もっと知りたい!旭川

へー ほー なるほど!
写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

なつかしの谷口商店

2014-03-23 16:44:47 | 郷土史エピソード
こんにちは!

旭川の歴史に興味をお持ちの方、旭川の事をもっと知りたいという方、
ようこそお越しいただきました。

このブログでは、
へー、ほー、なるほど!そして懐かしさいっぱい!という旭川の郷土史のいろいろなお話、
エピソードを写真と解説でご紹介していきます。

・・・ということで、記念すべき1回目の記事は、こちら!


「なつかしの谷口商店」


(昭和44年・旭川市中央図書館蔵)

上の写真は、買物公園ができる3年前。
夏休みを利用して行われた歩行者天国の社会実験のもようです。

そしてこちら。



(昭和44年・旭川市中央図書館蔵)

同じく買い物公園化実験の際の写真。
あいさつしているのは、去年亡くなったご存じ元市長の五十嵐広三さんですよね。
実験では、12日間にわたって平和通から実際に車を締め出し、
周辺の交通量など影響を調べました。

またそれ以上に重要だったのは、買物公園造成に向けての市民意識の盛り上げです。

さまざまな障害を乗り越えての実験でしたが、結果は大成功!
その後の計画の推進に向け、大きなはずみとなりました。



実験の際の交通量の調査(昭和44年8月・旭川市中央図書館蔵)

ただ今回のテーマは実験ではありません。
それがこちら。



(昭和44年8月・旭川市中央図書館蔵)

実験期間中に8条平和通で行われたブラスバンドの野外演奏の模様です。
ここにワタクシにとって忘れられないお店が写っているんです!
アップにしてみますと・・・。



(昭和44年8月・旭川市中央図書館蔵)

一番右の工藤陶器店、帽子のあさひ、食堂と続き・・・。

ありました!「谷口玩具店(谷口商店)」。
というより我々市内の子どもにとっては
「谷口のくじやさん」とか、単に「五円のくじや」と呼んでいたお店です。



(昭和44年8月・旭川市中央図書館蔵)

「くじ」とは、当たりはずれのあるあの「くじ」です。

「谷口商店」は、いわゆる町の駄菓子屋さんで、
糸引きアメやニッキ水などの駄菓子のほか、
パッチ(本州でいうメンコ)やビー玉、2B弾(火を付けて破裂させる)といった
当時の子どもには必需品の遊び用具が売られていました。

そして何といってもメインは1回五円の「くじ」!
くじは、ピンク色の薄い紙を束にしてあって、
子どもは5円と引き換えにそのうちの1枚を選んで引きます。
引いたくじは、ベロで湿らせると文字が浮き出てきて結果が分かる仕組みです。

高嶺の花の戦艦のプラモデルなどを狙っておばちゃんに5円を差し出すのですが、
浮き出てくるのはいつも「スカ」ばかり!

今から思うと「人生、そう思い通りにはいかないものよ」と
最初に実感させてくれた存在だったのかもしれません
(そんな大仰なものであるかい!と一人突っ込み)。
ただお小遣いの10円玉数枚を握りしめて「くじや」に向かったあのワクワク感は
今でも覚えています。



谷口商店があった場所


今の8条平和通


このほか昭和30~40年代の8条平和通には、
ワタクシにとって大切なお店がもう2軒ありました。

1つは8丁目側の一番どん詰まりにあった「とらや」さん。
なんともまろやかな味がたまらなかった自家製アイスキャンデーのお店です。

10条通9丁目で生まれ育ったワタクシは、
よく8条の銭湯、旭鉱泉(八条プレジャー)さんに通いましたが、
お風呂から出た後、母がちょっと寄り道をして
「とらや」のキャンデーを買ってくれることがありました。

お風呂でほてった体に冷たく甘いキャンデー、まさに至福の時でした!



「とらや」のあった場所。奥に八条プレジャーが見える。

そして「とらや」の向かいにあったのが「文栄堂書店」。
文房具なども扱っていた小さな本屋さんでしたが、
小学生の頃のワタクシの目当ては、少年サンデーと少年マガジン。
発売日には、これもお小遣いを握りしめて店に急いだことを覚えています!
(当時は1冊50円程度だったと思います)



「文栄堂」のあった場所。

参考に、昭和38年の住宅地図の中から、
平和通7~8条のあたりを示してみます。




今も残っているのは、
タカハタ理容店、まむしやさんなどわずかです。
改めて時の流れを感じます。



今の7条~8条あたり


タカハタさん


まむしやさん












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