のこと。芸術座は、1913(大正2)年に抱月が須磨子を擁して作った劇団。2人は翌年9月、旭川を訪れ、ヒット作「復活」を上演している。



芸術座による「復活」の舞台 


* 参謀長
・ 参謀の役割は指揮官を補佐して作戦計画案を練ることで、あくまで補佐役であって部隊への指揮権は持っていない。参謀長は、各参謀の統轄者。

* 北海ホテル
・ 現在の「星野リゾートOMO7旭川」に繋がる旭川のホテル。1920(大正9)年、小樽にあった北海屋ホテルの旭川支店として営業を始めたのが始まり。3階建ての趣のある洋館で、4条通8丁目にあった。



北海ホテル(昭和3年)


* 北鎮(ほくちん)小学校
・ 創立は1901(明治34)年。第七師団の将校の子弟が通う私立の小学校として建てられた。当時としては珍しい男女共学。北の学習院と称された。

* 若山牧水
・ 酒と旅を愛した国民的歌人。数々の叙情歌で知られる。

* 「宵待草(よいまちぐさ)」
・ 竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)の詩をもとにした流行歌。

* 竹久夢二
・ 明治末〜大正時にかけ独自の美人画で一斉を風靡した画家・詩人。

* 上川神社頓宮
・ 今のような手頃なイベントスペースが街中になかった時代には、この頓宮や真久寺(しんきゅうじ)六角堂などが主に文化団体の会合に使われた。旭川歌話会が頓宮で開催されたことはないが、そうした事実を伝えたく、劇中ではあえて開催場所とした。



上川神社頓宮(昭和2年) 


* 軍人歌人
・ 陸軍将校であり、歌人でもあった齋藤瀏を指して言った言葉。

* 酒井会長
・ 実際の旭川歌話会は、発足時、会長は置かなかった。酒井廣治は齋藤瀏らとともに顧問を務めた。

* 熊本第六師団
・ 旧陸軍の師団の一つ。熊本、大分、宮崎、鹿児島の南九州の出身兵士で編成された。司令部は熊本市にあった。

* 旅団長
・ 旅団は日本陸軍の編成の一つで、師団より小さく、連隊より大きい(旅団には2つの歩兵連隊が属し、師団には2つの旅団が属した)。旅団長はその指揮官。

* 常磐公園のボート
・ いつの頃から言われたかは定かではないが、筆者が小学生〜高校生の頃、常磐公園でボート乗りを楽しんだアベックはその後別れる、といった趣旨の話をよく耳にした。



常磐公園のボート遊び(大正末か) 


* 少将
・ 軍人の階級。将官では、大将、中将の下。旧陸軍では主に師団の旅団長、陸軍省の各部長などを務めた。

* 霧華(きばな)
・ 凍てついた朝、霧が草や木に付いて凍った姿を指す齋藤瀏による造語。旭川歌話会の合同歌集および瀏の第2歌集のタイトルでもある。旭川の銘菓「き花」のネーミングは、この言葉を元にしている。



旭川歌話会合同歌集「霧華」 


* 「魚歌(ぎょか)」
・ 1940(昭和15)年8月に刊行された齋藤史の第1歌集。装丁は版画家の棟方志功(むなかた・しこう)。新進歌人としての史の評価を定めた。


◆ アクト5


* 演歌師
・ 街頭でバイオリンやアコーディオンを弾きながら演歌と呼ばれた流行歌を歌い、歌の本を売った芸人、行商人。明治末から昭和初期に多く活動した。

* 宮越・三浦の大旅館
・ 師団通の入り口に、神社の狛犬のように鎮座していた2つの旅館。ともに一部3階建てで、7丁目に三浦屋、8丁目に宮越屋があった。



三浦屋旅館と宮越屋旅館(大正末期) 


* 丸井さん
・ 丸井今井百貨店旭川支店のこと。デパートが大型小売店業界の頂点にあった頃、道民の多くは各地にあった丸井デパートのことを敬称付きで呼んだ。



丸井今井百貨店旭川支店(昭和3年) 


* 金子寿(ことぶき)
・ 3条通7丁目角にあった食堂。創業は明治30年代末で、海産物商店として始まり、1922(大正11)年に食堂に転身した。

* 三日月
・ 4条通7丁目角、旭ビルディング百貨店の隣にあった食堂。1900(明治33)年頃の創業。金子寿と並ぶ人気店だった。

* ユニオン
・ 3条通8丁目にあったカフェー、ユニオンパーラーのこと。前身は1925(大正14)年創業の喫茶店。2年後、移転しカフェーとして新装開店した。



カフェー・ユニオンパーラー(昭和4年) 


* 添田(そえだ)さつき
・ 大正〜昭和期の作詞作曲家・小説家。父親は演歌師の添田唖蟬坊(あぜんぼう)。自身も様々な演歌を作った。

* 酌婦
・ 酌をするなど客の接待をする女性。店によっては性的な接待も行った。

* 中島遊郭
・ 現在の東1〜2条2丁目にあった遊郭。1907(明治40)年に営業を開始した。

* 廃娼(はいしょう)運動
・ 娼妓の人権保護の観点から、公娼制度の廃止を訴える活動のこと。


◆ アクト6


*(北海道護国神社)招魂祭(しょうこんさい)
・ 戦死した北海道出身者を祀る北海道護国神社のお祭り(慰霊大祭)のこと。例年、6月4日が宵宮祭で5日が慰霊大祭、6日が後日祭。かつての旭川には、招魂祭に合わせ、大勢の遺族が道内各地から集まった(もちろん今もお参りをする人は少なくない)。



招魂祭の賑わい(昭和6年) 


* 常盤橋(ときわばし) 
・ 昭和初期に行われた牛朱別川(うしゅべつがわ)の流れを変える切替工事の前、今の常盤ロータリーの場所にあった橋。旭橋と並び、中心部と師団のある近文地区を結ぶ重要な橋だった。

* ロータリー
・ 旭川の中心部にある変則交差点。牛朱別川の切替工事以前は橋があった場所のため、埋め立て後は6つの道が集まる形となり、ロータリー式の交差点となった。

* 牛朱別川
・ 旭川を流れる石狩川の支流。かつては今よりも市の中心部寄りを流れ、たびたび氾濫被害が出ていたため、1930(昭和5)年から1932(昭和7)年にかけ、流路を変えて旭橋の下で石狩川に合流させる切替及び埋立工事が行われた。



切替工事前の牛朱別川(昭和4年頃) 


* 百田宗治(ももた・そうじ)
・ 大阪市出身の詩人、児童文学者。一時、愛別町安足間(あんたろま)に移住を決意するなど北海道と縁が深い。


◆ アクト7・8


* 知里幸恵(ちり・ゆきえ)
・ 登別生まれで、旭川に移り住んだアイヌ文化伝承者。

* 嵐山
・ 旭川中心部から西に約5キロ。250メートル余りの高さがあり、雄大な景観が楽しめる。京都の嵐山にちなんでこの名前が付けられた。

* 石狩川
・ 大雪山系の石狩岳を源とし、上川盆地、空知平野、石狩平野を経て石狩湾に注ぐ全長268キロの北海道第一の川。

* 大雪山
・ 北海道の屋根と称される火山群。道内最高峰の旭岳を筆頭に、北鎮岳、白雲岳などからなる。大雪山とそこから流れる石狩川などの河川の恵みにより、旭川は北海道内陸部の中核都市として発展を遂げた。

* 日章小学校
・ 1893(明治26)年、忠別小学校として開校した旭川で初の公立学校。漢字1字の学級名を伝統としていることでも知られる。



日章小学校(昭和2年) 


* スタンド・バイ・ミー
・ 1961年、ベン・E・キングが歌った世界的ヒット曲。黒人霊歌にインスピレーションを受け、キング自身が競作で作詞・作曲した。

* ベン・E・キング
・ 1938年生まれのアメリカのソウルシンガー。男声コーラスグループ、ドリフターズのリードボーカルとして活躍後、ソロ歌手となった。

* パリジャンクラブ
・ カフェー・ヤマニの速田弘が4条通7丁目に開店した新店舗。

* 国防婦人会
・ 正式には大日本国防婦人会。1932(昭和7)年に全国組織が発足し、出征兵士の慰問や家族の支援などを行った。白の割烹着にタスキ姿が会服。

* 東条首相
・ 太平洋戦争開戦時の首相、東条英機(とうじょう・ひでき)のこと。

* ノモンハン事件
・ 1939(昭和14)年、旧満州とモンゴルの国境地帯で起きた日本軍とソ連軍との軍事衝突。機械化されたソ連軍の攻撃に、日本軍は大敗した。当時、満州派遣中だった第七師団でも多くの死傷者が出た。

* 従軍記者
・ 軍隊について戦場に行き、戦況を報道する新聞社や放送局、雑誌などの記者のこと。

* 旭川市博物館
・ 1952(昭和27)年、第七師団の北鎮兵事記念館だった建物を利用し、旭川市郷土博物館として開館した。1968(昭和43)年、旧旭川偕行社(現在の旭川市彫刻美術館)に移転。さらに1993(平成5)年、現在の大雪クリスタルホール内に移転した。




北鎮兵事記念館(昭和15年)






市民劇 旭川ゴールデンエイジを中心とした年表

2021-09-08 13:00:00 | 郷土史エピソード



今回も本に掲載できなかった市民劇関係の資料のアップです。
今回は、旭川ゴールデンエイジを中心とした年表です。
脚本を書く作業を行う中、当時どのような出来事が、どのような流れであったのかを確認するため作成しました。
さらにゴールデンエイジの前と後の出来事も追加しました。
この結果、年表のスタートは、上川盆地に神居、旭川、永山の3つの村が設置された1890(明治23)年となりました。
またラストは、ゴールデンエイジの主人公とも言える小熊秀雄が亡くなった1940(昭和15)年となりました(偶然ですが、ちょうど半世紀を見通す年表になりました)。
なお年表の見方ですが、太字が劇関連の出来事、その他が旭川を中心とした一般的な出来事になっています。
それではところどころ解説をしながら見ていきましょう。


                   **********


◆ 明治期


まずは明治。
開拓の時期ですね(もちろんその前にはアイヌの人たちの長い営みがあります)。
何もなかった上川盆地に急ピッチで街が建設されます。


<1890(明治23)年>
・9月 神居・旭川・永山の3村が設置される。
・この年まで 曙地区に約30戸の集落できる。

<1891(明治24)年>
・6月 永山兵村に屯田兵が入植。

<1892(明治25)年>
・この年 佐藤市太郎が北海道に移住。
・1月 旭川市街の土地貸し下げ開始。
・8月 旭川兵村に屯田兵が入植。



劇の登場人物で唯一明治以前の生まれなのが神田館の大将こと佐藤市太郎です。
市太郎は、江戸時代の末に当たる慶応3年に、今の東京都墨田区で生まれています。
北海道に渡ったのは25歳頃と伝えられています。


<1893(明治26)年>
・12月 佐野文子、島根県で誕生。
・9月 上川初の公立学校、忠別小学校開校。
・この年 上川神社の仮社殿が義経台(現在の宮下通5〜8丁目地先)に建つ。

<1894(明治27)年>
・4月 酒井廣治、福井県で誕生。
・5月 道庁が上川アイヌに近文の給与地を割り渡す。
・8月 日清戦争始まる。



劇の登場人物のうち、年長者はこの頃までに誕生しています。


<1895(明治28)年>
・3月 屯田兵に出動命令(東京で待機中、戦争終結)。

<1896(明治29)年>
・7月 空知太・旭川間の鉄道路線着工。

<1897(明治30)年>
・7月 空知太・旭川間の鉄道路線着工。

<1896(明治29)年>
・7月 空知太・旭川間の鉄道路線着工。

<1897(明治30)年>
・10月 今井呉服店旭川支店開設。




画像01 今井呉服店旭川支店


<1898(明治31)年>
・1月 曙遊郭営業開始。
・7月 空知太・旭川間の鉄道開通し、旭川駅開業。小樽・札幌方面と鉄路結ばれる。




画像02 開業当日の旭川駅


・10月 高橋北修、旭川で誕生。
・この年、酒井廣治、両親と旭川に移住。

<1899(明治32)年>
・3月 北海道旧土人保護法公布。
・7月 第七師団の建設工事着工。
・7月 劇場・佐々木座が新築開業。
・7月 剣淵・士別に最後の屯田兵配備。
・この年 小檜山鉄三郎、山崎与吉が、旭川で酒造りを開始。

<1900(明治33)年>
・4月 近文アイヌ地移転問題で、有志が政府要人への陳情のため上京。
・8月 旭川村を旭川町に改称。
・8月 佐藤市太郎の神田床旭川支店開業。
・11月 第七師団、札幌からの移駐開始。

<1901(明治34)年>
・3月 今のロータリーの場所に常盤橋架橋。
・4月 私立北鎮小学校が開校。
・9月 糸屋銀行旭川支店が開業。
・9月 小熊秀雄、小樽で誕生。

<1902(明治35)年>
・1月 上川測候所で零下41度を観測。
・4月 旭川に北海道一級町村制を施行。
・5月 第七師団が初の招魂祭。
・10月 第七師団の移駐完了。
・11月 龍馬の甥、坂本直寛がキリスト教伝道師として旭川に着任。

<1904(明治37)年>
・2月 日露戦争始まる。
・2月 今野大力、宮城県で誕生。
・5月 初代旭橋完成。




画像03 初代旭橋


・8月 第七師団に動員命令。以降、旅順攻略などに参加。


このあたりまでで、重要なインフラや商業施設の整備がかなり進んできています。
街の基盤が整備された時期です。


<1905(明治38)年>
・1月 鈴木政輝、旭川で誕生。
・3月 第七師団、奉天開戦で露軍と交戦。
・9月 日露戦争終結。
・12月 小池栄寿、鷹栖町で誕生。



劇に登場する実在の人物はほとんどが明治生まれです。
例外は先に述べた慶応生まれの佐藤市太郎、そして大正生まれのスタルヒンと三浦綾子です。


<1906(明治39)年>
・3月 第七師団主力部隊の旭川凱旋始まる。
・5月 上川馬車鉄道が営業開始。

<1907(明治40)年>
・9月 旭川・釧路間の鉄道が全通。
・10月 中島遊郭が営業開始。
・この年 大力、家族とともに旭川へ移住。

<1908(明治41)年>
・1月 石川啄木が来旭。

<1909(明治42)年>
・1月 道庁庁舎焼失を受け、旭川への道庁移転運動始まる。
・2月 齋藤史、東京四谷で誕生。
・6月 佐野文子が旭川に移住。
・8月 野口雨情が旭川の北海旭新聞に入社(11月退社)。

<1910(明治43)年>
・3月 師団と町の対立問題解決を受け、常磐公園の設置決まる。
・4月 知里幸恵が登別から旭川に転居。

<1911(明治44)年>
・6月 佐藤市太郎、4条通8丁目に活動写真館「神田館」を開業(のち「第一神田館」と改称)。
・7月 旭川町役場新庁舎落成。
・この年 4条通8丁目にヤマニ旭館食堂開店。



◆ 大正期


大正期の旭川は、1914(大正3)年の区政施行(区は市に準じる北海道独自の行政単位)、1922(大正11)年の市制施行に見られるように、開拓期を脱し、人間で言えば青年期に入った時期です。
芸術座や歌舞伎の興行、常磐公園の造成、各種の芸術グループの結成など文化的な出来事も多く見られるようになり、明治の時代に比べ、社会にややゆとりが生まれていることが分かります。
こうしたなかで小熊らが集い、いよいよ旭川ゴールデンエイジの活発な活動が行われるわけです。


<1912(明治45・大正元)年>
・2月 オーストリアのレルヒ中佐、スキー指導に来旭。
・4月 佐野文子、旭川の実業家と結婚。
・7月 明治天皇崩御。大正に改元。

<1913(大正2)年>
・5月 上川馬車鉄道、路線延長。

<1914(大正3)年>
・4月 旭川に区制施行。




画像04 区政施行の祝賀


・4月 旭川信用組合(現旭川信用金庫)設立。
・7月 第1次世界大戦始まる。
・9月 島村抱月・松井須磨子の芸術座が佐々木座で「復活」上演。

<1915(大正4)年>
・4月 齋藤瀏が大隊長として第七師団に赴任。
・7月 齋藤史が北鎮小に転入。



齋藤史・瀏親子は2度旭川で暮らしていますが、1度目の赴任です。


<1916(大正5)年>
・5月 ヴィクトル・スタルヒン、帝政ロシアで誕生。
・5月 常磐公園開園。




画像05 開園間もない頃の常磐公園


<1917(大正6)年>
・3月 ロシア革命。
・4月 第七師団が満州派遣。
・6月 第一神田館、5層建築に改築。
・7月 近文アイヌによる楽隊が東久邇宮来旭時に演奏披露。

<1918(大正7)年>
・7月 上川馬車鉄道が廃止。
・8月 シベリア出兵。
・8月 金田一京介が近文訪問、知里幸恵と会う。




画像06 金田一京助


・この年 高橋北修らヌタップカムシュッペ画会設立。

<1919(大正8)年>
・1月 パリ講和会議。
・1月 糸屋銀行、本店を旭川に移す。
・7月 旭川駅からの定期客馬車、運行開始。
・この年 高橋北修、絵の修行のため上京。

<1920(大正9)年>
・9月 齋藤史、父瀏の異動で三重県に。
・9月 3条通15丁目の錦座が新築開場。左団次・幸四郎一座が杮落とし興行。
・10月 第1回国勢調査、旭川区の人口6万1319人。
・11月 北海屋ホテル旭川支店開業(のち北海ホテルと改称)。

<1921(大正10)年>
・2月 佐野文子、夫を病気で亡くす。以降、様々な社会活動を行う。
・7月 速田弘ら旭川共鳴音楽会を創設。
・この年 小熊、樺太から旭川の姉の元へ。
・この年 酒井廣治、東京から戻る。
・この年 今野大力、郵便局に勤務し、詩作を始める。



小熊の来旭、酒井廣治の帰旭は同じ年だったのですね。
この2人はゴールデンエイジの牽引者と言って良いと思います。


<1922(大正11)年>
・4月 堀田(三浦)綾子、旭川で誕生。
・5月 知里幸恵が上京。
・8月 旭川、市制を施行。
・9月 知里幸恵が急死。
・10月 旭川に丸井今井百貨店開業。
・10月 佐藤市太郎、初の旭川市会議員選挙で当選。
・11月 旭川・稚内間の鉄道全通。
・12月 ソビエト連邦が成立。
・この年 小熊、旭川新聞の記者となる。

<1923(大正12)年>
・4月 旭川師範学校開校。
・5月 ヤマニが改装、カフェーの営業を開始。
・6月 町井八郎の町井楽器店、開店。
・6月頃 小熊、今野大力と知り合う。
・7月 小熊ら旭川文化協会が演劇上演。




画像07 旭川文化協会のメンバー


カフェ−としてのヤマニが誕生しています。
ゴールデンエイジの舞台も整ったと言うところでしょうか。


・8月 前年死去した知里幸恵の「アイヌ神謡集」出版。
・8月 宮澤賢治が来旭。
・9月 関東大震災。旭川にも避難民が多数訪れる。大杉栄・伊藤野枝が虐殺される。
・9月 小熊、震災で帰郷した北修と知り合う。
・10月 北修ら洋画研究会「赤耀社」結成。
・11月 建築家、田上義也が北海道に移住。
・12月 「赤耀社」がヌードデッサン会開催。

<1924(大正13)年>
・1月 小熊ら、チルチル童話会開催。
・3月 鈴木政輝・小池栄寿、大学進学のため上京。
・4月 佐野文子ら愛児園託児所を開設。
・5月 小熊、北修と上京(1回目・2か月で戻る)。
・6月 上川神社が神楽岡に遷宮。頓宮も常磐公園に造営。
・6月 築地小劇場が創設される。
・7月 加藤顕清が故郷旭川で個展。
・8月 旭川で乗合自動車「円太郎」の運行開始。
・9月 大杉・伊藤虐殺の報復を計画したとしてアナキストを逮捕(旭川鎖断社事件)。




画像08 旭川鎖断社の事務所


・10月 北修ら新装開店の旭ビルディング百貨店で美術展。
・12月 齋藤瀏、大佐参謀長として再び第七師団に赴任。史も同行。



齋藤史・瀏親子も旭川に戻ってきました。


<1925(大正14)年>
・2月 小熊が美術展で知り合った崎本つね子と結婚。
・3月 東京放送局がラジオの試験放送開始(7月から本放送)。
・4月 治安維持法公布。
・4月 小熊、妻と2回目上京。
・5月 男子普通選挙が実現。
・6月 ヤマニでラジオ放送を一般公開。
・6月 失火から第一神田館が焼失。
・7月 小熊が旭川に戻る。しかし社長の不評を買い、旭川新聞には復職できず、失業状態に。
・8月 北原白秋が来旭。
・9月 小熊、つわりに苦しむ妻を樺太の実家に置いて旭川に戻る。
・9月 亡命のスタルヒン一家が旭川に到着。
・10月 第2回国勢調査、旭川市の人口7万2341人。

<1926(大正15・昭和元)年>
・1月 東京で黒色青年連盟が発足。
・1月 小熊が旭川新聞に復職。




画像09 小熊がいた頃の旭川新聞社


・3月 のちに2・26事件で殺害される渡辺錠太郎が第七師団師団長に着任。
・5月 十勝岳噴火、同じ日に糸屋銀行破たん。
・10月 若山牧水が来旭。史に作歌を勧める。
・11月 旭川歌話会発足し、小熊ら幹事に。
・11月 砂沢市太郎らアイヌ差別解消のため解平社創設。
・12月 竹内武夫が北海タイムス旭川支局に赴任。
・12月 大正天皇崩御。昭和に改元。
・この年 松井梅太郎が旭川で初めて熊の木彫り始める。



◆ 昭和期


依然、旭川の文化、経済活動は活発ですが、1927(昭和2)年に起きた北海道初の治安維持法違反事件、名寄集産党事件の発生など、早くも社会には暗い影が落ちてきます。
さらに1931(昭和6)年には満州事変が勃発。
1934(昭和9)年の速田弘の自殺未遂、1935(昭和10)年の今野大力の死去、齋藤史・瀏親子も深く関わった1936(昭和11)年の二・二六事件の発生など、劇の登場人物たちも次第に苦境に陥ることになります。


<1927(昭和2)年>
・1月 旭川電気軌道東川線の一部運行開始。
・1月 小熊、大力、鈴木政輝ら詩誌「円筒帽」創刊。




画像10 詩誌「円筒帽」


・3月 大力が上京(1回目)。
・3月 旭川歌話会が齋藤瀏送別歌会。史も旭川を去る。
・4月 カフェーユニオンパーラー新装開店。開店当日に小熊、栄寿、政輝が訪れる。
・5月 旭川初のメーデー集会。
・5月 芥川龍之介・里見弴が旭川で講演会。小熊ら見に行く。
・5月 辻広駒吉ら国粋主義団体、旭粋会結成。
・6月 旭粋会と黒色青年連盟が常盤橋上で乱闘。
・6月 ヤマニで小熊が黒色青年連盟のメンバーに絡まれる。
・7月 芥川龍之介が自死。
・7〜8月 野口雨情ら招き、旭川で大雪山夏期大学(観光PRイベント)開催。
・8月 旭川の黒色青年連盟メンバー、不敬容疑で検挙。
・9月 大力、肋膜炎のため旭川に帰郷。
・11月 道内初の治安維持法違反事件。名寄集産党事件起きる。
・12月 星野由美子(北修の長女)、旭川で誕生。



事実上、昭和がスタートした年です(昭和元年は7日間のみ)。
事件関係の出来事が多いですね。
波乱の昭和のスタートといった感じです。


<1928(昭和3)年>
・3月 3・15事件。全国で共産党員一斉検挙。
・6月 小熊が妻子連れ、3度目上京(史実)。
・9月 若山牧水が死去。
・この年 スタルヒン一家の喫茶白ロシア開店。

<1929(昭和4)年>
・6月 第1回慰霊音楽大行進開催。
・9月 大力が上京(2回目)。
・10月 世界恐慌始まる。
・11月 旭川市街軌道1条線・4条線の運行開始。
・11月 高橋ことじ(北修の妹)ら女性文芸グループ、朱蘭会結成。
・12月 旭川電気軌道東旭川線の運行開始。
・この年 鈴木政輝の東京浅草の下宿を川端康成が訪問。

<1930(昭和5)年>
・4月 予備役となった齋藤瀏が史ら家族とともに東京へ。
・5月 牛朱別川切替工事が始まる。




画像11 牛朱別川切替工事の様子


・10月 第3回国勢調査。旭川市の人口は8万2514人。
・この年 田上義也設計でヤマニが改装。

<1931(昭和6)年>
・3月 この頃から、近文コタンでの木彫り熊の製作が本格化。
・5月 齋藤史、遠縁の医師と結婚。
・8月 初の全道規模の集会、全道アイヌ青年大会開催。
・9月 満州事変勃発。
・10月 北修、旭川生まれの画家として帝展に初入選
・11月 牛朱別川切替工事が竣工。
・12月 第3次アイヌ給与地返還運動で、近文アイヌが集会。

<1932(昭和7)年>
・3月 大力、駒込署で拷問受け、一時重体に。
・3月 満洲国建国を発表。
・5月 5・15 事件。
・9月 第七師団、満州に派遣。
・10月 石北線が全通。
・10月 牛朱別川旧流路の埋立工事竣工。
・11月 2代目旭橋完成。
・11月 スタルヒン一家の喫茶「バイカル」開店。

<1933(昭和8)年>
・1月 スタルヒン父、ロシア出身の女性従業員を殺害、逮捕。
・2月 小林多喜二、虐殺される。
・3月 日本が国際連盟を脱退。
・5月 加藤顕清を講師に、札幌で熊彫り講習会。
・6月 速田弘の新店舗、パリジャンクラブ開店。
・9月 旭川放送局がラジオ本放送開始。




画像12 旭川放送局


・12月 旭川国防婦人会が発会式。

<1934(昭和9)年>
・2月 速田弘、カフェーヤマニを閉店し、新店舗に全力投入。
・6月 林芙美子が友人の松下文子を訪ね、来旭。
・11月 スタルヒン、職業野球団参加のため上京。
・12月 速田弘、経営難で自殺未遂。その後、旭川を離れる。

<1935(昭和10)年>
・4月 大力が東京江古田の療養所に入院。
・5〜6月 小熊、第1詩集「小熊秀雄詩集」、長編叙事詩集「飛ぶ橇」相次いで刊行。
・6月 大力、療養所で死去。31歳。
・9月 アイヌ手工芸展覧会で松井梅太郎の木彫り熊が最高賞。

<1936(昭和11)年>
・1月 鈴木政輝ら、旭川で北海道詩人協会の発足式開催。
・2月 二・二六事件。史の幼馴染の栗原安秀、坂井直ら決起するも反乱軍として拘束される。
・5月 齋藤史、長女を出産。瀏、青年将校を支援したとして召喚を受け出頭。衛戍刑務所に収監。
・5月 旧常盤橋付近の埋立地にロータリーできる。
・6月 詩人、百田宗治来旭。
・7月 栗原、坂井らに判決。銃殺刑執行。



齋藤史・瀏の運命も大きく変えた二・二六事件の勃発です。
二人と事件の関わりについては、このブログの他の記事で詳述していますので、そちらを見て下さい。


<1937(昭和12)年>
・1月 齋藤瀏に禁錮5年の判決。豊多摩刑務所に移送。
・7月 日中戦争始まる。
・この年 料亭第一楼が閉店。




画像13 第一樓


<1938(昭和13)年>
・1月 女優岡田嘉子、演出家の杉本良吉と樺太国境からソ連に亡命。
・2月 第七師団に満州派遣命令。
・4月 小熊が旭川に一時帰省。
・7月 東京五輪、札幌冬季五輪の中止決定。
・9月 齋藤瀏が仮出所。

<1939(昭和14)年>
・5月 ノモンハン事件発生。
・9月 第2次世界大戦始まる。

<1940(昭和15)年>
・8月 齋藤史、第一歌集「魚歌」刊行。新進歌人として注目を集める。
・10月 第5回国勢調査。旭川市の人口8万7514人。
・11月 北海道綴方教育連盟事件。
・11月 小熊、肺結核により死去。39歳。




画像14 小熊秀雄・齋藤史


年表の最終年。
小熊が39歳で亡くなる一方、齋藤史は二・二六事件についてもふれた第一歌集「魚歌」で注目を浴び、現代短歌の巨人としてのキャリアをスタートさせます。
2人について調べてきたワタクシには、なにか創作の魂がバトンタッチされたような印象を受けます。
そんな出来事のつながりを見て取ることが出来るのも、歴史年表の面白さと思います。




お知らせ 連続歴史講座のご案内

2021-09-06 15:00:00 | 郷土史エピソード



お知らせです。
コロナ禍はまだまだ収まっていない状況ではありますが、来月から旭川の郷土史についての連続歴史講座を始めます。


                   **********





チラシの通り、今回の講座は、10月から来年9月までの1年間で10回開催というロングランの取り組みです。
各回の講座では、文化・芸術・世相といった分野を中心に、それぞれテーマを決めて旭川の歴史エピソードを紹介します。
またワタクシの手元にある戦前、戦後の旭川を記録した貴重な動画も2回に渡って紹介します。
ということで、講座を通して聞くと、旭川の歴史が全部わかるといったものではありませんので、ご注意下さい。
ワタクシ自身は、全体を通して、日頃、郷土史を勉強して感じている旭川の特性、独自性といったものを浮かび上がらせることできたらと思っていますが、一回だけとか、興味のあるものだけを聞きに行く、という形で参加していただければ十分です。
なによりそれぞれの講座について、聴いていただいて楽しめるものにしたいと思っています。

では、今回は1回目の講座について、少し詳しくご案内します。





1回目は、書いてある通り、講座全体のイントロダクション的な内容です。
3つのキーワードをもとに旭川について語る予定です。



地形区分図(新旭川市史より)


嵐山から見た旭川



キーワードの1つ目は「山と川の恵みを受けたマチ」です。
ブラタモリのようなイメージですが、旭川の地形や地質の特性からこの街の風土について見ていきます。



第七師団観兵式(大正9年・絵はがき)


「畿多能満毛利」碑



2つ目のキーワードは「北の守りの要のマチ」です。
旭川が陸軍第七師団の本拠地となったいきさつや、その影響についてお話します。



北海道詩人協会のメンバー(昭和11年)


中原悌二郎・小熊秀雄・音楽大行進



最後のキーワードは「文化・芸術のマチ」です。
旭川は昔から文化・芸出活動の盛んな街です。
その歴史的な背景についてお話したいと思います。


改めて全体の開催内容は次の通りです。

タイトル 連続歴史講座「もっと知りたい!旭川 〜文化・社会史に見るその風土〜」
日時    第1回 2021年10月16日(土)  第2回 2021年11月 6日(土)
      第3回 2021年12月11日(土)  第4回 2022年 1月22日(土)
      第5回 2022年 3月 5日(土)  第6回 2022年 4月16日(土)
      第7回 2022年 5月21日(土)  第8回 2022年 6月25日(土)
      第9回 2022年 7月30日(土)  第10回 2022年 9月 3日(土)
      いずれも13時半開場 14時開講 時間は1時間半程度を予定
場所   まちなかぶんか小屋 旭川市7条通7丁目右10
受講料  500円(1回につき・資料代込み)


開催にはコロナ感染防止に努め、受講者にはマスク着用や検温等へのご協力をお願いします(もちろんワタクシもマスクをしてお話させていただきます)。
また当面はソーシャルディスタンスを取るため、受講者は20人程度(最大25人)とさせてもらい、要予約(1回毎)とさせてもらいます。
なお会場のぶんか小屋は、新たな設備が付いて、十分な換気ができるようになっています。
また受講者の制限については、将来的には、コロナ感染状況を見ながら、継続するか制限をなくすか、ぶんか小屋の皆さんと相談しながら判断していきたいと思っています。




嵐山から見た旭川