島田大井川マラソン走ってきました!というより半分は歩いてきました。
3月の静岡マラソンに次いでフルマラソンは2回目。
静岡マラソンは思っていたよりも楽々完走できたので今回はタイムも狙ってランナーの夢
2時間台を狙って走ることに目標を定める。
静岡マラソンの時と違って距離を走ることができて練習も積めている。
天気も静岡マラソンの風、雨と違い晴天。
若干、気温が高めなのと天気予報は雨なのが気になるがコンディション的には十分だ。
スタート地点にに並ぶとラッキーなことに杏林堂のランニングクラブのペースメーカーがいて背中に
3時間と書いてある。
「この人についていければ夢の2時間台だ」
1キロを4分15秒のペースで走れれば3時間以内で走れる計算になる。
混雑の中のスタートだったがこのペースメーカーは見事に1キロを4分15秒で通過する。
その後もずっと1キロ4分15秒のペースで狂いなし!
私も難なく、この人に着いて行くことができる。
「何だ、夢の2時間台はこんなに簡単だったんだ」
「何て言ってみんなに自慢してやろう」
なんてことを考えながら余裕を持って走る。
1個756円もする携帯用のドリンクを3個もポーチに忍ばせ早めに給水もして
順調に走る。
心配していた中間地点でも息を切らすこともなく通過。
ペースメーカーの人の背中をすぐそばに見ながら走る。
ところが・・・・・・
23キロを過ぎたあたりだったか急に体の力が抜けてくる。
まず上半身の力が入らなくなり腕が振れない。
「走れない」そう思った瞬間、歩き始めていた。
ここから私にとって地獄の始まり。
まず下腹部が急に痛くなる。下腹部が痛くなるは小学生のマラソン大会以来だろうか?
次に空腹感。携帯していたドリンクを一気に飲むが空腹感は治まらず。
次にあちこちの筋肉が攣り始める。ふくらはぎ、足の裏、足の甲、足の指
靴の中で足の指にコムラがかかり足の指がそれぞれ違う方向を向いてしまったような感覚。
歩くこともままならない。
救護員が駆け寄ってきて
「大丈夫ですか?心肺ではないですか?脚が攣っているのですか?一回座りましょう」
「心肺ではありません、脚が攣っているのですが座ることもできません」と私
「私が後ろから支えますので座ってください」と救護係の人に後ろから抱き抱えられる。
座っても足の攣りが治まるわけでもなく、どうしたらリタイアできるのだろうということばかりが
頭をよぎる。
10分ほど座ってからやっと歩き出せるが今度は意識が朦朧してきてフラフラする。
何度、救護員に声を掛けられただろうか?
ようやく33キロの給食エイドにたどり着く。
走っていて食べることなど考えたこともなかったが今回だけはあるものを食べ漁りました。
チキンラーメン、バナナ、焼売、餃子、唐揚げ、おでん、焼きそば
エイドにいた若いお姉さんたちから「脚が長いですね」と褒められていたがまさに「焼け石に水」
ボケて返答する余裕もなく「ありがとうございます」というのがやっと
満腹になったところでまたフラフラと歩き出す。
1キロがえらくツライ。
周りにも私と同じようにフラフラ歩いている人が多くみられる。
道端に倒れ込んでいる人も少なくないし、救急車の音もひっきりなしになっているように感じる。
私の友人や知人も参加しているのに私を追い越した形跡がない。
やっと一人の友人が私を抜いていくが彼もまた歩きながら抜いていく。
コースは基本フラットなはずなので走りやすいはずであるのにこれだけの脱落者がいるのか?
24キロ地点からは走ることなく必死に歩いてやっとのゴール。
最初の23キロまでは走っていて息を切らすこともなかったのに
24キロからは歩きながら肩で息をしている。
結果は4時間36分!
何と後半の20キロは3時間も死に物狂いで歩いていたことになる。
今の感想はもう2度とフルマラソンは走りたくないの一言である。
しかし来年の3月には静岡マラソンのエントリーを済ませてしまってある。(T_T)/~~
何が敗因なのかわからないがあと5ヶ月、再度2時間台を出せるためにはどうしたらよいのかを
考えていきたい。
3月の静岡マラソンに次いでフルマラソンは2回目。
静岡マラソンは思っていたよりも楽々完走できたので今回はタイムも狙ってランナーの夢
2時間台を狙って走ることに目標を定める。
静岡マラソンの時と違って距離を走ることができて練習も積めている。
天気も静岡マラソンの風、雨と違い晴天。
若干、気温が高めなのと天気予報は雨なのが気になるがコンディション的には十分だ。
スタート地点にに並ぶとラッキーなことに杏林堂のランニングクラブのペースメーカーがいて背中に
3時間と書いてある。
「この人についていければ夢の2時間台だ」
1キロを4分15秒のペースで走れれば3時間以内で走れる計算になる。
混雑の中のスタートだったがこのペースメーカーは見事に1キロを4分15秒で通過する。
その後もずっと1キロ4分15秒のペースで狂いなし!
私も難なく、この人に着いて行くことができる。
「何だ、夢の2時間台はこんなに簡単だったんだ」
「何て言ってみんなに自慢してやろう」
なんてことを考えながら余裕を持って走る。
1個756円もする携帯用のドリンクを3個もポーチに忍ばせ早めに給水もして
順調に走る。
心配していた中間地点でも息を切らすこともなく通過。
ペースメーカーの人の背中をすぐそばに見ながら走る。
ところが・・・・・・
23キロを過ぎたあたりだったか急に体の力が抜けてくる。
まず上半身の力が入らなくなり腕が振れない。
「走れない」そう思った瞬間、歩き始めていた。
ここから私にとって地獄の始まり。
まず下腹部が急に痛くなる。下腹部が痛くなるは小学生のマラソン大会以来だろうか?
次に空腹感。携帯していたドリンクを一気に飲むが空腹感は治まらず。
次にあちこちの筋肉が攣り始める。ふくらはぎ、足の裏、足の甲、足の指
靴の中で足の指にコムラがかかり足の指がそれぞれ違う方向を向いてしまったような感覚。
歩くこともままならない。
救護員が駆け寄ってきて
「大丈夫ですか?心肺ではないですか?脚が攣っているのですか?一回座りましょう」
「心肺ではありません、脚が攣っているのですが座ることもできません」と私
「私が後ろから支えますので座ってください」と救護係の人に後ろから抱き抱えられる。
座っても足の攣りが治まるわけでもなく、どうしたらリタイアできるのだろうということばかりが
頭をよぎる。
10分ほど座ってからやっと歩き出せるが今度は意識が朦朧してきてフラフラする。
何度、救護員に声を掛けられただろうか?
ようやく33キロの給食エイドにたどり着く。
走っていて食べることなど考えたこともなかったが今回だけはあるものを食べ漁りました。
チキンラーメン、バナナ、焼売、餃子、唐揚げ、おでん、焼きそば
エイドにいた若いお姉さんたちから「脚が長いですね」と褒められていたがまさに「焼け石に水」
ボケて返答する余裕もなく「ありがとうございます」というのがやっと
満腹になったところでまたフラフラと歩き出す。
1キロがえらくツライ。
周りにも私と同じようにフラフラ歩いている人が多くみられる。
道端に倒れ込んでいる人も少なくないし、救急車の音もひっきりなしになっているように感じる。
私の友人や知人も参加しているのに私を追い越した形跡がない。
やっと一人の友人が私を抜いていくが彼もまた歩きながら抜いていく。
コースは基本フラットなはずなので走りやすいはずであるのにこれだけの脱落者がいるのか?
24キロ地点からは走ることなく必死に歩いてやっとのゴール。
最初の23キロまでは走っていて息を切らすこともなかったのに
24キロからは歩きながら肩で息をしている。
結果は4時間36分!
何と後半の20キロは3時間も死に物狂いで歩いていたことになる。
今の感想はもう2度とフルマラソンは走りたくないの一言である。
しかし来年の3月には静岡マラソンのエントリーを済ませてしまってある。(T_T)/~~
何が敗因なのかわからないがあと5ヶ月、再度2時間台を出せるためにはどうしたらよいのかを
考えていきたい。