かつて別ブログに掲載していた記事を再掲載する「アンコール・私の好きな旭川」。
今回は、2011年に4回シリーズで掲載した「ワタシの好きな旭川・常盤公園スペシャル」の1回目、「もう一つの神社」です。
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<ワタシの好きな旭川・常盤公園スペシャル① もう一つの神社>(2011年8月1日掲載)
まずはこちら。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/07/9a68ff047c0b286d01f4ab3bd3fdc5a9.jpg)
旭川市民ならおなじみですよね。
常磐公園にある「屯宮(とんぐう)さん」、大正13年に造営された上川神社の仮宮です。
ワタクシにとっては初詣と言えば、この屯宮でした!
ただ、きょうご紹介するのは屯宮ではなく、かつて常磐公園にもう1つ(2つ?)あった神社のお話です!!
「常磐公園に屯宮以外の神社があったなんて聞いたことがない!」と、お思いの方も多いかもしれません。
実はワタクシもそうでした。
ところが、ところが。
先日から進めている昭和40年代の常磐公園の姿を机上で再現するプロジェクト(「なつかしの常磐公園プロジェクト」と名付けました)の中で、複数の方から「公園の一角に小さなお社があった」という証言が寄せられたんです。
さっそく神社があったという場所に行ってみました。
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訪れたのは、道立美術館のとなりにある駐車場の向かって左にあるスペース。
公園の敷地なのですが、その一角だけ〝へそ〟のように住宅地に飛び出たちょっと変わった場所です。
(写真でお分かりのように、少しこんもりしていて、木や草が生い茂っています)。
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住宅地側から見るとこんな感じ(遠くに天文台が見える)。
近くにある「俊栄寺」のご住職にうかがったところ、やはり、この一角の一段高くなっているところに「弥彦(やひこ)神社」、そのとなりに「桃太郎神社」があったことが確かめられました。
住宅地側と公園のグランド側に、鳥居も2つあったそうです。
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弥彦神社が建っていた場所
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地図で示すと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/3b/6f759ee6987bc84091e757dc506ec6c4.jpg)
桃太郎神社の脇にあった「おみくじ販売機?」の基礎
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道路を挟んでグランド側に建っている灯篭(おそらく2つの神社に関係したもの)
さらにこの場所に神社を建てたという方のお孫さん(といってもワタクシより年上ですが)の話も聴くことができ、以下のようなことが分かりました。
①時期は不明だが、神社は旭川市の長谷川石太郎さんという方(故人)が、公園内の土地を借りて建てた。
②長谷川さんは新型県出身で、ふるさとにある「弥彦神社」にちなんで神社を建てたと思われる。
③昭和50年代に、市から土地を明け渡すように要請され、神社の建物を撤去。御神体は、初代宮司が新潟県出身だったことから旭川郊外の「鷹栖神社」に託され、現在も境内にある「六号神社」に合祀されている。
*なお神社が建てられた年代については、昭和55年に書かれた旭川ゆかりの小説家、評論家の佐藤喜一氏のエッセーに、「50年前は、弥彦神社と旧庁立女学校、日章小学校を挟んで牛朱別川が流れ・・・(「旭川常磐公園界隈・今と昔」より)」という記述があることから、昭和5年ころにはすでにあったと思われます。
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神社のスペースの脇にある「御大典記念樹」と書かれた石碑
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「○長、長谷川」の屋号と文字が(この長谷川さんは石太郎さんの弟とのこと)
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御神体が移された鷹栖神社境内の「六号神社」
新潟ゆかりの「弥彦神社」と並んでなぜ「桃太郎神社」と名付けられたお社が建てられていたのか、そもそも「桃太郎神社」も長谷川石太郎さんが建てたのか、など、まだ分からないこともたくさんあるのですが、先日、神社ゆかりの品を撮影することができましたので、最後にご紹介します。
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これです
「桃太郎神社」にあったという獅子舞の獅子頭です。常磐公園の管理事務所で保存されていました。
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アングルを変えると
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同上
公園の管理を担当している「旭川市公園緑地協会」によりますと、神社の建物を撤去する際、さまざまなものが処分されたそうですが、当時の担当者が「この獅子頭は取っておくように」と後輩に伝え、その後も代々引き継がれてきたそうです。
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かぶると
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獅子頭が保存されている管理事務所(その後、獅子頭は博物館に移されました)
今回は、「なつかしの常磐公園プロジェクト」で発掘した情報を、「ワタシの好きな旭川・常盤公園スペシャル・その①」として紹介しました。(あまりにいろいろな情報が集まったため、調査に時間がかかり、1回目の報告が遅くなってしまいました。恐縮です)。
情報を地図にまとめる作業はまだ続いていますが、
確認できた情報は、随時、このブログで紹介していきたいと思います。
ぜひご期待ください!