日々感謝

~毎日の出来事・出会い・すべてに感謝。そんな医心堂です~

1年のマラソンレースを振り返る。

2022-12-29 21:26:00 | 日記
2022年もあと2日。
今年の前半はコロナでマラソン参加を辞退するレースが多く中盤は右膝の痛みに苦しんだ。
後半は日本の各地に出向いて様々な大会を楽しむことができた。

1月はハイテクハーフマラソン(東京)とトライアルハーフマラソン(静岡)にエントリーしていた。どちらも開催されたが私は万が一感染した場合のことを思い、出場を諦める。

2月は1番楽しみにしていた別府大分マラソンがあったが、こちらはエリートランナーのみの参加に絞られ一般ランナーの出場は叶わなかった。
翌週の昭和記念公園でのフルマラソンチャレンジは東京ということもあり、こちらも出場を諦める。
3月は京都の丹波篠山マラソンが中止になり、参加は叶わず。
3月の中旬あたりから右膝に違和感を感じるようになる。
そして3月の終盤にあった静岡トライアルマラソンを途中リタイア。右膝の痛みもあったが根性が足りなかった。
そして翌週の穂の国豊橋ハーフマラソンではハーフマラソンであるにもかかわらず、14kmでリタイア。
一度諦めることを覚えると癖になることを知った。

そして4月の焼津マラソン。
こちらは5kmという短い距離にエントリーしたため右膝の痛みの影響は受けることなく、念願の焼津マラソンで2番目に高い表彰台に登ることができた。
しかし翌週の富士五湖ウルトラマラソン100kmでは66kmで今年3回目のリタイア。

右膝は一進一退で練習で走れないほどではないが痛いという状態で5月の山中湖マラソン13.4kmを走る。リタイアはしなかったが、この短い距離の途中でも何度も歩いてしまう。
諦めることが完全に癖になっていた。

その後はずっと右膝の痛みに苦しみ走れない期間、鍼灸院に通うことを経て、8月末の北海道マラソン3週間前に何とか完治。
しかし北海道とはいえ8月の暑さに負け、結果は許容しかねるものだった。
ただフルマラソンを走っても右膝が再発しなかったことは大きな収穫だった。

そして10月浜名湖マラソン10km。
こちらは6位という結果でギリギリ表彰台に上がることができた。

そして2.2倍という人気の抽選に当たり走ることができた金沢マラソン。
2時間53分と自己ベストを更新することができ嬉しかった。そして何より歩かず最後までしっかり走れたことは自信になった。

そして11月はこちらも人気のつくばマラソンに初参加。
金沢マラソンには及ばないものの、こちらも最後まで歩くことなく走れて更に自信を深めることができた。
翌週のジュビロ磐田ハーフマラソンは静岡のライバルランナーと競える大会。
浜名湖マラソンに続きこちらも6位でギリギリ表彰台に登ることができた。
3週連続となる富士山マラソンは散々な目にあった。20kmでリタイアを申請してタイム測定チップを取り外したものの回収バスが来るのは、4km先の救護所だからそこまで歩いてくれと言われ、4kmも歩いて救護所に行くと回収バスが来るのは2時間後だから、走ってゴールした方がいいと言われ、結局42.195km走る羽目に。
しかし計測チップは外してしまっているので公式にはリタイアというさびしい結果だけが残る。

12月は北海道に続き、飛行機での遠征。
宮崎の青島太平洋マラソンに参戦。
金沢マラソンに次ぐセカンドベストでフルマラソン完走に対する自信を深めることができた。
翌週の富士スピードウェイを走るハーフマラソンはまたしても今年3回目の6位という結果。しかし5位までが入賞のため、表彰台に登ることはできませんでした。

そして年内最後のレースはビヨンド。
自己ベストを破壊するための大会。
30kmまでは満足の行く展開であったが、その後失速してリタイア寸前の結果に。

こう思い起こしてみると本当にたくさんのお金を使った。しかしそれにも勝るたくさんの思い出を作ることができた。

「思い出はプライスレス」
私が3年前に山口県の防府マラソンを走りに行くときに「贅沢かな⁉︎」と迷っていた時にランナー友達に言われた金言。

コロナで大会が次々と中止になり、まさにこの言葉の重さがわかった。

これからも思い出になることにお金を使って行きたいな。

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ビヨンドレース当日

2022-12-29 19:53:00 | 日記
昨夜は21:00前には就寝して5:00に起床、
睡眠たっぷりで大浴場に向かい朝風呂。
水戸駅から会場までシャトルバスが出ているのだが運良く、宿泊したホテルの目の前がシャトルバス乗り場。
シャトルバスというと必ず満員で乗るものだが、乗っているのは4人しかいないVIP扱いである。
おまけにシャトルバスの中でいきなり主催者やゲストのトーク動画が流れる粋な演出。



箱根駅伝山の神、神野大地

人気ランチューバーのたむじょー

必然的にテンションが上がってくる。

1時間ほどシャトルバスに乗ってレース会場である城里町テストセンターに到着。


会場の広さに驚く。
更衣室はしっかりあるが、どこで着替えても全く問題ないし、トイレも並ばなくていいし、ノーストレスでした。

10:50からのスタートなので、余裕があり会場を散策していると人気ランチューバーのたむじょーと親友役のたけくんが歩いていたので、写真を撮ってもらう。

たむじょーのお決まりのポーズ「それではやっていきましょう」をしたが上げた脚が逆でした。(がっかり)

親友役のたけくんとも!

更に歩いていると私と同じランシャツを着ている人が!
顔をみてみると私のランニング師匠である高橋武蔵さん。明日は武蔵さんが運営するランニングクラブのスピード練習会。
3分/kmという箱根ランナーのスピードで走るという凄まじいスピード練習会の前の日にフルマラソンを走るという考えられない荒業。
お互い検討を誓い合ってグータッチをして別れる。

スタートは10:50からだが最初にスタートするのは超スーパーエリートなよ13人しか出れないF1ビヨンドというカテゴリーの人たちがスタート。その中に我が師、武蔵さんもいた。

そこから1分おきに2時間30分を切りたいカテゴリー。
その後2時間35分、2時間40分、2時間45分、2時間50分、2時間55分…と5分ごとにあらかじめ申請してある自分の目指すタイムのカテゴリーからスタート。
私は2時間50分のカテゴリーだが同じ2時間50分のカテゴリーは1と2に分かれていたため私がいた1のカテゴリーからは30人ほどしかいないので楽々のスタートである。
2時間50分のペースメーカーも10人もいて、何も考えずペースメーカーのペースに合わせて尚且つ風避けに使わせてもらい悠々と走る。
自分で考えずペースメーカーのペースで走ることがどれだけ楽なことか改めてわかった。しかも周りに走っているランナーもみんな同じ目標の2時間50分を切りたいランナー達。目的も実力もほぼ同じ人と一緒に走っているので敵ではなく同志である。

コースもほぼフラットで道幅も広く、本当に記録を出すために設定された大会だという意味がよくわかった。

全てが好条件(強いていうと気温が暑かった)で呼吸も苦しくならず、体力的にも余裕がある。
これは今日こそは間違いなく目標である2時間50分が切れると確信しながら走っていた。
15kmを過ぎた辺りからであろうか一緒に走っていた同志が1人2人と落ちていき集団は30人から20人ほどに縮小されていた。

私は30kmの通過が1時間59分45秒と目標の通過タイムの2時間を切っていて順調に歩みを進めていた。
がしかし余裕で走っていたつもりが急に身体の力が抜けていく、歩いてしまうときの嫌な感じが影を落とし始める。

マラソンの常識"30kmの壁"なのか⁉︎
今年は金沢マラソン、つくばマラソン、青島太平洋マラソンでは、歩くことなく走ってゴールできていたので、歩き癖は克服できたと思っていたのに。

ペースメーカーに付いていくことを諦め、何とかペースを落とし35kmまでは苦しみながら走ったが後ろから来る2時間55分を目標の集団に抜かれていく。
そして追い討ちをかけるようにスタート時点では無風状態だった会場に強い風が吹き始め給水用の紙コップが飛ばされている。

ここで完全に心が折れてしまい、いつもの歩き癖が出てしまう。

ゼッケンは普通の大会と違い番号ではなく、自分の氏名が書かれているため、沿道にいる応援している人からは「石川さん頑張って!諦めないで!」と名指しで応援してもらう。

せめて3時間以内でゴールしたいところだったが結果は3時間8分13秒。



ゴール後は完走賞として年越し蕎麦をもらいました。



出だしは身体も軽く、間違いなく目標達成できると思っていたのにがっかりでした。しっかり完走できた3レースと何が違ったのか?考えてもわからない。

とりあえず大本命である2/6の別府大分マラソンに向けて、課題はスタミナだと判断した。
残り1か月余り、早速明日からロングジョグを開始する予定です。
結果は残念であるが課題が見つかったとポジティブに考えるしかない。

下を向かず前を向いて歩いていると何と山の神、神野大地が目の前にいた。



たむじょーに続き、人気ランナー2人と写真撮影というラッキー。

年末年始は呑まずに走ることになりそうだ!







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