2022年もあと2日。
今年の前半はコロナでマラソン参加を辞退するレースが多く中盤は右膝の痛みに苦しんだ。
後半は日本の各地に出向いて様々な大会を楽しむことができた。
1月はハイテクハーフマラソン(東京)とトライアルハーフマラソン(静岡)にエントリーしていた。どちらも開催されたが私は万が一感染した場合のことを思い、出場を諦める。
2月は1番楽しみにしていた別府大分マラソンがあったが、こちらはエリートランナーのみの参加に絞られ一般ランナーの出場は叶わなかった。
翌週の昭和記念公園でのフルマラソンチャレンジは東京ということもあり、こちらも出場を諦める。
3月は京都の丹波篠山マラソンが中止になり、参加は叶わず。
3月の中旬あたりから右膝に違和感を感じるようになる。
そして3月の終盤にあった静岡トライアルマラソンを途中リタイア。右膝の痛みもあったが根性が足りなかった。
そして翌週の穂の国豊橋ハーフマラソンではハーフマラソンであるにもかかわらず、14kmでリタイア。
一度諦めることを覚えると癖になることを知った。
そして4月の焼津マラソン。
こちらは5kmという短い距離にエントリーしたため右膝の痛みの影響は受けることなく、念願の焼津マラソンで2番目に高い表彰台に登ることができた。
しかし翌週の富士五湖ウルトラマラソン100kmでは66kmで今年3回目のリタイア。
右膝は一進一退で練習で走れないほどではないが痛いという状態で5月の山中湖マラソン13.4kmを走る。リタイアはしなかったが、この短い距離の途中でも何度も歩いてしまう。
諦めることが完全に癖になっていた。
その後はずっと右膝の痛みに苦しみ走れない期間、鍼灸院に通うことを経て、8月末の北海道マラソン3週間前に何とか完治。
しかし北海道とはいえ8月の暑さに負け、結果は許容しかねるものだった。
ただフルマラソンを走っても右膝が再発しなかったことは大きな収穫だった。
そして10月浜名湖マラソン10km。
こちらは6位という結果でギリギリ表彰台に上がることができた。
そして2.2倍という人気の抽選に当たり走ることができた金沢マラソン。
2時間53分と自己ベストを更新することができ嬉しかった。そして何より歩かず最後までしっかり走れたことは自信になった。
そして11月はこちらも人気のつくばマラソンに初参加。
金沢マラソンには及ばないものの、こちらも最後まで歩くことなく走れて更に自信を深めることができた。
翌週のジュビロ磐田ハーフマラソンは静岡のライバルランナーと競える大会。
浜名湖マラソンに続きこちらも6位でギリギリ表彰台に登ることができた。
3週連続となる富士山マラソンは散々な目にあった。20kmでリタイアを申請してタイム測定チップを取り外したものの回収バスが来るのは、4km先の救護所だからそこまで歩いてくれと言われ、4kmも歩いて救護所に行くと回収バスが来るのは2時間後だから、走ってゴールした方がいいと言われ、結局42.195km走る羽目に。
しかし計測チップは外してしまっているので公式にはリタイアというさびしい結果だけが残る。
12月は北海道に続き、飛行機での遠征。
宮崎の青島太平洋マラソンに参戦。
金沢マラソンに次ぐセカンドベストでフルマラソン完走に対する自信を深めることができた。
翌週の富士スピードウェイを走るハーフマラソンはまたしても今年3回目の6位という結果。しかし5位までが入賞のため、表彰台に登ることはできませんでした。
そして年内最後のレースはビヨンド。
自己ベストを破壊するための大会。
30kmまでは満足の行く展開であったが、その後失速してリタイア寸前の結果に。
こう思い起こしてみると本当にたくさんのお金を使った。しかしそれにも勝るたくさんの思い出を作ることができた。
「思い出はプライスレス」
私が3年前に山口県の防府マラソンを走りに行くときに「贅沢かな⁉︎」と迷っていた時にランナー友達に言われた金言。
コロナで大会が次々と中止になり、まさにこの言葉の重さがわかった。
これからも思い出になることにお金を使って行きたいな。
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