葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

遅ればせながらエンジン始動を

2011年01月17日 15時09分25秒 | 私の「時事評論」
無為に過ごした正月



 関東地方は穏やかな新年だったが、寒の入り頃から急に寒くなり、大寒を前にして、朝には時々結氷を見る。ここ数年、雪、氷、霜柱などはほとんど経験せぬ当地の冬だが、夜は思わず暖房を入れたままで寝たくなるなど、おかげで冬という時期を久しぶりに体感している。

 正月以来、昨年持ち越しの前に進まぬ雑務のみに追われ、新年のけじめもつかぬうちにもう小正月も過ぎた。このままでは、だらだらと貴重な一年が過ぎてしまう。自分の余命を考えよう。時は金なり。私はもう七十代の人生だ。身体のかなりの部分が耐用年数を超しているし、残された日々も短い。今年は無為に過ごしたが「来年があるさ」などと暢気な父さんを決め込んでいられる歳ではない。

 同世代の仲間が次々におかしな調子になっていく。昨年暮れに高校以来の仲間たちで忘年会を計画したが、その中の小学校以来の友が、数日前に突然片目が見えなくなり入院、脳梗塞の影響かと診断されて中止になった。このグループは総勢8人、60年近く交遊しているが、彼を含めてもう3人が老人特有の支障によって正常な交際に参加できなくなった。

 日常生活において私の社交は、かつては子供の結婚式や家の新築祝いや栄転など、明るいものが専らであったが、昨年は最も多かったのが仲間の見舞いや葬式、祝いといっても壇上に友が、あわれ腰を曲げ杖を衝き、辛うじて家人に支えられて立たされて、まるで人生送別会のような様になる古希の祝いの席などばかりが中心になった。



 ポインセチアと私



 毎年正月には大きなポインセチアの鉢を居間に飾り、チーズを肴に赤ワインを舐める。人知れず「俺は気障よ」と気取って悦に入るのが好きな私である。老人臭い園芸や盆栽などには無縁無粋の男だが、どうしたことか、このポインセチアにだけは凝っている。八年前の秋になるか、それまで日当たりのよい庭の広い家から今のマンションに越してきたときに、居間に飾る鉢でもと郊外の園芸センターに行ったときにこれを見つけた。

 かつての家には日の出から日没まで、屋根まで透明にして太陽がいっぱいに射すリビング兼サンルームを作っていた、そこに冬じゅう、ハイビスカスやペチュニアなどを季節外れの満開に咲かせ、その中にロッキングチェアーを持ち込んで、コーヒーを飲み、ワインを楽しんでいたのだが、引っ越しでそれがなくなる。そこで今度は妻と交渉の結果、マンションに確保した書斎にこの鉢を置いて冬の間を楽しむことにした。

 ポインセチアは我が国ではよく、クリスマスなどに飾られる。春に挿木をして夏から朝晩覆いをかけて日照時間を減らし、赤く葉の色づいたものを購入してひと冬楽しんで大方は一年で捨てる。この鉢は一回りもふたまわりも大きく、一年ものとは思えない見事な枝ぶりであった。これを長く育てようと。

 以来私は、この鉢だけは自分で世話をすることにした。春になると鉢を大きくして枝を落とし、夏からは短日処理をして大きな赤い鉢に育てて七年間、購入時には割り箸ほどだった幹の太さもスリコギのように太くなり、鉢の高さも私の肩ほどまでに育った。

 だが昨年は我が家の環境に大変革があった。老夫婦だけの我が家に春から、息子夫婦と小学校に入学する長男と生まれて間もない弟が同居することとなり、私も書斎を彼ら新所帯の寝室に明け渡すことになった。加えて鉢を世話する私の環境も大変化だ。お兄ちゃんの入学で息子の嫁は手が回らず、私にまでお鉢が回ってきた赤ん坊との社交、それに集中するあまりポインセチアの短日処理もいい加減になり時々忘れ、いつもなら真っ赤な葉の揃う正月になっても、まだまだ人口紅葉の操作は完結しない。いまでも半分くらいは青々とした緑のままだ。

 鉢を見ると、正月までもぼんやり過ごす私の頭の切り替えの悪さが、我が子ともいえるポインセチアに及んでいるような状態なのだ。



 私に比べてこの鉢は



 紅葉化も未完成のポインセチア、書斎の指定席がなくなった鉢を居間の片隅において、それでもこの鉢と語り合うようにチーズ、生ハムを並べて赤ワインを飲んだ。まだ紅葉化五分でき程度のポインセチア、だがしげしげと見ると精いっぱいにここまで育ってきたことが見て取れる。世話には恵まれなかったが、この環境下でも奮闘した跡も感じさせた。植物辞典などを見ると、この木の成長には、南方の樹木なので、約18度以上の気温が必要だなどと書いてある。だがいまの気温は昼間出す室外では0度から10度、それでもまだ、わずかずつでも紅葉は進んでいる。愚痴を言ったり葉先が枯れる気配もない。このけなげな生き方は見習うべきだ。

 環境は決して恵まれたものではなかった。だが未熟な育ちを環境のせい、自分以外のものの責任に押し付けて、この木は自らの、うまくいかなかった責任転嫁をしようとはしていない。どんな条件でも自分のやるべき営みはやめない。その生き方は貴重な手本になる。



 新しい世界ができるというのに



 政情不安で日替わり内閣の時代になって、内閣は一年も持たずに次々と交代している。閣僚の顔触れだけは変わるが国政には何の変化もなく、国会は空転、政治は停滞を続けている。まともな政治をするどころか、いまや政治のシステムまでが動かないような国情である。首相は「断固たる決意をもって根本的に政治環境を変える」などという言葉を繰り返し絶叫しているが、それが何とむなしく空々しく響くことか。西欧の単純模倣に日夜を過ごし、肌の黄色い西欧人になりたいと憧れて、独特の歴史を有する日本という個性を考えようとしなかった現代日本は、思想することを忘れて上辺だけの西欧に溺れた結果、西欧先進国の文明が行き詰りつつあるいま、その跡追いで心中させられようとしている。

 経済は長い間の西欧先進国の独占状態から、アジア、アフリカ、特に中国やインドなどが主役となる新しい時代に転換しつつあると言われている。振り返って眺めれば、それこそ日本が徳川の鎖国の夢を破られた時、日本を国際社会で生き残らせるために、維新の志士たちが描いた明治維新当時の夢、日本が世界に雄飛する環境が、ようやく現実になる時代が訪れようとしているのではないだろうか。

 あれから百五十年、そんな時代がやっと来て、祖先たちが描いた夢が実現されようとして来ているのに、夢を抱いていた日本はどうなっているのだろうか。そんな思いはすっかり消えて、ひたすら二流の西欧化路線のみを求めてしまった。これが現在の姿である。アジアの先進国として、アジアに、そして世界に貢献しようとしてきた日本の姿なのだろうかと思うと、先祖たちにすまない気持ちでいっぱいになる。

 真の共存共栄の理想を唱えるべき我が国の精神姿勢の停滞が、強引に力をつけ始めた中国の横暴ともいえる行動を許し、世界には荒波が立つだけの時代を招く結果になっていると言えないのだろうか。かつての優等生であった日本丸は政府がかじを取っても方向を変えず、エンジンを回そうとしても回路がつながらないままで漂流している。

 この国の進行を調整するのには先ず舵のままに曲がり、船長の指示のままに加速減速する本来の船の機能を修理して、良い船長を探し出し、日本の特性を生かした航路を定めて忠実に動かさねばならない。私はもうそれほど若くない。だが微力であっても、そのために私のできる分野で尽くすことによって、少しは貢献しなければ、そんな気持ちに駆り立てられる。もう少し残された人生を自分なりに生きたと実感できるものにしたいと思っている。

 だが、今日は調子が整わない、気分が乗らないなどと、あれこれ理屈を並べて時間を空費しているのではないだろうか。それでも先祖たちの継承をすべき、同じ日本人といえるのだろうか。私はこんなママでマイナス思考のまま、朽ちていくのか。

 ワインの酔いがいよいよ進む思いである。


 


  

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