新鹿山荘控帳

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高山長野紀行②高山陣屋と大原騒動

2009-05-26 17:55:50 | ドライブ
高山を去る日、一行は朝食後の時間を、朝市に行く人と高山陣屋に行く人に分かれました。私は陣屋に参加しました。

箱根の関所のように再現したジオラマ程度と考えていましたが、とんでもありません。徳川幕府が飛騨の材木などを支配するため、飛騨を幕府直轄領としました。
その御役所・郡代役宅・御蔵をあわせて「高山陣屋」と称します。その主要建物が現代まで現存し、全国唯一の徳川幕府郡代役所を復元修理されています。

江戸時代の巨大な蔵も、12棟のうち8棟が現存しております。役所内は撮影可でしたが、蔵の中の展示物は各所古文書等があり、撮影は禁じられていました。

その蔵の中の展示で大変興味深いものがありました。
1771年から約20年間続いた農民一揆の記録です。過酷な締め付けを行った郡代が大原氏であったため総称して「大原騒動」と言います。20年間に、明和騒動・安永騒動・天明騒動の3度の騒動が連続しました。

明和と安永では江戸の勘定奉行の役所への直訴や籠直訴で、多数の農民が死罪や遠島になりました。しかし最後の天明騒動では逆転農民にはお咎め無く、反対に郡代は遠島、役人は死罪になっています。

大原代官は苛酷な年貢の取立てで、郡代に出世しています。息子の大原郡代が幕府からの農民への年貢戻し金を農民には支払わなかったとかかなり酷い事をしています。

さて撮影許可の下りた役所内の面白い写真を紹介いたします。


高山陣屋表門と御役所。以下の写真は全て現存の江戸時代の役所の建物です。


役所内執務部屋にあった大火鉢。青海波の模様が面白く撮影しました。説明役の担当に確認すると、この模様は現在の掃除の女性達が均しているそうです。



江戸時代の大便器と小便器。参考になれば。


陣屋の台所の土間。このほかに板の間にも竈が二基ありました。


部屋の長押の釘隠しの金具です。各部屋の金具は全てこのデザインです。可愛いので撮影しましたが、先に外国人の女性が撮影していました。


三部屋続きの大広間の、一番上座の部分。右手の長押の金具はやはりウサギです。


刑法犯用の御白洲。責め台と抱き石が見えます。大原騒動に時はここで農民が責められたのでしょうか。

代官の奥方の部屋が奥にありましたが、とりたてて紹介する物は有りませんでした。

考えさせられた一日でした。

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