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写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

番外! 「真田丸」に見た三谷脚本の切れ味と〝凄み〟

2016-05-17 21:18:50 | ドラマ評


 旭川の郷土史エピソードを紹介するのがこのブログの目的ですが、今回は全くの〝番外〟、テレビドラマのお話です。
 いわば「外道」ですので、興味のない方はスルーしちゃってください!
 ただ、書きたい!という気持ちがムラムラと湧いてきてしまったので、あえて掲載させていただきます。なにとぞご容赦を。

 ということで、そう、書きたいのは、大河ドラマの中でも久々の大ヒットとなっている「真田丸」です。
 「真田丸」は、敗者の美学たっぷりの真田幸村(信繁)が主人公であることに加え、プロ中のプロ、三谷幸喜の脚本です。
 なので、第1回から欠かさず楽しませてもらっていますが、今月15日(日)に放送された第19回「恋路」は、久々に切れ味鋭く、かつ〝凄み〟のある脚本のドラマを観たなと感じました(観ていない方は、次の土曜日に再放送がありますので、ぜひご視聴を!)。


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 今回のドラマ、何点か感心したところがあるのですが、まずは〝花〟の使い方ですね。
 一つはみんなが大好きな桜。今回は、ドラマの初めから終わりまで、大阪城内の中庭に咲く桜がさまざまなシーンの背景に登場します。
 第19回では、茶々がまもなく天下人となる秀吉の求愛を受け入れ、側室になるまでが描かれますが、ドラマではこれが豊臣政権の崩壊に至る第一歩として位置付けられます(実際の歴史でもその通りでしたよね)。

 満開なのに散り始めている桜は、その〝終わりの始まり〟の象徴です。
 このうち、茶々が側室となることを承諾したと、秀吉が大阪城にいる正室、寧のもとに喜んで(!)報告に来るシーン(秀吉の求愛と茶々の承諾は京都の聚楽第で行われました)と、それに続く茶々の居室のシーンでの桜は、吹雪のように激しく散ります。ついでに言うと、茶々が側室として「奥(秀吉の居室)」に向かうラストシーンの桜は、嵐の中で雨に打たれています。ま、これはほんの序の口。

 そしてさすがの切れ味と感じたのは、もう一つの花、やまぶきの使い方でした(そう、やまぶき色の山吹ですね。ピンクの桜と黄色系のやまぶきがとてもきれいでした)。
 ドラマの中盤、中庭に源二郎(信繁)を呼び出した茶々は、かたわらに咲くやまぶきを摘み、「母上が好きだった。よく押し花にしていた」と語ります。
 そしていったん源二郎に渡した花を再び手に取り、「私も押し花にします」と告げます。

 このやまぶき、先ほど紹介した茶々が側室になることを承諾した後の大阪城居室のシーンでもう一度登場します。
 ここで茶々は、自分のお付き役を命じていた源二郎を、秀吉お付きのもとの役目に戻すと告げたうえで、源二郎の手を取ってアゴを上げさせます。
 「私たちは不思議な糸で結ばれているような気がする。離れ離れになってもあなたは戻ってくる。そして私たちは同じ日に死ぬの」。
 こう言われると、誰もが大阪城落城のことを頭に浮かべますよね。三谷脚本では、秀吉の手に落ちたこの時点で、茶々には「滅びの予感」があることを示しているわけです(源二郎も「それが遠い先であることを祈っています」と否定しません。ということは彼も・・・)。

 すみません、やまぶきでした。この奇妙なやりとりをした後、茶々は黙ってやまぶきの押し花を源二郎に渡します。
 このやまぶきは、やはり運命に翻弄される(摘まれて、押し花にされる)茶々本人を表していると考えます。同じように、信長の妹として生まれたゆえの運命に翻弄されたお市の方も、やまぶきが好きで押し花をしていたというエピソードが語られましたが、それもそのことを裏付けています。

 そして続くシーン。
 源二郎から、ことのてんまつを聴いた幼馴染のきりは、「よかったじゃない、茶々様と離れることができて」と言いながらも、「私はあの方がこわい」とつぶやきます。
 そして源二郎が眺めていた押し花(茶々の分身?)に気が付くやいなや取り上げ、彼があわてる姿を見ると、なんと飲み込んでしまいます。
 このくだり、押し花についての会話は全くありません。でも事態をすばやく察知して、とっさの行為に出るきり。源二郎への思いが伝わって来る場面です。
 ただ一見コミカルなシーンですが、きりの抵抗?もむなしく源二郎と茶々が行き着く運命を思うと、哀しいシーンでもあります。
 念のためネットで調べてみますと、2人が死んだ日は1日ずれているようです(源二郎=1615年5月7日、茶々=8日)。とすると、きりの思いが少しだけ通じた、という意味合いで、このシーンを設けたのかも?そう思うと、すぐれた脚本家は手品師かとさえ思ってしまいます。

 このやまぶきが登場するシーン。特に茶々と源二郎のシーンは、なかなか通常のテレビドラマではお目にかかれない水準の高いものです。
 ここでは、登場人物のわずかなやりとりだけで、それぞれの複雑な思いや人物の運命、出来事の意味付けなどが重層的に伝わってきます。最小限度のやりとりで、たくさんのものが見えてくる、そうしたシーンが本当に良いシーンと思いますが、これはその典型です。


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 もう一つ、今回のドラマで三谷幸喜の〝凄み〟を感じたシーンがあります。先ほど述べた聚楽第のシーン、そう、秀吉が茶々に求愛する場面です(承諾したことは、これに続く秀吉による寧への報告のシーンで明らかにされます)。

 このシーン、感心したのは話の展開の仕方です。
 この回のドラマでは、源二郎、茶々、そして秀吉の三角関係に関わる出来事が、終盤までストーリーを引っ張ります。
 少し説明しますと、前回第18話で、茶々は、上洛した源二郎の父、昌幸と秀吉の対面が実現するようとりなします。今回、彼女はその見返りとして、秀吉から入ることを禁じられている蔵を見に源二郎を誘います。蔵の中には武具。そこで茶々は秀吉から側室に請われていることを告げます。
 2人の〝蔵探検〟は噂となって秀吉の耳にも入りますが、源二郎は否定。秀吉は「そちを信じる」と告げます。

 そうした中、秀吉は完成した聚楽第に茶々を招きますが、ここで〝事件〟が起こります。
 何気ない会話の中、茶々が「またいっしょに蔵を見ましょうね」と、うっかり漏らしてしまうのです。
 「よくもわしを騙したな」と源二郎を詰問する秀吉。当然、観る側は「ピンチに陥った主人公はどうなる」という視点でかたずをのみます。
 ところが、なんとドラマは、ここから「秀吉の求愛と茶々の許諾=豊臣(源二郎含む)の終わりの始まり」という重要な転換点の描写に一気に移るのです。

 秀吉は「行った蔵はどこだ」と尋ね、源二郎は武器庫であると答えます。秀吉は近くに茶々を呼び、蔵に近づくのを禁じたのは、彼女に忌まわしいものは一切見せたくなかったからだと話し、「今まで見てきた忌まわしいものの何倍もの美しいものを見せるのがわしの償いだ。最後のときには、自分は日の本一の幸せな女子だと言わせると誓う」と抱き寄せます(ご存じのように、茶々は秀吉によって父母や兄を殺されています)。

 おそらく三谷幸喜は、この秀吉、茶々の重要な場面を、主人公、源二郎が立ち会ったシーンとして描きたかったのだと思います(同じ場面でも、源次郎がそこにいたのか、あとで聞いて知ったのかで、持つ重みがまったく違います)。
 と考えると、源二郎、茶々、秀吉の三角関係にまつわる出来事は、まさに3人によるこのシーンを描くために作られたプロットであったことが分かります。
 実は、この三角関係話はドラマの16回目から始まっています(茶々と噂になった家来が、秀吉のやきもちにより3人も命を落としていることを源二郎が知る)。
 主人公のピンチという分かりやすいプロットで視聴者を引っ張りつつ、最も重要な場面に違和感なく誘う、しかも前触れなく意表をついてそのシーンは始まる、この手管はやはりさすがと言わざるを得ません。


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 なおラストの〝輿入れ〟のシーンで、源二郎と石田三成が奥の入り口の前で茶々を見送る際、三成は「この縁組みは、殿下が信長公を超えるということ。これからどこに向かうのか」とつぶやきます。
 さらに寄り添う秀吉と茶々のツーショットに、「これは間違いなく、秀吉政権が崩壊に向かう第一歩であった」とナレーションが重なります。

 ラスト前までの流れが、チープなドラマにありがちな〝説明〟ではなく、シーンで描かれていただけに、三成の台詞は説明的すぎ、と感じましたし、ナレーションはまさに「そのものずばり」です。
 ただ映画や舞台と違って〝お客さん〟が家庭という日常の中にいるテレビドラマでは、やはり「より分かりやすく!」が基本。最小限度、必要な〝説明〟であることは理解できます(ただやっぱり三成の台詞はなくてもよかったかも・・・など、くだくだ考えるワタクシでありました)。


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 最後にもう1点。
 「真田丸」は、三谷幸喜お得意の群像劇ですが、この回で茶々が担う重みは格段に上がりましたよね。
 茶々は、日本の歴史を見渡しても例がないほど特異な境遇に置かれた女性です。生い立ちゆえの悲惨な境遇とつかのまの栄華、周りを破滅に巻き込んでしまった人間としての〝負〟の部分・・・。
 ひどいものでは毒婦のような描き方をする作品もありますが、今回、制作陣は、人としての彼女に誠実に向き合ってドラマ作りを進めていると感じます。

 自身が予感する〝最後〟の日に向かって、茶々がどう生きるのか、ドラマを楽しむ視点がさらに増えたように感じます。



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