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写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

アンコール・ワタシの好きな旭川 VOL.23 藤田映像

2015-06-13 22:00:00 | 郷土史エピソード


かつて別ブログに掲載していた記事を再掲載する「アンコール・私の好きな旭川」。
今回は、2014年5月に掲載したこの記事です。


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<郷土史エピソード 藤田映像>(2014年5月9日掲載)


今回はシリーズでお伝えしている「郷土史エピソード」の9回目です。
きょうは昭和30年代の旭川の貴重な映像を残したアマチュア写真家、故藤田愛(ちかし)さんとその作品をご紹介します。



故藤田愛(ちかし)氏


藤田さんは、印刷会社に勤めながら地元の写真グループ「北限」のメンバーとして活躍した方です。
写真だけでなく、8ミリカメラによる撮影にも情熱を傾け、自ら撮影・編集した作品がコンテストで入賞するなどの実績も残しています。




石狩川堤防でスキー(昭和30年代前半)


上のカットは、藤田さんが長年に渡り記録し続けた石狩川の8ミリ映像のひとコマです。
撮影年代は昭和30年代前半とみられます。

場所は旭橋近くです。
ワタクシも同じように堤防でスキーをした記憶があります。



凧揚げ(昭和30年代前半)


こちらも同じく石狩川の河原です。
この2人は兄弟かもしれません。



4条通9丁目(昭和32年か)


こちらはやはり昭和30年代前半の旭川を記録したフィルムのひとコマです。
場所は4条通9丁目の交差点。
8丁目方向にカメラを向けています。

右手前は当時はここにあった旭川中央郵便局。
奥の高い建物は改装中のニュー北海ホテルです。
記録によると、工事が終了したのが昭和32年12月。
完成間際に見えますので、32年の秋から初冬の撮影と思われます。



同上


さらに近くに寄った撮影がこれ。
ホテルのほか、パチンコ店(現在の「モナコ会館」)、食堂の「亀屋」、出光のガソリンスタンドが確認できます。



キネマ街(同上)


続いては同じ時期の中心部の夜景です。
4~5の仲通り6丁目の通称キネマ街に「日活」のネオンサインが見えます。



平和会館(同上)


こちらは2条平和通にあった平和会館。
当時人気のあったキャバレー「キャレドニア」のネオンサインをアップで押さえたカットです!



建設中の旭川市庁舎(同上)

さらにこちらは建設中の旭川市庁舎。
竣工は昭和33年ですので、やはり32年の撮影だとつじつまが合います。

次に紹介するのはこちら。



市営団地(昭和30年代前半)


同上



豊岡地区に完成したばかりの市営団地です。
第2団地(豊岡5-1)か、第3団地(豊岡6-1)と思われます。



同上


こちらは団地の子ども。
昭和の雰囲気がいっぱいです。




団地と田んぼ(同上)


農作業(同上)



最後はこちら。





暗くて分かりずらいのですが、見本林を映した藤田さんの映像です。
この映像の中に、今はなくなってしまった建物が出てきます。

それがこちら。





見本林の入口にあった牧舎とサイロです。
場所は、いま三浦綾子記念文学館が建っているところです。

この牧舎とサイロは、昭和41年に封切られた映画版の「氷点」(若尾文子・安田道代ら出演)の中でも見ることができます(小説の中にも出てきます)。

興味のある方は、確認してみてください。





アンコール・ワタシの好きな旭川 VOL.22 こんなところに〝街頭テレビ〟

2015-06-12 22:00:00 | 郷土史エピソード


かつて別ブログに掲載していた記事を再掲載する「アンコール・私の好きな旭川」。
今回は街なかにある意外な史跡について書いたこの記事です。


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<わたしの好きな旭川 こんなところに〝街頭テレビ〟 >(2011年6月13日掲載)


今回も、まずはこちらの写真から!!





何かの記念碑のようですが・・・。



これは・・・どう見ても、テレビ!


実はこれ、昭和30年代にこの場所に置かれていた「街頭テレビ」を再現したモニュメントなんです。
場所は、常磐公園の一角にある中央図書館の駐輪場の脇。
良く通る場所なのですが、最近までまったく気付きませんでした。



横にある説明板。


結構リアル。



この中央図書館のある場所は、もともと市の体育館(労働会館と併設)が建っていたところで(昭和25年の「北海道開発大博覧会」のパビリオンの一つを利用)、街灯テレビは、32年7月から前庭に置かれていたそうです。

(テレビ放送が始まったのは札幌が31年、旭川が33年ですから、高いアンテナを立てて札幌の電波を受けていたのかもしれません)

その後、その存在は忘れられ、ぼろぼろになったコンクリートの台座だけ残っていたのですが、平成6年、図書館の改築に合わせて、このモニュメントが設置されたそうです。



建物は中央図書館。


なお旭川とテレビの関わりで言いますと、昭和25年、当時の東芝が博覧会などで試験的に公開していたものを北海道では最も早く、旭川市に呼び寄せたという話が郷土史家の村上久吉さんの「旭川市史小話」に載っています。

テレビの試験公開は、いまの市役所の場所にあった市民集会所で3週間にわたって行われ、奥の一室で実演した踊りや演芸などを大ホールに置いた受像機に映して見物させたということです。
なお公開は1日午前午後の各1回ずつで、入場料は1人20円だったそうです。

最後にもう一枚。



(昭和40年代か)


わかりますでしょうか。
写真の中央下。柱のようなものが写っています。
かつて街頭テレビが置かれていた「台座」です。
この時代まで残されていたんですね。





写真では駐車場になっていますが、この場所は昔から空き地で「常磐広場」と呼ばれていました。

夏は盆踊りや、お祭りのサーカスや見世物小屋でにぎわった「常磐広場」。
ワタクシにとっても思い出深い場所の一つです。