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写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

昭和50年の買物公園映像

2020-11-17 23:00:00 | 郷土史エピソード
久しぶりの記事アップです。
このところ市民劇関連で、大正〜昭和初期の旭川に関する記事を数多く掲載していましたが、今回は比較的新しい時代(といっても40年以上前!)の話題です。
先日、オープンして間もない頃の買物公園を撮影した貴重な8ミリフィルムを入手しました。
撮影年は、買物公園のオープンからちょうど3年が経った1975(昭和50)年6月。
撮影者は旭川を訪れた本州からの観光客です。
撮影時間はおよそ7分で、8条から始まって宮下まで、通りにある施設や彫刻、遊具などが丁寧に撮影されています。
今回は、静止画に落とした画像を使い、リニューアル工事前のかつての買物公園の姿をしのんでみようと思います。
なお、もとが8ミリフィルムですので、静止画も若干ボケ気味です。
ご容赦を!


◆8条 



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まず登場するのは、8条通りにあった買物公園の表示モニュメントです。
場所は、ちょうどいま手の噴水がある辺りか、その前くらいでしょうか。
6月は買物公園が誕生した月で、今も買物公園まつりが行われていますよね。
アーケードのところに買物公園のシンボルマークをあしらった飾りが付けられていますので、この年のまつりの期間中だったのかもしれません。
だとすると、撮影は6月の初旬となります。



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続いては8条の本通りからみた買物公園です。
右端にわずかに見えているのは、今のにちりんさんのお菓子屋さんでしょうか。
隣は工藤陶器店、一段低くなったところはあさひ帽子屋さん。
その向こうには飲食店や子供の頃よく通った谷口玩具店(玩具店と言っても駄菓子やくじ引きなど子供相手のお店)があったはずですが、よく確認できません。
そういえば当時の平和通には、いくつかアーケードのない場所がありましたが、この8条の7丁目側もアーケードがありません。
当初から作られていなかったような気がします。



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こちらは8条から駅方向にカメラを向けています。
こんな大きな噴水があったんですね。
何度も通ったはずなのに、あまり記憶にありません。
遠くに見えている高いビルはこの年開業したまるせんデパート(4条通7丁目)です。


◆7条 



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今も同じ場所にある高原理容店の前からの撮影です。
手前にあるのは三角柱と半円ドームを組み合わせたような形の掲示板です。
ポスターなどが貼られていたと思います。
その向こうのアリナミンの看板のお店は青木薬局ですね。
現在は、まちなかぶんか小屋として利用されている建物です。



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7条といえばこれ。
彫刻家、中井延也さん(常盤中学の先輩です!)作の開拓のイメージです。
買物公園&七条緑道のシンボルですよね。



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カメラはその緑道にも向けられています。
こちらは8丁目側。
そういえば緑道もリニューアルされていますので、かつての姿です。



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そして7丁目側。
彫刻は旭川育ちの偉大な彫刻家、加藤顕清の「婦人像・着衣」ですね。
このフィルムに写っている彫刻の多くは、買物公園のリニューアルに伴って移設されていますが、この作品は今もほぼ同じ場所にあります。



画像10−1


画像10−2 現在の「男子座裸像」(緑道7丁目)



当時は開拓のイメージの北側・南側にも加藤顕清の彫刻がありました。
まずは北側。
7〜8条の仲通りのところにあった「男子座裸像」です。
現在は緑道(7丁目)に移されています。




画像11−1


画像11−2 現在の「思惟像」(緑道6丁目)



そして南側にあったのが「思惟像」です。
この彫刻も現在は緑道(6丁目)に置かれています。
像の左に「まむし」でおなじみの深田の薬屋さんが見えています(今も健在!)。
子供の頃、この前を通るたびに目についたのが、何かの液に浸された瓶入りの蛇(あと、何かの動物の骨もあったような・・・)。
気味が悪いとは思いつつ、つい見てしまう。
そんな気持ちだったことを思い出します。



◆6条 



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写っているのはテント型の日よけとベンチ。
雨の日は雨よけにもなります。
手前にあるのは、かつてデパートの屋上や遊園地などにあった子供向けの乗り物遊具です。
この時期の買物公園には、この他にも様々な遊具が置かれていました。
今よりもより「公園的」だったことがわかります。



画像13


これも子供向け。
買物公園の中ではかなり大きな施設。
丸太小屋をイメージしたすべり台です。
その左(7丁目側)はかつて男山酒造があったところで、当時は空き地でした。
このあとここにはボーリング場やゲームセンターなどが入った須貝ビルが建ちます(今はまた空き地=駐車場になっています)。
ここもアーケードはありません。



画像14


同じブロックにあったピーターパンの像です。
ただこれもまったく記憶にありません。
赤い看板は小林写真館による「コバヤシDEP」。
写真の現像屋さんですね。
時代を感じさせます。


◆5条



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中央に写っているのは屋外型のショーウインドウです。
この時期の買い物公園にはあちこちにありました。
その右にはフジ川商店が見えています。



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5条本通りの向こうに見えているのは小林かもじ店です。



画像17−1


画像17−2 現在の「人間像・青年」(緑道6丁目)



キノコ型のベンチの右に見えているのは加藤顕清の「人間像・青年」です。
この作品も今は緑道(6丁目)にあります。


◆4条 



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ようやく4条です。
ここにはいまは8条にある手の噴水がありました。
デザインには、美術にも造詣が深く、自身でも絵を書いた当時の五十嵐広三市長が深く関わっていたと伝えられています。
最初の方で触れたまるせんデパートの姿も確認できます。



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そしてここにはカラフルなテント状の屋根がついた施設もありました。



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かなり見にくいのですが、中にいるのは鳥。
小鳥の楽園と名付けられていたようです。


◆3条



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続いて3条通りには、ご覧の花時計がありました。



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ただこのブロックにあるこの彫刻。
子供のように見えますが、何という作品か不明です。


◆2条



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2条です。
写っているのはアニマル遊具。
ここにあるのは海の生き物です。



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こちらは陸の生き物。



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この時期の買物公園はブロックごとに愛称がありました。
ここは「愛の広場」と名付けられていたようですね。
描かれているのは原始人。
買物公園には、原始人の家族のシンボルキャラクターが作られていたようですが、その一人と思われます。
人間本来の自由な空間を象徴しようと、このようなキャラクターが作られたのではと思います。



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そしてこれも買物公園の象徴!
佐藤忠良の「若い女」です。
今も2条に置かれていますよね。
彫刻の右に見えているのは、マルカツデパートです。



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そのマルカツ前から、当時隣りにあった丸井デパートの屋上の看板を写しています。



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カメラを下げていくと、マルカツの壁にこんな看板が。
当時、中にボーリング場があったのですね。


◆1条



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1条の顔は、明治の昔から丸井デパートでした。
この撮影から3年後の昭和53年、いまフィール旭川となっている8丁目側に移るまでは、長く7丁目にありました。
画像では、噴水の右側に当時の丸井デパートが見えています。
1条本通りを挟んでカラフルな看板のビルは長崎屋(今のEXC)です。



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このブロックの屋外ショーウインドウには、今も健在なトクノさんの靴が飾られています。



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1条本通りから駅方向を撮影しています。
右に長崎屋、左に宮下通で建設中の西武デパートが見えています。


◆宮下 



画像33−1


画像33−2 現在の「母子像」(緑道5丁目)



いよいよ最後、宮下通です。
彫刻はおなじみ加藤顕清の「母子像」です。
駅から降りて買物公園に向かうと、この作品が迎えてくれました。
現在は七条緑道(5丁目)に移されています。



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「母子像」の左にある西武デパート(のちの西武旭川店B館)は、撮影の2か月後の8月8日が開店日です。
さらにのちのA館(ams旭川)が、3年後の昭和53年9月に開店します。
この頃の旭川は、大型小売店が立ち並び、全国有数の流通業界の激戦地と呼ばれていました。



画像35


映像は、たどってきた道を振り返ったカットで終わっています。
手前から、長崎屋、丸井今井、マルカツ、そして遠くにまるせんのビル群。
まるで「母子像」の親子がそうした姿を眺めているように見えるカットです。


いかがでしたでしょうか。
リニューアル前の買物公園。
最初の方でも書きましたが、何度も目にしているはずなのに記憶にない施設、光景もありました。
いつも思うのですが、街の歴史はそこに生きた人びとの思いの積み重ねです。
時代が進むに連れ、街の姿が変貌してゆくことは必然ですが、あとに続く人たちが先人の取り組みにいつでも思いを馳せることができるような工夫(例えばホテルのOMO7では、市役所側の壁面が、ルーツであるかつての北海ホテルの姿をあしらったデザインになっていますよね)が必要ではないかと思います。