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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

靖国60年目の夏

2005-08-16 00:37:20 | Weblog
 敗戦記念日の今日、日本中の、いやアジアの多くの国からも関心を集めている靖国神社に行ってみた。今日の東京は曇天ながら猛暑で、九段下駅から少し歩いただけで汗が吹き出てくる。神社の入口の鳥居をくぐる頃には吹き出た汗がシャツにまとわりつく感じだ。
 8月15日というだけでなく、戦後60周年ということもあって人出は多く、地下鉄の九段下駅から靖国の鳥居に向かう人の波が出来ていた。「人出は多く」と言っても、私はこれまで靖国を訪れておらず、この辺りはあくまでも神社関係者のコメントを参考にした。
 人の波に、お年寄りだけでなく若者の姿が目立つことに驚いた。以前神社を訪れた人からそんなことを聞かされていたが、その時は偶然性も否定できないと思っていた。
 境内の奥に歩を進めると、軍服などに身を固めた人たちがチラホラと目に付く。中に、「天皇陛下バンザイ!」「大東亜戦争勝利」と叫ぶグループがいた。軍歌を歌っている連中もいる。見ると、彼らはどう見ても戦中世代ではなく3,40代だ。そんな連中にカメラを向けたり、記念撮影を一緒にとねだる若者達がいる。
 境内の中ほどに銅像があり、その前でハーモニカに合わせて軍歌を歌うグループがいた。将校、飛行兵、勤労動員など当時の衣装に身を包んだものの所詮は「コスプレ・グループ」に過ぎない。軍歌を歌ったことも無いのだろうが聞くに堪えない酷さだ。後ろでお年寄りが「歌になっていない」とつぶやく。
 特設ステージでは、「戦後60年国民の集い」が行なわれていたが、そこは後に戻ることにして先に進んだ。
 本殿の前には参拝客が長蛇の列を作っていた。そこへ今度は、違うコスプレグループが現れた(写真参照)。携帯のカメラで撮影したから画像が鮮明でないが、一部の人間は、手に刀や模造銃を持っている。すると、また参拝客が手に手にカメラを持って周りを取り囲む。
 マスコミの知人に間もなく小池百合子環境大臣が現れると聞き、場所を移した。しばらくすると、彼女を乗せた車が目の前を通った。ちらりと見えた顔は小池大臣に間違いはなく、車が神戸ナンバーであることは、公用車ではなく自分の車で来たこと、つまりは私人で来たことを意識してのことであろう。
 彼女の姿をちらりと見て、隔世の感を抱いた。
 私は小池さんとは旧知の仲だ。10数年前まで、彼女はカイロ大学留学という変わった毛色を持つジャーナリストだった。今はなき週刊誌「朝日ジャーナル」の同じ書き手として交流があったのだが、その頃から、いやカイロ大学在学中から目立ちたがりで有名であった。
 朝日ジャーナルの編集長であった伊藤正孝(故人)さんが、13、4年前、「小池百合子さんを細川(護熙)さんにつないだのは僕だよ」と独白した時、「大体分かっていましたよ」とは答えたが、正直な話、「伊藤さん、分かってないな」と内心思ったものだ。伊藤さんは、アラブやアフリカをゲリラと共に歩き回った朝日新聞の記者らしからぬ「泥臭いジャーナリスト」で人間としては信頼できる先輩だったが、「女を見る目」があるとは言い難かった。実際、小池さんは、日本新党から新進党、保守党、自由党と渡り歩き、最終的に自民党入りして小泉さんに取り入った。
 参拝に訪れる政治家を取材する報道陣やひと目見ようと集まった見物人で賑わう中に一人の外国人の姿があった。説明が必要なら協力してあげようと声をかけると、彼(David)は在日6年のヴェテランジャーナリストで私の助けなど必要としなかった。カナダのTV局と契約をしているというDavidは現在、ヒロシマ・ナガサキの取材をしているとのことだった。
 そんな彼からとても興味深い話を聞いた。広島と長崎に落とされた原爆のウランはカナダで採れたもので、しかもその採掘には少数民族が使われたとのこと。さらに、その採掘に当たっていた人たちが被爆をしているというのだ。「カナダも原爆投下に無関係ではなかったんですよ」と教えてくれるDavidの表情は、心なしか曇っていた。
 政治家達の顔を見ていても仕方がないので、遊就館に向かった。零式戦闘機や人間魚雷の展示がしてあるという。何れもが、今で言う「自爆攻撃」に使われたものだ。だが、入場料が800円と言われた途端、中に入る気が失せた。「たかが800円、されど800円」などと訳の分からない独り言を言いながらきびすを返して外に出た。
 もと来た道を辿ると、前述の「国民の集い」が佳境に入っていた。
 TVにも時折り出てくる金美齢さんが、聴衆に熱く語りかけていた。その語り口に聴衆が引き込まれていた。私には聞くに堪えない「大東亜戦争礼賛」「靖国神社擁護」もそれらの人たちには心に深く染み入るのであろう。胸の前に両手を合わせて聞き入ったり、涙を浮かべている人もいた。
 その後今度はオペラ歌手と演歌歌手がそれぞれ「英霊への想い」を謳い上げた。その時、上空で雷鳴がした。聴衆に動揺が走った。雷鳴が近くなると、参加者の中には席を立つ人も目立った。「心に深く沁みる話しや歌」より自分の命が大切なのは当然だ。主催者にとってはうれしくない光景だったようだが、それらの逃げ惑う人たちの姿は、私の目にはとても人間的に映った。