かつて別ブログに掲載していた記事を再掲載する「アンコール・私の好きな旭川」。
今回は、2011年に4回シリーズで掲載した「ワタシの好きな旭川・常盤公園スペシャル」の最終回、「文化・スポーツの拠点」です。
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<ワタシの好きな旭川・常盤公園スペシャル④ 文化・スポーツの拠点>(2011年9月13日掲載)
まずはこちら。
どこか分かりますでしょうか。
旭川にお住まいで、一定年齢以上の方なら「何となく見たことがあるような」と思われるかもしれません。
ヒントは、壁にある山並みのようなシルエットです。
「あっ」と思われた方もいるかもしれません。
では、こちらの写真です。
今から43年前、最初の写真と同じアングルから写された写真です。
実はここ、常磐公園にある「旧青少年科学館」の一室。
かつて、プラネタリウムとして大勢の市民でにぎわった場所なんです。
旧プラネタリウムの入口(現在は絵本の読み聞かせなどに利用)
「旧青少年科学館」のプラネタリウムは昭和38年の開館とともにオープン、
平成17年に新しい市の科学館が完成するまでなんと41年間に渡り市民に親しまれました。
内部
壁にはプラネタリウムから見た東西南北の風景が描かれている(今も残されていることに感動!)
他の街の方向も
投影機は、ドイツ名門「カール・ツァイス」製!
もちろん今のようなコンピューター制御のものではなく、すべて手動でした。
この投影機、今は旭川駅裏の再開発地区、北彩都(きたさいと)にある新科学館の中に展示されていて、往時をしのぶことができます(近くには前回紹介した「市立天文台」の望遠鏡も置かれています)。
新科学館の一角に置かれたレトロな投影機
この形、見覚えがありました!
市天文台に置かれていた望遠鏡
このなつかしいプラネタリウム、ワタクシは特に天文ファンということではなかったのですが、前にもお話しした通り、常磐公園や科学館自体が自分の遊び場だったことから
何度も(何十回も?)見たと記憶しています。
ということで、またまた前置きが長くなってしまいましたが、「ワタシの好きな旭川・常盤公園スペシャル・その④」、最終回の「文化・スポーツの拠点編」です。
「サイパル」の愛称がついている新科学館
今回のブログに登場する主な施設
◆その①・・・「図書館通り」は文化の拠点
続いてはこちら。
中央図書館などがある常磐公園の東側は、現在、「図書館通り」と呼ばれていますが、昔から旭川の文化の拠点でした。
旧青少年科学館
昭和40年代
先ほどのプラネタリウムがあった「青少年科学館」は、通りの一番奥、現在も「常磐館」と名を変え、「旭川文学資料館」や「放送大学」の施設として利用されています。
青少年科学館の内部
今考えると博物館的な機能もあったのでしょうか。
当時の科学館には、科学の仕組みや成果を説明するさまざまな展示物に加え、たくさんの昆虫や生き物の標本、鉱物の標本などが展示されていました。
青少年科学館の内部(昭和40年代か)
同じアングルから現在の様子(壁の絵が同じです!)
プラネタリウムに通じるドアの上にあるレリーフ(これも当時のまま残されています)
その手前、「勤労青少年ホーム」(現在「川のおもしろ館」)を挟んで建っていたのが図書館&公会堂の一体となった建物です。
公会堂(手前部分)と図書館(奥の少し前に飛び出た部分・昭和33年)
このうち公会堂(今も現役です)は、市民会館ができる前は旭川では唯一の公立のホールでした。
ワタクシはここで吉田拓郎や井上陽水、かぐや姫や2人組だったころのオフコースなどたくさんのアーティストのライブ(当時はコンサートと言っていましたよね)を見ました(当時はフォークブームに火がついた頃でした)。
落成時の式典(昭和33年)
体育館(昭和40年代)
公会堂&図書館のとなりは前回ご紹介したように市の体育館でした。
中学生の頃だったでしょうか。
ここでは、なんとベートーベンの第9交響曲を聴いた思い出があります。
おそらく公会堂では合唱団を入れるスペースがなく、体育館で演奏することになったものと思われます。
体育館の内部
◆その②・・・「温泉卓球」ならぬ「公園卓球」!?
常磐公園と卓球。
一見、つながらないように思えますが、昭和40年代、少年たちにとって、常磐公園は卓球をしにいく場所でもありました。
このブログで何度も登場している売店の「大中(だいなか)」さん。
かつては店の裏に卓球場があって子供たちでにぎわっていたんです。
卓球場には4台ほど台がありましたが、床はなく、土間にそのまま置かれていました。
大中さん(この店舗の裏に卓球場があった)
小学校高学年ころのワタクシにとっては、
●友達と連れ立ってまず大中さんの裏で卓球をやり、
●そのあと店でジュースやアイスを買って一息、
●さらに青少年科学館に寄って展示を見てから家に帰る、
というのが常磐公園を楽しむフルコースだったように覚えています。
またその後できたトキワ広場の脇の卓球場(なんといまでもあります!)でもよく卓球をしました。(ここは大中さんよりは本格的な卓球場で、大人も多かったように記憶しています)。
今もある公園近くの卓球場
こんな風に卓球は良くやりましたが、別に本格的に打ち込んでいたのではありません。
当時は、卓球にしろ野球にしろ、子供たちはスポーツというより遊び感覚で気軽に楽しんでいたように思います。
このほか、常磐公園には、バレーコートやテニスコート、プールや弓道場がありましたし、今の自由広場には野球のグラウンドが作られていました。
常磐公園はスポーツの拠点でもあったのです!
にぎわうバレーコート(昭和31年)
現在もあるテニスコート
屋根がなかったプール(昭和46年)
現在は神楽地区に移築されている弓道場
野球のグランドがあった自由広場
◆その③・・・スケートリンクがいっぱい!?
多くの市民が野球やソフトボールを楽しんだグランドですが、冬はスケートリンクに変身しました(道外の方は驚かれると思いますが、北海道の北部、東部では、冬、土のグランドに水をまいてスケートリンクを作ります。小学校などで普通に見られる光景です!)。
今の自由広場のあたり(後ろの建物は旧登喜和園・昭和30年代か)
大人もたくさんいます(昭和30年代か)
休むところも(同上)
このほか、凍りついた千鳥ヶ池でもスケートをしたという記憶がありますが、驚いたのはこの写真です。
「北海道開発大博覧会誌」より
なんとスケートをしているのは前述の体育館の中。
体育館ができたのは昭和25年ですから、現在の室内リンクのような製氷設備はないはずです。
どうやって床にリンクを作ったのか。まさか水が漏れないように浅いプールのようなものを作って水を張って凍らせた!?
あのころの寒さ、建物の作りを考えると、ありえないことではなさそうです(そういえば、私が子供の頃、ストーブのないところでは、バケツの水など屋内でも簡単に凍っていました)。
昭和30年代か
このほか、近所の子供たちにとって、冬の常磐公園はスキーを楽しむ場所でもありました。
遊んでいたのは、小学校の低学年くらいまでだったでしょうか。
実は、ワタクシは天文台のある築山でスキーをしたと記憶していたのですが、ある方から「スキーをしたのは池中塔の近くの築山、天文台のある築山はあちこちに大きな石が置かれていて、滑ることができなかった」との証言が寄せられました。
当時の写真を見るとまさにその通り。
このデコボコさでは、スキーは楽しめません。
昭和20年代
◆その④・・・千鳥ヶ池の都市伝説
スポーツでくくるのは少し苦しいのですが、ここで公園の貸しボートについてのエピソードを。
良く知られているのが、「常磐公園のボートに一緒に乗ったカップルは分かれる」という都市伝説です。
でもワタクシが中学生、高校生のころ、デートの場所としては常磐公園はあまりにも目立ちすぎ、身近にボートを楽しむカップルはいなかったように思います。
ところであまり知られていませんが、この貸しボート、常磐公園ができた大正5年にはもうあったと記録されています。
ということは、あと5年で100年の歴史!のべにすると、いったいどれくらいの人が乗ったのでしょうか。
かつてのボート乗り場(大中さん提供)
ボートの手入れ(大中さん提供)
ボートの話になったついでに、一つうんちくを。
千鳥ヶ池の水、どこから引いていると思いますか。
実は、水源は2つ。
一つは地下水ですが、もう一つは何と忠別川(ちゅうべつがわ)。
すぐそばを流れる石狩川ではなく、わざわざ遠く離れた忠別川から水を引いているのだそうです。
これは、もともと旭川の中心部では、石狩川は防災の観点から利水には用いず、もっぱら忠別川の水を防火用水などに利用してきた歴史があるためなんだそうです。
(中心部では、流雪溝にも忠別川の水が使われています)。
公園のプールの近くに、看板の出ていない施設がありますが、これが中心部まで来ている忠別川の水を千鳥ヶ池に供給するためのポンプ室なんだそうです。
公園内にあるポンプ施設
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さて「ワタシの好きな旭川・常盤公園スペシャル」、4回に渡ってお届けしてきましたが、いかがだったでしょうか。
集まった多くの証言が、埋もれていた記憶を呼び起こすという効果もあり、かつての常磐公園の姿をかなりはっきりと描くことができたように思えます。
また常磐公園が少しずつ姿を変えながらも多くの市民に愛され続けてきたことを、改めて感じることができました。
集まった情報は、1枚の地図にまとめたいと思っています。
証言や資料を寄せていただいた方には、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
(注・白黒写真は、大中さん提供のものを除き、
旭川市中央図書館および旭川市博物館の所蔵資料です)。