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好事魔多し

2005-08-17 11:27:21 | Weblog
 「一寸先は闇」「好事魔多し」とは良く言ったもの。他人の目には「順風満帆」に映り、安定航路に入ったかに見える人生も、時に大どんでん返しが待っている。
 私の人生の中で、それは自分自身にも起きたし、また周囲の人の身にも起こった。だから大抵のことは今では何が起きても「人生とは…」と訳知り顔で平静を装える。
 先日のこと、お盆開けに以前この場で宣言をしていた、「大災害発生時の報道ヘリ」の問題に取り掛かろうと、まずは東京都庁の担当者をインターネットで調べていたのだが、それをする内、「ああそういえばHが都庁にいたな」と、ネット検索機能に彼の名前を打ち込んでみた。
 Hは高校3年の時の同級生で、成績は常にトップクラス。東大に進む生徒の中でもひと際目立つ彼の明晰な頭脳と冷徹とも思える冷静さは、将来どんな人生を歩むのかと周りに思わせたものだ。ワルで劣等生の私などとそんなに接点は無かったはずだが、なぜか私の空間にいることが多かった。ただ、大学に入ってからは、交流が途絶えていた。
 以前、法曹界か高級官僚の世界に入って活躍しているかと思いきや、東京都庁にいると聞いて意外に感じたが、彼の異常なまでの打算的な人生設計を高校時代に聞かされていた私は、「奴なりの計算があるのだろう」と不思議に思うことはなかった。
 一度だけHに電話で取材をした事がある。ただし、どんな取材内容であったかは記憶にない。電話をかける前、Hが文書課長をしていると聞き、その役職のイメージから「奴にしては随分出世コースから外れたな」と思って「プライドの高い彼に悪いかな」と電話をするのをためらっていると、ジャーナリスト仲間から「文書と言っても法律に関わるドキュメントをチェックするところで重要な役職ですよ。知事との接点も多いですしね。その若さだったら出世コースですよ」と言われ、気を取り直して電話をした記憶がある。
 Hの名前を検索していた指が止まった。彼が不祥事を起こした今年4月の新聞記事を目にしたのだ。不祥事といえば、数年前、同じ高校の先輩でラグビー部のコワモテだったSが新聞をにぎわせた事がある。SはJRA(日本競馬会)にあって一時は「飛ぶ鳥を落とす勢い」で京都競馬場のトップを務め、将来の副理事長最有力候補と言われた男であったが、贈収賄事件で逮捕されていた。その時もショックであったが、今回は同級生だ。しかもなぜか私を慕ってくれた男の話だ。
 Hの名前が載る新聞記事「都教育庁部長が下半身露出 公然わいせつ現行犯逮捕され諭旨免職」を見て、自分の目が信じられなかった。「え、あのHが…」と、思わず彼の苗字を口にしていた。
 新聞各社の記事では、JR総武線の電車の中で深夜、泥酔したHはズボンのファスナーを下ろしてイチモツを露呈したという。これを読んでいる時、彼の家族のことを思った。電話であいさつをした程度だが、彼の妻への同情は禁じえなかった。もし子供がいれば、彼らの心情は推して知るべしだ。
 高校時代のイメージでしかないが、Hは小柄でひ弱な青年であった。転勤族の息子で確か北陸の方から転校してきており、どこか豪気さを男の本分とするような校風にはなじまない「日陰を好む学究の徒」の趣があった。「青成りびょうたん」と評する同級生がいて、その時はそいつを叱ったが、言いえて妙だと内心思った事がある。
 記事を読み、彼の職歴を見て大体の察しがついた。一時は知事本局自治制度改革担当部長という“本流”に身を置いたHがその後、教育庁同和教育担当部長や福利厚生部長といった“傍流”に流されたのを考えると、権力志向の強い彼には屈辱的な日々だったはずだ。都議会の議事録を見れば、議員の質問に無難な受け答えをしているが、悶々とした毎日を送っていたに違いない。
 仕事からくるストレスから深酒をするようになったとしてもおかしくない人事だ。「エリートの堕落」だ。普段は冷たく扱う類の事件だが。同級生だけに何か一抹の寂しさを感じてしまう。非難の筆も鈍る。ネットの世界では、彼のことを面白おかしく扱っていたが、何れもが的外れであった。中でも、一連の教育界の不祥事とする見方は、Hがあくまでも人事上の都合から教育庁に在籍していただけに見当違いだろう。
 Hと親しい人間と話してみると、私の憶測は大方合っていた。彼の悩みも相当深かったようだ。その男の言う限りでは、Hは初犯であり、これまでそのようなことは周囲で噂にも上らなかったらしい。この話が本当ならやはり、「好事魔多し」の譬えそのものだ。彼は今、家族や友人と距離を置いて生活しているとのこと。
 人の噂が収まったら、時機を見て一度Hと会ってみたいと思う。私に何ができるか分からないが、40年前の私の存在が彼に何かを与えられるかもしれない。そんな安っぽいノスタルジーに意味があるのかと問われれば、自信を持ってあるとは言えないが、なぜかそうしたのだ。