葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

日韓関係と他の諸外国関係との異質性  第一編

2013年06月21日 11時05分55秒 | 私の「時事評論」

  

 近くて遠いが気になる国 

 

 時を逸した随想は無用のものになる。先月以来、何度も書き始めては中絶。そんな事情ではもう時効、わが記録としてだけでも残さんと思い記した文のなれの果てである。書かんとしたのは、簡単には親しくなれそうもない永遠の課題である日本と韓国(そして中国)との関係についてである。

 日本は韓国や周辺の国々に対しては、明治以来、大急ぎで身に付けた西欧理論や契約概念だけでは通用しない関係にあると覚悟せねばなるまい。とくにこれらの国とは、論争して理屈で言い争って勝ってみたところで、理屈とは別次元の感情対立の問題がその底にあるということを覚悟せねばなるまい。夫婦喧嘩をした二人に、仲裁をしてくれた人があって、不承不承に対立の根が取れた場合にどうなるかを想定する。また、円満で相思相愛の夫婦に戻れるか、そんな場合とよく似た関係を思い浮かべればよいだろう。

 

 現代の我が国民の思考は浅い。論で勝敗が決まれば心地よく友好関係が回復するような安易な誤解を持っている。国防論議などで話し合えば紛糾もが解決するとのマスコミや社民党などが常用する理屈がまかり通っているが、それは人間に感情がなく、機械のように方程式だけで動くと思いこんでいる空想論としか言いようがない。大切なのは、言い争った結果の決着よりも、むしろ両当事者が、親しくしなければならぬと思う感情が持てるかどうかの方が大きい。戦後の日本と韓国や中国の間には、日本から見れば、いままで何度も約束をして踏みにじられた思いが募っているが、それは条約や契約が彼らにとって日本と今後は親しく協力していこうとの思いを生みださなかったからに他ならない。どうやればそんな気分になるか、その方が大切なのだ。

 契約はどんな時でも守る。日本がその思いを相手にしっかり理解させないと、理屈で何度契約を重ねても意味がない。論理が決定的な武器になるとあまり評価してはいけない。教科書や書物だけで知識を得た人間には、気力と論理の重さを比較できない弱さがある。

 論理は人間の文明が生み出した道具にすぎない。精神や感情の基準にはなかなかならないものだ。隣接した異集団の共存関係や縄張り、そんなものは条約の概念もない動物集団の間にだってある。用は共存していかなければならないと思う環境なのだ。

 

 加えて、日本人には生来、穏やかな共存を望む文化的意識があるが、明治以来の日本が教科書で丸覚えしたようにして身に付けた論理には、上辺だけの輸入品である弱さがある。よその花を摘んできても、木に竹を接ぐようなことをしただけでは身について育たない。文明は人が生み出した作物であるなら、摘んできた花や実の姿だけを見ずに、その根も茎も、土のにおいまでも含めたものにしなければ力のこもった本物にはならない。

 

 日本が明治以来、取得した西欧文化には、とくに心や体臭がないことも忘れてはならない。それでも明治の時代には、日本は「和魂洋才」とのスローガンを立て、西欧から移入した異国文明を日本土壌に根付かせようと努力してきた。だから維新の創始者たちは、日本がいくら西欧技術を取り入れたとしても、その心の基本の土壌から西欧文化思想になる必要は感じていなかった。日本には独自に数千年かけて培ってきた大切な文明土壌があることを維新の先覚者たちは知っていて、その土壌を生き残らせるために欧米技術を道具として導入し、固有の日本文化の武装を試みたのだ。

 だが残念なことに、これは後に続く者、教えられて育ったには充分に理解されなかった。維新ののちに日本の大量に派遣した西欧文明摂取者及びその教えを受けた者たちは、ただ摘み取った花や実の華やかな姿のみに目を奪われ、それが西欧という土壌に咲いていることも理解せず、持ち帰っても日本の気質に合わせて育てるのを見落としてしまった。

 書籍などで覚えるだけで、香りも味もない表面だけの知識を習うだけ、文明の底の深さを無視した知識で、上辺だけを習っただけで現代科学技術を完全に吸収したと思った連中ばかりになった日本。西欧の本などをいくら読んでも、西欧の文化が、苦しみを乗り越えて西欧の共通の土壌を作ってきた背景などには触れていない。しかもその文化が、共通の価値観や思想・宗教を抱く者たちの間にだけは寛容で、その他の者には厳しく接する土壌に育っていることにも触れていない。日本は学ぼうとする西欧にとって、むしろ西欧が発展するために、従来利用してきた仲間たちが住む文化ではなく異郷なのだ。

 それをわきまえず彼らと接し、何度か契約を無視され煮え湯を飲まされたのが明治以来の日本の歴史だ。しかもその上に戦って敗れて、大人しく西欧文明に従って、そのために奉仕していればよいといわんばかりの憲法までを押し付けられ、半世紀以上その教えに従ってきたことも忘れてはならない。

 

 こんな環境自体を理解して、明治以来、在野の者と政府(知識人と思っているもの)の作り上げた文明をこれからでも、日本文化の土壌の上に移植して元気に育てるのが我々のやるべきことだと私は思っている。

 しかも、明治いらい、国を挙げて将来の道を模索したのは、当時残念ながら日本だけだった。それは日本という国が、様々な条件に恵まれて継続的に天皇のまつりを精神的柱として、独特の文化を中断させずに育てたからだろう。日本には失ってはならない文化があった。だがそんな時流には関係なく、アジアの韓国や中国の政府・そしてそこに生きる国民意識は、旧態依然の周りを読まない文化の中にいた。

 いまの日韓、あるいは日中関係には、そんな文化の違いも存在している。中国にとっても韓国にとっても、日本は昔ながらの中国が中心でその出先の国が韓国で、そのまた先が日本だとの潜在的中華思想が生きている。

 

 そんな前提の上に、根底に共通の文明の原則がないのに、日本は西欧国際常識に基づく条約などを結び、日本は条約を結べばこれで事態は解決するだろうと周辺国にも対応してきたが、ここは西欧ではなく中華思想や朝貢貿易で生きてきた東洋だということを見落としてしまった。ここにはキリスト教文明の土壌もなければ、西欧諸国のように、契約ではあっても、一度した条約は守ることに互いが努力しなければ、決定的に国は潰れるとの認識もない。

 

 (以下次号)


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